獣人王国の精霊使い 1
全五話予定です。
目眩のような感覚が消え、身体が安定するのを確認して、私は目を開いた。
「あれ?」
……暗い。
おかしいな、いつもは日本とこちらの時間はだいたい同じで、昼間に世界を渡ればこっちも昼なのに。
でも、すぐそばに感じる温もりは、いつもと一緒。精霊が結びつけた相手のところに、私は現れる。
「すず?」
わずかな明かりを反射して、赤銅色の瞳が光っている。ヴァレオさんだ。片肘をついて横になっていたのか、私を見て横向きのまま身体を起こしたポーズ。
私はちょうどヴァレオさんの目の前にしゃがみ込む格好で、こちらに出現していた。
「ヴァレオさん」
呼びかけると、起きあがったヴァレオさんはあぐらをかいた上に私を抱き上げた。ぎゅっ、と抱きしめられる。
「よく戻ったな。……と、言いたいところだが」
ヴァレオさんは片方の膝に肘をつき、私の顔をのぞき込むようにして苦笑した。
「もう少し後の方が、良かったかもしれねぇな」
「どうして? ここ、どこ? ……まだ、鎧獣人の故郷には着いてないんだよね?」
静かなので何となく声を潜め、私は振り向いてあたりを見回した。
洞窟の中のようだ。出入り口と思われる方向は薄ぼんやりと明るく、やっぱり昼間なのかな、と思わせる。でも、明かりをつけていないので暗い。前回に来た時よりずっと寒いし、何だか少し息苦しいし、それに湿り気が……
「ゲザ山脈を越えている途中。山の中の洞窟だ」
ヴァレオさんが説明してくれる。ゲザ山脈……?
私たちの話し声が聞こえたのか、周りから「あれ、すずが来てる」「大変な時に来ちゃったね」という声が口々に聞こえてきて、私は挨拶を返しながらヴァレオさんの話を聞いた。
「ゲザ山脈を越えれば、やっと鎧獣人の故郷と思われる地方にたどり着ける。この山脈があるから、今まで情報がユグドマには来なかったんだな、ってのがよくわかる、急峻な山脈だ。その山越えの途中で、悪天候に見舞われてな。雨で地盤が緩んでるし、しかも霧が濃い。この洞窟に避難して、動けなくなって二日目だ」
肩をすくめる彼に、私は「もしかして」と尋ねた。
「……私に、そろそろ日本に戻ったらどうだ、なんて言ったよね。それは、この山越えがあったから?」
ヴァレオさんは「ウッ」と息をのんだけど、すぐに白状した。
「まあ、そういうことだ。お前がいない間に俺たちが山越えしちまえば、お前は余計な苦労しなくてすむだろ」
「わ、私だって」
皆と一緒に頑張れたのに、と言おうとして、思いとどまった。
違う、やっぱり日本に帰ってて良かったんだ。だって、私は足手まといになる。
鎧獣人の体力は私から見ると底なしで、筋力もすごい。一方、人間との混血のグラーユさんはそれほどでもないらしくて、たまにちょっとしんどそうにしている。ただの人間の、しかも山登りなんてハイキング程度しかしたことない私じゃ、推して知るべし、だ。
「そういえば、馬車はどうしたの?」
暗がりに慣れてきた目でヴァレオさんを見ると、彼はまた髭ボーボーになっていた。その髭が動いて言葉を紡ぐ。
「山越えの前に売った。いらん荷物もな」
「ソルティと塩豆は?」
「洞窟の外の、岩棚の下にいる。その辺の草を食ってるよ」
「皆、大丈夫なの? 怪我とか、食べ物とか」
「それは今のところ大丈夫なんだが……長が、ちょっとな」
ヴァレオさんは、洞窟の枝分かれしている方に目をやった。
「あまり体調が良くない。早く山を越えさせてやりたいが。……ここは谷で発生した霧がちょうど流れ込んできてる場所みたいでな。谷を避けて上って下りて、向こう側に抜けられれば、天気も変わるはずなんだが」
「そう……」
一行の長は、獣人にしてはかなりの高齢だから、心配だ。故郷を一目見たいと、その気持ちで頑張っているんだと思うけど。だって、まだ親戚が生き残っているかもしれないし。親兄弟がどうなったのか、聞けるかもしれない。
「人のことより、お前は自分の心配をしろ」
ヴァレオさんのお小言が始まった。
「こんな薄着で来やがって、けしから……いや、さ、寒いだろ。ただでさえこんな柔らか、いや、弱っちい肌してんだ、なんか着ろ」
「あ、はい」
ちゃんと自分のリュックを持ってきていたので、私は中からウィンドブレーカーを取り出して着込んだ。ヴァレオさんからは、というか鎧獣人からは、私がすごく弱そうに見えるんだと思う。
リュックには、旅に役立ちそうなものをちょこちょこ入れてきたんだけど、こんなことになってるって知ってたらもっと考えて色々詰め込んできたのに……あ、でもチョコレートはたくさんある。お土産のつもりで入れてきたんだ。様子を見て、配った方が良さそうなら配ろう。
胸のジッパーを引き上げ、ヴァレオさんの顔を見ると、彼は「よし」という感じでうなずいてから──
もう一度、私をすっぽりと抱きしめた。私の額に自分の頬をくっつけて、体温を確かめているような仕草。
やがて、柔らかくて温かいものが額に当たった。……キス、されたんだ。髭はちょっと、ごわごわして痛いけど、ドキドキする。
身体のあちこちが固い鎧で、肌の部分も人間より肌が固く、筋肉ごつごつ。それなのに、ここだけは柔らかいヴァレオさんの唇。
なんだか恥ずかしくて、私はうつむいて逃れると額をヴァレオさんの肩のあたりに押しつけた。ヴァレオさんが低く笑う気配。
この人と、形の上では「夫婦」だなんて、未だに信じられない。ヴァレオさんはすっかりそのつもりみたいなのに、私の方の気持ちが追いつかなくて。
その彼は顎を私の頭に乗せて、軽くため息をついた。
「しかし、どうするかな。場合によっては、お前はもう一度日本に……いや、精霊石の力が戻るまでは行けねぇか」
色々、考えてくれてる。……私、何か役に立てればいいのに……
「さて……一度、他の奴らと話し合ってくる。待ってろ」
ヴァレオさんが言い、私はうなずいて彼の膝から降りて立ち上がった。
「あの、今はみんな、水はどうしてるの?」
「ああ、ここの奥に小さな滝がある。そこの水は大丈夫だ」
「ちょっと飲ませてもらうね。あと、長にも挨拶してくる」
私はヴァレオさんに笑いかけると、洞窟の奥に向かった。
いくつか枝分かれした先に、岩肌を流れ落ちる小さな滝があった。下は池になっていて、洞窟が下った先まで水に沈んで、行き止まりになっている。
私は滝の前に立つと、すーっ、と息を吸い込んだ。
ふわり、ふわりと、水の精霊が私の顔回りを飛び回る。水滴が人型になったようなその精霊たちは、私の望みを知っているかのようだ。
──だいぶ、息が楽になった。
ヴァレオさんには言わなかったけど、急に山の中に出てしまったせいで、空気が薄くてちょっとしんどかったのだ。今、水の精霊が酸素を強めてくれて楽になった──んだと思う。たぶん。
私は手頃な岩に腰掛けると、ため息をついた。
実は私には、秘密があった。ヴァレオさんにも、鎧獣人の誰にも言っていない、秘密。
何度か日本とこちらの世界を行き来するうちに、私は精霊の姿がどんどんはっきりと見えるようになっていたのだ。それどころか、精霊は私の心を読むようにして、色々と私の役に立とうとしてくれる。
「精霊使い」の力、だと思う。ミゾラムさんのような。それが、精霊の力を何度も借りているうちに身に付いたんじゃないだろうか。
ちょっと寒気がして、私は腕をさすった。
この力は、訓練すれば人の精神さえも操るという。それに、他の精霊使いの記憶を吸い取ってより強力になる、ということも、ミゾラムさんの事件によって知った。
そんな精霊使いに、私はなるつもりは全然ない。でも私はとても弱いから、何か間違ったことに力を使ってしまうかもしれない。ミゾラムさんに起こったことは、私にだって起こりうることなんだ。
私みたいな子に、分不相応の力があるなんて、皆はどう思うだろう。
そう思ったら、言えなかったのだ。ヴァレオさんにも。
「……別に、すぐに言わなくたっていいよね。とにかく、長のところに行こう」
立ち上がった私は、ふと振り向いた。
「ん?」
呼ばれた気が、する。私は池の奥の方をのぞいた。
地底湖、というには規模が小さいけれど、水に満たされた洞窟の奥。その水中に、精霊たちの群が見える。群は一定の方向に向かって流れ、また戻ってきては、数体の精霊たちが水面に魚のようにはねて、私に何かアピールしている。
「そっちに……抜けられるの?」
私が尋ねると、精霊たちは嬉しそうに、くるくるとダンスした。
長と、長についていたグラーユさんは、私が戻ったことを喜んでくれた。グラーユさんは他の獣人たちと同じように、
「大変な時に戻ったね」
と苦笑し、
「でもちゃんとヴァレオが守ってくれると思うから、大丈夫だよ」
と笑っていた。
挨拶の後、いったん私はヴァレオさんがいたところに戻った。彼もすぐに戻ってくる。
「まだダメだな、天気の回復待ちだ。体力温存しとけ」
私はうなずいた。
「うん。あの……ヴァレオさん、ちょっと来て」
「あ?」
いぶかしげな彼を案内して、私は枝分かれした洞窟を辿って行き、さっきの水場まで行く。
「あのね……あっちの奥の方、さっき急に水面が揺れたの。よく見ると、ちょっと光ってるような気もするし」
私は池の奥の方を指さした。
「もしかして、どこかに通じてるのかな、と思ったんだけど」
ヴァレオさんはじっとそちらを凝視した後、私に視線を移した。
「精霊が、何か伝えてくるのか」
「えっ」
私はたちまちしどろもどろになった。
「ううん、えっと、そう見えただけ。き、気のせいかも」
「おい。俺に隠し事をしようなんざ、すずのくせに生意気だぞ」
どこぞのガキ大将リサイタリストみたいなことを言い、ヴァレオさんは眉をつり上げた。
「精霊が、ハッキリ見えてるんだろ。だいたいお前、この水場まで誰にも何も聞かずに一発で来れただろう。洞窟が枝分かれしてるのによ」
も、もうバレた。
「う。……ご、ごめんなさい……でも、皆、気づいてる? 私が、その」
視線を泳がせる私の頭を、ヴァレオさんはぽんぽんと叩く。
「俺はいつもお前を見てるから、すぐ気づく。何で隠したいのかは知らねぇが、もしここからどこかへ抜けられれば大手柄じゃねぇか」
「うん……でも……知られたくないの。精霊が教えてくれたってことは」
「ふーん。……まあいい、ちょっと潜って確かめてみる」
ヴァレオさんは、私がリュックに入れて持参したトラロープを「なんだこの色?」とぶつぶついいながら腰に結び、反対の端をそこら辺の岩に結びつけて、水の中に入っていった。
その結果、水で満たされた洞窟が、現在の悪天候の原因になっていた谷を避けて山の向こう側に通じていることがわかった。
鎧獣人たちはその鎧パワーで、丸一日かけて池の天井部分を削り空洞を作った。そして、大事な荷物を濡らさずに池の向こうへ渡ることに成功した。ソルティたち鎧獣も、半分水につかることを嫌がらずについて来てくれた。
渡ってしまえば水のないちゃんとした洞窟で、洞窟を抜けた斜面は霧もかなり薄れていた。一行は歓声を上げて、先へ進んだ。
そして。
すーっ、と霧が晴れた先、尾根から見下ろす位置に見えたのは──
緑に抱かれ、山の中腹に築かれた城塞都市だった。
「こんなところに、都市が……」
「結構、規模が大きいぞ」
「おい、あの辺に作られてるのは、巨大な炉じゃないか?」
「もしかして……」
尾根道に並ぶようにして、鎧獣人たちが口々に言う。そのざわめきは、少しの不安と大きな期待、そして不思議な確信に満ちていた。
きっと、ここが、鎧獣人たちの故郷なんだ。皆、それを肌で感じてるんだ。
「俺たちがユグドマで得た技が、ここの役に立つといいがな」
ヴァレオさんがつぶやき、何人かが賛同した。私は思わず、頬をほころばせる。
精霊使いにユグドマにつれてこられた獣人たちは、血縁の記憶を失っても、甲冑師として生き抜いてきた。ユグドマで新しく得た技もあるそうだ。そして彼らの子どもたち、孫たちが今、それを携えて故郷に帰ってきた。
ミゾラムさんの村の人々に、鍛冶の技を教えていたヴァレオさんの姿が脳裏に蘇る。あんな風に鎧獣人の故郷の役に立ちたいと、ヴァレオさんたちは願ってるんだろう。
ふと、長が顎を軽く上げた。
「皆、静かに。……何か聞こえる」
ざわめきが止み、薄曇りの山の中はしんと静まり返る。
ううん──静まってない。何か、低い響きが……
ドドドドド、という音がたちまち大きくなった。何かが、山の斜面を駆け上ってくる!
「すず」
ヴァレオさんが荷物を放り出し、私を背中に回して臨戦態勢になった。他の鎧獣人たちも次々とそれに倣う。
ゴオッ、ズドン、ズドンッ。ドンッ。
丸くずっしりしたものがいくつも、斜面を下から転がり上ってきて軽く跳ね、尾根道の上に着地した。私たちは、前後を挟まれた格好になった。鱗状のものに包まれたそれは、前に三つ、後ろに四つ。
これ……丸装化した、鎧獣人だ!
前の三人のうち一人が、丸装化を解いた。薄茶の髪に銀の目の、顎の割れた壮年の男性。
「何者だ」
彼は問いながら、じろじろと私たちを見ている。こちらが鎧獣人の一行であることは、すぐにわかったと思う。
長が前に出た。
「ここは、鎧獣人の住まう国か?」
「そうだ。我々の自治領である」
「私は四十年近く前、訳あってここから引き離された者の一人だ。十数人の鎧獣人が、行方不明になった記録は残っていないか? 私だけが生き残り、戻ってきた。他の者たちはその子孫だ」
「確かに、行方不明事件があったことは知っているが……」
割れ顎の獣人は長を思慮深い目で見つめ、一行をもう一度ざっと見つめ、それから言った。
「我らが都市に住んでいた者なら知っていよう、出入りする者は自ら門を開け。話は中で聞く」
そしてすぐに丸装化し、他の人たちと一緒にまた転がって、低木と岩だらけの斜面を下りていってしまった。
「……警備の兵、ですかね」
グラーユさんがつぶやくと、長が答える。
「だろうな。この山脈を越えてくる者などそうそういないはずだ、警戒されているんだろう」
「でも、長たちは精霊使いにユグドマへ連れ去られたんでしょう? その時はこの山脈を越えたはず」
「そうだ。逆に言えば、精霊使いの力がないと越えられないような場所だということになる。もしくは、我々が何かの用事でユグドマ側へおびき出されたのか……それはわからんが」
「とにかく、行ってみよう。自ら門を開け、とか言ってたな」
ヴァレオさんが言った。
皆は荷物を担ぎ直すと、斜面を下り始めた。




