最終話 甲冑を脱いだ巫女姫
8 ひとつを取り戻し、ひとつを失う と同時投稿です!
記憶が戻った瞬間のことを思い出すと、今でもちょっとだけ、可笑しくなってしまう。
忘れていた頃の自分の、きっとこうだろうっていう思いこみと、現実とのギャップに。
忘れていても覚えていても、どっちも私なのに、「普通はこう」っていう考え方の影響は大きいのだろう。それとも、「普通はこうなのに、うちは……」と思っていたからこそ、なのかな。
五月中旬の夕方、甲冑姿で自宅のアプローチに倒れていた私を見つけたのは、私の母だった。
私が下校途中に姿を消してから、日本では一ヶ月が経っていた。母は、大好きな競馬を断って、私の無事をずっと祈っていてくれたらしい。そう、競馬好きは父ではなくて、母だった。
父はというと、洋裁が得意で、洋服のリフォーム会社を経営している。よく、私の服の取れたボタンをつけてくれながら、自分でやれ! って私を叱る。そんな父も、母からの連絡を受けて、会社を手伝っている姉ともどもすっ飛んで帰ってきた。
私が甲冑なんか着ていたもんだから、おかしな男に監禁されて変な格好をさせられていたんだと家族は受け取り──まあ、それはある意味間違っちゃいないんだけど──激怒した。
警察の聴取には、私は異世界という部分をのぞいて、「領主などと名乗る変な男に監禁されていたけど、他の人には親切にしてもらった」と正直に(!)話した。
けど、どう逃れたのかという話になると……神殿の地下から逃がしてもらった時のことを思い出して、涙がとまらなくて。
母は私が未成年であることを盾に、
「甲冑っていう証拠品があるんだからもういいでしょ、こんな立派なものを作れる場所なんてそうそうないわよ! そういう場所を探して下さい! この子は休ませます!」
と言ってくれた。
私の甲冑、母の目にも立派に映ったらしい。ちょっと、嬉しかった。
家族には、全部ちゃんと細かく話した。
『普通』をいったん忘れて聞いて、と頼んだけど、当然ながら家族は困惑。そして、母は「お義父さんにも、聞いてもらおうか」と言って、私をおじいちゃんのところに連れていった。
おじいちゃんは宮司で、おばあちゃんとふたり、町なかにひっそりと存在する氏神さまを守っている。その社務所で、家族会議になった。
「学校は?」
「そんなもの、寿々が落ち着くまで休ませる」
「友達がプリントを届けてくれるから、家でやる……」
「寿々、私は信じますよ」
「お義母さん。……寿々、あんた、信じてほしいだけじゃなくて、何かしたいことっていうか、言いたいことがあるんじゃないの?」
「よく、わかんない……ただ、あっちの、私を助けてくれた人たちにまた会いたいって、思って」
「そんなのダメ!」
「会いたいって思うくらい、いいじゃない! お姉ちゃんのばか!」
「まあまあ。うーん、一期一会だねぇ」
「親父、わかったようなこと言うなよっ」
喧々諤々の議論は、数時間続いた。
私には、予感があった。いつかまた、あの世界と接点を持つことがあるかもしれないと。
だから、その時になるべく家族を悲しませたくなくて、少しでもあちらの存在を認めてほしかったのだ。
ぼろぼろ泣きながら、私は家族に訴えた。
「お願い、もし、私がまたいなくなることがあったら、あっちにいるかもしれないって、考えに入れて。それに、信じてほしい。私はこっちが嫌いなんじゃない、大好きなんだって。必ず、帰ってくるって」
──結局。
私がまた同じ犯人に狙われる可能性を考えた両親は、私をしばらくおじいちゃんの家に預けることに決めた。
おじいちゃんはいたずらっぽく笑って、言った。
「ここは神様の領域だからね。寿々の願うようなことが起こっても、不思議じゃない」
私は泣き笑いで、答えた。
「そうだね。それに、私はあっちでは巫女姫だったし」
「そうかそうか。じゃあ、手伝っておくれ」
おばあちゃんに言われ、白衣と緋袴をつけて神社の手伝いもするようになった。
時々、甲冑から取り外した赤い精霊石を見つめて、あちらのことを思い出しながら。
六月。神社で、近所のお姉さんの結婚式があった。
白無垢の綺麗な花嫁さんが盃を傾けるのを見て、思い出す。聖地のアーチ型の建物の部屋で、イズータさんとミリンダさんが、婚姻の儀式についての話をしていたこと。
あちらの世界でも今頃、愛し合う男女が、ナジェリの神殿で婚姻の儀式をしようと次々訪れているだろう。
精霊に、二人を結びつけてもらうのだと……
ヴァレオさんも、誰かと結婚して、幸せになるんだろうか。
……会いたい。
「『精霊よ』」
私は寂しい気持ちになって、ぽつりとつぶやいた。
「『二人の守護精霊を結びつけよ。命ある限り、二人がともにあるように。命終わる時も、二人が同じ場所に帰るように』」
──光が、あたりを包んだ。
目を開いた時、土臭い、大好きな懐かしいにおいに包まれているのを感じた。
がっしりした肩越しに見える景色は、青空と、うっすらと萌える緑に包まれた丘。荷物を山のように積み込んだ馬車、見覚えのある膝丈ガウンを着た人々の列。この隊列の人々は今、思い思いに広い大地に座り込んで、休憩しているようだ。
私を抱く腕の力が緩み、赤銅色の瞳が視界に映った。
「……すず」
呆然と名を呼んで、ヴァレオさんは私の腕を上からぐっ、ぐっ、と確認するように押さえた。
「すず、だよな? 戻って、来たんだよな? 大丈夫か?」
「ヴァレオさん……?」
呆然とつぶやいて、私はきょろきょろとあたりを見回す。
砦も、神殿も、集落も見えない。ただ、雄大な丘陵地帯が広がり、前方に見たこともない山脈が遠く見えているだけだ。
私とヴァレオさんの周りを、精霊が二体、遊ぶように飛び回っている。心なしか、以前のように半透明のぼやけた姿ではなく、表情らしきものが見えるような気がした。
「私、何でこっちに」
私服姿のヴァレオさんに目を戻した時、聞き覚えのある声がした。
「すず!? すずだ!」
後ろでグラーユさんが、満面の笑みを浮かべていた。
「そうだったのか! でかしたヴァレオ、ちゃんとすずと婚姻のつながりを結んでたんだね! 二人の守護精霊が仲良くしてるのが見える、よかった! 長ー!」
グラーユさんは興奮した様子で、隊列の前の方へ走っていってしまった。一つに結った栗色の髪が、背中でぴょんぴょんはねる。
「…………ええと」
自分の状況を確認しながら、私はちょっと焦り始めた。今、私は、片膝をついたヴァレオさんの足の間に抱かれている。な、何でこんな密着。
「婚姻って、何? ヴァレオさん」
見上げると、ヴァレオさんは心配と後ろめたさとうれしさをごちゃ混ぜにしたような表情になった。
「大丈夫なんだな、すず? 話すぞ? 神殿の地下で起こったことは、覚えているか?」
「わ、忘れたりしないよ。ヴァレオさんとミゾラムさんがぶつかり合って、その隙に私は日本に帰してもらったんだもん。水と、水晶球みたいなものがぶわっとなって……何、何があったの?」
「ああ。ミゾラムがあの場所で強力な精霊魔法を使い、逆に力に飲み込まれそうになった。そこまではこっちの思惑通り。だが、それは同時に、『女神の顕現』の引き金になったんだ」
落ち着いてきたヴァレオさんは、静かに話す。
「神殿に数十年にわたって蓄えられていた、力と記憶が、洪水となって地下を通り下流に流れ出した。俺はシオマメと一緒に丸装化して無事だったが、ミゾラムは精霊の世界に消える代わりに、まともに巻き込まれて流されたようだ」
ヴァレオさんが誰かを手招きしたので、私もそちらに目をやった。
膝丈ガウンを来た、黒髪に銀の瞳の男性。
ミゾラムさんが、滑るように近づいて来ていた。
怖くなって、ヴァレオさんに身体を寄せた。私を抱く腕が、安心させるように力を込める。
ミゾラムさんは私をちらりと見て、無表情のまま言った。
「ヴァレオさん、奥さんがいらしたんですね。初めまして、僕は、ミゾラムと言います」
差し出された手に、おそるおそる私も手を出すと、ミゾラムさんは軽く握って、またふらりと元来た方へ戻っていった。
──私のこと、わからないの?
「あいつ、記憶を失ってるんだ」
呆然と見送る私に、ヴァレオさんが耳元で囁く。
「下流の岸で見つかって、近隣の村人に保護された。目を覚ましたときにはもう、記憶がなかったらしい。俺はあいつの生死を知りたくて、川沿いに探して見つけ出したんだが、自分の名前も覚えてなかった」
「『女神の顕現』に、巻き込まれたから?」
「かもな。記憶を吸収してる最中だったから、なんかこう、精神が開いた状態にあったからじゃないかとか何とか……グラーユが言ってたが。ツーリの奴らから、ミゾラムの母親がこっち方面に暮らしてるらしいって噂を聞いたんで、連れてきた」
ヴァレオさん、ミゾラムさんを放り出さなかったんだ……何だか、ちょっとホッとした。
私はうなずき、さらに尋ねる。
「で?」
まだ、肝心な部分を聞いてない。婚姻って、何。
「あー、うー、前にちらっと話したが……こっちでは自分の名をどんな風に名乗るか、覚えてるか?」
ヴァレオさんは挙動不審だ。
「うん。自分の名前以外に、別の人の名前も名乗るんだよね。死んだ後に精霊が、その人の元に魂を連れていってくれるように」
「そうだ。血で結ばれた者か、婚姻で結ばれた者同士なら、精霊が魂を結びつけてくれる」
「で?」
いちいち促さないと話が進まないのは、ヴァレオさんがためらいまくって、視線を逸らしまくってるからだ。
「つまり……お前がこっちに戻ってこれたのは、精霊がこっちの人間と、魂を結びつけてくれたからだ」
「こっちの人と? 誰と?」
「……俺と」
「どうやって? もう、早く教えて!」
とうとう私が怒った声を出すと、ヴァレオさんはそれを見てニヤリとして──
「こうやって」
いきなり私の顎に手をかけて、キスをした。
「んっ? え?」
にわかに体感温度が上がって、あたふたし始める私に、ヴァレオさんはようやく白状した。
「いや、精霊の力で世界を渡れるなら、お前とこっちの誰かが精霊によって婚姻で結びついてりゃ、故郷に帰ってもまたこっちに来れるかも……とは思ってたんだよな。で、あの時、俺もお前も手に怪我をしただろ。その、お互いの血をこう、ちょちょいっと、唇にな。略式だが、互いの守護精霊を結びつけて婚姻成立、と」
「あれが婚姻の儀式だったの──っ!?」
私の手の傷にキスをしたのも、その後の血の味のキス(あれはヴァレオさんの血!?)も、そういうことだったんだ!
「か、勝手にそんなっ」
「まあまあ、いいじゃねぇか。戻って来たかっただろ?」
開き直ったらしいヴァレオさんは、私の手を引いて立たせると、私を上から下まで眺めた。
「また変わった格好をしてんな」
そうだった、白衣に緋袴だった。
「こ、これは、私の故郷の巫女の装束で……そうだ、『巫女姫』はどうなったことになったの? 私が姿を消しちゃったら……」
「巫女姫は、夜空のアギとグオが黒くならないのに、巫女姫の力で『女神の顕現』を起こして戦争の終わりを祝福してくださり、役目を終えて姿を消した。そういうことになったぞ。聖地はますますその神秘性を増して、ユグドマとツーリ両国はありがたーく仲良ーく管理してら。再び巫女姫が現れた時のためにな」
まじで。
「お前が、巫女姫の役割を果たしたからこそだ。ありがとうな」
ヴァレオさんが、私の手を握る手に力を込めた。
おかしな気分だった。
私は自分から進んで巫女姫になったわけじゃないし、自分で聖地を預かりたくて音楽を奏でたんじゃないし、自分の意志で『女神の顕現』を起こしたのでもない。
「私、何もしてないよ……? お礼なんて」
「与えられた役割から、逃げないでくれた。自分は巫女姫だと自覚して、両国の間に立ち続けてくれたじゃなねぇか」
……メソメソ泣きながら、へっぴり腰でね。
巫女姫として立つ私の中を、いくつもの出来事が通り抜けていくイメージが浮かんだ。
そうか、巫女って、そういうものだっけ。自分が主導権を握るんじゃなくて、神様と人間の間に立って、神様からの啓示を人々に伝える女。
……やっぱり私、女神ナジェリの手のひらの上、だったのかもね。でも、巫女が私だったから事態が解決したのだと、ヴァレオさんが言ってくれるなら……良かった。
「じゃあ、もう私……巫女姫やらなくていいんだ」
呆然とつぶやくと、ヴァレオさんはうなずく。
「そうだ。やっと、ただの『すず』だ。両国に平等に、とか考えなくていい。誰のものになるにも自由だぞ」
妙に嬉しそうなヴァレオさんは、私をひょい、と抱き上げて片腕に座らせるようにした。
「だ、誰のものにって、わっわっ」
「おら、長に会うだろ? 行くぞ」
ヴァレオさんはさっさと歩き出す。
「行くけど、行くけど、あの、今これ皆、何をしてるの? どこかに行くの?」
私は高くなった視点から、隊列を見回した。鎧獣人の集落で見たことのある人ばかりだ。
皆が、私を見て、おかえり、おかえり、と声をかけてくれる。
後ろの方に見える数頭の鎧獣、その中に見えるのは、ソルティバターと塩豆?
「俺たち鎧獣人の故郷に、向かってるのさ」
右側で、壮年の鎧獣人が、私を見上げて言った。
「数十年ぶりに、探しに帰るのよ」
左側では、見覚えのある小柄な女性が笑顔を見せる。
ヴァレオさんが歩きながら言った。
「神殿の地下に眠っていた、長の記憶は消えちまったが、ミゾラムとぶつかり合った時に俺はその記憶を垣間見ることができたんだ。それで、鎧獣人の故郷が、ユグドマの国境を越えた遥か西の地にあると、予想がついたのさ」
前方の馬車から、グラーユさんの手を借りて、真っ白な髪に真っ白な髭の鎧獣人が降りるのが見えた。こちらに小さく手を挙げるその人に、私は大きく手を振った。
「よかった! 故郷、きっと見つかるよね!」
嬉しくて、勝手に笑顔がこぼれた。
ヴァレオさんを見下ろすと、ヴァレオさんも私を見上げている。
その赤銅色の瞳に、以前とは違う色を見つけて、私はどぎまぎした。説明するならば、ええと、「もう遠慮しないぞ」とか、「もう逃がさないぞ」的な、メラメラしてる感じの色。
「えっと……安心したから、私、日本に帰ろうかな」
視線を泳がせながら、言い訳のように言う。
「血縁の記憶があるんだから、精霊に力を借りれば帰れるよね。こっちにもまた来れそうだし」
袂から、赤い精霊石を出す。こちらから日本に戻った時も、この石が光ってたんだよね……石の精霊は大きな力を持つって言うから、この石の力と守護精霊の力と合わせて、世界を移動できたんだと思う。
と、ヴァレオさんがそれをひょい、と取り上げた。
「あー、こりゃダメだ。お前をこっちに来させるのに力を使って、精霊も疲弊してる。しばらく休ませないと無理だろ」
「ちょ、返し……え、そうなの? どのくらい?」
「さぁなぁ」
「じ、じゃあ、イズータさんに会いに行ってこようかな!」
「ばか、東原砦に近づいて領主に見つかったらうるさいぞ。次の町で手紙でも出せ、代筆してやるから。とにかく、お前は俺の妻なんだから一緒に旅について来い」
「つ!? わ、私はそんなのオーケーしてないもん!」
「何だよ、こっちに戻ってきたかったんだろ!? 結果的に儀式しといて良かったじゃねぇか。他のやつとしたかったのか?」
「違っ、そりゃ、誰がいいかって言ったらヴァレ……じゃなくて、そういう問題じゃないでしょ!? 略式なんだしっ」
「鎧獣人の故郷に着いたら、正式にやるか?」
「しないってば! 私まだ十七歳!」
「俺は二十七だ、釣り合いいいじゃねぇか」
その言葉に、ふと気づく。ヴァレオさん、年齢相応に見えると思ったら、髭剃ってる。
「髭……」
無意識に、指先で彼の顎に触れた。ほんの少し生えた髭の、ちくちくする感触。
「お前がおっさんおっさん言うから……戦争終わったから甲も被らねぇし……剃ってもいいかなと……」
もごもご言うヴァレオさんは、彼の顎をなぞる私の手を、空いた手でぎゅっと握りこんで止めた。
そして、私に尋ねた。
「それはいいから、お前の名前を教えろ。全部の名前だ」
ヴァレオさんは、戻って来た私を側から離す気はないみたい。
甲冑の力なんてなくても、守られているように感じる。女神ナジェリが言っていた、私を守るもう一つの力って、ヴァレオさんのことだろうか。
私は半分、あきらめた気分でため息をつくと──
笑い出しながら、教えた。
「赤石、寿々です」
これからはこの名前が、ヴァレオさんの名前の一部になる。そしてヴァレオさんの名前が、こちらでの私の名の、一部になるのだろう。
そう、思いながら。
【甲冑系巫女姫 完】
お付き合いいただき、ありがとうございました。図らずも、本日5月23日は「キスの日」だそうです(^^)
完結設定にしましたが、実はまだちょっと、寿々はヴァレオとの関係を勘違いしたままの部分があります。旅の途中で繰り広げられるドタバタをもう一話、恒例の後書き&創作メモと同時に後日UPしたいと思っています。ヴァレオには存分にデレてもらいます。よろしくお願いします。