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甲冑系巫女姫  作者: 遊森謡子
第三章 巫女姫と獣人はともに進む
21/32

8 ひとつを取り戻し、ひとつを失う

この8話と最終話、同時投稿です。

「あ……」

「うわ」

 私とヴァレオさんは、思わず足を一歩引いた。水の上に踏み込んだかと思ったのだ。


 そこは広いホールのようになっていて、地面がまるで氷のように透き通っている。天井の岩肌もあちこちが青く光っており、それを映した床も光って、まるで星の海にいるみたいだった。

 床のずっと深い方、青く沈んだ昏がりに、丸い水晶球のようなものがたくさん沈んでいる。その周りを、半透明の精霊たちがゆっくりと、まるで球を見守るように動き回っている。

「あっ、あれ」

 私ははっとして、その深い方を指さした。

「あれが記憶だ。わかるの、ヴァレオさん、あの中に私の記憶がある……!」


 見つめていると、一つの球だけに目が行った。


 その球だけが視界に存在するようになり、


 目が離せなくなり、


 私はいつの間にか膝をつき、


 その膝が、まるで引き波にさらわれるように、沈み込む感じがして──


「すずっ」

 ぐっ、と手を引っ張られ、我に返った私は急いで目を閉じた。

 吸引力のようなものが、ふっ、と消える。ヴァレオさんの手にすがり、急いで立ち上がった。

「大丈夫か」

「うん、うん。大丈夫……びっくりした」

 私は意識的に顔を上げ、ヴァレオさんと視線を合わせる。手と一緒に、視線も繋いでもらう。

「引っ張り合う感じがしてね、すぐにも私の中に戻ってきそうだった……」

 地面を見ないようにして、足で探る。──固い。さっきはこのまま沈んでしまうかと思った。そうしたらきっと、私は日本に戻ってたんじゃないか……そんな気がする。

「まあ、良かったな、見つかって」

「うん……」

 手をつないだままの私たちの間に、わずかな沈黙。


 ……この手を、離して、日本に帰るのか……


 急に、ヴァレオさんが「う」と顔をしかめた。塩豆が腕から滑り落ち、着地して不満そうに鼻息を鳴らす。

「……何だこれ、めまいが……」

「え……あ!」

 私は急いで、あたりを見回した。


 ──岩の柱が林立する中、少し離れたところに、まるで指揮者が立つ台のような大きさと形をした岩があって。

 そこにミゾラムさんが立って、こちらに片手を伸ばしていた。

 イズータさんが倒れていたという話を思い出す。眠りの精霊魔法……!?


「案内、ありがとう。姫も、どうぞお眠り下さい。次に気づいた時には、きっと故郷の空の下です」

 冷たい微笑みを浮かべたミゾラムさんが言ったとたん、私までめまいを感じてよろめいた。

 眠っちゃだめだ、頑張れ私! ミゾラムさんの力は弱いはずだって、ヴァレオさんが言ってた。

「くそっ」

 私とつないでいない方のヴァレオさんの右手がみしみしと変化し、鋭い爪のついた金属のグローブ状になる。彼はその手で、自分の左上腕部のあたりをためらいなく引っかいた。

 つっ、と血が滴ったけれど、ヴァレオさんは痛みで魔法を振り切ったらしい。軽く頭を振って、身体を伸ばす。

「もう魔法にはかからねぇぞ。……って、すず!」

 驚く声。

 いったん手をほどいた私は、ヴァレオさんの右手の爪に自分の右手をぶつけたのだ。

 鋭い痛みが走って、右手の指から血が一筋流れる。けれど、おかげで私も目が覚めた。


「ミゾラムさん」

 傷には構わず、私はミゾラムさんに尋ねた。

「ここで、何をしようとしてるの?」

「なぜ、それを聞くんです?」

 逆に尋ねられる。私は答えた。

「理由を聞かなきゃ、あなたが悪い人かどうかわからないから」

「ばか、すず、この期に及んで巫女姫らしくしなくていいっ」

 ヴァレオさんが眉を逆立ててる。


 でも、このまま日本に帰されてしまったら、残された人たちがどうなるのか気になる。ミゾラムさんの口から事情が聞けるなら、聞いておきたい。

 私に何かできるなら、しておきたい。ここにいられる間に。


「ふふ……もしかして今、姫には、僕が悪人には見えてないんですか?」

 ミゾラムさんはふと、表情を緩めた。

「面白いですね。ユグドマの人間でもツーリの人間でもない、あなたの目から見たら、僕はどういう人物なのか知りたくなりました。いいでしょう、お話します」

 そして彼は、二本の指を自分のこめかみに当ててつぶやいた。

「守護精霊よ……我が記憶を(あらわ)せ」


 ミゾラムさんのすぐ横に、水晶球が一つ現れた。球の中ではぐるぐると様々な色が渦巻いていたけれど、ミゾラムさんがそれに触れると、角ばった顔の老人の顔が浮かんだ。

「僕の祖父です。かつての戦争の中期、鎧獣人から記憶を奪った、精霊使いです」


「……何だと?」

 低い声を出すヴァレオさんに、ミゾラムさんは肩をすくめる。

「僕に怒らないでくださいよ、僕がやったんじゃないんだから。……祖父は、強力な精霊使いでした。本来なら、その力を世のため人のために使っていたはずだったのに……戦争が、彼を狂わせた。軍に命令され、戦争でその力をふるったのです。鎧獣人たちを思うようにし、味をしめた祖父は、異世界から喚び出した人間も思うようにしたいと考えた。そして喚ばれたのが、祖母です」

 新たな像が、球に映る。黒髪の、細面の女性だ。


 祖父とか、祖母とかって……じゃあ、二人の間に子供が産まれたってことに……


「一人を喚び出すだけで、生命を削られるような思いをしたようで、祖父はそれ以上は喚び出しませんでした。祖父は祖母から血縁の記憶を奪って、この世界につなぎ止め、祖母を奴隷のように扱いました。やがて祖母が生んだのが、僕の母です」

 思った通り、ミゾラムさんは続ける。背筋に悪寒がして、私は身体を奮わせた。

「おい」

 制止に入ったヴァレオさんを見て、ミゾラムさんは球に触れた。球は溶けるように煙になって、彼の頭の中に吸い込まれる。

 もしあのまま見ていたら、どんな辛い光景が映ったんだろう。

 でも、一人呼び出すだけでそんなに大変なら、私を呼び出したあのしわしわの顔の精霊使いは、他の誰かを呼ぶことはできないんじゃないかな。頭の片隅で、そのことだけは、良かったと思った。


「祖母は母を育てながらも、祖父の支配から抜け出すことを諦めませんでした。とうとう、この神殿の奥に、自分の血縁の記憶があることを突き止めたのです」

 過去の話は続いていく。

「記憶を取り戻そうとする祖母と、それを阻止しにきた祖父の間で、争いになりました。祖父は精霊魔法で祖母の心を無理矢理支配しようと、力を大きく解放しました。この、精霊の力が強く発揮される場所で」

 ミゾラムさんの視線を追って、私はあたりを見回す。

 私でさえ、何か畏怖のようなものを感じる場所だ……こんな場所で、巨大な力を使ったら。

「祖父の力に、精霊たちが大波のように呼ばれて押し寄せました。制御しきれなくなった祖父は、精霊たちの世界に飲み込まれ、姿を消しました。……二人の娘である僕の母は、その一部始終を見ていた。そして、僕が同じことをしないようにと、その様子を伝えてくれた。さっきお見せしたのは、その記憶の一部です」

 淡々と言ったミゾラムさんは、口をつぐんだ。


「……それで、おばあさんは、血縁の記憶を取り戻せたんですか? 日本に、帰ったの?」

 そっと尋ねてみると、ミゾラムさんはこちらを見ないまま答えた。

「いいえ。……我が子を故郷に連れていけるかどうかがわからなかったので、忘れたままでいることを選びました。記憶はここの神殿に置いたまま、この世界に残ると決めたのです」

 ここに、記憶をそのままに……?

「その数年後、『女神の顕現』が起こりました。ここからあふれた水が洪水となって、肥沃な土を運ぶ。その様子を見た祖母は、言ったそうです。これで本当に、私は故郷に帰れなくなってしまった、と」

 私ははっとした。

「それって、つまり」

「『顕現』の時、ここにとらえられている記憶や蓄えられた力はすべて流れ出す……ということでしょう。それこそが、『女神の顕現』。大地に与えられる力の、源だったのです」

 そういうことだったんだ……

「……逆に言えば」

 ミゾラムさんは、口元をゆがめるようにして笑った。

「前回の『女神の顕現』から何十年も経っている今、ここには大量の記憶が、力が眠っている、ということです。戦争の後期に奪われた鎧獣人の記憶も、その頃に精霊の世界に飲み込まれた精霊使いたちの記憶も。精霊使いの記憶を全て、僕のものにできたら……僕も祖父のような、いえ、誰よりも力のある稀代の精霊使いに、なれそうじゃありませんか?」


 あ……

 これが、ミゾラムさんの、望み。


 私は尋ねた。

「そうなれたら、ミゾラムさんはどうするの……?」

「どうにでもできるじゃないですか」

 ミゾラムさんは笑う。

「精神を操れる精霊魔法があるんだから。全てを、僕が、どうにでもできるようになる。精霊使いが国の言うことを聞いて狂わされるようなことも、もちろんなくなります。精霊使いが上に立って、全てを支配するのですから」


 戦争に翻弄されたくないという思いは、少しは理解できる。でも、自分は全てを意のままにして、翻弄しようとしている。

 武力で血を流す支配をすることはなくとも、心を、操って……


「どうです? 姫から見て、僕は悪人ですか?」

 ミゾラムさんが、軽く首を傾げる。

 正直、わからなかった。無理矢理支配される側にとっては、悪人だろう。私だって操られたくない。

 でも、その裏にあるものを聞いたら、悪人だと断罪することなんて……


 黙って首を横に振る私を、ミゾラムさんもまた、黙って眺めている。

 ヴァレオさんが、私を励ますように手に力を込めた。とたんに痛みが走り、顔をしかめた私に、ヴァレオさんはあわてて手を緩める。大丈夫、という意味を込めてうなずきかけた。

 ヴァレオさんはミゾラムさんに顔を向けた。

「悪いが、俺には、お前の行動を見逃すことはできない」

「なぜです? 精霊使いは無闇な殺生を嫌います、戦争など起こしません。ずっと、穏やかな心でいられる」

「穏やかな心? 自由を奪われた心か」

 ヴァレオさんは訴える。

「少しずつ歪むぞ。だいたい、お前の寿命が尽きたらどうする。後継者にも同じように支配させるのか?」

「そんな必要、ないでしょう?」

 ミゾラムさんは不思議そうに、首を傾げる。

「僕がまた、次の『顕現』の前にここへ来て、力を得ればいい。永遠に」


 ぞわっ、と鳥肌が立った。

 永遠という言葉が、こんなに怖く感じるなんて。


 ミゾラムさんは、ふと何かに気づいたように、下を向いた。右手の平を下にして、前にのばす。

 すうっ、と一つの球が、地面の下から浮き上がってきた。

 ミゾラムさんは微笑む。

「ああ、見つけた……ヴァレオさんの心と似た色だと思ったら。これ、鎧獣人の記憶ですね。集落の長の記憶かな」

「おま……」

「おっと、近寄らないで下さい」

 球を手元に引き寄せ、ヴァレオさんを牽制するミゾラムさん。

「これを壊されたくなかったらね。おとなしくしていて下さい」 

 ミゾラムさんは、今度は左手を伸ばした。探るように、ゆっくりと動かす。

 やがて、もう一つの球が浮上してきた。

「ふふ……ありました、精霊使いの記憶です。ああ、もう一つ。こっちにも」

 二つ、三つ……

 球が次々と浮かんだ。

 自らの力に溺れ、精霊の世界に吸収されてしまった、精霊使いたちの記憶。そのいくつかの球から、煙のようなものが湧き出し始めた。それは細い筋となって、ミゾラムさんのこめかみのあたりに吸い込まれていく。


「悪いな、すず」

 ヴァレオさんが、私だけに聞こえるようにつぶやいた。

「あいつの願っていることはわかる。でも、ミゾラムに操られた、ミゾラムの複製ばかりの世の中なんざ、冗談じゃない。説得はここまでだ、あいつを止める」

 そして、ちらりと地面の底の記憶に目をやった。

「お前の記憶だけは、ちゃんと取り戻そう。長の記憶もどうにかしたかったが、本人が今ここにいないんじゃ仕方ない。長も、ミゾラムを止めることの方を望むはずだ」

「ど、どうすればいいの」

「お前は自分の記憶と向き合え。故郷に、帰るんだ」

「ヴァレオさんは!?」

「今のあいつは、過去の精霊使いたちの記憶で力を増している。……その状態で、あいつに今ここで、力を使わせてやる」

 彼の狙いがわかって、私は動揺した。

「だ、大丈夫なの? 私も、何か」

「お前とかお前の記憶を人質に取られたら面倒なんだよっ。いいから、俺に任せろ。何だったか、しぼうふらぐ? とか言うのは気にすんな。お前の世界の迷信かなんかだろ」


 泣き笑いになってしまった私は、彼から視線を外せなかった。

「ヴァレオさん……」

 涙で視界がぼやけてくる。泣いてる場合じゃないのに。


 ヴァレオさんは私を、赤銅色の瞳でじっと見つめた。そして、意外な行動に出た。

 まるで本物のお姫様のように、私の手を持ち上げて、口づけたのだ。手の傷に。


「な、何、してるの」

 動揺する私には答えず、ヴァレオさんは微笑んで言った。

「俺たちの集落で暮らしてみたいと、思ったことないか? 俺はある。お前が側にいたら、結構面白いだろうってな」


 そして──

 彼の影が、私を覆って。


 ヴァレオさんの唇が、私の唇に重なった。

 かすかに、血の味がした。


 離れかけた唇が、名残惜しそうにもう一度触れ、そして離れながら動く。

「さあ、行け」


 それから後は、ほんの数秒の間の出来事だった。

 私の手を離したヴァレオさんが、瞬間的に丸装化する。ギザギザのある、何枚もの鋼板が重なったような形の身体は、一気に地面を転がってミゾラムさんに突進した。

 その姿を目で追った私の視界に、地面の底の球が飛び込んでくる。

 私の記憶が、私と引き合う。膝をつくと、少しずつ身体が沈み始めた。球が私に近づいてくる。

 視界の隅で、ミゾラムさんが手を伸ばして精霊魔法を使った。ヴァレオさんに強い風がぶつかり、丸い身体はミゾラムさんのすぐ手前で止まって空転する。二人の間に火花が散った。


 カッ、と強い光が発せられたとたん──


 一瞬で、足下が崩れ、球と一緒に大量の水が沸き上がった。その中に飲み込まれた私は、身を守るために甲冑を発動させた。手の甲の赤い精霊石が、一瞬、強い光を放った。


 同時に、頭の中に流れ込む、記憶。

 両親の記憶が、姉の記憶が、祖父母の記憶が、私の中に戻ってくる。懐かしさが胸を焦がし、涙が止まらなくなった。


 すべてを包み込むように甲冑が閉じ、優しい闇に沈んでいく。

 そして、女神ナジェリの声がした。

『失われた一つのものが、戻りました。あなたを守る一つの力も、これを最後に、あなたの側を離れます』


 ああ、甲冑に守ってもらうのも、これが最後なんだ。

 記憶を失い、力を得た私は、記憶を取り戻した今、力を手放す。


 薄れゆく意識の中で、女神のかすかな声。

『でも、あなたを守る力は、これだけではないはずですよ……』

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