7 真実に向かって
しばらくは一本道だったけど、ミゾラムさんの姿は見えない。やがて分かれ道に出て、私は自分の心が引かれる方へ進んだ。
何度か分かれ道が現れ、同様に足を踏み出す私に、ヴァレオさんは何も聞かずに付き添ってくれた。
「ヴァレオさん、ごめん……」
ぽつり、と謝ると、横を歩くヴァレオさんがちらりとこちらを見る。
「どうした」
「ミゾラムさんに気を許すなって、ヴァレオさんはずっと言ってたのに……でも、こんなことだったなんて。どうしてわかったの? 言ってくれれば私だってもっと」
「だーかーら、最初から警戒してりゃ済む話じゃねぇか。お前の気を引くあらゆるものをあいつが持ってるだけで怪しいって、言っただろ?」
ヴァレオさんは呆れた風に言ったけど、軽く頭をかいて続けた。
「まあ、そこまでは当たり前の対応だけどな。どんな国だって、自国に有利なように、巫女姫の気を引こうとするに決まってる。獣人の俺なんかと、ただの村娘のイズータがお前についてるのも、先にお前と親しんだ二人とお前が一緒になってツーリを警戒することを、ユグドマが狙ったからだ。ユグドマ寄りになるようにな。まあ、俺たちが志願したのもあるが」
「うん……」
私はおとなしく聞いていたけど、ヴァレオさんも自分から志願してくれたの? と、ちょっとドキドキした。
「本格的におかしいと思ったのは、聖地に来てからだな」
ヴァレオさんは進行方向に視線を戻し、歩きながら言う。
「俺は、部下たちを掌握するのにそれなりに日数がいった。獣人の下で働くんだからな、まあ仕方ねぇ。一方のミゾラムだが、あいつはまだ十九歳だそうだ」
「若っ」
「うん。いくらツーリから派遣されてきたまとめ役だとはいえ、部下に舐められてもおかしくないだろ? でも、ツーリの奴らは妙に従順だ。俺は夜に、部下たちと広場の食堂兼宿屋に行くことがあるんだが、ちょっと酒が入れば、下っ端の奴らが上の奴らの愚痴を言うのは世の常だ。が、ツーリの兵士は、中間の役職のやつらの愚痴を言ったりその場で軽い諍いを起こしたりはするくせに、ミゾラムには最初っから妙に……心酔してるんだ。命令にミスがあっても、文句の一つも出やしねぇ」
「ここに来るまでに、長いつきあいがあって、すでに部下の人たちから人望を得てるとか……」
「俺もそう思ってたがな。あいつ、この役目を『志願した』と言ったんだろ? お前が聖地を預かると言い出したのはいつだ? お目付けって役目が必要になったのは?」
「あっ」
つい、この間だ。それから志願したなら……
「そして、あいつは精霊使いだ。それほど力は強くないようだから、最初からツーリ軍にいたとは考えにくい。もし、魔法でツーリの部下たちを短期間で掌握したとすれば……それも本人の力量かもしれないが、人の心を操るやつを俺は信用しない。それだけだ」
「でも、人の心を操れるなら、私のことだって操ればいいんじゃ」
「それができてねぇから、それほど力は強くないようだと言ったんだ。おそらく、相手に警戒されていると操れないほど弱いんだろう。ツーリの兵士を多少操ることはできても、俺たちを操ることはできなかった」
ヴァレオさんは鼻で笑う。
「大した精霊使いでもないあいつは、お前に年が近くお前と特徴の似た顔立ちだってことで自分を売り込み、お前を籠絡する役目を得た。が、本当の目的は別のところにあるはずだ。この奥に」
「ヴァレオさん、いつからここにいたの?」
「王城への文書は部下に頼んだから、昨日出発する振りをしてすぐだ。ツーリ側の建物の近くに潜んで、様子を見てた。俺がいなくなれば何か起こるかもしれねぇと思ったら、案の定だったな」
得意そうなヴァレオさん。私は軽くヴァレオさんをにらみつつ、腕の中の塩豆を撫でる。
「塩豆が連れて行かれるのをそのままにするなんて……無事だったから良かったけど」
「精霊使いは食べるため以外の殺生はしねぇから、その点はある程度安心してたがな」
そうなんだ……ああ、確かに、意味もなく生き物を殺したら精霊たちの反感を買いそうだもんね。
「鎧獣は固くて食えないからな。どんな猛獣も、鎧獣は襲わねぇほどだ」
さいですか。……二回目。
ふと、ヴァレオさんは思い出すような顔つきになった。
「……聖地を見下ろす山で襲って来たやつらは、もしかしたらお前を誘拐しようとしてたのかもしれねぇな」
「ど、どういうこと?」
「あの時点では、お前が聖地を預かると言い出すなんて誰にも予測できなかった。ただ、ユグドマに巫女姫が現れ、姫は血縁から切り離されてここに来た――となりゃ、ミゾラムならお前が『記憶を奪われた偽の巫女姫』だって察しがつく。人を雇ってお前を誘拐し、ここに連れてくりゃ、後は故郷恋しさにお前が記憶に引かれ、ミゾラムを案内してくれる。その代わり、常に両国の兵士に警備されているこの場所にお前を連れて侵入しなけりゃならないから、大ごとにはなってただろうな」
「じ、じゃあ、私が聖地を預かるって言い出したことは」
「渡りに舟って訳だ。お目付け役になることさえできれば、悶着を起こさずにお前に近づけるし、一緒に聖地に入れる」
「はぁ……」
私はため息をついてうつむいた。そんな思惑があったなんて……
「…………なぁ」
ヴァレオさんが珍しく、ためらいがちに小さな声で言うので、私は顔を上げた。
「何?」
「……お前、大丈夫、だよな」
ヴァレオさんは立ち止まり、私に向かい合った。
「ミゾラムを、そういう風に思っ……ていうか、もう……あいつとそういう関係なのか」
「え?」
一瞬、意味が分からなかった私は首を傾げ──
しばらくして、カッとなって声を上げた。
「はい!? 何でそっそっそんな話になるの!? どっ、どんだけヴァレオさん、私のこと信用してなっ、こんな状況でっ、ひ、ひどっ」
怒りのあまりどもりまくる私に、シュウ、と塩豆がおびえた声を出した。ヴァレオさんが塩豆を私の腕から抱きとりながら言う。
「わ、悪かった、悪かったよ。お前は巫女姫を立派にやってる」
「そっ、そんな風にみみみ見えてたの!? 私と、みっみっミゾラムさんがっ」
「お、お前ら、署名の時、何か二人で通じてる風だったじゃねぇか。あれ見たら」
私は口をぱくぱくさせながら、その時のことをどうにか思い出した。そういえばヴァレオさん、あの時ちょっと様子がおかしかったかも。
「あれはっ、ミゾラムさんが精霊使いとして神殿の奥が気になるって、ヴァレオさんがいない間に内緒でのぞいてみたいって、私も一緒にどうよって、でもちゃんと断ったんだから! 記憶がこの中にあるかもってすごく気になったけど、でも断ったんだから!」
大事なことなので二回言うと、ヴァレオさんは苦笑した。
「わかったわかった。済まん。記憶を探しに行きたかっただろうにな」
「記憶が見つかった時、どんな風になるかわからないのに、ヴァレオさんがいない時に行ったりしない!」
もう一言主張すると、ヴァレオさんはなぜか笑顔を深くしてうなずいた。
「ああ、俺がいないとな。そうだな」
「ちょっと、わっ私、怒ってるんですけど!? 何で笑ってるの!?」
「いや……ちょっと、自分に呆れて笑っちまった」
ヴァレオさんはため息混じりに、私を見つめたまま言う。
「お前がミゾラムに笑いかけるのが、すげぇムカついてた。俺にはあんま笑わないくせに、ってな。でもアレだな、こうやってお前が怒りをぶつけるのは、俺にだけなんだなぁ。それならいいか、と思った自分に、呆れた」
「……!?」
口を開けたまま、私は固まってしまった。
あの……どういう意味?
今、私たち、どういう状態?
戸惑いっぱなしの私とはうらはらに、何だかヴァレオさんは勝手に納得したようで、話を変えた。
「すず。お前……血縁の記憶を取り戻したら、どうなるんだろうな」
私もいい加減、落ち着かなくちゃ。熱くなってしまった目元をこすりながら、聞き返す。
「記憶を、取り戻したら?」
「その場でいきなり、故郷に戻っていく、ってことも考えられるよな。血縁の記憶に呼ばれて」
「あ……」
そう、かもしれない。
イズータさん、グラーユさん、他にもたくさんお世話になった人たちに、何もお礼を言えないまま、この洞窟から日本に戻るのかもしれない。ここは女神ナジェリのいるところ、そしてナジェリは私が故郷に帰りたがっていることを知っている。記憶が戻れば、すぐに帰してくれようとするような気がする。
私はヴァレオさんを見た。
そうなったら、もちろんヴァレオさんとも会えなくなる。私には、こちらの世界に血縁の人がいないから、こちらに「戻る」ことはできないだろう。
目の前のこの人と、永遠に離れることを想像したら、胸が苦しくなった。
ヴァレオさんが言う。
「……できれば、いきなり帰んなよ。長だってお前を心配してたし……ソルティにも、もう一度会いたいだろう? もし、もう少しいられる選択があるなら、さ」
うん、と言いたかった。でも、私はうつむいた。
「……正直に言って、今は……もう少しこっちにいたい、っていう気持ちがあるの。でも、それは記憶がないからかも、とも思う。家族のことを思い出したら、その瞬間、自分がどうなるかわからない。家族に会いたいって、その気持ちがあふれたら……」
ヴァレオさんは静かに答えた。
「……そうだな。思い出したその時、すずが今すぐに帰りたいと思ったら、それは誰にも止められねぇよな。悪かった」
「…………」
私はうつむいたまま、そっと右手を伸ばし、ヴァレオさんの左手に触れた。
ヴァレオさんが軽く目を見開いたけど、私はそのままヴァレオさんの小指を握って、言った。
「つかまってても、いい? やっぱりもう少しここにいよう、って思ったときに、すぐに日本へ飛ばされないように」
「…………」
ヴァレオさんはいったん私の手をほどくと、ぐっ、と指を絡めて握ってくれた。太い指の間に私のひょろい指が入って、まるで大人と子どもだ。
何だか恥ずかしくてドキドキしたけれど、ちょっと安心した。
「こっちにも血縁がいれば、日本とこっちを行ったり来たりできるかもしれないのにね」
照れ隠しに、もしもの話を苦笑しながら言うと、ヴァレオさんはまた少し黙ってから言った。
「あのな、すず……お前がこっちの世界とつながりを作る方法なら、他にないこともないんだが……忘れてる、よな」
「えっ? どんな方法?」
「いや……まあ、確かな方法じゃねぇし」
彼が口ごもった時──
私は、急にめまいを感じて立ち止まった。
「あっ」
「どうした。記憶か?」
「ん……うん、何か見えた。近くに、ある」
少し先、岩の向こう側が、ずいぶん明るくなっている。太陽の明かりではなく、青っぽい光が、何か液体を映しているようにゆらめいている。
私とヴァレオさんはゆっくりとそちらに進み、そして岩を回り込んだ。
次回、8話と最終話を同時投稿します。