2 東原砦の鎧獣人
うとうとしたり、目が覚めたり、またうとうとしたりしているうちに、かなりの時間が過ぎたみたい。
暗い殻の中で耳を澄ませる。――静かだ。
……お腹、すいちゃった。
ちらりとそう思った瞬間、目の前の暗闇が二つに割れて光が射し込んだ。甲冑が勝手に元の形に戻り、私の上半身に沿う。
恐る恐る、あたりを見回す。いつの間に運ばれたのか、私にあてがわれた部屋の絨毯の上だった。
ここはユグドマ国内の国境沿いの砦だそうで、『東原砦』と呼ばれている。国境の外には、自由国境地帯という誰のものでもない土地が広がり、その向こうがツーリという国。そして自由国境地帯の北部、山に囲まれた盆地にあるのが、問題の聖地ゴウニケになる。
最近まで戦争をしていたこともあり、砦は戦いの空気を色濃く残していた。停戦条件の折り合いがつくまでは、いつ戦いが再開してもおかしくないということで、警戒態勢が続いているのだ。
外で軍馬を運動させているらしく、かけ声やドドッドドッという重い足音がかすかに聞こえてくる。建物内のどこか遠くで、見回りの兵士が歩いているのか、ガッチャガッチャと甲冑や武器の擦れ合う音もする。
こんな場所、嫌いだ。
質素な石造りの部屋には色褪せた絨毯が敷かれ、その上のテーブルにパンやハムが載ったお皿と、水の入った素焼きのカップがあった。
「あ、ごはん」
手を伸ばしたとたん――
「おい」
後ろから低い声がして、飛び上がった。
勝手に甲冑が反応して閉じようとする所へ、何かがガッ、と挟まって、私はもう一度飛び上がった。「ヒッ」と変な声が出る。
つっかい棒のように挟まったのは、刃渡り三十センチくらいの鞘つきの刀だった。
「逃げないでくれませんかね、巫女姫さんよ」
右手で鞘をつかんだままのぞき込んできたのは、目つきの鋭い色黒のおっさんだった。灰色のボサボサ髪は後ろに流れ、ヒゲも灰色。鼻の下は薄めだけど、あとは揉み上げから顎までぐるりとヒゲ。かろうじて地肌が見えている、中途半端な長さのヒゲ。そんな顔が、至近距離に。
ひぃいぃ! 誰、何なのこの人! 何でこの部屋に!?
おっさんは私のよりずっとごつい、ほぼ全身を覆う甲冑を身につけている。いくつも走る傷がさらなる迫力。頭には何もかぶってないけど、額と手の甲にも金属のプレートをつけている。つけているというか、まるで、皮膚の一部みたいにも見える。
と、とにかく怖いよう!
「出てこいっつってんだ、ろ、って!」
右手で刀をつかんだまま、おっさんは左手を入れてきて――
「きゃあ! ひゃ、やめ、や、あはははは!」
く、くすぐるかこの状況で!
驚いたり反射的に笑ったりしているうちに、閉じかけていた殻は元の甲冑に戻ってしまった。
「何すんのよ、いきなり……!」
涙目で後ずさると、
「子どもにはこれくらいがちょうどいいだろ」
おっさんは床にペッと唾を吐き(誰が掃除すんのこれ!)、赤銅色の瞳で私をじろりと見た。
「停戦交渉第一回の場、大モメのまま終わったそうじゃねえか。お陰で、この俺が呼び出される羽目になったんだ。巫女姫さんにお仕置きをするためにな」
な、何よお仕置きって!
「結構ですっ」
急いで身を翻し、奥の寝室に逃げ込もうとしたとたん――
ビュン!
風を切って、私の真横を何かがよぎった。胸まである髪が前方向になびく。
ドゴーン!
寝室のドアにめり込んで止まったのは――トゲトゲの殻のついた、でっかいアルマジロ!?
固まっていると、アルマジロの殻がかぱっと上下に開いて、おっさんがヤンキー座りで現れた。もさもさ髭に囲まれた大きな口が、ニヤリ、と弧を描く。
か、肩のあたりの甲冑が動いたような……私と同じ殻!?
「その殻が引きこもるためのモンじゃねぇってことを、お前に教えてやる。……こんな風にな」
彼は親指で、背後のつぶれた扉を指した。
な、な、な……!
「あ、あなた、誰」
震える声で尋ねると、おっさんは言った。
「俺はヴァレオ。鎧獣人だ」
彼は立ち上がると私にゆっくり近づき、がしっ、と私の肩当ての部分をつかんだ。じろじろと私の顔を眺めまわす。
「へぇ……本当に、両目とも『女神の顕現』の色なんだな」
ひっ、と息を吸い込む私のお腹に、おっさんの低音の声が響く。意味わかんないですけど。
「さて、まずは現在の状況の確認と行こうか巫女姫さん?」
彼は私をぐいっと押してソファに座らせると、自分も座りながらテーブルに向かって手を振った。
「おう、食事はしながらで構わないぜ」
食べ物なんか、喉を通るわけないでしょー!?
「食わないのか? じゃあもらうぜ」
あっ……
「さてと」
おっさんは口の端についたパンくずを親指で適当に払ってから、腕を組んで背もたれに寄りかかった。
「もう一度言うが、俺はお前が、よりによって停戦交渉の場っつう大事な時に甲冑に引きこもるとかいうふざけた真似をしないよう、調教するために来た。……ふん、少々のことでビビらねえように鍛え、甲冑に敬意を払うことを覚えさせりゃ、少しはマシになんだろ」
ちょ、ちょうきょう……?
涙目で身体をすくめる私を、おっさんはこめかみに青筋を立てながら、遠慮のない視線でにらみつけた。
「引きこもるために甲冑を使われるのは、俺たち鎧獣人の矜持が許さねえんだ」
鎧獣人、って何なんだろう。でも、さっきのおっさんのアルマジロ化……どうやら私、このおっさんの種族? のプライドを傷つけてしまい、本気を出させてしまったらしい。
いつの間にか、見張り兼お世話係担当の女性――イズータさんという――が、飲み物を準備していた。素焼きのカップを二つ用意し、何かの葉っぱを入れ、それから部屋の隅の暖炉の前へ。暖炉にかかった鍋から柄杓みたいなものでお湯をすくい、カップに注ぐ。
彼女は固い表情のまま、それを私たちの前に素早く置くと、急いで部屋の隅の自分の椅子へと逃げていった。助け……てはくれなさそう。
カップから爽やかに香り立つ湯気の向こうで、むさいヒゲのおっさんは私の方に顎をしゃくった。
「ある程度の話は聞かされてる。あんたはどこだか遠くから連れてこられて、巫女姫の役をやらされてるそうだな。鎧獣人でもないのに、何なんだそれは」
彼は、私が閉じこもる殻のことを言っているらしい。
……この人に、日本のことを話したって、何の解決にもならないだろう。
この世界に来た時に、最初に会った人たちに言われたことを思い出す。
あなたはもうニホンという場所からは切り離され、巫女姫となったのだ。なぜなら――
「こ、これは、変な夢を見て、その後から急に、こうなるようになって」
つっかえつっかえ殻について説明する私を、おっさんは胡散臭げに見る。
「夢ぇ? ふん。……お前の国ではみんな、甲冑に引きこもってるってわけじゃねぇのか」
私は首を横にぶんぶんと振る。
「じゃあやっぱり、お前個人が、甲冑をそういう扱いしかしてねぇってことだな」
おっさんはそう言うと、いきなり立ち上がって――
――部屋から出ていってしまった。
ギーバタン、と扉が閉まる音を聞きながら、目を丸くしてそれを見送る。
これで、おっさんとの面談は終わりなんだろうか。……そんなわけないよね、調教するとか言ってたもん。また戻ってくる、絶対。
とてものんびり座ってなどいられず、私は立ち上がるとおろおろと部屋を見回した。
寝室に逃げ込もうにも、扉がひしゃげて開かない。これどうするの、とイズータさんを見たら、目を逸らされてしまった。裾の長いワンピースにエプロン姿の彼女は、見張りのためいつもこの部屋にいるんだけど、ほとんど話すことはない。
隠れて籠るといえばトイレだけど、トイレは共同で、部屋の外にある。じゃあお風呂場……と言いたいところだけど、お風呂は贅沢なものらしくて部屋にない。暖炉でお湯を沸かして顔を洗ったり身体を拭いたりするにも、まず水を運んでもらわなくてはならないくらいだし。庭みたいな場所に出ようにも、ここは三階だし、外は軍人だらけで気軽に出歩けない。
一人になれる場所が、ない。
絶望しているうちに、がちゃっと扉が開いておっさんが戻ってきた。私はソファの後ろに回って中腰になる。今度は何を言われるか……あぁ、また殻に引きこもりたい。
でも、おっさんは部屋には入って来ず、開いた扉のレバーを持ち半身になったポーズのまま頭を軽く振った。
「外出許可を取った。行くぞ」
外出!? ど……どちらへ……?
説明を求めるのも、怒られそうでできない。私は恐る恐る、おっさんから1センチでも遠い地点を通るようにして、カニ歩きで廊下に出た。
イズータさんは一緒に来るどころか、おっさんが私についていればOKと判断したらしい。私たちが部屋を出るとすぐにドアを閉め、内側からがちゃん、と鍵をかけてしまった。
し、閉め出すなんてひどい……
おっさんに押されるようにして、とぼとぼと薄暗い階段室を降りる。降りきったところの、ぶ厚い木の小さな扉をきしませて外に出ると、そこは中庭だった。口の字型になっている建物の、真ん中の部分だ。
武器を点検していた兵士たちの好奇の視線を浴びながら、中庭をつっきり、建物をくりぬくように作られた門をくぐる。頭上に、ギザギザのついた格子状の扉がぶら下がっているのが見えた。あれを落とすと、ここが閉まるのだろう。
門をくぐると広い馬場があって、その向こうにまた壁――というか建物。口の字形の建物が、さらに口の字形の建物でぐるりと囲まれているのだ。漢字の「回」の形だろうか。さっきの中庭が「内中庭」なら、今いるのは「外中庭」みたいな感じ。
外側の建物にもさっきと同じような門があって、そこから吹き込んできた風が髪を揺らした。
自然に顎が上がって、私は薄い色の空を仰いだ。
ずっと引きこもっていたから、外に出て風に吹かれただけで解放感を覚える。建物内は窓が少ないし、あっても小さくて閉塞感があったから。まあ、砦なんだから当たり前なんだろうけど……窓なんかたくさんあったら、敵が入ってきちゃうよね。
こうやってちゃんと太陽の光を浴びないと、気持ちが内へ内へと小さくなってしまう気もする……
――ふと、視界の隅を何かがよぎった気がして、私は振り向いた。
半透明の小さな生き物の群が、魚のしっぽのようにひらりと動いて舞い上がり、空に溶けて消えた。
精霊……?
「おい、こっちだ」
おっさんの声に「あ、はい」と振り向いた私は、またもや「ヒッ」と息を吸い込んで固まった。
サイがいた。
あの、動物園で見たことのある、角のあるサイ。
顔に金属性のマスクみたいなのをつけていて、額のあたりの縦に並んだ穴から二本の角が出ている。背中の皮膚は元々固そうで、胸やお腹には金属の覆いをつけていた。覆いは裾に向かって少しだけ広がっていて、スカートみたい。
そんなサイ用甲冑(?)の隙間や裾から、お腹や脚がちらりと見えているんだけど、パールホワイトみたいな色でとても綺麗だ。これで馬だったら、まさにおとぎ話に出て来る白馬なんだけど。でもサイ。
その背中に鞍が置かれ、白馬の王子様、ならぬ白サイのおっさんが乗っているのだ。
「おら」
手を差し出された。乗れと? これに乗れと?
ためらっているうちに、短気なおっさんはぐっと身体を乗り出して、私の腕をひっつかんだ。引きずられるようにしてサイの上に引き上げられる。
「うわ、うわ」
鞍の前の部分が手前に反り返っていて、私はあわててそこにしがみついた。
「足、入れろ」
「は、はい?」
「鐙。さっさとしろ」
私はおっさんの指さすまま、慌ててつま先を鐙に入れて踏ん張った。
「行くぞ」
手綱を持ったおっさんが「シュッ」というような声をかけたとたん、サイの身体がぐうっと沈み込む。そして、前に飛び出した。
「―――――――!」
私は前屈みになって、ぐっと歯を噛みしめた。口を開けたら舌を噛みそうだ。
サイ、速っ! 一般道を走る車くらいスピード出てそうなんだけど、サイってみんなこうなの!? でもって揺れるー!
とにかく、サイはおっさんと私を乗せて門を飛び出すと、水堀に渡された跳ね橋を渡り、両側に石壁が迫る通路を通り抜け、荒れ地に飛び出した。