6 迷子探しと迷路
翌朝、私が目を覚ました頃には、もうヴァレオさんは出発していた。
ヴァレオさんがいないことを聞かされた私は、やっぱり不安になってしまった。それで、彼のいない間に外に出るときは、制服の上に甲冑を身につけることにした。
これに、守ってもらうんだ。心も。
そしていつも通り、その日はミリンダさんと散歩に出たけれど、ミゾラムさんもいつも通り。誰かの目のある場所でしか、私に声をかけることはなかった。
いつ、神殿の奥をのぞきに行くつもりだろう……いつの間にかもう行ってたりして?
気にはなったけど、私の方からはミゾラムさんに近寄らないまま、塩豆を見に行ったり作業の様子を見たりして、一日が平和に過ぎていった。
けれど、その翌日。
「塩豆が、いない?」
厩舎で、私は驚いてユグドマの兵士に聞き返した。
「こいつが嫌に鳴くので、見てみたらもういなかったんです。見逃したはずはないんですが……」
厩番の兵士は、緊張した面持ちで言う。彼の後ろの馬房では、ソルティバターがシュオッ、シュウッ、と何度も声を上げ、落ち着かない風に足踏みしている。その足下には、小さな塩豆の姿はない。
「朝は確かにいたので、それほど時間は経っていません。今、何人かで探しています。申し訳ありません、見つけたらすぐにお知らせします」
そう言う兵士さんは、手にニンメ草を持っている。見つけたら、あれで釣るんだろう。
「はい……お願いします。私にも、それ少し下さい」
私は頼んでニンメ草を受け取り、
「ソルティ、私も探してくるからね」
と声をかけてイズータさんと馬房を離れた。
不安を胸に、あちこち見回しながら歩く。よちよち歩きだったから、そう遠くへは行ってないと思うんだけど……
「あの仔、ヴァレオさんに懐いていましたから、探しに出てしまったんでしょうか?」
鎧獣が苦手だったイズータさんも、情が移ったのか心配そうだ。
厩舎から出て、あたりを探しながら広場へ戻っていく。塩豆ったらどこに行っちゃったんだろう、鎧獣は夜目がきかないってことだったから、暗くなる前に見つけてあげないと……
ふと、私は思いついた。
「あ、ねえイズータさん、こういう時って精霊魔法で探したりできないのかな?」
「精霊の力を借りて、ということですか? 何だか、できそうですよね」
「ねえ! ミゾラムさんに聞いてみましょうっ」
私たちは急いで、ツーリ側の建物に行ってみた。でも、ミゾラムさんはいなかった。兵士たちも、今日は見かけていないという。
……あ。もしかして、今、神殿に行ってるのかな?
「神殿にも行ってみましょう!」
神殿の奥、とは言わず、私はイズータさんを誘って参道に入った。
そう、塩豆がこっちにいないとも限らないし。池にでも落ちたら大変だ、鎧獣って泳げるの? もし溺れてたらどうしよう。
「塩豆! いる? 寿々だよ」
塩豆を探しながら、ミゾラムさんの姿も探す。
神殿の入り口から中を覗いたとたん、そのミゾラムさんと鉢合わせた。
「わっ! ……あ、ミゾラムさん!」
驚く私とは対照的に、ミゾラムさんの銀の瞳は落ち着いている。
「姫? あ、やはり行ってみることに? ちょうど今から、奥へ入ろうかと」
私はあたふたと両手を振った。
「あっ、違うんです、別の件で来たんです。塩豆がいなくなっちゃって、できたら探してもらえないかって」
彼は快くうなずいた。
「あの鎧獣の仔ですね、わかりました。地の精霊に尋ねてみましょう」
そして、ひょい、と片膝をついて右手を地面につけた。
「地の精霊よ、鎧獣の仔の蹄を辿り、その行く手を示せ」
すると、あの半透明の精霊が地面から数体、じわぁっと沸きだしてきた。これが、地の精霊だろう。
精霊たちはミゾラムさんの周りをすいすいと飛び回ると、やがて祭壇の奥へと飛んでいった。
「えっ、あっちに!?」
みぞおちがきゅっとなる。大変、あまり深くまで行ってしまったら、迷って出てこられなくなっちゃう!
私は急いで、祭壇の裏に回り込んだ。
下り坂の奥は、何か光る鉱石があるらしく、ぼんやりと明るい。坂になった先の方まで見えている。
ほんの少しだけ降りてみると、坂はつづら折りになっていた。すぐ脇が崖のようになっていて、さらに下が見える。水面があるのか、光が揺れていて、まるで地底湖か鍾乳洞のようだった。
「塩豆、いるの?」
呼びかけた声が、ふわん、と反響する。
シュオーン……と、ソルティより高い声が聞こえた気がした。
「塩豆! 戻っておいで!」
もう一歩だけ踏み出した。
「姫様」
心配そうなイズータさんの声。
その時――
足下が、がらっ、と崩れた。
声を上げる間もないまま、身体が空中に放り出され、落下して……
どぼぉん、という音とともに水に飛び込んでしまった私は、大量の気泡に包まれてもがいていた。
身体が、うまく動かない……うそっ、甲冑が重い、溺れる!
とっさに、私は足に手をやると、留め金を外した。すね当てが簡単に外れる。
鎧獣人の集落で新しい甲冑を注文したとき、グラーユさんに「希望があったら聞くよ」と言ってもらった。何も思いつかなかったから、ただ「一人で脱ぎ着できないのが落ち着かない」というようなことを感想っぽく言ったんだけど、グラーユさんはそれを覚えてくれていた。そして、せめて脱ぐのくらいは一人でできるようにと、一部の留め金を工夫してくれたのだ。
足が軽くなって動かせるようになり、私は水を蹴って、かろうじて顔を水面に出した。
「っぷはっ」
「姫!」
がしっ、と甲冑の首のあたりを捕まれ、引き寄せられる。ミゾラムさんだ。
私は彼の手を借りて、岩の上に上がった。
「はぁ、はぁ、ごっごめんなさい、ありがとう、ございます」
「いえ、申し訳ありません、僕がついていながら」
ミゾラムさんは謝ると、何か口の中で早口につぶやいた。とたん、ぶわっ、と甲冑の隙間から温風が吹き出して、身体のほとんどが乾いた。び、びっくりした。
「そうだ、塩豆」
きょろきょろとあたりを見回す。様子がかろうじて見える明るさに、目を凝らすと……
ちょっと離れたところ、崩れた岩の間で何かが動いている。私が落としたニンメ草を咀嚼する、小さな後ろ姿。
「塩豆!」
私が駆け寄ると、パールホワイトの小さな塩豆は、「シュオン」と声を上げて私を見上げた。
良かった、元気そうだ。
「ママが心配してるよ。さあ、それ食べたら帰ろう?」
私が塩豆に話しかける横で、ミゾラムさんも軽くため息をついてから、落ちてきた方を見上げた。
「僕もとっさに飛び降りてしまいましたが、これどこから登ればいいかな……イズータさん、いますか? イズータさん?」
ニンメ草を食べ終えた塩豆を抱き上げ、私もミゾラムさんと並んで見上げる。
上から差し込む光が逆光になって、見えにくい。……イズータさんの返事は、ない。
「助けを呼びに行ったのかな……ちょっと、この辺だけ歩いてみましょう。登れるところがあるかもしれない」
「はい」
私たちはあたりを探索してみることにした。
ぐるっと歩き回ってみたけれど、それらしい登り口は見あたらない。
ふと気づくと、少し奥に、二股に分かれた洞窟があった。何となく気になって、そちらを眺めていると、また……
「あ」
軽くたたらを踏んだ私に、ミゾラムさんが鋭く尋ねる。
「どうしました?」
「……ここに近づくと、時々、故郷の風景が見えるんです」
私は瞬きをしてから、ミゾラムさんを見た。
「今、あっちの洞窟を見てたら、よく通った商店街の風景が……」
「どっちの洞窟です?」
性急に尋ねてくるミゾラムさんに、私はちょっとひるみながらも答える。
「えっと、たぶん左、かな……」
ミゾラムさんが、すっと歩きだして、左の洞窟をのぞいた。
「見える限り、一本道ですね。ちょっと入ってみましょう」
「え? でも」
ついつられて近寄りかけた私が、足を止めたその時。
「そこまでだ」
後ろから急に、聞き慣れた声が響いた。
「ヴァレオさん!」
振り向いて、私は驚きの声を上げてしまった。
甲冑姿のヴァレオさんが暗闇から現れて、私のすぐ後ろに立ったのだ。
「砦に行ってたんじゃ……」
「お前、俺の話聞いてたか? そばにいるって言ったよな」
ヴァレオさんのこめかみに、ピキッ、と青筋が立つ。そ、そういえばいつぞやそんなこと言ってたけど、でもでもだってそれちょっと前の話だし! その後に喧嘩みたいになったんじゃん!
「ヴァレオさん。何をしているんです? こんなところで」
左の洞窟の中で振り返ったミゾラムさんが、淡々と尋ねる。
「それはこっちの台詞だ」
ミゾラムさんは急に私に手を伸ばし、腕を引っ張って自分に引き寄せながら言う。
「お前、シオマメを使ってすずをここにおびき寄せて、何をしようとしてるんだ」
「えっ……? あの、何の話?」
不安が沸き上がってくる。私は腕を捕まれたまま、交互にヴァレオさんとミゾラムさんを見た。
「悪いな、見張らせてもらってた。ミゾラムが、シオマメをここに連れてきたんだよ。そしてお前を探しに来させたんだ。神殿の奥に、誘い込むために。さっき足場を崩したのも、精霊がいれば簡単だ」
ヴァレオさんはミゾラムさんから視線を外さないまま、続けた。
「イズータに、何かしていたな。上で倒れていた」
私は、ひゅっ、と息を吸い込んだ。頭の芯が冷たくなるような感覚。
「やだっ、イズータさん……!」
「眠らされただけのようだ。精霊魔法だろう」
「何で……! ミゾラムさん?」
塩豆を抱きしめながら、震え声で聞く。
ミゾラムさんは、私たちを見つめたまましばらく黙っていた。
──そして、表情を一変させた。
「やれやれ……面倒だったよ。色々と餌をまいたのに、姫がなかなか、僕と神殿の探索に行くと言ってくれないからさ」
口調はのんびりしているのに、表情から笑みが消えている。
こんな、冷たい表情ができる人だったんだ。
「無理に連れ出すと、後で周りがうるさいしね。まあ、いい。精霊使いに奪われた記憶を、姫も取り戻したいんでしょう? この奥にある自分の記憶に、呼ばれてるんでしょう? 行こう。何なら、そっちの獣人も一緒に」
背筋が凍った。
一歩下がると、ヴァレオさんが私をかばうように斜め前に立つ。
「断る。お前こそ、一緒に来てもらおう。どういうつもりなのか色々と聞かせてもらうぞ」
「悪いけど、僕にはやることがあるんだ」
ミゾラムさんは、にっ、と笑った。
その微笑みはどこか、東原砦で見かけたあの精霊使いの表情に似ていて――
「来ないならいいよ、僕一人で行かせてもらう。ただし、君の記憶がどうなっても知らないけどね」
突然、ミゾラムさんは身を翻して、洞窟の奥に走っていった。たちまち岩壁の向こうに姿を消してしまう。
「待て! くそっ」
踏み出しかけたヴァレオさんを、私はあわてて引き留める。
「ちょ、待って、行くの? だって迷っちゃうんじゃ」
「行くしか手がなくなっちまった」
ヴァレオさんは悔しそうに唇をかんだ。
「この奥に、記憶が眠っている……と言ったな。あいつはその記憶に用があるらしい。たどり着けずにさまよう可能性はあるが、万が一たどり着いちまったら、お前の記憶に何をするかわからない。消すとか、壊すとかされれば……」
私の血縁の記憶が、失われたら。
「日本に、帰れなくなっちゃう」
泣きそうな声の私に、ヴァレオさんはうなずいた。
「先にお前の記憶を見つけて、取り戻すしかない」
「でも、迷ったら……」
「その時は、そいつがいる」
ヴァレオさんが指さしたのは――塩豆だった。
「夜目のきかない鎧獣には、明るい場所を目指す本能があるんだ。今回はミゾラムに捕まっていて戻れなかったようだが、本当ならその辺に放り出しても、勝手に地上への道を見つけ出す。わかったら行くぞ!」
ヴァレオさんは私の腕をつかみ、洞窟の左の方へと足を踏み入れた。




