4 新しい甲冑
それからさらに、数日が経った。
私の新しい甲冑ができあがったと、イズータさんを通じておっさんから連絡があり、私は久しぶりに鎧獣人の集落に行くことになった。
「……姫様がわざわざ行かなくても。来させるわけにはいかないんですか?」
早朝に起こしてくれたイズータさんが、ポロッとそんなことを言った。
「あ、ええと、私は大丈夫なので」
集落に行くのは嬉しいくらいなので、止められたら困る。私が慌ててそう言うと、イズータさんは不満そうにつぶやいた。
「鎧獣人なんかが大勢いるところに、一人でなんて……」
……そっか。人間たちの間にはまだ、鎧獣人が奴隷だった頃の偏見が残ってるんだ。
しかも、おっさんが普段あんな態度だしなぁ、イズータさんの目の前で寝室のドアを壊すとか。
私はぎこちないながらも笑顔を作って、
「あのおっさ……ヴァレオさんより、優しい人ばかりだから。ホントに大丈夫です」
と言った。おっさんゴメン。
イズータさんはまだ納得行かなそうな顔をしていたけれど、話を変えた。
「……今日はこちらの服を、お召しになってみますか?」
ランプの灯りに差し出されたのは、甲冑の下に着る専用の服。
「あ、えっと……」
私はその服をじっと見つめ、それからベッドの横の台に畳んで置かれた高校の制服を見た。
洗濯して綺麗にしてもらってある制服は、アイロンがない割にブラウスもそれほどヨレていない。そういえばこれ、形状記憶のブラウスだったかもしれない。
これをここに置いたままにして、砦を離れる……
「……あの、ごめんなさい、今日はこっちを着ます」
私は制服を手にした。
「わかりました。では、こちらも必要かもしれませんので、念のためお持ち下さい」
イズータさんはすぐにうなずいて、甲冑用の服を巾着袋みたいな袋に入れてくれた。
ダメだなぁ、どうにも日本のものを手放せない。日本から持ってきたのは制服と携帯だけだから、手放すと不安になってしまう。スヌーピーのお話に出てくる「ライナスの毛布」状態だ。
私は一人で、スカートとブラウスを身につけた。
そして、スカーフリボンを手に取ってちょっと考え――それだけは、ベッドの横の台に戻した。
「よく来たね」
集落の広場にいた長が、おっさんと一緒にやってきた私を見て笑いかけてくれた。白いふわふわの髪と髭に囲まれた、柔和な顔。私は恐る恐る笑顔を返した。
「こんにちは……また、お世話になります」
おっさんから「こっちだ」と声がかかり、私は長に会釈をしてから、広場沿いの建物に入った。
長はたぶん、私を本当の巫女姫だと思っている。鎧獣人じゃないのに、不思議な甲冑の力に守られているから。
でも、実は記憶の一部を失っているだけで、それは精霊によって消されたかららしくて――なんて夢で見た曖昧なことを話しても、長はおっさんと同じように私を信じてくれるだろう。私のために、怒ってくれるだろう。あの優しい瞳を、怒りの赤に染めて。
でも、そこから先が何もできないのに、長の心を乱したくない。今はおっさんの言うとおり、停戦交渉を何とかしてマトモな精霊使いを探さなくては。
私の入った建物はこの間採寸したのと同じ所で、あの吊り目スレンダー美人と小柄で優しいおばさんが私を待っていてくれた。
「いらっしゃい! はい、あなたの新しい甲冑よ」
二人が、木でできた簡易トルソーのようなものに着せられた甲冑を見せてくれる。
「わあ、綺麗」
私は思わず、声を上げた。
材質が何なのかわからないけど真っ白で、持ってみると軽い。細かくて綺麗な模様が、あちらこちらに打ち出されている。ふと横を見ると、彫刻師のグラーユさんが微笑んでうなずいた。この模様は彼の仕事だろう。
左手の甲にあたる部分には、私の選んだ赤い精霊石が入っている。腰から下の部分も今回はちゃんとあって、鎖帷子を使って作られた靴もあった。
「今日は俺も見てやる。着てみろ」
おっさん、一緒にチェックするつもりらしい。
私は二人の女性に手伝ってもらって、砦から着てきた甲冑の留め金や皮紐を外して脱いだ。そこそこ軽いのを着させられてたとはいえ、何とか養成スーツみたいに、着てるだけで訓練みたいなもの。外すと一気に身体が軽くなって、私は制服のブラウスとプリーツスカート姿でほっと息をついた。肩や首を回してみる。
ふと気づくと、おっさんが腕を組んで、私をじっと見ていた。
「……」
な、なんかおかしいかな。スカーフリボンはしてないんだけど……と自分の身体を見下ろし、甲冑を着てない自分はひ弱だなぁ、と思う。
何か言われるのが嫌で、ちょっと身体をひねっておっさんに背中を向け、女性たちに話しかけた。
「あの、ブーツも脱ぐんですよね」
ええ、ここに座って、と返事をしてくれる女性たちの声に混じって、
「何だよ、ほとんど大人なんじゃねぇかよ……」
と呟くおっさんの声。
甲冑を着てると身体つきがよくわからないし、私があんまり頼りないから、もっと子どもだと思ってたんだろう。うう……
低いスツールを借りて座り、皮のブーツも脱ぐ。絨毯の敷かれた地面に裸足で立つと、日本での生活を思い出してちょっと涙が出た。学校から帰って上着を脱いで、この格好でごろごろしながらお菓子を食べていたのが懐かしい。そして、そんな私を叱る誰かの声……
……相変わらず、家族の記憶はそこだけが、闇色の靄に塗りつぶされている。
どうしてこうなってるんだろう。頭を怪我すると記憶喪失になるように、精霊を使って私のどこかを傷つけたの? それとも、催眠術みたいなもの? 闇の精霊が、記憶も闇にしてしまうとか?
後ろから、ぽん、と肩に手を置かれた。
え、と振り向くと、頭一つ半高いところから、おっさんが私の身体を見下ろしている。甲冑ではなく、薄いブラウス越しに置かれた大きな手。体温が伝わってくる。
私は警戒してどもった。
「な、なんっ、ですか」
「あ、いや」
おっさんはサッと手を離すと、早口で言った。
「このシャツ縫製が面白い。甲冑の参考になる。うむ」
ああ、さすがは甲冑師。そういうとこが気になるのね。勉強熱心だなぁ。
私は男性陣にいったん建物を出て行ってもらってから、砦から持参した甲冑用下着を身に着け、その上に新しい甲冑を着せてもらった。
再び戻って来たおっさんに、脱いで畳んでおいたブラウスを見せる。
「これ、貸しましょうか? 裏からとか、見る?」
反射的に受け取ったおっさんは、一瞬固まった後でブラウスを突き返して来た。
「お前、脱いだ服とか渡すな!」
「えっ!? だって、参考になるって……」
「いい! さっき見たので十分だ!」
おっさんは噛みつくような勢いで言うと、「グラーユ、始めるぞ!」と甲冑のチェックを始めた。
何かまずかったかと、「ごめんなさい……」とうなだれる私に、グラーユさんが笑いかける。
「大丈夫大丈夫、ヴァレオは何か、そう、意識しちゃってるだけだから」
「意識?」
「うん。あ、さっきの服、裾短いね」
グラーユさんの言葉に、おっさんが怒鳴る。
「別に気にしてねえっ!」
ハッ。
スカートは膝上丈だし、ブーツ長かったからあまり意識してなかったけど、さっき思い切り生足さらしてたし!
「お、お見苦しいものをお見せしました……」
反省しきりの私だった。
新しい甲冑は、前のものよりパーツが増えていた。腕や足もしっかり覆われているのに、軽いし動きやすくて驚く。これが職人技か。
おっさんやグラーユさんは気になる部分があるらしくて、立ち尽くした私の周りを少しずつ移動しながら何やら話し合っている。私にもいくつか質問が飛んだ。
お腹空いた……と思い始めた頃、ようやくチェックは終わった。
いったん外した白い甲冑はおっさんとグラーユさんがどこかへ運んでいき、制服に着替えた私に女性たちが食事を持ってきてくれたのだ。
「この間は食事も出さないで、ごめんなさいね」
「あっ、いえ、急にお邪魔しちゃったので」
そんな会話をしながら受け取ったのは、何やら湿った大きな葉っぱの包みだ。甲冑(砦から着てきた方)の置かれた台の隅に腰掛け、「いただきます」と膝の上で開いてみると、ふわっ、と不思議な香りのする湯気が立ちのぼった。
中身は、細かく刻んだ木の実とキノコ、それに肉の入った、炊き込みご飯に近いものだった。お米じゃなくて、もっとプチプチした触感だったけど、葉の風味の移ったそれがまた美味しい。むむっ、木の実はもしかして、香ばしく炒って砕いたものを仕上げに混ぜ込んでる? わぁ、鎧獣人って料理上手!
手で食べるそれを、私はぺろりと平らげた。
食事を終え、井戸の水で手を洗っても、おっさんたちはまだ戻ってこなかった。
私は建物の外に置かれていた丸太に腰掛け、スカートのポケットからこっそりと携帯を取り出した。さっき日本のことを思い出して、ホームシックになっていたのだ。
電源を入れ、写真のフォルダを開く。
一番最近のものは、高校の文化祭。焼きそばの模擬店の前、エプロン姿でポーズを取る級友の写真だ。次々と過去の写真にさかのぼっていくと、どこかの公園で猫が寝ている写真、友達と行ったカフェのケーキやラテアートの写真なんかが並んでいる。
でも、家族らしき人の写真はなかった。わざわざ母親や父親、兄弟姉妹の写真なんて、意識して撮らなかったのだろう。
こんなことになるなら、撮っておけばよかった。見れば、何か思い出したかもしれないのに……
そろそろやめないと、充電がなくなっちゃう。
電源を切りかけたとき、最後に見た写真は、初夏に行った修学旅行の時のものだった。
「あ」
私は思わず声を上げた。
「あ?」
反応があって、ぎょっとして振り向くと、ちょうどおっさんが私の近くまで来ていた。
「あ、ううん、何でも」
私は携帯を閉じ、ポケットに戻した。
「新しい甲冑、どうなったの?」
「少し調整したいから、あと数日欲しいってよ」
おっさんはそう言い、さっとあたりに視線を走らせてから小声で言った。
「今なら、もっと巫女姫っぽく見えるように何か細工もできるかもしれねぇな。それっぽい模様を加えるとか。何かねぇか?」
それっぽい模様って何よ。
ふと、何かのゲームのなんちゃらアーマーみたいなのが脳裏に浮かんで、私は苦笑しながら言った。
「甲に翼でもつけたらいいかも」
「何だそりゃ」
おっさんが「はぁ?」みたいな顔をする。
「な、何でもない。私の故郷にそういうのがあっただけ。……あ、巫女姫っぽくって言えば」
ふと思い出して、私は尋ねた。
「お……ヴァレオさん、初めて会ったときに私の目を見て、女神の何とかの色だって……あれは?」
「ああ、『女神の顕現』か」
おっさんは右手を軽く上げ、空を指さした。
「夜に見えるだろ、『アギ』と『グオ』」
「え、何?」
「銀のアギと、赤っぽいグオだ」
色を聞いて、ようやくわかった。月くらいの大きさのある、二つの星のことだ。女神ナジェリの瞳と同じ色をしている。
「『女神の両眼』アギとグオが影に覆われて黒くなるとき、女神は最大の力を発揮する。大きな洪水が起こり、上流から豊かな土を運ぶんだ。数十年に一度な」
おっさんは説明する。
影……月食みたいな現象のことかな。
おっさんは私を指さした。
「女神が力を顕す時の目と同じ色をしてる、お前の黒い瞳は、まあそれなりに巫女姫らしいってこった。もっと利用しろよ」
私はちょっと呆れて言った。
「り、利用できることがあるなら、早く言ってよ」
「お前が聞かなかったんだろうが」
私たちが最初から、気軽に質問できるような仲の良い間柄だったとでも!?
拳をプルプルさせている私には構わず、おっさんは空をちらっと見上げ、
「そろそろ砦に戻らねぇとな。グラーユに言ってくるから、鎧獣の所に行ってろ」
とまた立ち去って行った。
私は一つため息をついて、踵を返した。建物の裏手にいるはずのソルティーバターの所へ向かいながら、考える。
神殿から聞こえてきた『女神の音楽』。聞き覚えがあると感じた、あの硬質な音をどこで聞いたのか、さっき写真を見ていたときに思い出したのだ。
そう、それに、どうすれば自分を巫女姫らしく見せられるかも、ひとつだけ思いついた。それには、ここの集落の人たちの協力が必要だ。
でも。それって、そもそもやっていいものなの?
自分が巫女姫として役に立つなんて、ちっとも思ってなかったから、今までは考えなかったこと。
私が巫女姫として、ユグドマ側に有利になるように停戦条約を結んだら、聖地はユグドマのものになる。そのために、私は姫に仕立て上げられたんだから。
でも、こんなやり方をする国が聖地を手にして、それで本当にいいの? かといって、ツーリが手にした方がいいのかっていうと、わからない。
女神ナジェリは、私がナジェリの巫女姫として行動することを、どう感じているんだろう?
おっさんと一緒にソルティバターに乗り、砦に戻る道すがら、私はずっと考え込んでいた。
【第3ヒント】グラーユは誰にでも「甘い」。