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オオアリクイはドラゴンの夢を見る~リノ2013~

作者: 黒鷹商会

元々、震電以外に速い機体はいないかと探していたらドルプニに出会い書いていると“景雲をトラクター&プッシャー式にしたら面白くね?”と書き直し、そして“これ、レースに出たら面白くね?”と云う訳で完成した話です。丁度、リノ・エアレース50周年記念に合わせてみました。

西暦2013年9月、アメリカ合衆国ネバダ州リノ。






「とうとう、ココまで来たのか・・・」



アメリカ合衆国ネバダ州リノ。この荒野の真ん中は年に一度だけ鋼鉄の猛禽達が集い、僅か8,4マイル(約13km)のコロッセウムで最速を掛けて戦う聖地ある。



【リノ・エアレース】(正式名称:Reno National Championship Air Races & Air Show)



毎年9月に開催されるエアレースで1964年から始まり以来、現在まで継続して開催されるエアレースの中で最も長い歴史を誇る歴史あるエアレースである。



複翼機やジェットなどの6つのクラスに別れており、その内でもっとも人気の高いアンリミテッド(無制限)クラスは4,500lb(2,041kg)以上のレシプロ機であれば改造無制限のモンスタークラス。



参加する航空機はP-51Dマスタング、ホーカー シーフューリー、グラマンF8Fベアキャットなどなどで改造し、エンジン出力は4000馬力にも及び、最高速度は800km/hを越えるまさに速さを追求した猛禽達が集うレース。



「さて、続きましては第二次世界大戦中、連合軍パロット達から“ドラッヘ”と恐れられたドルプニDo335プファイルの異母兄弟がリノの地に登場!機体がMaidinJapanなら何と駆るパイロットも日本人!チームメカニックも大戦中に本機を開発した日本のエンジニア達だ!」



今はリノ・エアレースの最大のクライマックスであるアンリミテッドの決勝戦。ランプ(駐機場)には決勝戦まで勝ち抜いた機体が整列していた。



私が駆るのはドイツ第三帝国が作り上げたドルプニDo335プファイルを日本が独自改修で国産化した異母兄弟【景雲】(陸軍名:爆龍)



エンジンはYS-11と同じロールス・ロイス社ターボプロップエンジン“ダート”のチェーンしたモノに換装して二重反転プロペラを搭載。



機体もカーボンとチタンで武装して大幅に軽量化した現代の最新技術で創り上げた現代のドラゴンだ。



“ゲテモノ”と周り呼ばれたが、爺さん達のチューンでコンディションは抜群。後は腕だけが勝負の世界だ。



「調子はどうだ。若造?」



「ああ、爺様達のメンテで絶好調だ。しかしコイツもアメリカの空を飛ぶとは思って見なかっただろうな」



「ああ・・・・・・儂もまさかアメリカの空で、しかもメリケン相手にレースで飛ぶとはな。長い生きはするものだ」






月日は遡る事、68年前・・・




「本当に、コイツを・・・この化け物を作るんですか?」



昭和19年(1944年)日本、木更津基地。この日、日本の各地の航空技師達が木更津基地に集められた。



集められた男達には全員が航空技師と云う事以外にも“とある共通点”があったが共通の共通点についてはオイオイ分かってくるので置いておく。



その彼等の目の前に格納庫から一機の戦闘機が引き出された。その機体を見た、集めれた中の1人が呟く。



「そうだ。我々はコイツを作るのだ。この、友邦ドイツが作り上げた世界最速のレシプロ戦闘機を、だ」



その戦闘機の名前はドルプニDo335【プファイル】史実では僅かに38機しか完成しなかったドイツが作り上げたレシプロ機の限界を追求したレシプロ最速の戦闘機。



そしてこの世界ではルフトバッフェ(ドイツ空軍)の異形の凶竜戦闘機である。



Do335プファイルは第二次世界大戦中、ドイツのドルニエ社により製造された高速戦闘爆撃機である。



その独特の形状からプファール()ともアマイゼンベア(オオアリクイ)とも呼ばれたこの機体はドルプニ社が開発。1943年10月26日に量産が開始された。



この機体の開発の始まりは1942年。当時、ドイツ航空省は『単座侵攻爆撃機計画』と云う計画を打ち出した。



内容は「制空空権のない状況下で高速侵入し爆撃でき、500kgの爆装で時速800kmを出せる高速単座爆撃機」と云うスペックの機体を国内の航空メーカーに公募した。



これは当時の日本のみならずアメリカ、イギリスなど何処の国の航空機メーカーも命令でもなければ誰も手を出さない無茶なスペック要求の機体で完成は到底無理だったがそこは流石“変態技術大国”ドイツ。技術大国の二つ名は伊達じゃなかった。


名乗りを挙げたのはドイツの爆撃機メーカーであるドルニエ社。ドルニエ社のクラウディウス・ドルニエ博士は戦前に既に液冷エンジンを機体の前後に配置したいわゆる串型配置(タンデム配置)と呼ばれる形式を特許取得。



タンデム式はエンジンを2基積む双発機であるが、機体前方面積を単発機並に小さく出来るために空力特性は単発機と近く、他の形式の双発機より高速を出せ、単発機・双発機双方の特性を兼ね備えられる。



その技術を応用すれば可能であると判断してこれに応募。ドイツ航空省はドルニエ社の設計案を採用し、Do335という形式番号が与えられて開発がスタートされました。



分類は単座重戦闘機になるがその機体形状は世界的にも珍しい類を見ない物であった。



エンジンを機首と胴体後部に搭載した串刺しに配置した串型配置、タンデム式(トラクター&プッシャー式)と云う独特の形状を採用。



外形からは空冷のようにも見えるがこれは環状冷却器のカウリングである。

機首に環状冷却器を配し、その後ろに液冷DB603エンジンを持つ。



エンジンは最大出力1750馬力のDB603A(後に1800馬力のDB603Eに換装)を用い、燃料にはB4またはハイオクタン燃料C3を用いた。



胴体中央後方にDB603エンジンが配置されている。このエンジンから延長軸で機尾のプロペラを回転させる。延長軸は共振振動による破断を防止するために何箇所かで分割、歯車型軸継手によって接合している。



歯車の面が少し曲面化されており、ユニバーサルジョイントのようなフレキシブルさを持っている。



これをゴムで覆い、防塵した。さらに機体後部は頑丈なトーションボックス構造になっており、ネジレに強く振動しにくい。 エンジン下部に空気取り入れ口を設け、この内部に冷却器を配置している。



本機の形状は胴体内に二基のエンジンを内蔵するため、ロール時には回転軸線上にエンジン質量が存在する。



これに比べて通常の双発機は主翼上にエンジン二基を配置するために回転軸線から離れた位置にエンジン質量が存在する。



したがって通常形式では物体を移動させるための初期動作に力が大きくかかり、また動作を終えて停まる時にも慣性がついているため停まりにくい。



このためDo335は通常の双発機と比べればロールレート(横転率)性能が高い。一方で機首起こしや機首下げに際しては機体の重心を中心軸として回転する。



したがってこの中心軸に近い位置に質量が配分されていたほうが挙動が速い。



Do335は機首と胴体中央後ろ寄りにエンジン質量があり、通常の双発機と比べ中心軸より遠い配置になる。



この辺は一長一短という事になるが、実際の結果としては上述の通り双発機としては運動性が高いと評されている。



Do335は胴体内に全てのエンジンが搭載されている分、外部に二つのカウリング、エンジンナセルを持つ通常の双発形式よりも空力、摩擦抵抗に優れ、加速や速度性能も優れる。



機首と機尾でエンジンの回転方向が異なるためにトルクを打ち消し合って静的状態を作り出している。



したがって全力運転を行う際にもトルクによる偏向がない。また通常の双発機と異なり、エンジンが一基停止状態でも推力の偏向が起こらず、後部エンジンのみで560km/h以上で軽快に飛行した。



武装はモーターカノンとして30mm機関砲MK103Mを装備している。これは機首エンジンの後方に機関砲を装備し、砲身をエンジンの回転軸の中に通すという配置である。



プロペラ圏内に大口径砲弾を通す危険を避け、機体の中心線に近い位置から発砲するため、反動による機体のブレが少なく命中率も高い。それ以外にも機首上部に20mm機関砲MG151/20を2門を装備している。



主翼は前縁に13度の後退角を持ち、後縁は直線翼に近く、上反角は6度である。主脚は引きこみ式であり内方へ向かって折り畳まれる。



翼左右に増設のラックをとりつけ、容量300リットルの増槽または250kg爆弾を搭載できた。



後尾にプロペラを持つため、本機は3車輪式引込脚や十文字型の尾翼を持つ。



戦闘爆撃型タイプには胴体下部に爆弾倉が設けられ、照準機はRevi 16D反射式照準器を備えた。



他に味方識別装置FuG 25a、着陸誘導装置FuG 125、火災が起きた時にはセンサーが熱を感知して消火する炭酸ガス消火装置を備えている。



また本機は機尾に垂直尾翼とプロペラがあるため現在のジェット戦闘機には標準装備である射出座席が採用された。



パイロットが脱出時に垂直尾翼への衝突やプロペラに巻き込まれる事故を防ぐため、垂直尾翼と後部プロペラは起爆装置の爆発ボルトを作動させて分離して投機。



その後、圧搾空気で座席を射出させてパイロットを脱出させる。この射出座席により通常の戦闘機よりもパイロットの生存性が高い。



この形状により本機はレシプロエンジン機としては最速の部類に入る最高速度770km/hを誇る。



最高時速770kmもの最大速度を誇り、被弾にも強く片方のエンジンを被弾して停止しても、もう一方のエンジンで飛行可能なタフネスさも誇っている。


速度・加速・旋回どれを取っても性能が高く、大型な双発機にしては信じられない程に運動性が良く、2基のエンジンを搭載してる事により重武装・重装甲・足の長い航続距離が評価された。



Do335は試験の結果その高い性能は評価されたがその特異で奇抜な機体形状が嫌煙されて採用には二の足が踏まれならがも、とりあえず偵察機としてドイツ空軍は採用。



ドイツ機には珍しく足の長い航続距離と圧倒的なまでに速さにより白昼堂々、敵の奥深くまで偵察を行った。



連合軍も邀撃に上がったがDo 335に追い付ける機体がいなかった。この時のDo335に乗ったとあるパイロットが「我に追い付く敵機無し」のセリフは有名である。



また1t以上搭載できる能力に注目して戦闘爆撃機としても東西戦線で暴れ回り、ロンドンへの空爆も行った。



特にヒトラー総統は足の長い航続距離、高い搭載能力、圧倒的な速さを気に入り戦闘爆撃機として大増産を命令。



余談ながらこれによりMe262シュヴァルべは史実での総統命令による爆撃機転換の混乱も無く、早期に戦闘機として実戦に投入された。



Ta152、He219ウーハー、Me262シュヴァルべなどと同じく最重要量産機指定の総統のGOサインを受けて大量生産が開始された。



多くの機体がパイロット達の手元に渡り、名高かるエース達が乗り込んだ。そしてDo335はその性能を遺憾なく発揮しながらもパイロット達の生命もまでも守り、救った。


ヴァルター・ノヴォトニー少佐は飛行中にエンジンが停止、そこへP-51も銃撃されながらも反撃して返り討ちにして帰還。



ハインリヒ・プリンツ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン少佐の乗る夜間戦闘機タイプは1晩に15機撃墜する大記録を打ち立てた。



戦闘爆撃機型はJu82の後続機として今までシュトーカに乗っていたパイロット達が機種転向し、3t近く搭載できる搭載能力と高速性能を生かして東西の各戦線で大活躍した。



対戦車モデルは両翼内に装弾数を24発に増加した37mm機関砲や翼下に50mm機関砲のガンポットを搭載したタイプもある。



また戦車だけでなく重装甲で撃墜に手を焼くシュトゥルモヴィクや4発重爆撃機なども撃墜した。



特に東部戦線では “空飛ぶ魔王”“ソ連人民最大の敵”ことハンス=ウルリッヒ・ルーデル中将の新たな愛機として暴れまくった。



そして終戦までに1000両以上の戦車と100隻以上の上陸舟艇、50機以上の敵機を撃墜した。



また、それ等のモデルと並行して様々なタイプが製作・生産された。最高速度780km/hを叩き出す偵察機型Do335A-4。複座の夜間・全天候戦闘機型Do335A-6。



両翼に30mm機関砲を各1門追加装備されて合計3問となった火力強化型の駆逐機型・重戦闘機型Do335B (Aシリーズが戦闘爆撃機、Bシリーズが重戦闘機駆逐機(重戦闘機)として開発された)



FuG220ネプツーン・レーダーとシュレーゲ・ムジーク(斜銃)を搭載し、エンジンに消焔ダンパーが付けた複座夜戦型Do335B-6。



後部エンジンをジェットエンジンに換装したレシプロジェット混合型Do435(30mm機関砲3門と20mm機関砲2門を装備。最高速度は865km/h以上)



主翼で2機結合した双胴機型Do635(最高速度720km/h、航続距離7450km)などなど様々なタイプが次々と投入され、欧州の空を駆けた。



最高速度770km/h以上を出すレシプロ戦闘機としてジェット戦闘機登場まで欧州の空を王者として君臨。



ジェット戦闘機のMe262の登場後は王者の座を譲るもまだまだ信頼性低く、航続距離の短いシュヴァルべに変わり広いをカバーした。



特にレシプロエンジンとジェットエンジンを搭載したレシプロジェット混合型は“レシプロ機とジェット機の良い所を持っている”“万が一、ジェットエンジンが停止した際でも安全”“通常のジェット戦闘機を作りより安い”“機種転換の訓練が短くて済む”などなどの様々な理由からパイロット達に多く使われた。



そしてレシプロエンジンからジェットエンジンへ換装して純ジェット戦闘機として生まれ変わったDo335は最高速度の時速880kmを記録し、実戦に投入された。


連合国軍のパイロット達からは『ドラッヘ(ドラゴン)』と呼ばれて恐れられた。



特に爆撃機は撃墜率が非常に高くなり、特にアメリカの爆撃機より防御火力や防弾性能が低かったイギリス爆撃機は多く撃墜された。Do335の活躍によりアメリカがヨーロッパ戦線へのB-29の投入のキッカケとなった。







そして話は最初に戻るが、どうしてそんなドイツの戦闘機が極東の日本に有るのかと云うと日本が購入して伊29、呂501、伊400、伊507(!?)の4隻がエッチラオッチラとマゼラン並の航海をして1944年7月に日本に到着。


潜水艦がはるばるドイツから運んだ中身はパンター、ティーガー、Ta152、Me163、Me262シュヴァルべなどのドイツ最新鋭機やドイツ戦車の実物と設計図だった。



その高い性能、戦歴と実績、そして比較的短期間で製作が可能な点が評価されてDo335の国産化計画が持ち上がった。



Do335国産化計画は日本には珍しく帝国陸海の共同開発としてスタート。



Do335国産化チームにはドルプニDo335の開発決定により開発中止が決定された十八試陸上偵察機《景雲》、十八試局地戦闘機《閃電》、陸軍のキ94-Ⅰなどの開発関係者が参加。



ドルプニDo335国産化チームの主任は十八試陸上偵察機景雲の試作担当主任だった大築志夫が勤めた。



元々、似たようなコンセプトの機体を開発していた帝国陸海の技術者達が集結しており国産化の開発は容易に進むと思われたが難題が2つ浮上した。



まず、最初に問題となったのはエンジン。日本にも液冷エンジンはあるが生産過程で問題が続出している為、扱い易い空冷エンジンへの換装となった。



しかし、液冷エンジンから空冷エンジンへの換装はエンジンの大きさが合わない為に難しい。



当初の予定では誉エンジンを搭載する筈だったが、誉エンジンの不調が問題が多発している為に除外。



そして2つ目は武装。元のDo335の武装は20mm機関砲2門と30mm機関砲1門。



しかし30mm機関砲はモーターカノン(プロペラ軸内機銃)のために空冷では搭載不可能。20mm機関砲2門だけでは火力不足となった。



これらの理由から当初は開発に手間が掛かると判断して開発を中止してジェット戦闘機であるMe262シュヴァルべの国産化である火龍(海軍名:橘花)の開発に一本化する話があったが開発チーム主任である大築志夫の“なら、1ヶ月以内に飛ばしたらァ!”と断言した事により開発が続投となった。



後の本人談だと「幾度も開発中止と言われながらも最後にあの豪語でやっと首が繋がった」だそうだ。



結果、このようなやり取りがありドルプニDo335プファイルの改修計画がスタート。


日本独自の改修が行われて景雲は日の目を見る事となった。



自分達が手掛けた機体を開発中止にされたメンバー達の並々ならぬ気迫、意地と呼ぶべき執念、不眠不休の努力が合わさり、豪語した通り僅か1ヶ月で初飛行に漕ぎ着けた。



まず機体自体は景雲を参考にしながらキ94-Ⅰの要素を取り入れて再設計した。



これにより元のドルプニDo335よりコックピットの視界性が向上。特に機体後方への視界が良好。



エンジンは閃電へ搭載予定だった三菱のハ43を使用。当初は三菱のハ33、金星エンジンを搭載する予定だったが試しにハ43を搭載してみたら上手く云った為にそのまま搭載した。



また偶然ながら閃電とキ94-Ⅰに搭載予定のエンジンだった為に開発陣が扱いに慣れておりスンナリと言った。プロペラは景雲の6翅プロペラを使用。



武装はまず、翼内に20mm機関砲を3門ずつの計6門、機種に20mm機関砲2門の合計8門を搭載。



対重爆用タイプに両翼に30mm機関砲を4門搭載したが、中には37mm機関砲2門や機体下部に一式中戦車チヘが搭載している47mm砲を1門搭載した派生モデルもある。



独自の改修と大型ドロップタンクのお陰で航続距離が3000kmに伸び、偵察型は航続距離が4000kmもの長距離飛行が可能となった。



試験飛行が開始されると時速700km/h以上の日本最速記録をマーク。そのスペックに陸海軍関係者は驚愕して直ちに「大東亜決戦兵器」に指定されて大量生産が促進された。



命名に関しては今までに無いタイプの機体だった為に名称に巡っては陸海で子供地味た争いが起こった。



陸軍が早々に【爆竜】と命名して為、特に海軍内で一悶着あったが結局は海軍はなし崩し的に「景雲」の名称をそのまま使用した。



偵察型はその性能を遺憾無く発揮し、アメリカ艦隊への強行偵察や白昼堂々のテニアン島の偵察などを行った。



また原爆投下後の広島、長崎へも急行してその被害の実情をいち早く克明に記録した。



戦闘爆撃機タイプは雷撃機タイプが製作されて米艦隊と交戦。高い搭載能力により魚雷を2本も搭載できた為、パイロット達からは好評だった。



また高い防弾性でちょっとやそっとの被弾では落ちず、高速性により米艦隊の弾幕の嵐を潜り抜けて雷撃を行う事が出来た為、多数の艦船を撃沈した。



そして肝心の戦闘機型の爆龍はB-29の迎撃にはどの日本機よりも一早く飛び上がりB-29と相対した。



そしてB-29クルー達からは“日本機で唯一B-29に対抗出来る機体”と言い、最重要警戒機に認定して警戒した。



そしてF8Fベアキャット、P-51ムスタングH型、B-36ピースメイカーなどの実戦投入が急がれ、日本本土に投入した。



爆龍のエースパイロットでは“ビルマの桃太郎” こと穴吹智(あなぶきさとし)曹長と“デストロイヤー菅野”こと菅野直(かんのなおし)大尉。この2人の陸海エースのエピソードが有名である。



“ビルマの桃太郎”こと穴吹智は離陸中にムスタングの機銃掃射を浴びながらも離陸。そして銃撃した機体を返り討ち。帰還すると血塗れで心配し周囲を余所に“怪我でなくて腹が減って死ぬぞ!”と周囲を呆れさせた。



“デストロイヤー菅野”こと菅野直は空戦中に機銃が爆発。主翼に大穴が空きながらも戦い、2機撃墜して生還した。しかも“これ位、何も無い!敵がもっといたらまだ戦ってたぞ!”と豪胆に言った。



どれも本人達の勇猛果敢さと機体のタフネスさをモノ語るエピソードである。



結局、ドイツ・日本双方共にアメリカ最新鋭機の物量に押し切られて制空権を明け渡したが、奪われた後も終戦を迎えるその日まで空に上がり続けて戦い続けた。



そして戦後。ドイツ敗戦後、フランスがDo335を使用。新生フランス空軍の新たな翼として活躍した。



“世界最速のレシプロ戦闘機”と各国から称賛されたドルプニDo335プファイルは短い間だったが冷戦の空をレシプロ戦闘機が終焉を迎える日まで飛んだ。






そして月日は現代・・・




ベースプレーンに先導されて各機がエンジンを咆哮させながら滑走路に上がっていく。



いよいよ、レースの開始だ。今から時速500マイル(800km)の世界での楽しいダンスの時間だ!



「さぁて行こうか、相棒!Dance with our angels!(天使とダンスだ!)」



最速のレシプロ戦闘機の眷族は戦場の空で生死を賭けた戦いではなくレースの空で最速を競う戦い投じている。



オオアリクイと呼ばれたドラゴンの最速の二つ名は今だ、消えず。

*登場機体*


【景雲(陸軍名:爆龍)】

(性能諸元)    

全長:13.00m、全幅:14.00m、全高:5.00m、正規全備重量:8500kg

エンジン:三菱ハ43空冷星型複列18気筒×2(2200馬力)

最大速度:750km/h、上昇限度:12000m、航続距離:3000km、乗員1名。

武装;20mm機銃×8、爆装1,000kg(胴体内500kg、主翼下250kg×2)


【ドルプニDo335プファイル(アマイゼンベア)】

(性能諸元)     

全長:13.85m、全幅:13.80m、全高:5.00m、正規全備重量:9600kg

エンジン:ダイムラー・ベンツDB 603E-1 液冷倒立V型12気筒(1800馬力×2)

最大速度:770km/h(高度6400m)巡航速度:685km/h(高度7100m)航続距離:2150km、上昇限度:11400m、乗員1名。

武装;20mm機銃×2、プロペラ軸内30mm機関砲×1、爆装1,000kg(胴体内500kg、主翼下250kg×2)


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― 新着の感想 ―
[一言] 実際に開発されたものの、実戦投入されていない機体の話ですか 航空機にも詳細な設定が描かれていて、リアリティーが感じられていいです 個人的には、A-10サンダーボルトやせりふ的には偵察機の彩雲…
2016/06/22 14:04 ガンダムF91
[良い点] ロマンに溢れていること [一言] やっぱり技術チートは枢軸の専売特許だね
[良い点] Do335がドイツと日本で縦横無尽に活躍するのが楽しく読めました。
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