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壁の町の探偵の少女  作者: 半蔀
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一話=銀ナイフが意味を示す-1

 窓から見えるカルタカの町は陽光に包まれていた。まだ昼を少し下った頃である。小高い丘の上に立つこの屋敷では,気だるげな昼下がりの町並みが一望できた。屋敷の中は,遠くに馬車の音を聞くばかりで静かである。

 アレフは窓から目を離し,目の前の少女に視線を移した。その少女は柔らかな陽射しを背一杯に受けながら,穏やかな表情を浮かべてハーブティーを嗜んでいた。

 長寿種(メトセラ)というのは不思議なものだな,とアレフは思った。そう思うのはこれが最初ではなかった。今のような穏やかな静けさとともに屋敷に二人きりで過ごす時には,アレフは必ずと言っていいほど,この好奇を覚えるのだった。

 彼女,マリー・ホークスの容姿は15,6の少女でしかない。初々しい健康的な首筋,愛らしい赤い唇,そして,白に朱の差した美しい横顔。その頬に時々解れる黒髪は背中まであり,柔らかな陽を受けてつややかである。そのほかにも,整った鼻筋,細やかな白い指先,等々。彼女の姿のどの部分を取って見ても,みな,少女らしい美しさがあった。

 彼女は自身の執務机で茶を楽しんでいる。深い茶色の色合いが美しい無垢材づくりのその重厚な机は,しかしながら,少女の年齢で座るには間違いなく不釣り合いな代物であった。その机の上を幾枚もの書類で散らかし,物の置き場もないほどにしている彼女は,自身のティーカップを紙と紙とのわずかな隙間に置いて,寛いでいる。その様子は,彼女が,執務の合間に茶を愉しむその机の主であることを物語っている。少年少女の心を決して落ち着かせない,あの,内からコンコンと湧きいでるような溢れんばかりの活力を,彼女は持たなかった。ただ凛とした静寂と無為を愉しむ理智とが彼女の表情にあった。

 その華やかな少女の姿と老成した態度との不整合さが,アレフには毎度のことながら不思議で,面白く思えた。魔法のありふれたこの町でも,おもわず魔法のようだと感慨に耽ってしまう。そう思わせるこの少女こそが,この屋敷の主であり,仕えるアレフよりもずっと多くの年月を生きたメトセラの探偵であった。幾年月を生きたのかは,彼女自身しか知る者は居ない。


「なにを呆けているのだ」

 と,マリーの呆れを含んだ一声によってアレフの思考は中断させられた。彼の主のカップはとっくに空になっていた。

「ああ,すまん。今いれる」

 いけない,いけないと頭を振りつつ,彼女のそばまでティーポットを持っていく。そうして,彼女の傍らで彼女のカップへハーブの茶を注いだ。

 琥珀色の茶がカップを満たすにつれて,ハーブの香りが立ち込めていった。

 マリーはその香りを楽しみながら言った。

「よい香りだ,やはり君の茶はよい。これでミーミのクッキーでもあれば,文句ないのだが」

 アレフは彼女の言葉に肩をすくめて,

「あの騒がしいのは,そろそろ来る頃だろう」

 その時,ちょうど玄関のドアをノックする音が聞こえた。アレフは,ほら来た,とマリーに目をやり,玄関へと降りて行った。彼の視界端にマリーが可笑しげに微笑しているのが見えた。

 アレフがドアを開けると,そこには少女と青年とが立ち並んでいた。少女は,やや褐色の肌をした,茶髪の,活発そうな娘である。男の方は,人の好さそうな顔を子細ありげに歪ました,短い黒髪の20ほどの若い男である。

「クッキー持ってきたよ!」

 アレフが顔を覗かせるのと同時に,その少女は彼の鼻先に,右手に持った柳のかごを突きつけて,元気よく言った。

 この少女がミーミである。彼女は東方からの移民の娘であった。

 アレフは呆れを含みながら,

「……その前に,隣の方を紹介しないか」と,言うと,

「そうだった……」

 と,突き出した右手を力なく下ろした。

「それで,その方は?」

「オルターさん。そこでうろうろしてたの」

 ミーミはすぐに気を取り直して,屋敷の前を指差した。

「うちの近くの刃物屋さんなんだよ」

 そこで,ようやく男は名を名乗ることが出来た。

「刃物屋のオルターと申します。ミーミちゃんの家のお宿とは昔からの付き合いでして」

「ご挨拶が遅れました。マリーの助手をしているアレフです。マリーなら上におりますから,お話はそちらで」

「私はまだ何も」

 オルターがやや驚いたような顔をするので,アレフは少し表情を緩めて言った。

「あなたのお顔を見れば誰にも知れることですよ。さ,お入りなって。ご案内しましょう」

 アレフは二人を二階のマリーの部屋の前まで連れて行くと,ドアをノックした。

「マリー,お客だ」

「お通ししたまえ」

 ドアをアレフがあけると,真っ先にミーミが部屋に入って行った。そして,マリーの机まで行くと,クッキーのかごを手渡した。

「マリー姉え,クッキー」

「ありがとう,ミーミ。さあ,お客人,遠慮せずに」

 マリーはオルターに,部屋の中央にあるソファーを勧めた。ソファーは二つあり,テーブルを中央にして,その両脇をはさむ形に置かれている。

 オルターはマリーに戸惑いながらも,部屋の入り口側のソファーに腰掛けた。ミーミはすでに,オルターとは反対のソファーに陣取って,いい香りがするー,などとハーブの香りを嗅ぎ付けていた。アレフはソファーに座ったオルターに,お茶をお持ちしましょう,と声を掛けて部屋を出て行った。マリーは自分の机に座ったままである。

 マリーとオルターは簡単な挨拶を済ました後,「話は茶が来てからにしよう」と,世間話などをしてアレフを待った。マリーと話すオルターはやや緊張している様子だった。アレフが戻って来てお茶を配ると,オルターは緊張をほぐそうとしてか,さっそくカップに口をつけて喉を潤した。

 アレフが茶を配り終えて,ミーミ側のソファーに着くと,「さてお話を伺おう」とマリーが促したので,オルターは本題を話し始めた。

「今日伺ったのは私の友人,アルガス・ウィッターとジルのことにあるのです。私の友人,アルガスとジルは二人共に衛軍の衛士でありまして,昔から私の店を贔屓にしてくれました。アルガスはあのウィッター大隊長の子息でして,ジルは15年前の魔物の大発生で故郷を失ったところをウィッター大隊長に拾われたのです。二人は本当の兄弟のように仲が良いことで評判でした。

 最初に異変を感じたのは四日前でして,頼まれた剣が研磨し終わったので,ジルの家に届けに行ったのですが,どうにも彼の様子がおかしかったのです。こちらの話に,うわの空と言いましょうか,とにかく他のことに気を取られている様子で,剣を受け取ったら早々に家の中へ引っ込んでしまったのです。いつもの彼らしくありませんでしたが,その時は気分でも悪いのかと気にしませんでした。それだけならよかったのですが,その日の3日後に今度はアルガスの屋敷に用を済ませに出向いたところ,彼の様子もおかしいのです。やつれた顔をしていて,どうも屋敷から出ていない様子でした。屋敷の者の話では,その日の前の晩から様子が変わったそうでして。私が直接,どうしたのか,と聞いても,”これが僕の罪なんだ。今は誰にも会いたくない”と言うばかりで,仕舞いには私を屋敷から追い出してしまいました。そのときになって,これは尋常なことではないと思って,二人になんとか話を聞こうとしたのですが,顔すら会わしてはくれませんでした。そうこうしているうちに,今朝ジルが自殺したという話を聞いたのです。

 このままでは,アルガスまで自身を殺めてしまうのではないかと,恐ろしくて……。私は彼らの間になにがあったのか知りたいのです。そして,どうにかして彼を助けたいのです。どうかお力をお貸し願えませんか。この通りでございます」

 言い終わると,オルターはマリーに対して深々と頭を下げた。

 マリーはその様子を見て,安心させるように言った。

「オルター殿,ご安心なさい。この依頼,私でよろしければ引き受けさせてもらうよ」

「ありがとうございます。どうか,お願いします」

 マリーが承諾するとオルターは何度も頭を下げた。しきりに感謝するオルターをマリーは手で制して言った。

「オルター殿,今のうちに確認しておきたいことがある。よろしいかな」

「ええ,なんでございましょう」

「4日前,ジル殿の様子がおかしかったという話だが,それ以前には変わりなかったのかね」

「ジルですか。たしか,剣を渡す前日,つまり5日前ですが,その日にも彼には会いまして少し話をしましたが,特に変わったところはありませんでした」

「アルガス殿もかね」

「ええ,変わりありませんでした」

「うむ。以前に,二人の間で諍いのあったことはあるかね」

「言い争いなどは,若い者同士ですから,何度かありましたが,物別れになるようなことは一度だってありませんでした。お互いに,血を分けた兄弟のように思っておりましたから……」

 それらを聞くと,マリーは頷いた。

「よろしい。この案件,2,3日には解決するであろう。それまで少々辛抱願えますかな」

 そう言って,マリーはオルターに微笑みかける。オルターは「有難うございます」と深々と頭を下げた。


 オルターが屋敷を去ったあと,マリーはアレフとミーミに言った。

「君たちには2ヵ所聞き込みをしてもらおう。まずはジル殿の家周辺で,4日前から2日前までのことを聞いてきてくれ。次はアルガス殿の屋敷だが,こちらは後でよい。それほど重要なことはなさそうだ」

 マリーの頼みを聞いたアレフであったが,一つだけ不満な点があった。

「どうしてミーミも一緒なんだ」

 渋るようにアレフは言ったが,マリーの回答は簡単なものだった。

「ミーミは鼻が利く」

 アレフは答えにつまった。確かにミーミは物事によく気がつく娘である,この点はアレフも十分理解していたし,実際何度もミーミに助けられていた。

 しかし彼女はまだ16であった。その顔に幼さを残す少女を,自殺とはいえ人死にが出た事件に参加させてもよいものかとアレフは躊躇するのだった。これまでは,手伝いもまだ経験が浅く,なにより,年が若いから刺激の強いものはよくないからと,死人の出た事件には彼女を参加させたことはなかった。

「気が進まん」

「一人では効率が悪いであろう」

「しかし……」

 渋るアレフを見て,マリーはふっと笑うと,それに,と言ってミーミの方に目を遣った。一緒に行きたそうにしているミーミが居た。マリーは再びアレフに視線を戻して言った。

「本人は行く気のようだよ。なに,ミーミはよく働いてくれているし,勝手も知っている。助手としては,たしかに一人前とはいかぬかもしれんが,もう素人ではなかろう」

 アレフはため息をついた。実際,彼一人では手は足りていなかった。

「……わかった,連れて行く」

 アレフがしぶしぶ了承すると,ミーミはぐっと手を握って喜んでいた。アレフは渋面を浮かべて,たしなめるようにミーミに言った。

「足だけは引っ張るなよ。勝手に迷子になるんじゃないぞ。あと道草もなしだからな」

「む。もう16だもん,そんなことしないもん!」

 ミーミはアレフに舌を出して抗議していたが,あ,と何かを思い出した風で,表情をコロリと変えてマリーに問いかけた。

「ねえねえ,マリー姉え。オルターさんが言ってたウィッター大隊長って,だれ?」

「正確には元大隊長だ。ミーミは15年前の魔物の大発生は知っているかい」

 マリーが尋ねると,ミーミは首を横に振った。

「15年前,この町の北にある森で魔物が大発生したことがあってね……北の森はわかるかい? 馬車で一日ほど行ったところなのだが」

「うん,知ってるよ。結構おっきい森だよね」

「そうだ。その森の近くに村と町があってな,そこが被害を受けたのだ。町のほうはカルタカの衛軍の救援が間に合って,なんとか被害を抑えられたのだが,村の方は間に合わず壊滅してしまったのだよ。その村の生き残りがジル殿で,アルガス殿の亡き父君が軍を率いて救援に向かったのだよ。ウィッター大隊長といえば北の町を救った英雄として有名だな」

「そうなんだ……」

 ミーミはジルの境遇に同情を禁じ得ない様子だった。

「話が済んだなら行くぞ」

「う,うん。今行く」

 アレフが声を掛けると,ミーミは慌ててアレフに駆け寄った。

「行ってくる」

「行ってきます!」

 二人はマリーに声を掛けて部屋を出て行った。マリーは二人に手を振って答えた。



 アレフとミーミとは整然と敷き詰められた石路を歩いて,町の東にあるジル宅を目指していた。

 道の両側は三階建ての石造りの家が立ち並んでいて,うねる道なりに沿って壁のように一続きになっている。二つの壁にはさまれた形のこの道は,正午でもなければ,陽は家々に遮られて薄暗かった。家の者たちは働きにでも出ているのか,あたりはひっそりとしている。二人の足音がよく響いた。

 アレフは歩きながら考えた。オルターから聞いた,ジルとアルガスの様子の変化。二つの変化の間には2日間の開きがある。そして,アルガスの”これは僕の罪なんだ”という言葉。この罪の意識がジルの自殺に向いていたと考えるならば,その罪とは一体何であるのか。これを明らかにしなければならないようであった。

 とにかく,この2日間で彼らの間に何があったのか。それと,ジルの変化の原因は何であるのか,それらを調べなくてはならないな,とアレフは考えをまとめた。

 整理がついたので,アレフは意識を自分の内側から外へと向けると,ミーミが静かなことに気がついた。後ろを振り返って彼女を見ると,どこか拗ねた様子で見返してきた。

 アレフは彼女をしばらくほったらかしにしていたことを思い出した。

「なんだ変な顔をして」

「だって,ずっと黙ったままなんだもん」

「考え事をしていてな,忘れていた」

「むー,ひどいんだから」

 頬まで膨らし始めるミーミ。アレフは彼女の様子に笑いながら言った。

「お前もちょっと考えてみろ,事件のこと」

「考えたけど,良くわかんなかった」

「まったく。そうだな,ジル殿の変化の原因を考えてみろ。彼に何があったかだ」

「ジルさんが,うわの空になってた理由だね。んー,たとえばどんなの?」

「それを考えろと言ってるんだが……まあ何かを知ったとか,とくにかく何でもいい」

「ジルさんが知ったこと……。わかった,考えてみる」

 ミーミは,むむむ,と唸りながら眉間にしわを寄せて考え始めた。アレフはそんな彼女の様子を面白がりつつ,ジルの家へと歩いていくのだった。


 物々しい家並みを抜けると,質素な木造の平屋が立ち並ぶ地区に二人はたどり着いた。この地区は,カルタカの東端に位置しており,まだ出来て間もない地区であった。雑然とした様子はなく,むしろよく整理された区画であった。

 アレフ達はジルの家の前に到着した。彼の家も平凡なものだった。

 ミーミはジルの家をしげしげと観察して言った。

「衛士さまのおウチだから,もっとすごいのかと思ったよ」

「衛士にもいろいろあるんだろう」

「ふーん。それで,どうやって調べるの」

 アレフがぞんざいに答えると,もともとそれほど興味がなかったのか,ミーミはすぐに調査の方へ気を移した。

 アレフは少し考えてから答えた。

「そうだな,俺はジル殿の家の周辺。ミーミは少し離れたところを聞き込みしてくれ」

「うん,わかった!」

 元気よく返事して駆けていったミーミを見送り,アレフも仕事に取り掛かった。

 アレフがまず聞き込みをしたのはジルの隣家であった。ドアをノックすると,はい,と女性の声が聞こえて,すぐに中年の女性が顔を出した。

「あら,どちら様?」

「私はラーゼンの探偵所のアレフと申します。少々,お隣のジル殿のことをお聞きしたく」

「ああ,ラーゼンの姐さんとこの。ジルさんね,今朝いきなりでしょう,わたしびっくりしちゃったわよ。まさかあのジルさんがと思ってねえ」

「ええ,それでここ最近で,なにかジル殿に変わったことはありませんでしたか?」

「あったわよ,あったわよ。一昨日の夕方だったかしら。ジルさん,だれかにひどく怒ってたみたいでねえ。物騒なこと言ってたわよ,”ずっと哀れんでいたのか”とか”殺してやる”なんて。普段はすっごく優しい人なのに,よっぽどのことがあったんじゃないかって,わたし思うのよねえ」

「なるほど,そうですか。他には何か?」

「あるわよ,あるわよ。ジルさんね,実はね――」

 その後随分と話に付き合わされたアレフであったが,その甲斐あって結構な情報も得られた。他の家でも大体同じ話を聞かされるほどだった。

 ここらを回り終わると,アレフは適当な石垣に腰掛けて情報を整理した。

 やはり4日前あたりから,ジルの様子の変化を近隣住民も知っていたようである。そして一昨日の夕方頃,ジルが誰かを怒鳴りつける声を他の人間も聞いていたという。その内容は「ずっと哀れんでいたのか」,「殺してやる」などで間違いないようだ。ジルが「殺してやる」と言ったあと,すぐに誰かがジルの家を飛び出して行ったという。その姿をはっきり見た者はいなかったが,話を聞く限りではアルガスと推測された。

 その他にも,ジルの暮らし向き,近所での評判,交友関係など様々なことを聞くことが出来た。近所の者の話によれば,ジルは実直な性格で衛士としての職務をまっとうしており,ここらで何か揉め事があれば仲裁を買って出るなど,地区の顔役でもあったという。ジルの生い立ちについても同情する者は多かった。ウィッター家の庇護を受けて,やっとこれからという矢先に今朝の事件であった。彼と付き合いのあった者は皆,彼の死を惜しんだ。

 アレフはそれらのジルに関する情報をまとめて,彼の人物像を整理した。ジルは騎士道を尊ぶ誠実な青年であったようだ。そんな人物が自決を選ぶのは並大抵のことではない。彼をそこまで追い詰めた理由は何か。その理由が,2日前の夕方のジルとアルガスとの間でなされたやり取りに関係していることは明白だった。やり取りの内容はジルに殺意を抱かせるほどのものであった……。

 そこでアレフの思考は止まってしまった。彼らの間でどのような会話がなされたのか分からない。まだ情報が不足のようだった。

 アレフは息をついた。とにかくミーミを待とう。そう思って何となく空を見上げた。明るい午後の空に雲がゆっくりと漂っているだけであった。辺りは静かである。アレフはしばらく雲の流れを眺めていた。

 ミーミはなかなか戻ってこなかった。アレフがそろそろ探しに行こうかと思い始めた頃,彼女はやっと戻ってきた。

 アレフは遅いとミーミを叱ってやろうかと思ったが,彼女の嬉しそうに駆け寄って来る姿に,小言を言う気も削がれてしまった。

「終わったよ!」

「……ご苦労。それで,どうだった」

 ミーミは自分で集めた情報をアレフに報告した。その内容は,大半はアレフの集めたものと同じであったが,新しいものも含まれていた。ミーミは嬉しそうにそれを話した。

「一昨日の夕方に,ジルさんの家の方からアルガスさんが走ってくるのを見たって,広場の子が言ってたよ」

「なるほど,他には?」

「うん,あとね,5日前の夜遅くに,煙草屋のおじさんがジルさんの家に男の人が入っていくのを見たって。行商の人みたいだったって」

 アレフは驚いた。行商人は河船で川伝いに町々を渡る。そのため,普段は川の近くに滞在しており,こんな川から離れた町の東端にまで来るはずがなかった。

「男が入っていくのを見たのは本当か?」

「うん。満月だったし目立つ格好してたから良く見えたって」

 行商人は派手なツヤのある服装をするのが通例であった。ミーミの話はどうやら本当らしかった。

 アレフは満足気に頷いて,よくやった,と彼女を褒めた。ミーミは褒められて嬉しいのか照れたように笑った。

「ねえ,次はどうするの?」と,ミーミが言うと,

「行商の筋を追っかけたら日が暮れる。見つけるのにもまた骨が折れる。とにかくアルガス殿の屋敷へ行くか」と,アレフが答えた。 



 アルガス・ウィッターの屋敷は,東大広場に近い上等な地区の一角にあった。

 二人がこの屋敷の玄関に着いた頃には,もう陽が傾いていたので,屋敷は西日を受けて橙色に染まっていた。

 アレフが玄関をノックする。しばらくすると,若い使用人の男が出迎えた。

「なにか御用でございましょうか」

 使用人の男の言葉を受けて,アレフが用向きを話した。

「突然の訪問失礼。私はラーゼンの探偵所のアレフと申す者。ウィッター殿に少しお話を伺いたい。取り次いでもらえないか」

 使用人はこちらの事情を察したようで,

「旦那様はどなたにもお会いなさらないかと思いますが……」

「とにかく話だけでもお伝え願いたい。ジル殿の件でお話を伺いたいと」

 使用人の男は,お取次ぎはいたしますが……,と言って奥へと向かっていった。

 しばらくすると意外にもアルガス本人がドアを開けた。ドアから覗かせた顔は,青白くやつれており疲労がにじみ出ていた。平生は人を惹きつけるであろうその緑の瞳は,今は暗い念に塗りつぶされていた。

「アルガス殿,わざわざ申し訳ない」

「アレフさんですね……すみませんが,お帰り願えます」

 アルガスはかすれた声を押し出すように答えた。その声の調子も生気を欠いている。

 これは思ったよりも深刻かも知れない,とアレフは思った。しかし,まったく話を聞き出さないわけにもいかなかった。

「お話を伺いたいのです。ジル殿のことについて」

「ジル,ですか」

 アルガスは口ごもると押し黙ってしまった。だが,彼の視線は何かを求めるように地面の上をさまよっていた。

 アレフは彼が何かを言おうとしているのだと気がついた。

 アルガスはしばらく視線をさまよわせていたが,やがてアレフの足先で止まると,独り言のように言った。

「ジルは,僕を恨んでいます。彼が死んだのは……僕の,せいなんです」

「それはどういう……」

 アレフが詳しく聞こうとすると,アルガスは追求を逃れるように,すいません,と言ってドアを閉めてしまった。

 二人の目の前には,大きな木製のドアとそれに映る二人の影だけがあった。夕陽が二人の影をいつの間にか長くしていたらしい。

 アレフはミーミの方を見遣った。彼女は,どうしよう,と戸惑う表情をアレフに向けた。アレフは首を横に振った。

「帰るか」

「う,うん」

 陽は沈み始めている。町を囲む壁の陰影と宵空の境が曖昧になっていた。


 帰り道。迫る夕闇が人々の足を速めていた。アレフとミーミは言葉少なに道を歩いていた。二人の行く道をポツポツと光点が連なり始めている。それらは,家々の窓から漏れる光石(ひかりいし)の灯りであった。その光と沈んだ陽の残り火が町並みに淡い陰影を作り出していた。二人はますます言葉が口を出なかった。

 二人は東大広場に入るとさらに東へ,風見通りへと抜けていった。

 この通りはカザミという,葉の表が濃い緑で,裏が薄い灰色をしている常緑樹の並木道であった。このカザミは風に吹かれると葉が裏返って色が変わるので,この通路に風が吹くと木々が明滅するように見えた。

 二人がこの風見通りを歩いていると,後ろから風が通り抜けていった。そうして,カザミの葉の色をどんどんと変えていった。

 まさに風が見えるのだった。

 二人はその風景に思わず見入った。ミーミは木々の葉色の移り変わっていく様を眺めながら,

「きれい」

 と,呟いた。どうやら口に出していることを彼女は気づいていないようだった。

 だからアレフが「そうだな」と答えると,びっくりしたような顔をして彼を見た。

「口に出ていたぞ」

「え,やだ。もう」

 ミーミは無意識の言葉を聞かれたのが恥ずかしかったようで,拗ねたように顔を背けた。その仕草に,アレフは思わず笑ってしまった。

「むー,なんで笑うの」

「わるいわるい」

 アレフが手を振って謝る。ミーミはまだ拗ねていた。

 仕方がないな,と思って,アレフはミーミに言った。

「分かった。詫びに家まで送っていこう」

「え,でも,まだマリー姉えに」

「それは俺がやっておく」

「でも……」

 ミーミは遠慮がちに言った。さすがにそこまでさせるのは気が引けた。アレフはそんな彼女の表情を見て言った。

「気にするな。もう遅いんだから」

「だってうち,道反対だよ? いいの?」

 ミーミの家はこの風見通りを真っ直ぐ行って,商店街に出たところを左に行かなければならない。反して,マリーの屋敷へは右へ行かなければならなかった。

「構わない。それに,宵口が一番危ないと言うだろ?」

 そう言って,アレフは空を指差した。もう随分と暗くなっている。星も2,3個顔を出して瞬いていた。そうやってアレフがおどけたように笑いかけるので,ミーミは彼を意外そうに見つめた。そしてすぐに,彼からあわてて目を逸らした。彼女は,やり場のない目線を地面の上にふらつかせたあと,思わずはにかんで,結局,「うん」と,答えるのだった。


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