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スカボローフェア

作者: 夜宮
掲載日:2026/06/04



懐かしいバラッドを聞いて寝落ちしたせいか、今朝は珍しく悪夢ではない夢を見た。


濡れていない頬を一つ撫でて寝具から起き上がる。

冷たいフローリングの床に足をつけて、一息ついた。

朝の冷気が布団で暖まった身体を撫ぜる。

鳥肌のたった腕を摩って歩みを進める。




いつも通りの朝を始めよう




呪文のように呟き、否聞く相手もいないので本当に呟いたかは定かではないが、洗面所の鏡を覗き込む。

いつもよりは酷くない顔色に、刺すような痛みを伴う水をかける。

タオルで拭きながら、今日の予定を組み立てる。




顔を洗う、好き、目が冴えるから

歯を磨く、好き、身体が起きるから

ご飯を食べる、嫌い、胸が痛くなるから


人間の最低限の営みを終えて、外出の支度を整えた頃から昨日聞いたバラッドが口をついた。


しっかりと鍵をかけて、靴の爪先を確かめてもまだ口から流れ落ちる。



駅に向かってる途中で犬に3度吠えられ、黒猫に1度横切られた。

それでもなお途切れない。




外国語は得意ではない。

そもそも日本語すら完璧ではないのに何故わざわざ母国語以外を習得しなければいけないのだろう、それは惰性で学んでいた学生の頃からの疑問だ。


しかしこのバラッドは何故かスラスラと歌える。理由は明快、単純に何度も飽きることなく聞いていた時期があったからだ。

思考していても口からは絶え間なくバラッドが。そろそろ2週目に入る。



Parsley,


sage,


rosemary


and thyme,




西洋の騎士達が、騎士に愛された女達が、希望を乗せたハーブの名前。


男女の愛も戦争の憎さも同時に表すハーブの名前。


駅に着いて定期をかざすと劈く電子音。

そこでやっと途切れた、かなしいバラッド。


混雑を極めた駅内は見渡す限り陰鬱な顔ばかり。


男も女も関係なく、大人も子どもも分け隔てなく、疲弊した戦士のようだ。


丁度よく轟音をたてて到着した箱に詰められて何とかドア付近を陣取る。

耳奥からバラッドが燻りだした。


男は無理難題を吹っかけ

女も無理難題を吹っかけ

できないとは言わないでなんて我儘まで言う始末。

それが愛だなんて、難しい。


揺れに飲まれないように手摺をしっかり握り込む。



Parsley,


sage,


rosemary


and thyme,



口からは零れないが、脳内で谺響する。


確か、魔除けの意味もあったななんて苦笑い。


それらのハーブもこの国じゃせいぜい付け合わせか、香り程度にしか扱われない。


希望も魔除けも時と共に去るとはなんとも皮肉だ。


バラッドをそのままにポケットを漁って文明の利器とイヤホンを取り出す。


いい加減消えないバラッドを簡単に消す方法は、全く違う曲を聞くこと。


近頃街中で流れる曲を引っ張り出して、耳へ流す。


流行りの波に流された懐かしのバラッドは遥か彼方へ


次はーー駅、次はーー駅


いつもの駅で降りて、いつもの道順を通って、その頃にはバラッドは戻ってこれないところへ



Let me know that at least you will try,



そしていつも通りの朝に



Or you'll never be a true love of mine.



戻っているはずだったのに。





懐かしいバラッドを聞いたせいで、珍しく悪夢を見ずに、愛おしいあの人が夢に出てきて無理難題を魔法のようにこなした。

だって夢だから。いとも簡単にやってしまった。

だけど現実にいる自分は何一つできなくて。


せめてやってみせると言えば良かったなんて今更。


できっこないと言ったのに、濡れた頬に指を這わせて、あの人は微笑み囁いた。



Parsley, sage, rosemary and thyme!!



声の限り叫んだ、だってまともに返答したらいけないと知っていたんだ。





目の前のドアが開いて吐き出された勢いのまま走り出した。

階段を飛ばして進んで二度目の電子音は雑音に掻き消えて、ぼやけた視界のまま体の覚えてる道順を走り抜けた。


いつも通りなんて呪文のように唱えたけど、悪夢を見ない時点でいつもと違うわけで。


希望も魔除けも意味なんてないし、男女の真実も無理難題もどうでもいいし。




ただ現実であのシャツもヒースでまとめられたコショウの実も用意できたらもう一度会えるというなら、

それが本当ならハーブに願いを込めて現代の技術で再現してやる、なんて馬鹿なことも考えられるくらいあの人を愛していたなんて、



ああ現実こそが悪夢とはよく言ったものだ!







初めて世にオリジナル作品を出すので、恐々としています…。

どうぞ、皆様お手柔らかにご意見ご評価お願いいたします。



スカボローフェアというのは、イギリスの伝統的バラッドです。

この曲をはじめて聞いた時にふわっと湧き上がったものが今回の作品です。

何年も温めてきましたが、思い切って世に出してみました。

ぜひ、ご一読していただけたら幸いです。



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