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危機のたびに異世界の職業を思い出すおっさん、ダンジョン社会で生きる  作者: kage3
第三章 おっさんは警備員

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第37話 氷と少女

 おばちゃん三人の引率を任せ、山本さんと岸本さんと別れた私は独りでダンジョンの通路を巡回していた。


 さっきまでの賑やかさが嘘みたいに、通路はしんと静まり返っている。あれだけ騒がしかった後だからか、足音だけがやけに大きく響き、少しだけ寂しさを覚えた。


 この辺りは、これまで一度も探索者とすれ違ったことのない区画だ。普段から人の気配がない場所ではあるが、今日は特に静まり返っているように感じる。


 気を紛らわすために、四種の基礎魔術を歩きながら練習していると――


 ヒュン、と鋭い音が通路を駆け抜けた。


 矢が空気を切り裂いたような音だ。


 直後、甲高い鳴き声がいくつも重なる。複数のアーマーマウスのものだ。ギィギィと不快な声が連なり、通路の奥へと反響していく。


 わざわざ一般探索者がやってくるような場所じゃない。


 それなのに、戦闘の気配がある。


 再び、ヒュン、と鋭い音が空気を裂いた。


 私は足を止める。常時行っている魔力感知に、はっきりとした反応が引っかかった。先ほどまで感じていなかった種類の魔力だ。


 この感じ――ただの風切り音じゃない。何らかの魔法が使われている。


 だが、それしか分からない。魔法の規模も性質も全く分からない。


 通路の奥で、なおもアーマーマウスの鳴き声が続いている。


 私は静かに息を吐き、慎重に音のした方へと歩みを進めた。



 通路の角を曲がる手前で、足を止める。


 鳴き声はすぐ先だ。数は多い。五、いや六か。


 壁際に身を寄せ、わずかに顔を出す。


 視界に入ったのは、群れを成したアーマーマウスと――その正面に立つ、ひとりの少女だった。


 装備は軽装。武器らしい武器は持っていない。


 少女の右手が、わずかに持ち上がった瞬間。


 人差し指と中指が、空気をなぞるように動いた。


 淡い青が、ほんの一瞬だけ揺らぐ。


 逃げようとした一匹が、時間が止まったかのように静止した。


 悲鳴も上げず、外傷も見えない。だが動かない。


 間を置かず、指がもう一度動く。


 また一匹。目を凝らしてよく見ると、淡い青色の針のようなものがアーマーマウスの脳天から地面へと貫いていた。


 残った群れは逃げるために散開する。だがもう遅い。


 少女は動かない。呼吸も乱れない。


 ただ二本の指が宙をなぞるだけで、アーマーマウスの時が止まる。


 なぜ時が止まったように即死するのかは分からない。

 だが、魔力の消費に恐ろしいほど無駄がない。


 ……初心者の動きじゃない。

 異世界人の記憶にあった熟練の魔術師のそれだ。


 私は物陰に身を潜めたまま、介入せずに様子を見ることにした。


 助けは、必要ない。


 最後の一匹が崩れ落ちると少女の周囲に漂っていた淡い青も、すぐに空気に溶けて消える。




 あたりに静寂が戻る。最後の魔力の残滓が消えた、その瞬間。


 少女は振り向かずに言った。


「覗き、良くない。」


 澄んだ声だった。抑揚がない。ただ事実を告げる響き。


 ――最初から気づいていたのか。


 戦闘の最中から、私の位置も視線も把握した上で、あの精度を維持していたということになる。


 冷たいものが背筋を落ちた。


「ち、違う。巡回中だ。戦闘音が聞こえたから確認に来ただけで、別に覗くつもりは――」


 自然と私は早口になってしまう。


 何とか誤解を解かないと社会的に抹殺されかねない。少女の言い分とおっさんの言い分、世間がどちらの味方をするかなど考えるまでもない。


 全てを言い終えないうちに、少女はゆっくりとこちらを振り向いた。


 少女の淡い色の瞳が、まっすぐに私を見る。


 見るだけで何も言わない。


 ただ、黙って私を観察している。


 その視線の居心地の悪さに、責められているわけではないはずなのに、勝手に罪悪感が膨らむ。


 数秒の沈黙の後、少女が言った。


「おじ様、変態。」


 言い訳を重ねたせいで、ますます容疑が固まったのではないかという最悪の想像が頭をよぎる。


「違う! 私は変態ではない!」


 反射的に断じる。


 我ながら言葉の選び方を誤った気もするが、もう止まらない。


「違う。」


 なぜか少女が即座に否定した。


 少女は表情を変えず、続ける。


「魔力が……変態」


「は?・・・・い?」


 間の抜けた声が出る。


 意味が分からない。


 私は思わず自分の手元を見る。常時展開している魔力感知か、先ほどまで練習していた基礎魔術か。何がどう変態なのか見当もつかない。


 少女はそれ以上説明せず、視線を外した。


 ともかく、さっきの戦闘を見る限り、この少女は十分すぎる実力者だ。私が心配する必要はない。


「……い、いや、私はその、巡回があるんで。仕事に戻らないと。うん、戻る。」


 覗きだの変態だのと言われた相手とこれ以上同じ場所にいるのは精神的に厳しい。半ば無理やり、本来の仕事に意識を引き戻す。


 逃げるように私は足早に通路の奥へ向かう。


 数歩進んだところで、背後に気配が増えた。


 いつまでも離れない背後の気配に私は振り返る。


「……何でついてくる」


 少女は無表情のまま答えた。


「たまたま。」


 即答だった。


 理由になっていない。


 だが、本人の中ではそれで完結しているらしい。


 私は小さく息を吐き、結局何も言えずに前を向いた。


 背後に、静かな気配が続く。



 巡回の間中、少女はずっとついてきた。


 一定の距離を保ち、足音もほとんど立てない。


 こちらが止まれば止まり、歩けば歩く。ただそれだけだ。


 話しかけるべきかとも思ったが、異国の少女と自然に会話を始められるほど社交的ではない。そもそも、さっきのやり取りの直後だ。


 結果として、巡回はひたすらに気まずい沈黙の中で進んだ。


 途中、ダンジョン入口で警備班とすれ違う。


 何も言われなかった。


 だが、何も言われないことが逆に怖い。


 目を合わせないように軽く会釈だけし、足早に通り過ぎた。視線を感じた気がするが、気のせいだと思うことにする。


 そうして、ようやくプレハブ小屋の前まで戻ってきた。


 岸本さんが外で煙草を吸っているところだった。


 私は呼吸をするのと同じ感覚で風魔法を展開する。煙がこちらへ来ないよう、自然に流れを逸らす。


 戦闘とは関係のないところで、日々の練習の成果があらわれる。威力はまだ大したことはないが、操作性は確実に向上していた。


「おう、お疲れ――って何だ、その美少女は! お前は俺たちがおばちゃんの相手をしてたってのに!」


 岸本さんの声が一段跳ね上がる。


「巡回中に戦闘場面に出くわして、それで……なぜか、ついてきただけで」


 できるだけ簡潔に説明する。


 少女が横から小さく口を挟んだ。


「うん。覗かれた。」


「なんだとぉ!?」


 岸本さんの目が見開かれる。


「違います!」


 思わず声が裏返る。


 少女は首を傾げた。


「日本語、難しい。」


 どこか納得したような口調が余計に状況を悪化させる。


 こめかみを押さえ、深呼吸する。


 この状況を一刻も早く終わらせたい。


「……と、とにかく、もう今日は暗くなるから、家に帰りなさい。」


 できるだけ穏やかに、しかし内心は焦りながら帰宅を促す。


 少女は少しだけこちらを見てから、


「うん。」


 と素直に頷いた。


 そのまま歩き出しかけ、ふと足を止める。


 振り返り、淡い色の瞳でこちらを見た。


「アイノ。」


 名を告げる。


 それだけ言って、今度こそ去っていった。


 小さな背中が角を曲がり、見えなくなる。


 私はその場に立ち尽くし、大きく息を吐いた。


 今日一日で、数日分の仕事をした気分だ。


 明日が休みで、本当によかった。

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