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危機のたびに異世界の職業を思い出すおっさん、ダンジョン社会で生きる  作者: kage3
第二章 おっさんはコンビニ店員

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第28話 トラウマと出来ること

 ――意識が、浮かび上がってくる。


 最初に感じたのは、森の匂いだった。

 湿った土と、焦げた植物の残り香。鼻の奥が少しだけむず痒い。


「……あ……」


 声を出そうとして、喉がひくりと鳴った。

 目を開けると、視界いっぱいに見慣れた緑が広がっている。中層の空。木々の隙間から差し込む、柔らかい光。


「……っ!」


 次の瞬間、影が覆いかぶさる。


「……よかった……!」


 篠原さんの顔だった。

 目が赤い。泣いていたのが、はっきり分かる。


「目、覚めましたね……本当に……」


 その声は、安堵で震えていた。

 胸を押さえ、深く息を吐く姿を見て、ようやく実感が湧いてくる。


――生きてる。


 そう思った途端、身体の感覚が一気に戻ってきた。


「……え?」


 違和感に、思わず自分の身体を見る。


 服は破れ、ところどころ焦げている。

 だが――


 腕を動かす。

 指を握る。


 痛くない。


 あれほど焼けただれたはずの手。

 皮膚が爛れ、骨が見えてもおかしくなかったはずの場所が、きれいに元通りだ。


 慌てて、腹に手を伸ばす。


「……」


 ある。

 穴は、ない。


 フォレストビーストの“種”が貫いたはずの腹部。

 確かに、血を吐いて、意識を失ったはずなのに。


 傷一つ、残っていなかった。


「……どうして……?」


 思わず、呟いていた。


 自分の身体を何度も確かめる。

 火傷もない。

 痛みもない。

 まるで、何事もなかったかのようだ。


 そんなはずがない。


 視線を巡らせて――

 その先で、嫌なものを見つけた。


 地面に転がる、一本の小瓶。

 中身は、空。


 そして、その隣。

 蓋の開いたままの宝箱。


 胸の奥が、ひやりと冷える。


「……まさか……」


 そんなこと、あるはずがない。

 あっていいはずがない。


 だが、考えないようにしても、答えは一つしか浮かばなかった。


 ゆっくりと、篠原さんを見る。


「……篠原さん……」


 声が、妙に重たい。


「……私に……何、使いました?」


 一瞬、彼女は視線を伏せた。

 そして、覚悟を決めたように、静かに言った。


「……ハイポーションです」


 胸を、何かで殴られたような気がした。


 次の言葉が、すぐには出てこない。


「……どうして……」


 ようやく絞り出す。


「……娘さんに……必要なんじゃ……」


 必死に集めていた理由を、私は知っている。

 だからこそ、理解できなかった。


 篠原さんは、少し困ったように、でもはっきりと首を振った。


「確かに……必要です」


 そう言ってから、まっすぐに私を見る。


「でも……死にそうな人を、目の前で見捨てる理由にはなりません」


 言い切る声だった。


「それに……」


 少しだけ、柔らかく笑う。


「一度手に入ったんです。

 なら、また手に入ります」


 胸が、締め付けられる。


「……また……手伝ってください」


 その言葉は、お願いであり、同時に信頼だった。


 私は、しばらく黙り込んだまま、空になった薬瓶を見つめる。


 罪悪感が、重くのしかかる。

 それ以上に、感謝が胸を満たしていく。


「……」


 深く、息を吸って。


「……分かりました」


 そう答えるしか、できなかった。


 これは、もう他人事じゃない。


 空の宝箱が、静かにそう告げている気がした。



 フォレストビーストの死骸は、すでに黒く炭化し始めていた。

 全身を焼き尽くした炎の名残が、森の空気にまだ滲んでいる。


 その前で、私は腰を下ろしていた。


「……今日は、探索はやめましょう」


 そう切り出したのは、篠原さんだった。

 声音は落ち着いているが、そこにははっきりとした意思がある。


「ハイポーションで傷は完全に治っています。でも……」


 一瞬、言葉を選ぶように間を置いてから、続けた。


「お腹に穴が空いて、ほとんど死んでいたんです。

 身体は治っても……精神的には、もう限界のはずです」


 図星だった。


 戦えと言われたら、立てる。

 だが、心のどこかが、もう前へ進むことを拒んでいる。


「……ありがとうございます……」


 思わず、そんな言葉が口をついた。

 自分でも驚くほど、心の底からの声だった。


 無理をしなくていい。

 今日は、もう戦わなくていい。


 その事実に、胸の奥がじんわりと緩む。


 しばらく沈黙が流れたあと、私は意を決して口を開いた。


「……あの……」


 一度、言葉が喉で詰まる。

 視線が自然と、地面へ落ちた。


「すいません……もう……一緒に探索は、できません」


 自分でも分かるほど、歯切れが悪かった。

 逃げだと思われるのが怖かったし、何より――言いづらかった。


 篠原さんは、すぐには何も言わなかった。


 少しして、私のほうを見る。

 その表情に、責める色はなかった。


 あの時の光景を、思い出しているのだろう。

 腹を貫かれ、倒れた私の姿を。


 一人で探索を続ける不安がないはずはない。

 それでも――


「……分かりました」


 静かな声で、そう言ってくれた。


 胸の奥が、きゅっと痛んだ。


 だからこそ、私は続ける。


「でも……代わりに、できることがあります」


 顔を上げ、はっきりと言った。


「フォレストビーストの素材と……

 これまでダンジョンで手に入れた素材がありますよね」


 黒く焦げた葉や、巨大な種へ視線を向ける。


「それと……一日、時間をください」



 下級錬金術師の知識。

 それは、剣も魔法も頼れなくなった今の私が、唯一、篠原さんのために差し出せるものだった。


 篠原さんは、私の言葉を聞いて――

 少しだけ、表情を強張らせた。


 不安。

 そして、ほんのわずかな不信。


 それが、隠しきれずに滲んでいる。


 それでも、彼女は目を伏せ、短く息を吐いてから――

 ゆっくりと、うなずいた。


「……分かりました。信じて、お渡しします」


 不安や迷いは残っているが、それでも前を向こうとしている。

 今できる最善を、私に託す――そんな響きだった。


 胸の奥が、きしむ。


 娘さんのために探していたハイポーションを、使わせてしまった。

 その罪悪感は、今も重くのしかかっている。


 それに――

 このまま、篠原さんを一人で探索に向かわせるなんて、できるはずがない。


(……だからこそ)


 私にできることをやるしかない。

 前に立てなくても、戦えなくても。

 手元に残った知識と経験を、全部使うしかない。


 下級錬金術師の知識では、外傷の治療が必要ない四肢の異常は、

 ミドルポーションで十分に回復できる。


 フォレストビーストの素材。

 これまで集めてきた、ダンジョンの薬草や魔物素材。


(……治せる)


 確信に近い感覚が、胸の内に静かに灯った。


 それを形にするために――

 私は、黙って素材の回収へと手を伸ばした。

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