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危機のたびに異世界の職業を思い出すおっさん、ダンジョン社会で生きる  作者: kage3
第二章 おっさんはコンビニ店員

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第25話 タオルと篠原さんの感謝

 さすがに、これはどうにもならない。


 全身にまとわりつく果肉と果汁。

 ベタベタした感触が気持ち悪く、タオルで拭いた程度では焼け石に水だった。


「……滝つぼ、使いましょうか」


 私がそう言うと、篠原さんも自分の腕を見下ろして、苦笑いを浮かべる。


「ですね。これはもう……拭くレベルじゃないです」


 ただし、無警戒にはなれない。

 ここはダンジョンだ。水場にモンスターが寄ってくる可能性は、さっき身をもって思い知らされたばかり。


「お互い、姿が見える位置で。手早く済ませましょう」


「はい」


 私は先に滝つぼへ入ることにした。


 足を踏み入れた瞬間、冷たい水がくるぶしを包む。


 滝つぼへと進みながら、少し身構えていた。

 もっと深く、足を取られるような場所もあるかと思ったが――実際に踏み入れてみると、水深はせいぜい膝あたりまでだ。


「……浅いな」


 これでは、手ですくった水をかけるだけでは埒が明かない。

 全身にこびりついた果汁を洗い流すのに、いつまでかかるか分かったものじゃない。


 少し考えてから、私はそのまま滝の落ち口へ向かった。


 次の瞬間、上から叩きつけるような水流が全身を包み込む。

 冷たい。だが、不思議と嫌な感覚はなかった。


「……っ」


 強めの水が肩や背中、腕を打ち、果肉も果汁も一気に洗い流していく。

 感触は、どこか全身を揉みほぐされているようで――冷たいはずなのに、思わず息が抜けた。


 ベタつきが完全に消え、肌が軽くなるのが分かる。

 火照りも、余計な緊張も、まとめて流されていくようだった。


 服の上から軽く叩くようにして水を落とし、滝つぼから上がる。




 私が滝から戻ると、篠原さんは少し離れた場所で見張りをしていた。

 ……とはいえ、視線は一定せず、右へ左へと忙しなく動いている。


 慣れていないのだろう。

 モンスター警戒の基本は一通り伝えたが、知識や経験が即座に身体に馴染むわけじゃない。


(私は、記憶やら知識やらを半ば強制的に手に入れたが……)


 そうじゃない人間に、同じ精度を求めるのは酷だ。

 少し悪いことをさせている気分になるが――結局、慣れてもらうしかない。


「……さっぱりしました?」


 私に気づいた篠原さんが、少しほっとしたように声をかけてくる。


「ええ。思ったほど深くなかったので、滝をお借りしましたよ」


 できるだけ柔らかく、無駄に丁寧なおっさん口調で返すと、篠原さんは小さくうなずいた。


「なるほど……確かに、それが一番早そうですね」


 そう言ってから、滝つぼのほうを見る。

 そのまま一歩踏み出しかけて、いったん止まった。


 水音を前に、ほんの一瞬だけ逡巡する。

 そして――意を決したように、小さく息を吸い、滝の下へ進んだ。


 ばしゃっ、と音を立てて水が跳ねる。

 白い水流が肩から背中へ落ち、髪も服も一気に濡れていく。


「……っ」


 驚いたように身を強張らせたあと、すぐに力が抜けた。


「冷たいですけど……これ、気持ちいいですね」


 果肉や果汁でべたついていた防具や服は、水を吸って重くなりながらも、

 ぬめりだけは確実に流れ落ちていくのが分かる。


 濡れて色合いは変わっているが、汚れそのものはもう残っていない。


 ……まずい。


 裸になっているわけでもない。

 戦闘後に水で汚れを落としている、それだけの光景だ。


 なのに、女性が水浴びをしているのを見ると、

 なぜか「見てはいけないものを見ている」ような気分になってくる。


 理屈じゃない。

 年相応に、というか、どうしようもなく意識してしまう。


 私は反射的に視線を逸らした。


「……あの」


 滝から一歩離れた篠原さんが、こちらを振り返る。


「どうしました?」


 無意識に近づきかけたのを見て、慌てて声を出す。


「すみません、ちょっと待ってください」


 ポーチからタオルを取り出し、顔を向けないまま差し出した。


「それ……胸元、隠したほうがいいです」


「え?」


 一拍遅れて、自分の服に目を落とす。

 次の瞬間、理解したらしく、顔が一気に赤くなった。


「っ……!? す、すみません……!」


 慌ててタオルを受け取り、胸を覆う。


「いえ……私のほうが、もう少し早く言うべきでした」


 短い沈黙。

 水音だけが、変わらず響く。


 そのあと、私は準備していた小さな焚火のそばへ移動し、

 予備のタオルを渡して、濡れた身体を乾かすよう促した。


 焚火の熱で、服と防具が少しずつ乾いていく。


「……今日は、ここまでにしましょう」


 火を見つめながら、そう切り出す。


「え? もう少し、探索できそうですけど……」


「環境も、出てくるモンスターも、今までと全然違います。

 篠原さんも、相当疲れてるはずです」


 反論しかけた彼女に、続けて言った。


「ダンジョンは逃げません。

 どうせ、これから何度も来ることになります」


 少し考えたあと、篠原さんは小さく息を吐いた。


「……分かりました。今日は、帰りましょう」


 焚火の揺らめきを背に、

 私たちは帰還の準備を始めた。



 焚火の跡をきちんと消し、周囲に不審な気配がないことを確認してから、私たちは来た道を引き返し始めた。


 中層と呼ばれているこの空間は、行きよりもどこか静かに感じられる。

 巨大な空間を満たす淡い光。

 遠くで揺れる草木の影。

 水の音はもう背後に遠ざかっているのに、耳の奥にはまだ残っているような気がした。


「……あの」


 不意に、篠原さんが足を緩める。


「今日は、本当にありがとうございました」


 あまりに唐突で、思わず足を止めてしまった。


「……え? いきなりどうしたんですか」


 理由が分からず、素直にそう聞き返す。


 篠原さんは少し視線を落とし、それから静かに言葉を選ぶように続けた。


「帰るって決めた途端、急に……どっと疲れが出てきました」


 小さく息を吐く。


「もしあのまま探索を続けてたら……たぶん、疲れてることにも気づかないまま、無理してました」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ重くなる。


「それに、魔力操作やスキルの使い方を教えてもらえなかったら、そもそもダンジョン探索なんてできませんでした」


 一瞬、言葉を切ってから、篠原さんは続けた。


「仮に来られていたとしても……ハイオークに、殺されてたかもしれません」


 あの戦闘を思い出したのか、拳を軽く握りしめる。


「……あんな酷いことを言ったのに、それでもここまで助けてくれて」


 顔を上げ、真っ直ぐこちらを見る。


「感謝してもしきれません。私にできることがあったら何でもしますし、必ずこの恩は返しますから」


(……何でも、って)


 一瞬、ろくでもない想像が頭をよぎり、慌てて思考を切り替える。

 おっさんの悪い癖だ。ほんとに。


 だが、それ以上に胸に浮かんだのは――別の感情だった。


 知識も判断も、経験値も。

 全部、自分で積み上げたものじゃない。

 異世界人の記憶と経験を、苦労せずに手に入れただけだ。


 それを思うと、どこか人を騙しているような、居心地の悪さが残る。


 邪な考えと、それに続いて湧き上がった罪悪感を隠しきれず、私は少し慌てて言葉を重ねた。

「い、いえ、その……お礼はハイポーションが実際に手に入ったときでいいですから」

 自分でも分かるくらい、口調が早くなる。

「ほら、現状だと目的は一つも達成できてませんし。むしろ、これからが本番というか、その……今日はここまでにして正解だったと思いますよ」


 篠原さんは一瞬きょとんとしたあと、ふっと表情を緩めた。


「……そうですね」

「じゃあ、その時まで取っておきます」


 そう言って、再び歩き出す。


 静かな中層の空間を抜けながら、私は小さく息を吐いた。


 今日の探索は終わりだ。


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