第22話 二人目の記憶と知識
ハイオークを倒した後、地面に残されていた古びたカバン。
戦闘で持ち主を失ったのだろうそれに、何気なく手を伸ばした瞬間――
視界が、ゆっくりと歪む。
強い衝撃はない。
だが、確実に“自分ではない誰か”の時間が、頭の中へ流れ込んできた。
最初に感じたのは、乾いた薬草の匂いだった。
小さな村。
薬師の家に生まれ、幼い頃から親の背中を見て育つ男の子。
森へ入り、薬になる植物を見分け、採取し、天日で干す日々。
特別な技術があるわけじゃない。
それでも、手を動かすことは好きだった。
男の子が青年に成長する途中のある日、素材を探しに来た錬金術師と出会う。
縁がつながり、彼の弟子となった。
錬金術の才能はなかった。
だが、教えられたことを一つずつ覚え、繰り返し、失敗してもやめなかった。
ただ素材に触り加工することが好きだったのだ
人よりも多くの時間をかけて下級錬金術師の資格を得る。
その頃には、師匠の娘と自然に言葉を交わすようになり、
やがて、それが特別な関係だと自覚する。
穏やかな時間だった。
だが、現実がその時間を終わらせようとする。
娘には、下級貴族との政略結婚が決まっていたのだ。
二人で悩み、迷い、それでも――逃げることを選ぶ。
駆け落ち。
名も知らぬ村での生活。
薬師も錬金術師もいない土地だったので仕事には困らなかった。
慎ましく、それでも確かな暮らし。
やがて、娘が生まれる。
このまま、何事もなく三人で幸せに生きていける。
そう信じていた。
だが、ある日。
森で遊んでいた娘が、崖から落ちてしまう。
幸い命は助かった。
しかし、足は全く動かなくなったのだ。
治療に必要なのは、ハイポーション。
下級錬金術師の知識と技術ではとても作り出せない。
かつての師匠を訪ね、頭を下げた。
しかし、裏切り者に返ってくる答えは冷たかった。
金がないわけではない。
だがハイポーションを買えるほどの大金はない。
追い詰められ悩み抜いた末に、
師匠の家から作成方法を盗み出してしまう。
とにかく材料を集めようと森に入る。
焦りと後悔と、家族を想う気持ちを抱えたまま。
そして――
モンスターに襲われ、命を落とす。
最後に残ったのは、
自分が死ぬことへの恐怖ではなく、
妻と娘を残してしまうという後悔だけだった。
……そこで、記憶は終わる。
俺は、小さく息を吐いた。
完全に他人事として切り離せないのは、もう分かっている。
だからといって、引きずられるつもりもない。
知識は受け取る。
感情も、ある程度は仕方ない。
だが、これは“俺の人生”じゃない。
そうやって、心の中で一線を引く。
少し距離を取って、静かに受け入れる。
便利で、厄介で、
それでも無視できないもの。
異世界人の記憶とは、どうやらそういう代物なんだ。
……少し、意識が遠のいていたのかもしれない。
ダンジョンの空気は変わらずひんやりとしているのに、
頭の中だけが、まだ別の場所に取り残されている感覚があった。
「……大丈夫ですか?」
控えめな声で呼ばれ、はっと我に返る。
視線を向けると、篠原さんが少し心配そうな表情でこちらを見ていた。
鈍器は構えたままだが、戦闘態勢というより様子見、といった雰囲気だ。
「どうしたんですか?急にぼ~っとして危ないですよ。」
「ああ、すみません。ちょっと考え事をしてました。」
そう答えながら、軽く首を振る。
胸の奥に残っていた、他人の人生の重さを吐き出すように、短く息をついた。
引きずるな。
引き込まれるな。
あれは俺の人生じゃない。
必要なのは知識だけだ。
そう言い聞かせてから、ようやく視線を落とし、周囲を見渡す。
フロアの壁際や、通路の端。
一見するとただの雑草にしか見えない植物が、あちこちに生えている。
だが――
「……そういうことか」
思わず、そんな独り言が漏れた。
葉の形。
茎の太さ。
根の張り方。
それぞれが、どんな用途に使えるのかが分かる。
薬効そのものは弱いが、抽出や調合の際に意味を持つ植物ばかりだ。
「何かありましたか?」
「この辺りの植物、見てください」
そう言って、壁際の一角を指さす。
「全部じゃありませんが……ポーションの材料になります」
「え?」
篠原さんが目を丸くし、恐る恐る近づいてくる。
「こっちは魔力を安定させる葉。
これは粘度を調整する素材。
で、こっちは保存性を少しだけ上げる草です」
口にしながら、自分でも妙な感覚になる。
考えてから説明しているというより、
知っていることを確認しているだけ、そんな感じだった。
「す、すごいですね……」
「いえ、このフロアにある素材だけだと、せいぜい作れてローポーションでしょうが」
過度な期待はさせない。
だが、無価値でもない。
「でも……ここに、こんなのがあるってことは……」
「ええ。条件が揃えば、という話ですが」
即答はしなかったが、否定もしなかった。
下級素材。
それ単体では足りないが、組み合わせ次第では意味を持つ。
このフロアは――
そういう“下地”が整っている場所なのだ。
「少しだけ、周囲を観察してから進みましょう。
戦闘より、今日はこっちの方が重要かもしれません」
「分かりました」
篠原さんは素直に頷き、周囲に視線を巡らせ始めた。
ダンジョンは、相変わらず静かだ。
だが――
この場所の資源は、
モンスターのドロップ品や宝箱の中身だけではなかった。




