第21話 中層と避けれない敵
戦闘訓練を始めてから、数日が経った。
低層での探索は、もはや「訓練」と呼ぶのが申し訳ないほど安定している。
篠原さんはモンスターを見ても過剰に身構えることがなくなり、こちらが何も言わなくても間合いを取り、落ち着いて攻撃できるようになっていた。
正直、ここまで順調に伸びるとは思っていなかった。
魔力操作による身体強化だけで、低層の探索はすでに危なげなくこなせている。
今の動きを見ていると、フィジカルブーストを使えば中層でも十分に戦えるのではないか――そんなことを考えてしまうほどだ。
……才能は、間違いなく私より上だ。
ただ一点。
鈍器を手に、にこにこと笑いながらモンスターに向かっていく姿だけは、正直ちょっと怖い。
もちろん本人に言うつもりはないが、夜道であの表情のまま鉢合わせたら、私は迷わず逃げる自信がある。
「……篠原さん」
探索前の通路で、私は足を止めた。
「そろそろ、一度中層に行こうと思います」
篠原さんが、ぴたりと動きを止める。
「中層、ですか……?」
「ええ。常に探索するわけじゃありません。
雰囲気と危険度を確認するだけです」
無理をさせるつもりはない。
危険を承知で突っ込むつもりもない。
ただ――今の篠原さんなら、一度見る価値はある。
私の判断基準は、いつも単純だ。
戻れるか。
逃げられるか。
そして、守れるか。
その三つに問題がなければ、進む理由になる。
「……大丈夫、でしょうか」
不安はある。
それでも、目は前を向いている。
「無理だと思ったら、すぐ引き返します。
戦闘も、今まで通り私が主導しますから」
「……分かりました」
一拍置いて、篠原さんは頷いた。
それから、何度か道を曲がる。
途中で現れた低層モンスターも、これまでと変わらない。
数を確認し、位置を把握し、危険がなければ篠原さんに任せる。
戦闘は短く、無駄がない。
魔力操作による身体強化が安定してきたおかげで、動きに迷いがなくなっている。
そうして、何度か戦闘を挟みながら進むうちに、
気づけば、これまでとは少し違う通路に足を踏み入れていた。
通路の空気が、わずかに変わる。
湿り気を帯びた空気に、土と草の匂いが混じり始めた。
これまでの石だけの通路とは違う。
壁の隙間から、ところどころ植物が顔を出している。
――ここから先だ。
中層へと続く境目。
ハイポーションが発見されたという報告も、この先にある。
まだ何も起きていない。
だが確実に、次の段階に足を踏み入れようとしている感覚があった。
「じゃあ、行きましょうか」
私はいつも通りの声でそう言って、前へ踏み出した。
通路を抜けた先に、少し開けた空間が現れた。
フロアとフロアを繋ぐための中継地点。
探索者の間ではノードと呼ばれている場所だ。
広さはそれほどでもない。
だが、ここは気を抜いてはいけない空間でもある。
――理由は、分かっている。
「……タイミングが、悪いな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
このノードには、しばしば“中ボス”と呼ばれるモンスターが出現する。
一度倒せば、しばらくは姿を現さない。
だが、どれくらいの周期で再出現するのか、その仕組みはいまだによく分かっていない。
そして今。
どうやら、その「再出現のタイミング」に、ぴったりとかぶったらしい。
「……運、悪いですね」
篠原さんも、前方を見据えたまま、そう呟いた。
「ええ。よりによって、私たちが通るときに限って」
空間の中央に立っているのは、ハイオーク――
中ボスとして知られる存在だ。
スピードはない。
だが、一歩一歩、地面を踏みしめるように歩くその姿から、純粋な力の強さが伝わってくる。
特に腕は丸太のように太く、手にしたこん棒も、もはや武器というより破城槌と言っても良いくらいだ。
「基本は、今まで通りです」
私は一歩、前に出る。
「私が受けます。
篠原さんは、タイミングを見て攻撃してください」
「分かりました」
ハイオークが、低く唸り声を上げる。
そして、地響きを立てながら、こちらに歩み寄ってきた。
走ってはいない。
だが、一歩ごとに床が沈むような、力任せの前進だ。
振り下ろされたこん棒を、正面から受け止める。
衝撃が腕を貫き、指先まで痺れが走った。
「……っ」
次の攻撃に備えるように、ハイオークがこん棒をゆっくりと振り上げる。
その動きに合わせ、私は距離を保ったまま、拙い回復魔法を自分にかけた。
熱がじんわりと腕に広がり、痺れが薄れていく。
回避自体は、難しくない。
だが、躱しすぎるわけにもいかなかった。
私が不用意に下がれば、攻撃の流れが後ろへ向かう。
篠原さんに、あのこん棒が向く可能性がある。
だから、受ける。
必要なときだけ躱し、位置を調整する。
その隙を突くように――
篠原さんが動いた。
ハイオークが私に向けてこん棒を振り下ろす、その瞬間。
側面から踏み込み、打撃を叩き込む。
そして、すぐに距離を取る。
ヒット&ウェイ。
射程に留まらず、確実に一撃だけを与えて離脱する。
その動きを、何度も繰り返す。
確実にダメージは蓄積している。
だが――倒れない。
(……長引くな)
時間が伸びるほど、想定外の事態が起こる可能性は高くなる。
そんな中――
「フィジカルブーストを使います」
一瞬、視線が合う。
「無理はしないでください」
「分かってます」
次の瞬間。
篠原さんの体から、はっきりと魔力の脈動を感じた。
空気が揺れるような感覚。
魔力が全身を巡り、動きに明確な変化が現れる。
踏み込みが鋭くなり、打撃の重さが一段階上がった。
ハイオークの体が、大きくよろめく。
「……効いてますね」
「はい!」
篠原さんの攻撃に引きずられるように、ハイオークの視線がそちらへ向く。
――まずい。
私はすぐに前に出て、胴体へ攻撃を叩き込んだ。
注意を引き戻すための一撃だ。
視線が、こちらに戻る。
それを、何度か繰り返す。
そして――
「今です!」
声を合わせるように、同時に踏み込んだ。
私は体勢を低くし、膝関節を狙って打撃を入れる。
同時に、篠原さんの一撃が、ハイオークの側頭部を強打した。
鈍い音が響き、巨体が大きく傾く。
耐えきれず、ハイオークはそのまま前のめりに倒れた。
しばらくして、体が霧のように消えていく。
地面には、一つのアイテムだけが残された。
私はそれに近づき、手を伸ばす。
触れた瞬間――
また、流れ込んでくる。
下級の錬金術師。
素材の選別、調合の失敗、薄暗い工房の記憶。
「……っ」
思わず、眉をひそめた。
知識としては、確かに有用だ。
だが――他人の記憶が頭の中に流れ込んでくる感覚は、何度経験しても慣れない。
胸の奥に、わずかな不快感が残る。
(便利ではあるが……気持ちのいいものじゃないな)
それでも、ハイポーションに繋がる手がかりであることは確かだ。
私は小さく息を吐き、残った違和感を意識の奥へ押し込めた。
使えるものは、使うだけだ。




