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危機のたびに異世界の職業を思い出すおっさん、ダンジョン社会で生きる  作者: kage3
第二章 おっさんはコンビニ店員

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第15話 ビルの人影と全力疾走

シフト明けの夜道は、相変わらず静かだった。

コンビニの明るさから一歩離れると、世界は一気に色を失う。


夜風が少し冷たい。

背中に残る疲労と、足裏に溜まっただるさを感じながら、私はぼんやり歩いていた。


さっきまでの会話が、遅れて頭の中に浮かんでくる。

篠原さんのこと。

その娘さんのこと。

ハイポーションがあれば、という話。


テレビやネットの向こうで、知らない国の子どもが飢餓で苦しんでいる映像を見ても、

「大変だな」「かわいそうだな」と思うだけで、募金箱に手を伸ばすことはほとんどない。


それなのに。

顔を知っている人の、もっと身近な誰かの話になると、

「何かしてやれないかな」と考えてしまう。


――考えるだけで、実際に何かをするわけでもない。

所詮は知り合い程度の間柄だ。

率先して踏み込むほどの理由も、勇気もない。


自分でも、都合がいいと思う。


視線が、自然と少し上を向いた。

理由は特にない。ただ、なんとなく。


街灯に照らされたビルの輪郭が、闇の中に浮かび上がる。

その屋上に――人影があった。


「……ん?」


一瞬、目を細める。

こんな時間に、あんな場所で?


距離はある。

それでも、なぜか輪郭だけは妙にはっきり見えた。


気のせいかと思い、視線を外しかけた、そのときだった。


人影が、動いた。



――気のせい、だと思いたかった。


屋上の縁に立つ人影は、街灯の光を背にして、ほとんど輪郭しか見えない。

ただ立っているだけ。

それだけなら、別におかしくはない……はずだった。


でも。


胸の奥が、ざわっとする。

理由は分からない。

長年の勘、なんて立派なものじゃない。

おっさんにそんな大層なものがあるわけない。

でも――嫌な予感がするんだ。


足が、自然と止まった。


屋上の人影が、わずかに前へ傾く。

その動きが、妙にゆっくりに見えた。


――違う。


頭の中で、何かがはじける。

あれは、ただの立ち位置調整じゃない。


一歩。


ビルの縁を、越えた。


「……は?」


声にならない声が、喉の奥で引っかかる。

次の瞬間、人影は闇に溶けるように消えた。


理解するより先に、身体が動いた。

考える暇なんて、なかった。


くそがぁ!


思わず吐き捨てた悪態と同時に、私は全力で駆け出していた。

走り出した瞬間、意識せずとも全身に魔力が巡る。

日々の積み重ね――それだけは、無駄じゃなかったらしい。


脚が軽い。

地面を蹴る感触が、明らかにいつもと違う。


ガラスに映った自分の姿を見たら、誰もが鼻で笑うだろう。

中年、腹回りも緩んできた、どこからどう見てもただのおっさんだ。

なのに、その身体からは想像もできない速度で、私は夜の街を走っている。


……おかしいだろ。


飛び降りた人間を助けようなんて、私がやることじゃない。

正義感も使命感も、そんな立派なものは持ち合わせていない。

だったら、なんで走ってる。


理由は、はっきりしている。


――あいつの記憶だ。


踏み出せなかったせいで、友人を死なせてしまった、あの後悔。

ただの知識と記憶だ。

そう割り切ったつもりだった。


なのに。


「……ちっ」


舌打ちが漏れる。

しっかり、影響されてるじゃないか。


ダンジョンの中で見た、彼らの姿。

自分にできることはやろう、そう思ったのは確かだ。

でも、これは違う。

これは、あまりにも――面倒で、厄介で。


普通にしていれば、運悪く自殺現場に居合わせただけの通行人で済んだ。

それなら、心が多少ざわつくだけで、明日には忘れられたはずだ。


でも、助けようとしたら違う。

絶対に助けなきゃいけなくなる。


失敗したらどうなる?

「もっと早く気づけただろ」

「屋上に人がいたなら、すぐ走れよ」

関係ない連中が、好き勝手に責め立てるに決まっている。


……分かってる。


このままじゃ、間に合わない。


距離、落下速度、残り時間。

頭のどこかが冷静に計算して、絶望的な結論を突きつけてくる。


考えるな。


キャッチした後のことなんて、知らない。

今は――。


私が普通に魔法を使ってもこの状況を解決できない。


だから、私は歯を食いしばり、自分の背中に向けてワザと暴発させた風魔法を叩き込んだ。


制御もクソもない、ただの暴力的な推進。


背中を蹴飛ばされたような衝撃。

身体が前に弾き出され、視界が歪む。


「――っ!」


肺が悲鳴を上げる。

脚が限界を訴える。


それでも、伸ばした腕でなんとか人影を受け止めた。――。




――いや、「受け止めた」なんて生易しい言葉で済む話じゃない。


ビルの屋上から落ちてきた“人”だ。

衝撃は想像のはるか上。


衝撃が両腕を直撃した瞬間、思考が一瞬だけ真っ白になる。

当たり前のことなのに、そのときになってようやく理解した。


――ああ、人一人分の落下でかかる衝撃って、こんなにも強いのか。


魔力で強化していた両腕が、悲鳴を上げる。

耐えきれない。


鈍い音とともに、肩に激痛が走った。

感覚がずれ、力が抜ける。


脱臼だ。


「――っぐ……!」


このままじゃ、意味がない。

勢いを殺せない状態で地面に叩きつけられたら助からない。


とっさに、再び風魔法を発動する。

今度は背中じゃない。

自分の――両腕に向けてだ。


制御なんて考えている余裕はない。

未熟な風魔法を、ほとんど反射的に暴発させる。


空気が弾けるような感触とともに、風圧が腕に叩きつけられる。

落下の勢いが、強引に削り取られていく。


視界が揺れる。

身体がきしむ。


……止まった。


一瞬、ほっとしかける。

だが、そんな余裕はなかった。


無理やり加速した代償だ。

ジャンプした空中で静止する術なんて、私は持っていない。


視界の端に、迫る壁が映る。


T字路に面したビルの外壁。

このまま突っ込めば、私の腕の中の人影を壁に叩きつける。


――それだけは、ダメだ。


歯を食いしばる。

脱臼した肩が、鋭く痛む。

視界が再び、白く弾ける。


それでも、人影を抱え込むように腕を回す。

守る対象を、はっきりと内側に。


三度目の風魔法。


今度は威力はいらない。

必要なのは、正確さだけだ。


自分の身体と、人影の位置を――入れ替える。


ごく短く、しかし狙いを定めた噴射。

身体が空中で捻れ、私は壁と人影の間に、自分の身体をねじ込んだ。


次の瞬間。


壁に叩きつけられた衝撃で、肺の空気が一気に吐き出された。


「……っ、が……」


声にならない音が漏れる。

視界が暗転しかけ、慌てて意識をつなぎ止めた。


背中と肩に走る痛みが、遅れて現実を主張してくる。

さっき脱臼した肩とは逆側も、どうやら無事では済んでいないらしい。


それでも――


腕の中の重みは、まだ、ある。


人影は離れていない。

ちゃんと、守れている。


「……生きてる、よな」


自分に言い聞かせるように呟き、そっと腕の力を緩める。

そこで、初めて腕の中の人影の顔が視界に入った。


「……え?」


街灯の明かりに照らされた横顔。

見慣れた髪型。

そして――見覚えのある顔。


「……篠原、さん……?」


思わず声が漏れる。


助けた相手が誰なのか理解した瞬間、背筋に別の意味で冷たいものが走った。

私は今、気絶した女性を――それも職場の同僚を――完全に抱きかかえている。


「……やば……」


一気に焦りが込み上げる。

反射的に周囲を見回した。


……誰も、いない。


人影も、スマホを構えた野次馬もいない。

その事実に、ほんの一瞬だけ安堵する。


だが、すぐに別の現実が押し寄せてきた。


このまま、どうする。


篠原さんは気を失っている。

放っておくわけにもいかない。


かといって――

私自身が、今にも倒れそうな状態だ。


肩は外れているし、全身は痛みで軋んでいる。

助けるどころか、正直、誰かに助けてほしい。


「……どうすりゃいいんだよ……」


答えなんて出るはずもなく、途方に暮れた、そのとき。


右手のほうから、気の抜けた声が飛んできた。


「ひょっとして……お持ち帰りかな?」


「違います」


考えるより先に、反射で否定していた。


声のしたほうへ顔を向ける。


そこに立っていたのは――

街灯の下で、どこか懐かしい雰囲気をまとった女性だった。


「……あ」


記憶の奥に沈めていた顔が、はっきりと輪郭を持つ。


かつて、一緒にダンジョンから脱出した人物。


橘さんだった。


「久しぶりだね」


そう言って、彼女は小さく微笑む。


私は、なぜか妙に気まずくなって、視線を逸らしながら答えた。


「……おひさしぶりです」



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