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第7話:Sランクの金銭感覚と、究極の共感覚

3/14:改稿しました

カフェから移動した三人が暖簾をくぐったのは、Aランク以上の高位探索者や政治家がお忍びで通う、全席完全個室の超高級焼肉店だ。

大理石のテーブルに座る凪沙の格好は、相変わらず数千円のファストファッションのパーカーである。


「今日は俺が奢る。好きに食え」


「いいの!? やったー! 私は神戸牛の特上カルビ! あとユッケと石焼ビビンバも!」


「本当にいいのか? 遠慮しないぞ? いくらSランクっつっても、これだけの店なら一晩でDランク探索者の年収が軽く飛ぶぞ」


裕二がメニューのゼロの数を見て眉をひそめるが、凪沙は事も無げに、自分用の「赤身セット(並)」を注文しながら言った。


「いいっつってんだろ。普段使わねぇから、有り余ってんだ」


『補足します。依頼の成功報酬に加え、凪沙様の魔力特性に関する特許使用料などが入り、現在の普通預金口座には約800億円がプールされています。さらに昨日のスタンピード鎮圧報酬として5億円が加算される見込みです。……裕二様、彼が破産する確率より、この店が肉切れで閉店する確率の方が100万倍高いですよ』


「「……八、八百億……」」


スズネと裕二が揃って箸を落とした。

Sランクが「国家予算」と呼ばれる所以を、数字という圧倒的な暴力で突きつけられた瞬間である。


「お前……資産800億あって、家賃十万のボロアパートに住んでんのかよ……」


「寝られれば十分だろ。広いと落ち着かないし、高層マンションはエレベーターの待ち時間が面倒だ。何より、防犯なら俺の実力とエアの演算があれば完璧だしな」


「……そうか。なら遠慮なく。すいませーん! 黒毛和牛のミスジ、特上カルビ、タンを三皿ずつ! あとナムル盛り合わせと……優奈(彼女)にお土産の牛しぐれ煮!」


「あ! 私も今のと同じもの!それにフォアグラおにぎり追加!」


開き直った二人が次々と高級食材をオーダーする中、凪沙は網の端で自分の「赤身肉」を焼き始めていた。


「おい、スズネ。……まあいい。食えよ。俺は……この赤身をエアの演算で完璧なミディアムレアにして食うからな」


凪沙がトングを握ると、左目の結晶が微かにハミングし始めた。網の上の赤身肉から、食欲をそそる完璧な香りが立ち上る。


『高級和牛の脂質は、凪沙様の胃腸にとって強敵ネームドより厄介な存在です。健康管理を担当する私としては断固拒否します。……現在、赤身肉の表面温度を0.1度単位で制御し、アミノ酸の旨味を最大限に引き出すメイラード反応を完全再現中です』


世界最強の演算能力を使った、究極の肉焼き。

呆れる裕二の横で、スズネの目の前にはすでに空になった皿がタワーのように積み上がっていた。


「……というかスズネ、お前それ何皿目だ。いくらAランクって言ってもそんなに食うのか?」


「あぐっ……ふぇ? あ、えっと、獣人化の維持には莫大なカロリーが必要なんだよ! ……それに、お肉はタンパク質だからセーフなのっ!」


『嘘ですね。スズネ様。現在、摂取カロリーが消費予定量を3,500kcalオーバーしています。明日、絶望しながら体重計に乗る未来が8秒後に確定しました』


「うわあああ! エアちゃんのバカ! 聞きたくない! 私は今、幸せなの!」


スズネは白銀のキツネ耳をペタンと伏せて現実逃避しながら、追加の特上タンを網に並べた。


◇◇◇


「……なあ凪沙。お前、さっきから実体(身を置く場所)が少し揺れてねえか?」


ふと、裕二が鋭い視線を向けた。Aランクの中でも極めて練度の高い彼だからこそ気づく違和感。凪沙が座っている場所の輪郭が、時折、紫の静電気を帯びて蜃気楼のように透けて見えたのだ。


「ああ、悪い。エアが『至善経路ベストルート』の微調整をしてるんだ。感覚を馴染ませておかないと、いざって時に加速しすぎるからな」


凪沙がそう呟き、指先をパチンと鳴らす。

その瞬間、彼が持っていた水の入ったグラスを透過して、紫の雷光に変わった凪沙の腕がテーブルをすり抜けた。そして一瞬の後、再び完全な実体へと戻る。


「……おいおい。肉体の雷力変換(ライジング・フェーズ)かよ。相変わらず化け物じみた制御だな。あらゆる物理干渉を受け流す無敵状態……俺は『世界顕現』すらできねえってのに」


「俺だけじゃ無理だよ。エアが神経伝達と魔力の変換率を完璧に同期させてるから、こうして飯を食いながらでも維持できる」


『当然です。凪沙様の肉体を電子の速度まで加速させ、物理透過を維持するのは非常に危険な技術です。私が0.000001%単位で細胞をモニタリングし、変換を制御しなければ、凪沙様は「人間」に戻れなくなるか、自身のエネルギーで内側から焼き切れてしまいますからね』


脳内で響くエアの声は、どこか誇らしげだった。


『これは、私と凪沙様にしかできない究極の共感覚。……裕二様は化け物と仰いましたが、私はこれを「究極の信頼の形」と呼ぶことにしています』


「……へえへえ、ごちそうさま。肉より先に胸焼けしそうだぜ」


赤髪を掻き毟りながら呆れる裕二と、満腹で幸せそうに尻尾を揺らすスズネ。

そして、左目の相棒と共に静かに微笑む凪沙。


外界の喧騒から切り離された高級個室の中には、彼らが命を懸けて守るに足る、騒がしくも温かい「日常」が確かに存在していた。

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