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第1話:確定した未来と、日常への帰還

3/13:改稿しました

「あぁ……クソ……っ。リボ払いの『正規品』にしときゃ、よかった……」


死を悟り、目を閉じたBランク探索者の男の耳に、死地にそぐわない場違いな声が届いた。


「━━━━あーあ。また『闇市産』の被害者か。原価500円のゴミに命を預けるなんて、随分と安上がりな自殺志願者だな」


聞き慣れない、だが驚くほど透き通った青年の声。男が目を開けると、そこには絶望の象徴であるはずのネームドモンスター『剛殻の首刈り鎌(シェル・リーパー)』に背を向けた、黒髪の青年が立っていた。


『凪沙様。お喋りが過ぎます。彼、ショックで心停止しかけていますよ。……お疲れ様です、本日の第3ミッションを開始しましょうか』


青年の脳内に、穏やかで慈愛に満ちた女性の声――エアが響く。

凪沙が左目の眼帯に指をかけ、わずかに持ち上げると、かつて光と引き換えに埋め込まれた青白いエネルギー結晶(演算核)が、エアの言葉に呼応するようにドクンと鼓動した。


「分かってるって、エア。……演算、頼む」


《了解しました。対象の筋繊維収縮、魔力流動を確認。……解析完了。確定線ベスト・ルートを投影します》


凪沙の右目の視界に、失われた左目の景色を補うかのように、水色の光で描かれた「勝利への道筋」が走り出す。


《あら、3秒後には凪沙様のパーカーに返り血が飛ぶ計算ですね。左へ3センチのスライドを推奨します。お気に入りの服でしょう?》


「……っし。演算終了」


リーパーが放つ音速の鎌を、凪沙はダンスでも踊るような軽やかなステップで回避した。


『【紫電迅雷】、出力0.02%。……どうぞ、凪沙様。一息で終わらせて、帰りにスーパーに寄りましょう。今日は卵が特売です』


「了解」


紫色の雷光が爆ぜ、次の瞬間、戦車すら弾くはずのリーパーの巨躯は内側から綺麗に蒸発した。


呆然とする男の横で、凪沙は欠伸をしながら、ピンポイントで蒸発を免れさせたリーパーの胆嚢を、家庭用のジップロックに放り込む。


「あんた……一体……」


『凪沙様、彼に肩を。ショック状態を和らげるため、私の声を開放します』


凪沙が男の肩を叩いた瞬間。男の脳内に、この世のものとは思えないほど美しい、聖母のような声が響き渡った。


『大丈夫ですよ。恐怖はもう去りました。深呼吸をしてください。……命をリボ払いで買うのは、もうお止めなさいね?』


「テ、天使……?」


頬を赤らめる男を放置し、凪沙は歩き出す。


「なぁエア、この紫電、帰り道のスマホの急速充電に使え……」


『却下します。私が0.00001%単位で電圧制御しなければ端末が爆発しますし、先日のようにコンビニのタルトを温めるのに一国を焦土にする力を使うのはお止めください。それに、服が焦げます』


「ちぇっ。左目がないせいで映画が3Dで観られないんだから、それくらい融通してくれてもいいだろ」


『ふふっ。私の演算で、脳内に直接4D上映して差し上げますよ』


一人と一機(?)は小声で軽口を叩き合いながら、深淵の奥へと消えていった。


◇◇◇


ダンジョンの外へと吐き出された凪沙を待っていたのは、物々しい軍隊ではなく、一台の黒塗りセダンと、見慣れたスーツ姿の男だった。


国立ダンジョン管理ギルド、対Sランク専任官の佐藤である。Aランク探索者への直通回線を持つ彼ですら、日本にたった一人しか存在しない『S』を前にすると、隠しきれない冷や汗が額に浮いている。


「お疲れ様です、世羅さん。……本日もまた、規定時間を大幅に巻いてのご帰還ですね」


「ああ、佐藤さん。クエストの『リーパーの胆嚢』、これ。鮮度が命だって書いてあったから」


凪沙がジップロックに入れたグロテスクな臓器を差し出すと、待機していた白衣の回収班が、まるで国宝でも扱うかのように恭しく銀色の保冷ケースに収めた。

市場価値にして数億円。国家予算を左右しかねない取引だが、凪沙にとっては近所のスーパーのおつかいと大差ない温度感だ。


『佐藤様、お疲れ様です。今回の報酬ですが、前回より手数料が1.2%高いようです。……修正をお願いできますか? 0.1円単位の誤差も、凪沙様は許しませんので』


佐藤の端末から、エアの凛とした声が直接響いた。

事務官たちがそのハッキング能力の高さに思わず背筋を伸ばす中、佐藤だけがハンカチで額を拭う。


「……ええ、エアさん。すぐに確認させます。……にしても世羅さん、確定申告や種族変更(エルフ化)の助成金申請も、彼女が全部やってるんですか?」


「ああ。俺は計算が苦手だからな。エアがいないと、俺は今頃脱税で捕まってるさ」


『凪沙様。佐藤様のネクタイが右に15度、歪んでいます。そして彼は重度の睡眠不足です。……佐藤様、本日はもうお帰りになって、ホットミルクを飲むことをお勧めしますよ。あなたの心拍、少し不健康です』


「……恐れ入ります」


最強の演算能力を「ネクタイの歪みの修正」や「他人の健康診断」に使う贅沢。

凪沙は手早く報告を済ませると、一般の歩行者に紛れて地下鉄へ向かう。


『凪沙様。明日の14時、東京湾でスタンピードが発生する確率が88%に上昇しました。……今夜はしっかり寝て、明日の残業に備えてください。コンビニの新作スイーツは、私が既に在庫状況をハッキング━━━いえ、確認しておきました。あと3個です。急ぎましょう』


「今、思いっきりハッキングって言ったよな? ……まあいい。行くか」


世界最強の青年と、その脳内に住まう完璧な聖母。

二人の「確定した未来」へと続く足取りは、夕暮れの雑踏の中でも一切の迷いがなかった。



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