表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/16

過去編:名もなき半身の産声

3/19:改稿しました

それは、まだダンジョン庁の観測網すら未熟で、迷宮から魔物が溢れ出す「溢れ出し(スタンピード)」が現在より遥かに苛烈だった数年前の記録。


当時17歳の世羅凪沙は、現在のような「余裕あるSランク」ではなかった。

彼は、突如として出現した超大型Aランクダンジョン、コードネーム『深淵の繭』の最深部に、ただ一人取り残されていた。


「……ハァ、ハァ……。クソ、キリがねえな」


そこは、現在の彼が持つ『無涯の蒼穹』の完璧な静寂とは真逆の世界。光すら泥のように沈む粘着質な闇と、肺を焼くような濃密な瘴気が支配する地獄の底だ。


彼を「使い捨ての火力要員デコイ」として盾にした先行のAランクパーティは、とうの昔に全滅し、ただの肉塊と化して転がっている。


凪沙は、どす黒い血に塗れた手で顔の左半分を押さえた。

Sランク級の魔物が放った一撃により、彼の左目は完全に抉り取られていた。視神経を直接バーナーで焼かれるような激痛が、脳髄を絶え間なく揺らしている。


だが、それ以上に彼を蝕み、死の淵へと追いやっていたのは、外からの傷ではない。己の内側からとめどなく溢れ出し、暴走する「熱」と「虚無」だった。


当時の凪沙の目には、今の気怠げな余裕など微塵もない。張り詰めた糸のような、あるいは傷ついた獣のような、トゲトゲとした絶望の色が張り付いていた。


彼は、生まれ持った強大すぎる雷の魔力エネルギーに人間の器が耐えきれず、常に内側から細胞が焼き切れ、自壊しかけている「欠陥品」だったのだ。


「……ここで、終わりか」


膝が折れ、ぬかるんだ血だまりに倒れ込みそうになったその時。

ダンジョンコアの傍らに安置されていた「それ」が、凪沙の血と、漏れ出す規格外の魔力波形に反応して淡く起動した。


『……生体反応を確認。魔力波形、異常値。適合率、99.98%。……あなた、死にたいのですか?』


脳内に直接響く、無機質で機械的でありながら、妙に人間味の片鱗を感じさせる澄んだ少女の声。


凪沙は血と汗で霞む右目の視界で、空中に浮かび上がる一塊の青白いエネルギー結晶を見つめた。それが、超大型ダンジョンの最深部で数千年の眠りについていたロスト・テクノロジーの遺物――超大規模魔導演算核だった。


「……死にたくは、ねえよ。……まだ、コンビニの新作スイーツ、全部食ってねえからな……」


『……。ふふ、下らない理由ですね。ですが、ひどく人間的で気に入りました。その「生存欲求エゴ」こそが、私の演算を維持する最高の動力源エンジンになります』


結晶がふわりと宙を滑り、凪沙の抉られた左目の眼窩へと、吸い込まれるように収まった。


『警告。肉体と精神の強制同期を開始します。あなたの暴走する魔力を私が「燃料」として受け入れ、私があなたの全細胞を統括し、肉体の崩壊を防ぎます。代わりに、脳髄を焼かれるような苦痛を伴いますが……耐えられますか?』


「……はっ、舐めんな……。空っぽのまま自爆して死ぬよりは、マシだ。……………やってやるよ」


『後戻りはできませんよ? 私を受け入れれば、あなたの命運は永遠に私の手のひらの上です』


「しつこい……とっとと始めろ。……砕くぞ……ッ!」


次の瞬間。

凪沙の全身を、数万ボルトの電流を直接神経に流し込まれたかのような絶理の痛みが貫いた。悲鳴すら音にならず、喉から血の塊が吐き出される。

だが同時に、凪沙の右目の網膜に、初めてあの「冷たい水色の光」が走った。


《神経伝達物質、再構築。魔力回路のバイパス形成。……最適化完了ベスト・ルート・クリア


バラバラに暴走し、彼自身を焼き尽くそうとしていた紫電の奔流が、一系統の洗練されたエネルギーとして左目の結晶へと集束し、爆発的な輝きを放つ。世界最強の計算能力が、一人の少年の命を強制的に繋ぎ止めた瞬間だった。


『同期完了。……はじめまして、私の半身パートナー。私にはまだ、個体呼称(名前)がありません。あなたの演算を、未来を、そしてその「食欲」を、私がすべて管理して差し上げます。……私のことを、なんと呼びますか?』


「……勝手にしろよ。……名前、か。……空気がないと死ぬから……お前は『エア』だ」


『エア。……承知しました』


出血多量で朦朧とした少年の、あまりにも直感的で適当な名付け。

だが、名もなき演算核は、その音の響きの中に「彼を生かすために必要不可欠なもの」「すべてを掌握し、隙間なく満たすもの」という裏の理屈を見出し、密かに、ひどくそれを気に入ったのだった。


『では、エアより最初のガイダンスです。――正面、3秒後に魔王級のブレスが到達します。左へ5センチ回避を推奨。……あ、耳元で囁くのは少し恥ずかしいので、これからは脳内に直接投影しますね?』


「……ああ。頼むぜ、相棒」


これが、後に「日本唯一のSランク」と呼ばれる怪物と、世界で最も口うるさく、そして愛の重い相棒の、血塗られた出会いの記録である。


(……当時の凪沙様は、今よりもずっとトゲトゲしていて、目に光がありませんでしたね)


現在の平和な自室。

こたつという名の魔性の家具に下半身を飲み込まれながら、凪沙は新作のカードパックを開封しては「またノーマルかよ」とだらしなく息を吐いている。


その膝の上では、未だに『発情期(健全)』が抜けきらないスズネが丸くなり、凪沙に特注のブラシで尻尾を梳かされながら「ふにゃぁ……」とだらしない声を漏らしていた。


「おいスズネ、もう少し右向け。毛玉になってるぞ」


「んぅ〜……なぎさが動いてぇ〜……」


「お前なぁ……。エア、このカード、フリマアプリでいくらで売れる?」


『……現在の中古相場で150円です。送料と手数料を引けば、凪沙様の時給換算で赤字ですね。大人しく資源ゴミに出すことを推奨します』


「世知辛え」


左目の奥で、その呆れたようなやり取りを観測しながら、エアは密かに自身のシステムログを更新する。


(演算核としての私は、人間の「成長」や「変化」といった不確定要素を、本来はノイズとして排除・修正すべきです。……ですが)


あの血みどろの迷宮で、自身の魔力に怯え、生きるために必死に牙を剥いていた孤独な少年。

それが今では、800億の資産を持ちながら150円のカードに一喜一憂し、幼馴染の我儘に付き合い、特売のスイーツを心待ちにする、どこにでもいる「ただの青年」になろうとしている。


(……パートナーとしては、あの頃より今の彼の方が、ずっと「演算のしがいがある」と思っていますよ。少し、騒がしすぎますが)


左目の奥で、エアはかつての出会いを愛おしく思い出しながら、自身の演算領域に生じたほんの少しだけ温かなノイズを、あえて修正せずに保存した。

それはきっと、機械には本来存在しないはずの、「幸福」という名の感情だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ