第14話
昨日までの焦りから完全に解放された世羅凪沙の自宅アパートには、ただただ緩慢で、どこか退屈な時間が流れていた。
数日前までの喧騒が嘘のようだ。スズネの「発情期」による猛吹雪も、裕二の「黒炎」による全焼未遂も、そしてオリハルコンを叩き続けた徹夜の魔改造も。すべてが嵐のように過ぎ去り、凪沙は今、久しぶりに「一人きり」の自由を謳歌していた。
「…………平和だな」
窓の外、平和を象徴するような昼下がりの街並みを眺め、凪沙がぽつりと呟いた。
『凪沙様。世間一般では、今のセリフを「フラグ」と言うのですよ。物語なら、この三秒後に窓から巨大な魔鳥が突っ込んでくるか、足元に奈落が開く展開です』
「やめろ。想像しただけで肩が凝る。……なあエア、今のうちに確認しておきたいんだが。……スズネは?」
『彼女なら今、大阪の 「梅田大ダンジョン」での突発事案に対応するため出張中です。GPSのログによれば、現在は作戦終了後の自由時間ですね。道頓堀のあたりで、たこ焼きを両手に頬張っている頃合いでしょうか。魔力反応を見る限り、きわめて「幸福」そうです』
「……あいつ、仕事しに行ったんだよな? まあいい。じゃあ、裕二は?」
『裕二様は、優奈様とともにハワイ旅行中ですね。ハワイ諸島周辺は海底ダンジョンの影響で飛行機が欠航しやすいため、彼はクランの特権を使って、海上走破用の高速魔導艇をチャーターしたようです。先ほど「最高だぜ凪沙!」というテキストと共に、真っ赤な夕日とカクテルの写真が送られてきました。未読スルーを推奨します』
凪沙は深いため息をついた。自分は所得税に追われ、電力会社で電池扱いされ、深夜の内職までこなしたというのに、親友たちは西へ東へ人生を謳歌している。
「…………つまり、今ここでなんかあった時に動けるのが、俺ぐらいしかいないと」
『その通りです。現在、関東近郊に待機しているAランク以上の探索者は18人。しかし、そのうちスズネ様や裕二様レベルの「一騎当千」の実力者は、わずか2人。さらに、その2人も現在は別件の定時パトロール中です。万が一、首都圏にSランク級の
「溢れ出し」が発生した場合、初期対応の全責任は凪沙様、あなたにかかります』
「.................................凄まじく不安になってきた。コンビニにスイーツ買いに行くのすら怖いわ」
結局、凪沙は外出を諦めた。 最強のSランク探索者が選んだ「世界を守るための待機策」は、こたつ(夏場はテーブル)に座り、未開封の束となっているカードパックと対峙することだった。
今、世間を席巻しているダンジョンカードゲーム、通称『モンコレ(モンスター・コレクション)』。 実際の魔物のデータや、実在する有名探索者をカード化したこのゲームは、子供から大人、果ては現役探索者までが熱狂する社会現象となっている。
「よし、精神統一だ。エア、幸運(ドロップ率)を操作するスキルとかないか?」
『物理的な確率改竄は私の機能外です。ですが、パックの厚みから微細な重量差を検知し、ホログラム加工の有無を推測することは……』
「それ、サーチっていう犯罪だろ。いいから黙って見てろ」
凪沙は流れるような手つきでパックを引き裂いた。
「これは……SR確定演出。……Aランク、Aランク、B、B、B、B、B……お、SR枠。……なんだ、これ」
カードには、燃え盛る炎を背に、これ以上ないほど「キメ顔」で吠える赤髪の男が描かれていた。 カード名:【SR・黒炎の烈将 宮本裕二】。
「……ドヤってんなぁ。何だよこのフレーズ。『俺の炎に焼かれな!』って。本人が聞いたら悶絶するぞ。残り2枚はBか。次」
『補足します。裕二様のそのカード、現在のオークション価格で約5万円の価値がありますよ』
「売るか。……次。……全部B。こっちは……Aランクが3枚、Bが7枚。渋いな。……あ。これは……SR2枚抜きだ。……。…………」
凪沙の動きが、完全に止まった。 手元にあるのは、先ほどと全く同じ、暑苦しいポーズを決めた赤髪の男のカードが2枚。
「……『黒炎の裕二』。しかも2枚同時。ゴミだ。引きが呪われてる」
『ゴミ呼ばわりは失礼ですよ、凪沙様。ですが、ご自身の「親友」を連続で引くというのは、演算上、相当な確率の偏りです。これは、彼がハワイから飛ばしている強力なドヤ顔の思念が、磁気カードに干渉している可能性すらありますね』
「スッゲェ不安。これ、絶対このあとハワイで火山でも噴火して、あいつが助けを求めてくる予兆だろ」
『……あるいは、単純に凪沙様が「寂しい」と思っている心が、無意識に引き寄せた可能性も――』
「ねーよ! 二度と言うな!」
結局、その日一日は何も起きなかった。 窓の外の平和な空がオレンジ色に染まるまで、凪沙は延々と裕二のキラカードを引き続け、山のような「Bランク・ゴブリン」に囲まれながら、世界で一番贅沢な暇潰しを終えた。
「……結局、何もなかったな」
『はい。たまにはこういう「フラグを折る」日があっても良いのではありませんか?』
「……まあ、そうだな」
凪沙は、散らかったカードを適当に片付けながら、スマホに一通のメッセージを送った。 「ハワイ、噴火したらすぐ言え。助けには行かないけど笑ってやるから」
返信は一瞬で返ってきた。 「縁起でもねえこと言うな! 今最高にパンケーキが美味いんだよ!」
凪沙はそれを見て、小さく口角を上げた。 眼帯の下の演算核が、わずかに穏やかな光を放つ。
「……さて。エア、夕飯どうする」
『本日、近所のスーパーで「魔物肉・ミスジ」が半額セール中です。凪沙様の「紫電」で低温調理すれば、Aランクレストラン顔負けの味になりますよ』
「決定だ。……平和ってのは、腹が減るな」
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【第14話 後書き:エアの管理ログ ――休日の消費魔力と『モンコレ』】
皆様、今回は驚くほど何も起きない「完全なる日常」をお届けしました。 世界最強のSランクも、休日にはカードの引きに一喜一憂する、ただの23歳なのです。
■設定解説:カードゲーム『モンコレ』
仕組み: 各ギルドが承認した魔物や探索者のデータをカード化したもの。Aランク以上の探索者は、肖像権使用料としてクランに莫大なロイヤリティが入る仕組みです。
Sランクカード: 実は「世羅凪沙」のカードも存在しますが、本人が「恥ずかしい」という理由で、発行枚数を世界でわずか10枚に制限させています。そのため、1枚の取引価格は都内のマンションが買えるレベルになっています。
■今回の「引き」について 凪沙様が本日引いた裕二様のカード、計12枚。 これは「運」ではなく、私の密かな演算介入……ではなく、単純に彼の「親友運」が強すぎた結果でしょう。
■エアの独り言 凪沙様、カードを片付ける際、裕二様のSRカードを一枚だけ「スマホケースの裏」に挟みませんでしたか? ええ、私は見ていましたよ。 「予備の電池代わりに持ち歩くだけだ」という言い訳は、既にログに記録済みです。 それでは皆様、次こそは(?)本当の事件が起きることを祈って。
あらかじめ書いていた初期ストック分です。後日改稿します。




