第9話:英雄たちの正座と、容赦なき現状復帰
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一夜明け、世羅凪沙の自宅アパートは、およそ人が住む場所とは思えない異様な光景と化していた。
壁面や天井、そして愛用のソファの半分は、スズネの『氷狐』によって厚さ十センチ以上の永久凍土に閉ざされている。
対照的に、残りの床や棚は裕二が防衛のために放った『黒炎』によって炭化し、無惨な黒い模様を晒していた。
室温は場所によって氷点下と熱帯が混在し、結露が雨のように降り注いでいる。
「……何か言うことは?」
腕を組み、冷ややかな瞳で二人を見下ろす凪沙。その頬には昨日の「裏拳」による青タンがまだ微かに残っており、それがかえって彼の不機嫌さを強調していた。
「「ごめんなさい……」」
黒焦げと化した床の上。仲良く正座させられているのは、スズネと裕二だ。
Aランク探索者として一国を救う英雄ともてはやされる二人の背中は、今の凪沙の前では借りてきた猫のように丸まっている。
「前も言ったよな? 人の家でスキルを使うなって。……スズネはまだいい。発情期で制御が難しいのは、これまでの付き合いで分かってるつもりだ」
「じゃあっ!?」
期待に琥珀色の瞳を輝かせ、耳をぴょこんと跳ねさせたスズネに対し、凪沙は視線だけで彼女を射抜いた。
「かと言って、許すとは言ってねえぞ。これ、敷金戻ってこないどころか、現状復帰にいくらかかると思ってんだ」
「あうぅ……。スズネの貯金、全部あげるからぁ……」
『凪沙様。被害状況を算出しました。内装工事に150万円、家具一式……特にお気に入りの「スイーツ用保冷庫」を含めて80万円。計230万円の損害です』
エアの無機質な宣告に、凪沙の眉間がピクリと動く。
『対して、スズネ様の口座残高は現在約20万円です。連日の高級食材の衝動買いと、先日の税金徴収で見事に消し飛んでいますね』
「……って言われてるが?」
「………」
スズネは無言でスッと目をそらし、フサフサの尻尾を股の間に挟んで小さく縮こまった。
『それに凪沙様。スズネ様は反省しているように見せて、内心「怒っている凪沙も格好いい」と少しだけ喜んでいるログが取れています』
「えっ!? ちょ、エアちゃん! ばらさないでよ!」
「……お前なぁ。はぁ……裕二、お前は論外だ。対抗して『黒炎』出す必要あったか? 避けるなり外に逃げるなりできただろ」
矛先を向けられ、裕二は額に冷や汗を浮かべて必死に弁明する。
「いや、無理だろ! あの時のスズネ、マジで殺しにきてたんだぞ!? 炎で牽制しねえと俺が氷像オブジェになってたわ!」
「『至善経路』の計算によれば、お前があと3センチ左に跳んでいれば、被害は壁一枚で済んでた。……つまり、お前の回避ミスだ」
『補足します。裕二様の回避成功率は当時の演算で84%。それを外したのは、昨日の焼肉の食べ過ぎによる、0.2秒の反応速度の遅延が原因です』
「エアちゃんまで!? 俺だって、必死で、反射的にだったんだよ……!」
「その反射のせいで、俺の愛用してた北欧ブランドのソファが消し炭だ。見てみろ、骨組みだけになって芸術作品みたいになってんぞ」
凪沙が指差した先には、最も被害が大きかった無惨なソファの残骸。背後の壁はパキパキと音を立てて冷気を放ち、床は抉れ真っ黒な炭化地獄。もはやアパートというより、高難易度ダンジョンの隠し部屋のような有様だ。
『凪沙様。壁面の氷結により隣室との遮音性が300%向上していますが、一方で床の炭化腐食により、下の階へ脱落する確率が15%まで上昇しています。……私の「至善経路」を応用し、ナノ単位の魔力制御で分子結合を再構成すれば、数秒で部屋を元通りに修復することも可能ですが、実行しますか?』
「却下だ。こいつらには、金と手間をかけて現状復帰させる。痛い目見ないと学習しねえからな」
「「うっ……」」
凪沙の静かな怒りと容赦のない決定に、二人はさらに肩をすくめる。
「な、凪沙……。スズネ、一生懸命お掃除するから! この氷、全部綺麗に溶かすから!」
「お前が溶かそうとしたら、さらに部屋が水没して最終的に冷凍都市になるだろ。……裕二、お前は?」
裕二は必死に「解決策」を脳内演算していた。
「……俺のクランのツテで、腕のいい建築魔術師を手配する。もちろん費用は俺持ちだ。あと、優奈(彼女)にお願いして、しばらくお前の飯も作らせる。……これで、どうにか……」
「優奈さんに迷惑かけるんじゃねえよ」
『それに裕二様。先ほどから「どうにかクランの経費で落とせないか」と計算されているようですが、無駄ですよ。ギルドには既に「私闘による物損」として報告済みですので、経費申請は通りません』
「お前、マジで逃げ道塞ぐの容赦ねえな!?」
『当然です。凪沙様の平穏を脅かすノイズは徹底的に排除します。……凪沙様、最短で直せる業者をリストアップしました。支払いはこのお二人の口座から折半で。スズネ様の不足分は、次回の報酬が入り次第、即座に引き落とすよう設定済みです』
「……はぁ、もうそれでいい。頼んだぞ」
「「……はい」」
最強のAランク二人が、23歳の青年一人と脳内のサポートAIに完全に屈服した瞬間だった。




