第5話 間話 狐の眠るその間に
七縁国は、七行大神と言う神々がそれぞれの神域から国中を見守っている。七行大神は、『天陽世命』、『冥陰夜命』の二柱からなる『陰陽神』と、木行の神『稲霊姫命』、火行の神『火蛇咬命』、土行の神『大嶽牛命』、金行の神『鉦鷹媛命』、水行の神『水卦守命』の五柱からなる『五行神』を合わせた七柱で構成されている。
さて、そんな七行大神が一柱、稲霊姫命を祀る東木道木霊郡に鎮座する『稲魂神社』の本社、その本殿に1人の少女がいた。少女は祭壇の前に座り、目を閉じて一心に神への祈りを捧げていた。
──リン。突然、鈴の音が鳴り響いた。鈴の音を聴いた少女が目を開くと、そこはすでに自らの生まれ育った稲魂神社ではなかった。そこは、木々の葉の揺れる音だけが木霊する穏やかな森の中──少女が奉じる神 稲霊姫命の神域であった。
「よう来たのう、香乃葉や。お主がここに来るのも久しぶりじゃのう。いつぶりになるのかのう。突然招いてすまんの?」
気がつけば、香乃葉と呼ばれた少女の前に白い髪に青い瞳をした狐の女神 稲霊姫命が立っていた。
「いえ。お招きいただき恐悦至極にございます、稲霊姫様。私がこの神域までお招きいただくのは、私が7歳の頃──巫女に就任して以来ですから3年ぶりになります。私をお呼びになったということは、ただのお告げではいけない何か大きな事が起きる、もしくは起こったということですね? なんなりとお申し付けくださいませ、稲霊姫様」
そう言うと、香乃葉は稲霊姫に向かって恭しくあたまをさげた。
「おお! そうじゃのう。──ウフフ……アハハハハ。安心せい、今回の信託は吉報ぞ? お主らにも長年待たせることになってしまったがのう。──ウフフ……喜べ? 稲守の娘よ。ようやくじゃ、ようやく我が元にも我が子が──神子が生まれたぞ?……ッウフフフフッ……ッアハハハハハハッ!」
それは、二百余年前、この国の祖、初代帝にして天陽世命の神子が生まれて以来、稲魂神社が祭司たちがずっと待ち続けてきた吉報であった。
香乃葉は、その突然のお告げに一瞬、呆然とするが頭の中でその言葉の意味を頭の中で反芻すると手を合わせて表情を綻ばせた。
「まあ! 本当にございますか! それは、まことにおめでたいこと! 稲魂神社の祭司一族・稲守を代表しまして、稲守香乃葉が謹んでお慶び申し上げます」
「うむ、ありがとうのう。わしの子が最後になってしまったからのう。お主ら稲守の者たちにも長い間、苦労かけてしまったのじゃ。」
「いえ、稲霊姫様。我らが一族はあなた様と神子様に仕える家。私たちはあなた様のお心のままにただ従うのみにございます。ところで稲霊姫様、我らが神子様はどちらにご生誕なされたのでしょうか?」
「おお! そうじゃな! あの子はまだ神子として目覚めきっておらんからのう。完璧には居場所をつかめんのじゃが、どうやら幸いにも東木道におるのは間違いないのう。じゃがの?あの子はすでに2度、威鳴を抜いたようじゃからのう。おかげで木槌山におるということがわかったわ」
さらりと、告げられたその情報に香乃葉は今回は顔を引き攣らせる。神器とは、神から神子に授けられる神の道具である。稲霊姫の神器『威鳴』は、太刀の神器である。つまり、武器である。その神器を使ったということは、神子に危機が迫ったということに他ならなかった。
「──ッ! 威鳴をですか!? 神子様はご無事だったのですか!?」
「うむ。大丈夫、心配いらぬよ。あの子はどうやら木槌山に生まれたようでのう。己の体のことを知る前に獣に出会ったようでのう。慌てて、思わず威鳴を抜いてしもうたようなんじゃよ。どうじゃ? かわいいじゃろう? そして、先ほどは穢獣相手だったようじゃがのう。それから、数時間はたつがあの子の存在を今も感じるからのう。どうやら、切り抜けられたのであろうよ」
「──そう、ですか。……ふぅ。それなら、一安心でございますね。では、私にご命じなさっているのは神子様の捜索と保護にございますね?」
「うむ。それについてなのじゃがのう。我が神社の手のもの以外には気づかれずに行って欲しいのじゃ。」
「内密……にございますか?」
「そうじゃ。近頃はどうも妖たちの動きがきな臭い。さらに、貴族たちの動きも読めぬからのう」
「なるほど。確かに神子様が生まれたともなれば『七縁の大家』の最後の一家が埋まるということ。大家の方々はともかく、他の貴族、特に大家がなんたるかを知らない比較的歴史の浅い新しい家の方々にはどういった動きをなさるか読めませんからね。私ども人の世のことで神様にお手数をおかけしてしまい申し訳ございません」
「よい、欲深きものがおるのもまた、古来よりの人の世の常よ。それよりも、我が子の保護と補佐よろしく頼むぞ?」
「はい、お任せくださいませ稲霊姫命様。我ら稲守一族、稲魂神社祭司の名にかけてしっかりとお役目を全うさせていただきます」
「うむ。では名残惜しいがそろそろ現世に戻るが良い。ではまたの? 香乃葉よ」
そう言うと、稲霊姫は柏手を打つ。すると香乃葉の周囲に木の葉が舞い周囲の景色を隠していく。そうして、木の葉が止んだ頃、香乃葉は稲魂神社の本堂に戻っているのであった。
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稲魂姫の神域にて信託を受けた香乃葉は、本堂の裏の屋敷にある父であり稲魂神社の宮司である稲守 柳宗の部屋へと向かった。
「──なんと! 神子様がお生まれになったというのか! それは一大事だ! 樒真を呼べ!」
柳宗が、そう命じると使用人の少年は柳宗の息子樒真を呼びに向かう。樒真は霊術を学ぶ霊導院を卒業したのち、稲魂神社の宮司となるために修行を積んでいた。
「父上、樒真にございます」
「うむ、入れ」
樒真が襖を開けて部屋に入ると、中には部屋の奥には部屋の主人である柳宗が、そしてその少し手前には香乃葉が座っていた。
「ん? 香乃葉もいたのか? と言うことは何か神託があった──ということですか? 父上」
「うむ。そう言うことだ。先ほど稲霊姫様より香乃葉に神託が下った。」
「──やはりですか! して、内容は!? どんな内容だったのですか父上?」
「うむ、まぁ落ち着け、吉報じゃ。それもこの上ない、な?では、香乃葉?」
「はい、お父様。お兄様、先ほど稲霊姫様より神子様がお生まれになった──と言う御神託を賜りました」
「──! なんとっ! それは本当か? いやぁ、それはめでたい! それで、神子様は? 神子様はどちらにお生まれになったんだ?」
「ありがたいことに、この東木道ですわお兄様。木霞郡の木霞山脈、木槌山におられたのがわかっております」
「そして、稲霊姫様は神子様を我が稲魂神社の者のみで内密に探し出して保護せよと仰ったそうだ。最近は、妖どもだけでなく、貴族たちの動きも読めんからな。それを警戒してのことだそうだ」
「なるほど、それで私に神子様をお探ししろ、と言うことですね?」
「そう言うことだ。頼めるか?」
柳宗がそう聞くと、樒真はハッ! と一声、返答したあと、
「お任せください、必ずや神子様を探し出してみせます!」
翌日より、樒真は自らの部下数人を連れ神子の創作を開始するのだった。
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「すごいねぇ、神子ってのは。あの強さの刀狼を霊術無しであそこまで追い詰めるとはね。ともかくこれで、ついに神子が揃ったわけだ。こりゃあ、カミサマたちも大喜びだろうねぇ。──まぁ、いいか。カミサマなんてのは僕にとってはどうでもいいことだ」
草気も眠る丑三つ時。木槌山、珠生と刀狼の死闘がほんの数時間前まで行われていたその場所にとある男が呟く。歳は20代前半ごろだろうか。
闇世に紛れるような真っ黒な狩衣を着用し幽霊に間違われそうなほど病的な青白い顔をしたその男は、懐から呪符を取り出すとあたりに設置する。そして、ひょうたんを取り出すと中に入った液体をあたりに振り撒いた。すると呪符と呪符をつなぐように黒い光が現れ紋章を作り出す。男が紋章の中心に真っ黒な石を置く。紋章が光り輝き、あたりから妖力が紋章目掛けて流れ込んでくる。集まった妖力は石を核にして集まっていき、やがて人と獣の間ような姿を形作っていく。
その変化が落ち着いた頃、そこにいたのは、前足が刀のようになった真っ黒な穢獣、刀狼によく似た、しかし人のような姿をした生き物であった。
そして生まれた獣には、右目がなかった。その獣は右目に手を当てると叫んだ。
「ヴオ゛オ゛ォ゛ォ゛ォ゛ッ!!」
獣は怒っていた。憎んでいた。己の右目を奪った獲物を。己の命を奪った宿敵を。そんな獣を、木の上から見ていた男は笑っていた。
「さぁて、この妖は、どんな風に育つかなぁ? どんな風な力を使うかなぁ? 穢獣から生まれた妖っていうのはどんな風になっていくんだろうねぇ? あぁ、たのしみだなぁ。君も楽しんでくれるといいなぁ──神子くん?」
男はカラカラと笑いながら夜の森の暗闇に消えていくのだった。




