第29話 神域
「ここが……この先にあるのが、稲霊姫命の神域……」
眼前の拝殿の先に聳え立っている稲魂神社の本社の真奥──本殿。小さくも、神々しい雰囲気を纏ったその社は神々しいまでの強い霊力に満ち溢れ、その内部からは人からも、ましてや穢獣や妖からは感じられないほど神聖で強大な気配が漏れ出ており、本殿から繋がっているという稲霊姫命の神域の存在を強く感じさせていた。
俺が、そんな本殿とそこから漏れ出ている雰囲気に圧倒されている瞬間だった。
突如、大量の木の葉が本殿を中心として竜巻のように巻き上がったかと思うと、その木の葉の奔流が幣殿を通って社殿の内部へと入り込んできたかと思うと、母が子供へと抱擁をするかのように俺の周りへと優しく包み込んできた。
そうして、俺の周りで木の葉と風の球となった奔流は風の力で俺の体をふわりと浮かせる。
次の瞬間、俺の体は木の葉と風の球によって前方へと勢いよく運ばれる。と同時に、バタンッという引き戸の開くような音と、
「珠生っ!!」
という俺を呼ぶ声が聞こえる。目の前の木の葉と風によってはっきりとは見えないが、引き戸の開くような音は本殿の扉の開いた音だろう。そして俺を呼ぶ声は突然この球に包まれた俺を案じた紅音の声なんだろう。そして、この球に対しての反応が紅音にしかないってことは、恐らくこれは──
そんな風に己の現状を分析していると、俺を中心に舞っていた木の葉の奔流が勢いを無くして霧散していく。俺の視覚を覆っていた木の葉と風が徐々に消えて、辺りの様子が俺の瞳へと入り込んでくる。
そうして、木の葉の奔流が止んだ時、俺は稲魂神社とよくにた木々に囲まれた青い屋根の社の前に立っていた。この社が俺が先ほどまでいた稲魂神社とは違う場所であると俺が瞬時に気づくことができた理由は3つだ。
まず、一つ目にして最大の理由は辺りの景色が違ったことだ。確かにこの社も稲魂神社もどちらも木々に囲まれてはいたが、稲魂神社は小さな山の上の境内に建てられていたが、この社は山ではなく巨木の立ち並ぶ森、そしてそこにできた開かれた半径100メートルほどの小さな草原の中に建っておりその草原の中、俺と目の前の社から少し離れた場所には小さな川が流れている。
二つ目と三つ目の理由は、霊力と神聖な気配だ。どちらも、稲魂神社でも感じていたものではあるが、ここで感じる気配は稲魂神社で感じていたそれよりも、より強大なものだった。……霊域の中である稲魂神社よりも、強大な霊力ってどんだけだよ? さっき、稲魂神社の小山に入った時ですら、これだけ強い霊力が漂っている場所なんてあんのかよって驚いたぐらいなのによ? こんだけ霊力と神聖な気配が強い場所に連れてこられて、なおかつ俺を呼んでたってことはってことは──
「……やっぱりここは、稲霊姫命の──」
「──そう、わしの神域じゃよ」
突如として、背後から聞こえたそんな『声』が俺の呟きに答えた。──ッ!? 誰かが近づいている気配なんてしなかったぞッ!?
俺は、その声の主の正体を確かめるために、勢いよく背後へと振り返り──その声の主である女に抱きすくめられるのだった。……くそっ! 声の主に強く抱きすくめられてしまって、なんも見えねぇ!! ……なんで、なんも見えねぇのに俺を抱きしめているのが女だってわかんのかって? 当たってんだよ!! ちょうど顔のあたりにでっけー二つの連峰がよッ!! こんな状況じゃなかったら喜ぶような状態なのかもしんねぇけど、今の俺にはそんな余裕はない。なぜなら、何も見えないほどに強く抱きしめられている……それはつまり、俺の呼吸もほとんど封じられてしまってることなんだよっ!! 息がっ!! 息ができねぇっ!!
俺のことを抱きしめたまま、頭を撫でている女の腕をタップして俺の呼吸が限界であることをなんとか伝えると、
「んふ〜、よしよし、よしよ〜し…………ん? ……おっと! これはすまんのう。久しぶりだったものじゃから、少々興奮してしまったようじゃ」
俺の必死の意思表示に気がついた女が強く抱きしめていた腕の力を抜いて俺を離してくれる。……はぁ……はぁ……死ぬかと思った。
離してもらってようやくまともに呼吸が行えるようなった俺は肺いっぱいに空気を取り込むと、酸欠気味の頭にスーッと酸素が巡るのを感じた。……ふー、酸素が行き渡ったおかげで気持ちを落ち着けることができた。おかげで、ようやく突然現れて俺を抱きしめてきた相手の姿を拝むことができた。
俺は彼女の姿を見た瞬間、目の前にいる10代後半ごろの少女が人間でないということを悟った。それは、彼女白く長い絹のような髪の中に生えた狐の耳見たから……というだけではない。その身に纏う凄まじいまでの神々しい霊力、そしてこの神域──いや、本殿へと入る前から感じていた強大な神の気配。その気配の源流が彼女自身であるということを察したからだった。
「……あんたが、木行の女神……だな?」
「その通り。わしこそがこの神域の主人にして、七行大神にして、陰陽神を親に持つ五行神が一柱。
木行と五穀豊穣を司る狐の女神。──そして、お主の母である稲霊姫命じゃよ。
よく、わしの聖域まで辿り着いたの。えらいぞ、我が息子──珠生よ」




