第3話 ケガレ
俺がイヅナと行動を共にし始めて、数日が経った。俺たちは川を下りながら山から出ることを目指し歩き続けた。途中、時々遭遇する獣をやり過ごしたり撃退したりもした。食事は、火を起こすことができなかったので木の実などを取って食べて飢えを凌いだ。──イヅナは川魚などを取って食べていたが。そうそう、イヅナといえばどうして狐に名前があるのかと疑問に思い、直接聞いてみると、
「コンッ」(この名前は、昔僕の先祖がえらい人にもらった名前だそうです。僕の家系は代々この名前を受け継いできたそうです。僕の代は僕が兄弟で一番早く生まれたので僕が名前を継いだんです。)
──だそうだ。なんなんだろうな、この狐。こいつの話がわかるのは俺がシンシとかいうやつだかららしいが、それにしたってそのえらい人とやらといい、シンシといいよくわからんことが多いな。そもそも、俺が子供でいること自体が謎なんだよな。俺はなんなんだろうな全く。
──と、まぁそんなことを考えながら、俺とイヅナは旅を続けている。それにしてもこの山は広い、広すぎる。いくら子供の足とはいえ、もう数日歩き回っているのに山から抜け出せるような気がしない。
「コンッ」(僕も生まれてから1度もこの山からはでたことはありません。他の山から来たという狐に会ったこともないので本当に広いんだと思います。)
まぁ、動物の高度範囲なんてものはわからないがここまでの移動距離から考えて単体の山というより山地や山脈といった感じの場所なんだろう。ともなると余計にどうやってこの山から抜け出したらいいかわからんな。まぁとにかく歩くしかない。まぁ会話のできる相手もいるんだ、のんびり楽しく行けばいいだろう。──この時はまだそんなふうに思っていた。
突然のことだった。周りの空気が冷え込み、肌が凍てつくような感覚。熊などの獣とは、格の違う突き刺すような激しい気配。辺り一帯を支配するような悍ましい何かが近くにいるのを感じた。俺とイヅナはすぐさま気配を隠し、木陰に身を隠す。
「……なんだ?この気配。熊なんかとはレベルが違えなこ!は」
「コン」(恐らく、ケガレでしょう。それにしてもこれは……かなり大物のようですね)
「ケガレ?」
「コン」(ケガレは私の先祖に名付けをしたえらい人がそう呼んでいたと伝えられているので。ケガレは何か恐ろしいものがついた獣です。森の動物はこの気配を感じたら近づかず、できるだけ遠くへ逃げます)
「そうか、なんにしても今はこんな危なそうなヤツには近づきたくねぇな。気配をできるだけ隠して逃げるぞ」
「コン」(了解です)
そんなことを小声で話し、その場をゆっくりと離れようとし、──飛び下がる。直後、先ほど待って立っていた辺りの木々が一斉に薙ぎ倒される。そして、立ち上る砂埃のむこうにそいつはいた。
それは、真っ黒な狼だった。しかし、それが普通の狼でないことは誰の目にも明らかだっただろう。
その体躯は、俺たちはおろか、最初に戦った熊と比較しても2倍ほどの大きさがあった。剥き出しになり大きく発達した爪は、その体躯も合わさりもはや刀のようであった。なによりも普通と違っていたのはその体を覆うモヤのようなものだろう。体から吹き出しているのか纏っているだけなのかはわからないが、それは危険なものだった。知識なんてものはない。だが、はっきりと分かる。
あれは、人や獣を脅かすものだ。
放っておいていいものじゃない。
俺はジャンプし、一度木の幹を足場にして力を溜めた後、狼へと飛びかかりその頭部に向かって蹴りを放つ。そして、その反動を利用して距離を取った場所に着地する。
「コンッ!」(いけません! ナナシ様! あれが、ケガレです。どんな凶暴な獣でも奴らに深傷を負わせることができません!)
「…………みたいだな」
この山の獣たちをねじ伏せ、撃退することのできる俺の蹴りはヤツにとっては蚊が止まったようなもののようだった。
「コンッ!」(逃げましょう! ナナシ様! いくらなんでも、あいつには敵いません!)
「──と言ってもあいつは逃してくれる気はないみたいだぜ?」
顔の周りを飛び回る蚊が鬱陶しかったのだろう。ヤツは俺を睨みつけ、唸り声をあげる。ヤツは俺を標的と認識したようだった。そもそも俺はあいつの気配を感じて、警戒していた。
それなのにヤツは俺たちの気配を完全に把握し、俺たちが気づくほんの一瞬前には俺たちのそばまで移動してきていた。つまり、あいつから逃げたとしても逃げ切れる保証はないってことだ。──なら、やれることはひとつだろう。ヤツに手傷を負わせる、もしくは倒してこの場を離脱する。俺は太刀を出現させ、ヤツに斬りかかる──寸前、ヤツの前足に吹っ飛ばされる。
「グハッッッッ」
「ッコンッ!」(ナナシ様ッ!)
背中に衝撃が遅い体の動きが止まる。どうやら木に叩きつけられたようだった。あぁ、痛ってぇ。身体中を打ち付ける痛みに思わず悶絶しそうになるが気合を入れて立ち上がる。それにしてもあんなものを目の前にして、体を叩きつけられて体中痛えのに、よく起き上がってまたあいつに挑もうと思えるな? 俺。前世で格闘技か何かやっていたのだろうか。この体もそうだ、いくらなんでもこの勢いで木に叩きつけられて痛いで済むって人間離れしすぎだろ、
あいつぶちのめすのに都合がいいからどうでもいいけど。
俺はもう一度刀を構え、地面を強く踏みつけ加速する。今度はヤツに捕捉されぬように先ほどまでよりももっと早く。周囲の木々を足場にしてどんどんと加速していき、狼を翻弄する。徐々にヤツの目線が俺のことを捕捉できなくなっていくのを確認するとヤツの死角──背中側へと飛び上がり横一線に斬りつけた。
「ガヴッ」
「コンッ!」(やった!)
「まだだ。あんなのはあいつにとってはかすり傷程度のもんだろうよ。」
熊の首を軽々と斬り飛ばすこの太刀であってもヤツを倒すにはまだ威力が足りないようだった。──いや、太刀は確かにあいつの体を斬り裂いていた。ならば足りないのは武器の威力ではなく、使い手の技量の方だろう。
「ま、そんなことを今嘆いてもしょうがねぇよな。威力が足りないのなら量で補うしかねぇよな?」
そういうが早いか、俺はまた飛び出し先ほど同じように木を足場にどんどんと加速していく。そしてすれ違い様に狼の体を斬りつけていく、何度も、何度も、何度も、何度も。そうやってもう一度、狼に斬りかかるために木を足場にしようとした瞬間だった。──ズリッッと、足が滑る感覚と共に体のバランスを崩してしまう。激しく体を動かし続けたため、肉体の限界がきていたのだろう、木の幹を足場に力を込めるところを一瞬、足に力が入らず足を滑らしてしまったのだ。そして、その一瞬を、見逃すほど狼のケガレは甘くなかった。
ちょこまかと動く獲物に留めを差してやろうと狼の刀のような爪が俺に目掛けて襲いかかってくる。まずいッ──と体をどうにか動かして避けようとする。しかし、ここは空中。どれだけ身を捻らせようとも足場がなければ人は体を動かせない。もはや、一巻の終わりか──と覚悟を決めたその時だった。迫り来る爪と俺の間に何かの影が割り込んでくるのが見えた。そしてその影と俺は爪の攻撃に吹き飛ばされ地面に叩きつけられる。
俺は体が痛むのも無視して飛び起きると、そばに倒れ込んだ影の正体──体中から血を流したイヅナを抱き抱えた。
「──ッおい! イヅナ! 大丈夫か!? ……どうして……こんな……」
「……コ、ン」(……ナ…ナシ……さ…ま。お怪我がは……)
「──ッ俺なんかよりも、お前の方が大怪我だろうが──なんで……なんでこんなこと……」
「──コ……ン……」(……さい……しょ……にお伝えした……でしょう? ……シンシ様を……おま……もりするよう……仰せつかって……い、ると……)
「──それは、お前の先祖に言われたことだろう? お前がその通りにすることないじゃんか! お前が俺の身代わりになる必要なんてないじゃねぇか!」
「……コ、ン……」(……し、めいは……関係ありま……せん……。この……数日……あ……なた様と……初めて……であっ……た人間と……共に……過ごせて、たのし、かった……だ、から……あなたをお助け……したい、と思えた……のです。……どうか、ナ、ナシさま……ご……無事で……)
「──イヅナ? ッイヅナ!? 逝くんじゃねぇ! 逝くな! 戻ってこい、イヅナ!!! イヅナァァァァ!!!」
浅く動いていたイヅナの胸が徐々にその動きを遅くしていき、完全に止まる。その瞬間、イヅナの命が消えたことを俺は悟った。そして、まぶたから涙が溢れ出す──ドクンッその瞬間だった。
涙が溢れ出すのと同時に、何かの力が体中から溢れ出すのを感じた。それは、狼の体を覆っていたモヤと似た──しかし、全く異なるものだと分かる力だった。そして、俺はあいつの攻撃の衝撃で消えていた刀をもう一度出現させ立ち上がる。おれと、イヅナは出会ってまだ数日しか経っていない。誰かに話して聞かせるような話はないし、あいつがどういう風に生きてきたのかも知らない。
だが、あいつとは、一緒に食事をした、一緒に眠って、一緒に獣とも戦った、道中ではくだらねぇ話で笑いあった。あいつとはこれからこの世界を一緒に見て回るつもりだった。──あいつと俺は友達だったのだ。
「てめーがなんなのかは知らねぇ。だが、俺の友達をやりやがったんだ。てめーは俺が、ぶッ潰してやる!!」
俺の刀は次の瞬間にはあいつの右眼に突き刺さっていた。この体から溢れる力のおかげだろうか先ほどまでよりも、もっとずっと速く動けるような気がした。俺はあいつの右眼に刺さった刀を引き抜くと、本能のままにあいつの体を斬り裂いていった。先ほどまでよりもより速く動く俺の体はあいつの体をより深く、より多く傷つけていく。あいつは、飛び回りながら斬りつけてくる俺に爪を振り回しながら襲いかかってきたが、今の俺には当たる気がしなかった。
俺は、怪我で狼がもうほとんど動けないことを確認すると、留めを刺すためヤツの首目掛けて飛びかかろうとした──その瞬間、膝から転げ落ちた。戦闘が始まってからずっと、ヤツを翻弄するため、高速で動き続けていた。その疲れがとどめをさせるという今、この瞬間のたった一瞬の隙に現れてしまったのだろう。何故だ、どうしてっ。もう少しなのにもう少しで、イヅナの仇が取れると言うのに。どれだけ、気力を振り絞ろうとしても俺の体はピクリとも動いてくれなかった。
狼は、突然倒れ込んだ俺に一瞬困惑していたが、すぐさま俺の状態を理解し嘲笑うように遠吠えをするとのそり、のそりとこちらに近づいてきた。俺は唯一動かせる顔をヤツに向け、想いの全てを込めて睨みつける。──そして、その背後に刀に炎を纏わせ狼に斬りかかる男を見つけた。
「火厳流序の太刀『燕火』」
男の放った剣撃は、俺に襲いかかる狼を袈裟斬りにし、返す刀でもう一度その体を引き裂いた。俺は、その光景を見ながら、
あぁ、俺の手でぶっ倒したかったなぁ
とそんなことを思いながら、意識を手放すのだった──




