夜の図書館:特別回「扉の向こうで待つもの」
この短編は、夜の図書館の奥にある“扉”をめぐる物語です。
棚を渡り歩いてきたモノたちは、ある夜、一つの場所に集まります。
真鍮の鍵、色褪せたリボン、片方のイヤリング──
それらはすべて、扉を開くために揃えられた欠片でした。
けれど、その向こうにあるものは、まだ誰も語っていません。
──夜の図書館は、時に訪れる者を試す。
港町に霧が降り、海面に灯りが揺れる頃。
古い倉庫の壁が波打ち、扉が音もなく開いた。
夜の図書館。
今夜は空気が張り詰めている。
棚は不自然なほど整然と並び、一本道の先に重厚な扉が立ちはだかっていた。
鉄と木でできたその扉には、三つの錠前がはめ込まれている。
扉の前には、二つの人影があった。
一人は、寄せ集めの机で見たフードの人物。
もう一人は──
「お待ちしていました。」
やわらかい声に振り向く。
そこには、20代ほどに見える若い男性が立っていた。
漆黒の髪を後ろで軽く束ね、淡い色の瞳が穏やかにこちらを見ている。
丁寧な物腰で一礼し、名は告げない。
「私は、この場所を少しばかり見守る者です。」
どこか掴み所のない笑みを浮かべ、彼は続けた。
「扉を開けるには、揃った欠片が必要です。……どうやら、それが今夜、すべてここに集まりました。」
フードの人物が懐から真鍮の鍵を取り出す。
机の上には、色褪せたリボンと片方のイヤリングが置かれた。
管理人はそれらを一つずつ手に取り、扉の錠前に収めていく。
カチリ、と音が鳴るたび、図書館の空気が震えた。
最後に、真鍮の鍵が鍵穴へ差し込まれる。
「開けてしまえば……もう、こちら側には戻れないかもしれません。」
そう言いながらも、その声に迷いはない。
ただ、どこか遠くを見るようなまなざしだけが残る。
鍵が回される瞬間、視界が揺れた。
川辺の夕暮れ、影の岸、懐かしい屋敷の扉──
これまでの情景が一瞬ずつ重なり、光の粒になって散っていく。
重厚な扉が、ゆっくりと開いた。
★
扉の向こうは、棚のない空間だった。
天井も床もなく、ただ果てのない白が広がっている。
その中心に、一冊の巨大な本が浮かんでいた。
背表紙もなく、閉じられたまま、静かに脈打つように呼吸している。
「これが……」
思わず声を漏らすと、管理人は首を横に振った。
「答えを言うことはできません。……でも、あなたはもう、知っているはずです。」
光が本からあふれ出し、足元を包み込む。
全てが白に溶ける瞬間、最後に聞こえたのは管理人の声だった。
> 「また、お会いしましょう。」
夜の図書館の奥にある扉は、棚を渡り歩いたモノたちによって開かれます。
その向こうに何があったのかは、まだ誰も完全には語っていません。
けれど、管理人は確かにそこにいました。
そしてまた、別の夜にも──。
また次の棚、次の一冊で、お会いできますように。
廻野 久彩 (Kuiro Megurino)