夜の図書館:影の棚より「影の岸の鍵 」
この短編は「影の棚」に収められた物語です。
影の棚には、物語の“裏側”が眠っています。
ページを開くと、語られなかった出来事や、語られたはずの結末の影が浮かび上がる。
ときには、それは別の物語から流れ込んだ影であることも。
ここで見たことは、決して表の棚には戻らない──
けれど、その影は確かに、あなたを覚えている。
──影は、灯りのある場所にこそ濃く落ちる。
港町の海風が弱まり、霧がゆっくりと岸を包み込む頃。
倉庫の壁が静かに波打ち、扉が音もなく開いた。
夜の図書館。
足を踏み入れると、光と影が複雑に交じり合う。
ランプの明かりは棚の間に島のように点在し、その間を黒い影が静かに渡っていく。
耳を澄ますと、ページをめくる音がどこからともなく響いていた。
図書館の奥、ランプの光が届かない細い通路に、その棚はあった。
黒い木の札に、かすれた銀文字。
──「影の棚」。
背表紙の色はどれも深く沈み、指先を近づけるとわずかに冷たさを帯びる。
本を引き抜くとき、必ず棚の奥から薄い影が揺れた。
その夜、ふと机の上に置かれた小さな金属音が耳に残った。
見れば、真鍮の鍵がひとつ。
少し歪んだ歯、読めない刻印。
──間違いない。あの川辺で手にした鍵だ。
なぜここに? 棚の誰かが運んできたのだろうか。
鍵の下には、一冊の黒い本。
表紙には文字がなく、ただ薄い輪郭のような川の影が刻まれている。
ページを開くと、夕暮れの川辺……ではなく、その反対岸の景色が広がっていた。
そこには、少女の影が立っている。
顔は見えない。
だが、肩のあたりでほどけかけたリボンが揺れていた。
川面の水音に混じって、低い声が響く。
> 「この鍵は、まだ眠っている」
> 「開けると、影も目を覚ます」
影は鍵を見つめ、手を伸ばそうとしない。
代わりに、ページの端に薄い文字が浮かんだ。
> 「つづきは、影の奥で」
次の瞬間、本は自ら閉じた。
机の上にはもう鍵はなく、代わりに影だけが残っていた。
それはゆっくりと棚の奥へと沈み、やがて消えた。
影の棚は、他の棚の物語と静かに繋がっています。
ときにそこから持ち込まれるモノは、“もう一つの結末”を秘めたまま眠ります。
真鍮の鍵は、まだ開くべき場所を待っているようです。
──次にそれを見つけるのは、誰でしょうか。
また次の棚、次の一冊で、お会いできますように。
廻野 久彩 (Kuiro Megurino)




