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ある日ポストに届いた、十年後に死ぬ親友からの手紙

作者: Dr.フロム

 オレがその手紙に気が付いたのは、登校の時だ。

 家を出た時、あからさまに手紙がポストから身をのぞかせていることに気が付いた。大きな荷物であるわけでもなく、ただの小さな手紙だったから、どうしてわざわざポストに入れ切らなかったのかと疑問を覚えた。気になったオレはその手紙を拾い上げる。宛先はオレだったから、そのまま手紙を読みつつ道を歩くこととした。

 手紙の内容は、短くとも、難しかった。


十年後に死ぬ親友より

全略

十年前の親愛なる親友へ

 


 いや、内容略してんじゃねーよ。

 という、ツッコミはさておき。

 親友といわれれば、オレにとってはひとりしか思い浮かばなかったから、手の内で手紙を遊びながら、そいつの家へ向かう。いつも登校を共にする親友を起こしに行くのだ。きっと今頃、布団でだらしない顔を晒している。

 時任(ときとう)イオナ。オレが今、向かっている家の娘。幼稚園に入園する前から、一緒に遊んでいたらしい幼馴染だ。未だ小学生だというのに、世に天才ともてはやされて、認めざるを得ない優秀さを以てしてヒトを認めさせる彼女は、ノビノビとその知性を才能とともに伸ばしつつ、天真爛漫に育っている。その性格ゆえ、彼女はイタズラ好きですらあるから、きっとこの手紙も彼女のイタズラのひとつなのだろうと思う。彼女はオレを親友と呼ぶし、オレもまた彼女を親友だと思っている。むしろオレたちは、互いに唯一無二であり続けたから、もう幼馴染と親友がイコールですらある。幼馴染であるならば、親友であるのだし、つまり彼女、時任イオナなのだ。

 ユーモアあふれる彼女であれば、きっと、こんな手紙を出してくるのだろうが、しかし解せない点もあった。あくまでもオレは彼女を信じているが、彼女は人を笑わせることが好きであり、人を悲しませることは好きでない。だからこそ、十年後というあからさまな嘘を含むフィクションだったとしても、『死ぬ』なんてネガティブワードをいれることはない、と思う。まあ天才の彼女といってもヒトなのだから、気が変わることもあるだろうか、と。

 時任のお母さんと話をして、家に上がり、そしてイオナの布団をはぎ取る。寝ぼけ眼を覚まさせて、色々と朝支度を手伝ってから、ランドセルを背に登校する。

 道に立ってようやく、オレは手紙を突きつけた。


「知らないよ?」


 素っとん狂な顔をして、イオナは不思議そうな顔をしていた。彼女は非常に素直であるから、オレとしては、その言葉は芯から信じた。しかし、ひとつ腑に落ちない点があったから、それを語る。


「でもよ、この手紙は明らかにイオナの字で書かれてるぞ。ほら、この『親友』とか、ところどころ丸まってる感じ。イオナが書く字だ、間違いない」

「ワアオ!君は流石だね、私でも、私の字なんて覚えてないよ。でも、うん、ふむふむ。なんだか、私が書いた字に似ているようなそうでもないような気がしてきたな。ちょっとその手紙を預かっても良いかい?」

「ああ、」


 「うん」と。

 そう言い切るが先か、断りの限りはなく、オレの手から手紙をひったくった。そうすると、手の先で紙を伸ばして、うんとよく観察する。どうにも納得がいかない様子で、かわいらしい顔が台無しになるようなほど、面白く唇をゆがめていた。すると、彼女は手紙をポケットに入れた。

 自己世界の納得で留めて、他世界に自身を共有しようとしないのは、彼女のいつものことだ。オレはもう慣れたから、その手紙を何らかの科学分析にかけるのだろうと見限り、オレはオレの納得をした。


「しかし、ああ、ううん。なんていったらいいんだろうか、オレには、こう、このあり得ない文言をどう試せばいいのか分からないんだけど。ともかく、その手紙が本当だとすると、でも本当なわけないんだけどさ」

「うーん、君はどうにも飲み込めるものを探してるみたいだね。なら、こういうのはどうかな?仮定。仮に、この手紙に書かれている内容が本当だとするなら」

「そう、その手紙に書かれてる内容が、本当だとするなら。仮定だな、仮定するなら、それはつまり未来から手紙が届いたという事だよな。しかも十年後のイオナは、死ぬって」

「ああ、そうだね」


 事実を思慮するように、イオナは目を閉じた。目を閉じたまま歩き始めたから、危ないと思って、オレは彼女の手を繋いだ。いつものことだ。


「仮に、この手紙が正しいとするなら、私はどうやら十年後に死ぬらしい。しかも、十年前に手紙を送ることができている。ということは、つまり、私は夢の科学者になって、タイムマシンを開発できているということだ!うへへっ、嬉しいな!」


 チラッと、したり顔でオレの顔をみる。コイツはという呆れとともに諦観の笑いが零れてしまい、それがどうにも満足だったらしく、イオナは満面の笑みを見せた。

 オレはかぶりを振って応える。


「…いや、笑えねえ。笑えねえよ。ていうか注目する所がおかしいだろ!いや、おかしくないか?でも、自分が死ぬかもっていう部分を気にしろよ!」

「十年後のことだよ?」

「…十年後のことだとしても!」

「まあ、でもほら。この手紙が本物かどうかなんて分からないじゃん。それこそ、この天才イオナ様の才能に嫉妬した誰かが、手の込んだイタズラを仕掛けてきただけみたいな可能性もあるでしょ?」

「そうだけどさ…」

「しかも、しかもだよ!この手紙は、親愛なる親友としか書いてないんだよ。ちゃんと名前を書いてない、ていうことは、あわてんぼうのサンタクロースよろしく、ヨクワカラナイ手紙を届ける怪異が宛先を間違えた可能性だって、ぜんぜん否定できないわけだよ」

「なにさらっとサンタクロースを怪異と同列にしてんだよ。しかもなんだよ、ヨクワカアナイ手紙を届ける怪異って。いや、まあ確かに。未来から手紙が来たと言うよりは、何かの間違えの方が分かるけどもさ」


 でも、この「全略」のユーモアは、どうみてもイオナの物だ。そんな指摘をしようかとも思ったが、どうにも彼女が歯牙にもかけない様子だったから、オレも流すこととした。そうして、不思議な手紙のことを、その日中にオレは忘れられたものの、しかし、その翌日には思い起こさせる出来事があった。

 イオナが小学校に行かなくなった。

 これまで、六年間一度も欠席せず皆勤賞を目前とした彼女は、その栄誉をあっさり捨てた。何か元気がないとか、そんなことはなく、むしろ真剣そのものだった。ただ、勉強をするため、小学校をやめると言って聞かなかった。原因は、他に思い当たることがないため、消去法で昨日の手紙だ。話をしてみれば、何を思ったのか、どうやらあの手紙を本物と思ったらしい。しかし、イオナは、その詳細を語ろうとはしなかった。いつもの雄弁家らしくなく、しおらしくすら見えた。

 小学校の卒業式にも、イオナはいなかった。そして中学校の中頃では、彼女はすでに海外の大学で卒業認定の試験をクリアしていた。オレは彼女が学校に来ることがなくとも、彼女の家に足繁く通い、色々な話をした。

「OISTの教授とアポとって、明日議論をしに行くんだ。君も一緒に来てくれるよね?あっ、それから、来週は海外の大学に講義で呼ばれてるんだよね。イギリスだよ。もちろん君も一緒に行くよね?スターゲイジーパイを食べてみよう!」等々、なかなかの行動力に巻き込まれることもあったが、ともかくオレは彼女と一緒にいることが相変わらず楽しく、楽しんだ。

 しかし、オレはどうにも文才ばかり溢れているだけの凡人であったようで、中学校の終わり、高校受験という壁にぶつかると、イオナとの遊びに呆けていられなくなった。いくつも作文の賞状を貰いまくっていても、高校受験は合格できないのだ。彼女と一緒に学んだ色々は、されども、狭く深いため、広く浅い高校受験とはまったく相性が悪かった。紆余曲折があって、オレは文系の道を選択した。受験戦争の最中も、オレは勉強の片手間に彼女と通話をしつつ過ごした。彼女の才能のすべてが羨ましくあったし、そのストレスから恨めしく思えてしまいそうにもなったが、しかし、ほどよい距離感があったおかげだろう、オレは自身のありしままを受け入れることができた。

 高校の中頃、イオナはノーベル賞を受賞していた。何を言っているのか、正直一瞬のうちは理解ができなかった。すごいすごいとは思っていたし、自他ともに認める天才であったものの、だからこそ、ノーベル賞をいずれ取るだろうと予測できていたはずなのに、オレはそれに驚いた。彼女が、サプライズだとか言って、その天才性を遺憾なく扱い、オレに対する情報を徹底的に伏せていたためであった。当然、という流れで、オレはノーベル賞受賞の現場にまで赴き、そして世間のカメラを浴びる羽目になった。マイクを向けられる経験を自分がすることになるとは、オレ自身思っていなかった。まだまだイオナに対する認識が甘いということだろうかと、遠くをみつめた心持だった。

 高校の終わりごろ、今度は大学受験があった。今度ばかりは、あまり苦労しなかったが、イオナはオレからしばらく離れた。直で会うこともすくなくなって、心配したオレは電話で話すのだが、電話越しでは特に元気であった。イオナのお母さんに話を聞けば、特に変わりないということだ。不思議に思ったが、これも彼女の選択だと思って、オレはオレの学業に専念した。彼女がいない日々というのは、まったくつまらないものだった。刺激が足りないのである。口を開けば、まったく未知の言葉を発して、驚きばかり届けてくれる親友がいないのである。オレは口にはしなかったが、悲しみに暮れた。そしてともに、その頃になって忘れていた“あの手紙”を思い出していた。

 十年後に死ぬと、供述した手紙だ。もうすでに、九年前の話となった、あの手紙のことだ。オレは一足先に二十二歳の時を刻んで、イオナは二十一歳だ。小学生の六年生から、ようやくあとすこしで十年なのである。

 オレの中で、あれはイタズラの手紙としてかたずけられていた。イオナはアレを原動力としたが、それはいうなれば、フィクションに憧れた科学者も同じなのだろうと思っていた。未来から届いた手紙、と仮定するよりも、イタズラの手紙と片付けた方がまだ信じられると思ったのだ。大人ぶった口ぶりばかりの小学生時代も今は過ぎて、もう分別がつく本物の大人となったのだ。ドラえもんが乗るタイムマシンは開発することができなくて、あわてんぼうのサンタクロースは自分の父親だったと知ったのだ。しかし、今となって焦燥感が湧いた。アレが、仮定、本物だとすれば。イオナが、仮定、あれから十年後のあと僅かの命だとすれば。オレは、イオナが距離を取った理由が、人知れず死のうとする猫と同じように思えてならなくなった。

 だから、オレはスマホを取った。

 いつも通り、電話をかけよう。

 画面を見つめ、心づもりを決めれば、拍子を抜かさんと画策せんばかりに、電話がかかってきた。イオナからだ。それは、久しぶりの電話だった。


「やあ!」

「イオナ!今まで何してたんだ!電話がつながらなくなって、オレすごい心配したんだぞ!」

「おっ、うう。初手から苦言かい?君はまったく、昔から心配性なんだから。なに、ちょっと研究に没頭していただけだから、あまり気にしないでくれたまえ」


 アハハハと、から笑いがあった。

 あからさま、間を作ることを嫌った笑いだった。その努力も虚しく、オレとイオナの久しぶりの会話は、お互いに距離感を見合う時間ができてしまった。

 何をしているんだ。そんなことで気まずくなる仲ではあるまい。いったい何年の時間を共に過ごして来たのだ。オレは自分自身にそう言い聞かせた。さて、気の利いたジョークのひとつでも言ってやろうか、あっと驚くようなやつを。と、思考は明後日の方向。


「えっと、君は。十年前の手紙を覚えているかな?」

「ん、ああ。覚えている。明日で、その十年の歳月がちょうど流れるということもな。あの手紙をみてから、イオナは今まで以上に勉強するようになったよな」

「ああ、よく覚えてるね。相変わらず、君の記憶力は私よりもいいらしい。そう、その手紙について話があるんだ。今夜の十時、月のレストランに来てくれないかい?」

「えっと、すまないが、それはどこだ?」

「あっ、後でメールで送るよ!それじゃ!」


 どうにも慌てた様子で、イオナは電話を切ってしまった。オレは訝しい顔をしていたと思う。嫌に性急だ。何やら心持ちの気持ち悪さを感じる。嫌な予感というやつだ。十年前の手紙が何なのだろうか。もしかすれば、イオナのやつは持病でもあったとか、そのような衝撃的な告白をされるのだろうか。それがあとちょっとで余命を迎える、などと言われてしまえば、オレはもうどうすればいいか分からない。十年前からも、ずっと同じ時を過ごして来た親友であるが、彼女は天才だ。何しろ、隠すことについても、天才であってしまう。仮にこれが、余命の告白をされたとしても、驚きと共に納得すらしてしまうだろう。

 予告通り、メールが届いた。

 月のレストラン。高層ビルの高級レストランだ。オレなどでは、喉から手を出しても届かないようなレストランである。いよいよ不吉だ。高級志向なレストランで、満月がみえる夜にしか営業しないそうだ。何カ月も前から予約しなければ、席の確保もできないのだとか。リールを流れる写真は、青白くまん丸な満月ばかりが並んでいる。

 オレは、できる限り装いを整えた。

 夜。青い満月が、大きな窓を独り占めしている。都会のビル群が青白い光に包まれている様が壮観だ。なるほど、予約が殺到するわけだと思った。きっと、この店でプロポーズでもすれば、結ばれること請け合いだ。

 イオナは、窓のすぐ傍の席でたたずんでいた。

 小学生の頃からしばらく、イオナは大人びた美しさを得た。実験と研究ばかりの生活をしていながら、どうしてその美しさを保てるのかと、理由すら聞きたく思えるほどの美貌をしていた。この青白い満月が照らす彼女は、オレが知ってるどんな神話よりも美しかった。物憂げな顔は、しかし、オレはどうにも悲しく思った。

 オレが来たことに気が付くと、とたん、顔を輝かせてイオナは立ち上がった。こっちこっちと、もう分かっているというのに、元気よく招く。


「久しぶり」

「うん。久しぶり」

「綺麗だな」

「そうでしょ?ここ予約するの結構苦労したんだよね。科学分野の頂点といわれている私にすら、難しいレストランだなんて、とっても気難しいよね」


 ふざけて、難しい顔をしてみせる。

 呆れるように、オレは笑った。

 努めて、いつも通り喋ることを心掛けた。恐らく、イオナも同じだろう。長年一緒にいるのだ、相手の気持ちも分かるというものだった。何か、ためらっているように感じられた。口を開き、また閉じている。

 見かねて、オレが口を開いた。


「明日で、十年か」

「そ、そうだね」

「もうオレ達も酒が飲める年齢になったな」

「うん。私はまだ、飲んだことがないけど」

「飲んでみよう。何も頼まないのも悪い」


 お互い、小さな酒を頼む。

 青白い月の光が溶けて、甘そうなカクテルが来た。

 お互い、何を喋ろうかと掴み兼ねた空白があった。

 カクテルに口を付けて、ようやく話す。


「結局、イオナ。お前はあの手紙についてあまり教えてくれなかったよな。たぶん、というか、十中八九。今日、オレを呼んだのは、あの手紙に関することなんだろう?」

「あー、うん。そうだね、そうといえなくもないかな」

「?煮え切らないな」


 何かを飲み込んで、イオナは話し始める。

 恐らく煮え湯だ。それほど言い辛いことなのだろう。


「そうだね。私が知ってることを話すとも。ごめんね、君に隠してて。どうしても隠したいと思ってしまった事情があったんだよ。君が、悲しんでしまうと思ってね」

「へえ、オレが、ね。自分で言うのも何だが、薄情なオレはなかなかどうして悲しむことはないと思うぜ」

「ふふっ。嘘ばっかり」


 イオナは儚げに笑った。月明かりに照らされた彼女の微笑は、とても様になっていった。今日ばかり、なぜか彼女がとんでもなく美しく見える。それはきっと、このレストランが舞台装置となって、彼女を飾り立てているせいなのだろうと、オレはそう思った。


「んっとね、まず結論からいうよ。あの手紙は、本当に未来から届いたものだったの。あの手紙からは、私の指紋が見つけられた。もちろん、あの日、私が付けた指紋もあったけど、それ以外の指紋が明らかにあった。それに、どれほど似せても科学的にほとんど、その手紙が書かれた本人を特定していたの。だからこそ、あれは未来から届けられた。そう、私は仮定した」


 オレは茫然と、その事実を受け入れた。

 きっと、イオナが言うならそうなのだろう。彼女が名声をあげたから信じるのではない、彼女と過ごした時間が、彼女の言葉を証明してくれていると感じたのだ。

 でも、敢えて、懐疑的にオレは返した。


「でも、つまりイオナ。お前はこういっているのか?この手紙が届けられた時、すなわち今頃。お前はタイムトラベルのための装置を完成させたのだと。そして、明日のお前、十年後となるはずだったお前は、死ぬ運命にある、と」


 オレはあくまでも彼女の目をみた。

 伏し目がちに、遠慮がちに、彼女はオレの目を見返した。そのような仕草は、初めて見た。いつも快活で、自信満々な彼女からは考えられない可愛らしさと愛らしさに、思わず目を背けてしまった。


「うん。そうだよ。完成させたんだ」

「おいおい。おいおいおい。ほんとうかよ。今度はいったい何の賞を貰おうっていうんだ?ノーベル賞じゃ足りないじゃないか。イオナ賞でも打ち立てるのか?」


 オレはジョークで受け流す。

 しかし、寸で、真顔になる。


「それで、イオナ。お前の、その死ぬ運命というやつは、変えられないのか?変えることができるのか?できると言ってくれ。そのためならオレは何だってするつもりだ」


 イオナはあくまでも、ニヘラとスライムのような笑みを浮かべた。とろけた笑顔だった。


「未来から手紙を届けることができるような、そんなタイムトラベルが実現したということはだよ。既存の質量保存の法則が間違っていたということなんだよ。ううん、間違っていたというのは先人が築いた巨人に失礼だね。あくまでも、限定的だったの。この手紙のタイムトラベルで、その限定性の実証ができて、拡張の方向性が分かるんだよ」


 胸を反らして、鼻につく自慢をする。

 しかし、オレにはその言葉の深淵が掴めない。


「もうすこし噛み砕いてくれないか?三文字で」

「できる。…いや、三文字は、厳しすぎない?まあいいや。そう、今まで考えられていた理論のあらゆるは、私が淘汰したんだ。フィクションで良くある、タイムトラベルにまつわる問題。親殺しのパラドックスとか、事象の収束、つまりターイングポイントの存在とか、ぜんぶ否定することができる。死の運命は固定じゃない、可変なんだよ」


 オレはイオナが結論をいうのを辛抱強くまった。すなわち、イオナが死ぬか死なないかだ。イオナを助けられるか、助けられないか、という結論だ。


「安心して欲しい。死の運命は回避済みだ」


 自信満々に、彼女は言い放った。

 オレは、まるでその時はじめて、月明かりが希望の光にみえた。深い息を吸い込み、鼻を持ち上げて、そしてだらしなく椅子にズルズルと沈み込みながら、溜息をはいた。

 きっと、だらしないニヘラ笑みを浮かべていた。


「ああ、ごめんね。よっぽど心配してくれてたみたいだ。その、ああ、もうすこし早く言っておけばよかったよ」

「いや、いい。安心した。それだけでいいんだ。ちなみに、聞いても良いだろうか。どのようにして、死の運命を回避できたと分かったんだ?」

「ふふん、よく聞いてくれたね。私はタイムトラベル装置を作ったと言ったね。そして手紙を転送することができる、ということは分子を転送できて、光子も転送できるんだ。だから未来過去観測装置を作ってね、明日の様子をみてみたのさ。そしたら、私はバナナの皮を踏んでズッコケて死んでいたよ。うん、そう、バナナの皮でね」


 呆れるようにオレはクックックと引き笑いをした。イオナは乾いた笑いを出した。

 嘘だ。明らかに、嘘だ。その嘘が、よりにもよってバナナの皮を踏んで死ぬという、コメディを選んでくるところが良かった。だから笑った。彼女が嘘をついたということは、本当のことを言うつもりがないということだろう。ならば、オレは笑うだけだ。


「そ、それでね、えっと。私が君を呼んだ理由は、このことを話したかったからじゃないの。いや、このことを伝えたいと思ってもいたんだけど、それだけじゃなくてね」

「…?ああ、なんだ?」


 静かな空気が流れていた。

 このレストランはどうやら空気までも良いらしい。高級な空気清浄機を使っているのか、頬が瑞々しく心地が良い。頬の火照りが、冷たい空気で冷まされていくのを感じる。

 オレは努めて、イオナの慌てた様子に対し、優しい声色を出していた。ここまで取り乱して見える彼女は、あまり見た記憶がない。


「わ、わたしと」

「わたしと?」


 促す。よほど言い辛いことなのだろうか。タイムマシンを作ったというよりも、言い辛いことがあるだろうか。いや、ないはずだろう。よほど言い辛い事なのだろうか。

 オレは彼女をみた。

 彼女は恥ずかしそうに視線を外して、スカートを掴んでいる。頬は赤くなっている。意を決して、イオナはオレと視線をぶつけた。涙を浮かべているようにも見える。


「わたしと結婚してください!」


 オレはきっと、固まった。

 色々なツッコミが頭の中を駆け巡った。いやいや、まて、段階をすっ飛ばしすぎじゃないか。オレたちは、確かに長い時間を養ってきた親友であり、幼馴染だが、恋人ではなかっただろうと。普通、恋人を挟むものではないか。否、そうであるはずだ。否の否、イオナに普通など通じるモノか。この天才にして、天真爛漫にして、純真無垢にして、温厚篤実でありつつ、イタズラ好きで、サプライズが大好きで、善良な彼女は、ただ愛おしいと応えるべきだろう。

 いつの間にか、オレは笑っていた。

 心の底からの笑いだ。涙が出るほどだ。


「ごめん、オレから言うべきだったな」


 いつか、何か。イオナにひとつくらいは、追いつけるものが欲しいと願うのが凡人の願いであるが、どうやら告白ですらも先を越される定めであったようだ。しかし、定めというやつは誤魔化すことができるのだと、オレはさきほど知ったばかりだった。


「イオナ。オレと結婚してくれ」


 イオナはタイムトラベルについて教えるときなんて、比べ物にならないくらい、喜びの涙を浮かべた彼女は、胸に手を当てて、頷いて。


「うんっ」


 初々しく。二十余年の連れ添いの末、オレ達は結ばれるエンディングを辿ったようである。




 その翌日、オレはまたいつも通りイオナの隣に立っていた。

 タイムマシン装置と紹介された、物々しい機械があった。思ったよりスマートな見た目ではなく、無骨である。イオナの談では、商品化を目指していないプロトタイプはこんなものなんだそうだ。

 イオナはタイムマシン装置の日時を設定し終えたらしく、あとは過去に送る物を決めるだけだと言った。そうして、今度は自信満々に、手紙を取り出した。新しい手紙、あのくだらない内容を書き写した手紙だ。


「また、十年前のオレの家に送るのか?」

「うんっ、そうしないといけないんだ。そうじゃないと、私と君が結ばれなくなってしまう。そんなこと、許されないからね!ちゃんと送るんだ」


 イオナが諸々の操作を終わらせて、レバーを引く。すると、電気がバチバチと怪しげな音を鳴らすも、無事終了したようだった。タイムマシン装置の中を開くと、寂しげに置かれていた手紙は、もうなくなっていた。

 おそらく十年前、あのポストに届けられたのだ。


「思うんだが」

「ん、なんだい?」


 愛しそうな声で返してくれる。愛おしい。


「手紙の内容は変えてないんだよな?タイムパラドックスとかがないのなら、どうして、内容を何も書かないんだ?『全略』なんて。もしも、タイムマシン装置の作り方を書けば、もっと早く作れるかもしれないじゃないか」


 ああ、そういうこと。

 イオナは独り言を呟くように、言った。


「ふふっ、あれはね。今はもう、意味のなくなった文章だよ。最初から、意味なんてなかったんだけどね」

「謎かけか?」

「また十年後、もし覚えてたら答えてあげるよ」

「ふっ、それは覚えておかなくちゃいけないな」


 物々しいタイムマシン装置の前で、ふたりの恋人が結実した。お互いに手を結び合い、十年の呪縛を終わらせて、これからの幸せを噛みしめていくのだ。

 彼らなりの幸せを探して。


終わり


 全略の中身


 さて、イオナは嘘をつくのが上手ではない。

 もちろん、バナナの皮で滑ってイオナが死ぬなどという運命は、どの未来を覗いてみても、ありえない。嘘である。なぜなら、その手紙が未来から、親友に向けて届けられているためだ。イオナが言った通り、未来から物を送れるという事は、光子も転送できるという事で、つまり観測ができるということだ。未来に何が起こるのか知れるため、バナナの皮で滑る未来を、やはり手紙を送る前の世界でも特定できているはずなのだ。それで死ぬのはあり得ないということができるようになる。

 さて、イオナは最終的に、過去に手紙を送るという道を選んだ。これは手紙を受け取った、すべてのイオナは、すべからく同じ道を通る。だから、考えるべきは、最も最初である。手紙を受け取っていないイオナがどのような道をとったのか、である。ここからは、本編の情報からは分からない、ネタバレである。

 イオナは手紙を受け取らない。つまり、日常がずっと続いていくだけなのだ。小学校に行くことを止めず、主人公と一緒に居続ける。中学校の時も、高校の時もである。しかし、主人公もまたヒトであり、思春期を経験するものである。ときおり、イオナという天才が隣にいることがコンプレックスになり、それが場合、酷くなる。才能の差を強烈に叩き付けられる主人公は、イオナとの決別を選択することとなる。主人公は天才という強力な要素をもって、決定的にねじれる。そして、その文才をくすぶらせつつ、主人公は自堕落を経験し、そのまま自死を選んだ。その死の起点を、イオナと名付けて。いくつかの著作を手掛けた彼であるが、遺作と呼べるソレを残している。手紙である。イオナを皮肉るように、主人公は手紙を書いたのだ。そのねじまがった性質を遺憾なく書き連ねて、その文才を結実させて、まるで別なイオナが書いたように全てを書いたのだ。タイムマシン装置を完成させたというイオナをあえて、十年前の親友と呼び、自死する自分を十年後の親友と呼んだ。イオナが言った、意味のなくなった『全略』とは、そもそも書く人が変わったため、必然だったのだ。最初の手紙だけ、主人公の手紙であり、それ以降のすべての時間の手紙はイオナの手紙なのである。ネタバレ終了。


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