7 好きな子とスーパーで会いました
放課後、僕はまっすぐ家に帰っていなかった。別に道草を食っているわけではない。漫画を買いに本屋へ行っているわけでもない。
僕はスーパーに来ていた。母さんから頼まれたお使いである。
母さんはお米と調味料(醤油や塩、砂糖等)、牛乳といった重いものばかりを僕に頼んできた。
断ろうと思ったが、お使いに行く代わりに好きな漫画を買っていいと言われたので、受けることにした。
それにどうにも持って帰れなさそうだったら母さんか姉さんを呼んでもいいという。
「一通り買ったかな」
僕は買い物カゴに入っている食材を確認する。流石に手で持っていくには重すぎるためカートを使用している。
これでお使いは完了だ。僕はレジを目指してカートの方向を変えた。
ふと制服のズボンのポケットから通知音が聞こえた。もちろんズボンにそんな機能はなく、スマホからだ。
ズボンのポケットからスマホを取り出して、起動する。ロック画面には姉さんからSNSアプリに届いたメッセージが表示されていた。
『いつものチョコレートを買ってきて』
姉さんからの新たなお使いだった。『いつもの』とは姉さんがよく食べている高カカオのチョコ菓子だ。姉さんはお酒を飲んでいる時によく食べている。
それにダイエットにも効果があるという。僕から見て姉さんは太っていないように見えるけど、やはり女性は気にするものだろうか。
僕は新しく課せられたミッションを遂行するべくカートを再び売り場へと向ける。正直もう一度売り場を回るのは億劫だ。
僕が来ているスーパーは広く子供の頃は迷子になったこともある。流石に今の僕は迷子にならないが、それでもお菓子売り場に行かないといけない。カゴにたくさん食材があるのでカートだって動かしにくい。
大体どうして母さんは僕に重いものばかりお使いを頼むのか。姉さんも僕にお使いを頼むのはやめて欲しい。お使いを頼まれたせいで花丘さんと一緒に帰れなかった。
そんな不満の声が心の中で上がる。これは姉さんからのお仕置きを覚悟してチョコレートを買うのを諦めようか。
立ち止まり自問自答していた時だった。
「あれ? 樫山君?」
聞き覚えのある声が耳に入り、そちらへ顔を向けた。そこには買い物カゴを持った花丘さんがいた。
「もしかして買い物? 私と一緒だね」
花丘さんの笑顔を向けられながら思った。僕にお使いを頼んでくれてありがとう、母さん、姉さん。お使いを精一杯頑張ります。
先程の不満を棚に上げて、僕は現金な感想を抱いた。
花丘さんと合流して、彼女と一緒に店内を回ることになった。花丘さん曰く彼女も家のお使いでスーパーに来ているという。
たまたま僕と同じタイミングでお使いを頼まれるなんて今日の星座占いが一位ではないが、ものすごい幸運だ。
「樫山君は何を買うの?」
「大体買ったんだけど、チョコレートも買おうかなと思ってさ」
僕はスマホを操作して、姉さんからのお使いの品を画面に表示させた。そして、何気なしにスマホの画面を花丘さんを見せた。あっと思った瞬間に、彼女は画面を見るために僕に近づいた。
けれど、僕は無様な声を上げなかった。花丘さんとは何度も話をする仲だ。
いつまでも僕のそばにくる花丘さんに声を上げるわけにはいかない。心臓は相変わらずドキドキするけど。
「おー、これはアレだね、確か苦いチョコじゃなかった?」
「うん、そうだよ。甘くないやつだ」
僕がそう答えると花丘さんは感心したような表情を向けてきた。
「樫山君は苦いの平気なんだね。大人だね」
「ま、まあね」
好きな子から尊敬の眼差しで見つめられて、思わずそう答えてしまった。姉さんからたまにこの手のチョコレートをもらって食べたことがあるので嘘は言っていない。
「もしかして、ブラックコーヒーも飲めたりする?」
「どうかな、コーヒーってあまり飲んだことがないから」
カフェオレぐらいだったら飲んだりするが、コーヒーを飲む機会はない。
「樫山君だったら飲めちゃいそうだね」
「そう? それなら今度飲んでみようかな」
僕は心の中のメモ帳にブラックコーヒーに挑戦すると書き留めた。花丘さんの期待に応えたいと思った。
「花丘さんは苦いのは苦手?」
「うん、そうなんだ。チョコも甘いのがいいし、コーヒーだって飲めないの」
少し恥ずかしそうに花丘さんは笑った。苦いものが苦手な彼女はとても可愛かった。
「チョコを買いに行くのに私もついていっていい?」
「え? いいの?」
花丘さんからのまさかの提案に僕は大きな声を出さないように必死だった。このまま会話が終わりそうな感じだった。だから、僕にとっても願ったり叶ったりだ。
「私もせっかくだから何かお菓子を買おうかなって思ってね」
そうして、僕らは話をしながら隣に並んでお菓子売り場まで歩いていった。僕は売り場まで永遠に着かなければいいのにと思っていた。
お菓子売り場には呆気なく到着した。広いと思っていたスーパーが今はとても小さく感じられる。これが相対性理論というやつか。
「樫山くん、こっちにあったよ」
花丘さんは僕の先を行き、僕の(というより姉さんの)お目当てのチョコ菓子を見つけてくれた。僕はカートのため、慌てずゆっくりと彼女の元へと向かう。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
花丘さんからチョコ菓子を受け取り、カゴに入れた。これでミッションコンプリートだ。姉さんの激痛マッサージ(めっちゃ痛くてめっちゃ疲れが取れる)を受けなくていい。
「それにしてもチョコレートのお菓子ってこんなにあるんだね」
花丘さんは商品棚を見渡して呟いた。棚には様々な種類のチョコ菓子が並べられている。
よく見る定番のものから抹茶味といったものまでたくさんチョコ菓子がある。
そんなチョコ菓子が並んでいる棚を花丘さんは眺めていた。
「花丘さんもチョコを買うの?」
「なんかここに並べられてあるのを見てたら食べたくなっちゃった」
花丘さんは一つ一つのチョコ菓子を吟味していった。その表情はいつになく真剣だ。
笑顔の彼女も素敵だけど、真剣な表情も魅力的だ。
「樫山君はおすすめとかある?」
「うーん、花丘さんは甘い系が好きなんだよね? だったらこっちに並んでいるのじゃないかな」
僕はミルクチョコレート等の甘味が強いチョコ菓子を手のひらで指し示した。
「でも、甘い系は大体食べたんだよね」
花丘さんは申し訳なさそうな顔をしていた。棚には数十種類のチョコ菓子が並んでいるが、それを花丘さんは食べたという。本当に甘いものが好きなんだと感心した。
いつの間にか花丘さんが棚から目を離し、何故だか僕を見つめている。言っておくが、僕はチョコ菓子ではない。ただの人間である。
良く見ると、花丘さんの視線は僕よりも少し下に向けている。彼女の視線の先を追う。そこには先程カゴに入れた高カカオのチョコ菓子が入っていた。もしかして。
「これ食べる?」
僕は姉さんからのお使いの品であるチョコ菓子を摘んで花丘さんに見せた。僕の言葉に花丘さんはびっくりしたような表情を浮かべた。
「えっ、悪いよ。樫山君が買うんでしょ」
「これは個包装だから少しだけなら食べてもいいよ」
姉さんには僕がつまみ食いをしたと言っておこう。そうすれば姉さんも一分ぐらいのマッサージで許してくれるだろう。
「でも、本当に甘くないよ。むしろ少し苦いぐらい」
僕も初めて食べた時は驚いたものだった。チョコ=甘いという認識があったためギャップで口から出そうになったぐらいだ。
「へー、そんななんだ。そう言われると手が出しづらいね」
花丘さんは僕の手にあるチョコ菓子を畏れ多いものかのように見ていた。苦いものが食べられない彼女にとって高カカオのチョコ菓子は未知のものだろう。
かと言って、先程花丘さんが言ったように甘い系のものは食べたものばかりで選びにくい。
花丘さんはどのチョコ菓子を買おうか迷っているみたいだ。僕は辺りの棚を見回した。
「じゃあ、これはどうかな?」
僕は棚からあるチョコ菓子を手に取り、花丘さんに見せた。
「これも高カカオなんだけど、僕のカゴにあるものよりはカカオが抑えめだよ」
僕が持っているのは姉さんのお使いの品よりもカカオ成分が低いものだ。
一度間違えてこっちのお菓子を買ってきてしまったことがあった。姉さんは「カカオが物足りない」と言いながら食べていた。
僕も少し食べてみたが、甘味も少ないけれど、それほど苦味も感じなかった。
「いきなりカカオが強いのじゃなくて、こっちから初めてみるのもありだと思うよ」
僕は花丘さんを安心させるように説明した。まるでお菓子会社の営業になった気分だ。
「そうだね。そうしようかな」
花丘さんはいつもの笑みを浮かべた。彼女に笑顔が戻って良かった。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
先程とは逆に、今度は僕が花丘さんにチョコ菓子を手渡した。花丘さんの手が触れそうで僕は心臓が高鳴った。
「じゃあレジに行こうか」
これで僕と花丘さんの買い物は終わりだ。彼女との買い物が終わるのは滅茶苦茶名残惜しいが、いつまでもスーパーにいるわけには行かない。スーパーには閉店時間があるし、僕たちも明日は学校がある。
「ねえ、樫山君」
歩き出そうとした僕を花丘さんが呼び止めた。僕は彼女の方を見た。
「どうしたの?」
「せっかくだから一緒に食べてみない?」
花丘さんは先程カゴに入れたチョコ菓子を顔の前
まで掲げた。
「食べます!」
僕は勢いよく返事をした。どうやら幸せな時間はまだ続くみたいだ。
買い物を終えた僕たちはスーパーの入り口近くにあるベンチに座っていた。花丘さんと一緒にチョコ菓子を食べるためだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
花丘さんが購入したチョコ菓子も個包装だ。僕は個包装に入ったチョコ菓子を受け取った。
包装を開けて出てきたのは手の平に乗るぐらいの小さな四角い形をしたチョコだ。
「見た目は普通のチョコと変わらないね」
同じく包装を開けた花丘さんは自分の手の中にあるチョコを興味深そうに見つめていた。
「じゃあいただきます」
僕はチョコを口の中へと運ぼうとした。隣にいる花丘さんは僕のことをじっと見つめていた。正確に言うと、僕ではなく、僕の口の中に入ろうとしているチョコを見つめている。
チョコを口に含んだ瞬間、控えめな甘さと苦味が口の中に広がった。姉さんからもらうチョコよりも苦味は少ない。
「どう?」
花丘さんは僕のことを上目遣いで見ていた。好きな子からそんな目で見つめられる時が来るとは思わなかった。
「好きだ」
「え?」
「ごめん、間違えた」
勢い余って告白してしまったが、花丘さんには聞こえなかったようだ。危なかった。
「普通のチョコよりは苦いよ」
「やっぱりそうなんだ」
花丘さんは再び自分の手にあるチョコを見つめていた。彼女の目にはチョコに対しての恐れか、あるいは戸惑いが含まれていた。どう見てもあまり食べたくはなさそうだった。
「そこまで無理して食べなくてもいいんじゃない?」
「ううん、大丈夫だよ。私も高校生なんだし、大人にならなきゃ」
何やら決意を固めた花丘さんは何故か目を閉じてチョコを口に入れた。
「苦いよ〜」
目を開けた花丘さんは苦いものを噛み潰したような、いや、実際に苦いものを食べている顔をした。
「これをいつも食べているなんて樫山君は大人だね」
「いや、まあ、毎日は食べてないよ」
食べすぎると姉さんから怒られるので、食べるのは数日に一個という感じだ。
「でも、平気なんでしょ?」
「そうだね」
「私も頑張るよ。このチョコを平気で食べられるようになる」
花丘さんはチョコ菓子の袋を持ち上げながら決意を固めた。やる気になっている彼女も可愛らしい。
「ふふっ」
不意に花丘さんは楽しそうに笑った。
「どうしたの?」
「そういえば急に思い出してね。ほら、『キミ振』で同じシチュエーションがあったなあって」
彼女の言葉に僕もあることが思い当たった。
「もしかして、翔が美春にチョコを渡した話?」
「流石樫山君。正解だよ」
『キミ振』の第七巻の話だ。ある日、美春が翔からチョコを貰った。そのチョコは高カカオで、美春は「苦い苦い」と言いながらもなんとか全部食べ切った。
「まるで美春ちゃんになった気分だよ」
花丘さんは楽しげに語った。確かに花丘さんは美春と同じくらい可愛い。いや、やっぱり花丘さんが可愛い。そう口に出さないようにするのに必死だった。