6 好きな子の友達に問い詰められました
今、僕は追い詰められている。僕の背には壁があり、どこにも逃げ場はない。どうやら相手は僕を簡単に逃がしてくれないらしい。
こんなに追い詰められたのは姉さんが楽しみにとっておいたケーキを間違って食べてしまった時以来だ。あの時の姉さんはそこらの大人よりも迫力があった。
「ねえ、聞いている?」
現実逃避に姉さんのことを考えていたが、相手の声によって現実に引き戻された。
僕は目の前にいる女子と目が合った。彼女は鋭い目つきの整った顔立ちで、花丘さんがアイドルみたいな可愛い系とするならば、彼女は女優のような綺麗系といった雰囲気だ。
そんな彼女に僕は壁際に詰められている。彼女の両手は僕の顔のすぐそばにある。つまり、壁ドンである。
まさか、人生初の壁ドンがされる側で、それも女子が相手だとは夢にも思わなかった。いや、別に男子にされたいわけでもないが。
「もう一回言うよ」
何も言わない僕に苛立ったのか、彼女は先程よりも声の圧を強くしていた。
僕はというと心臓がドキドキしていた。決して目の前にいる女子にときめいているからではない。生命の危機を感じているからである。
「あんたは莉香とどういう関係なの?」
彼女の口から出てきたのが花丘さんの下の名前だと気づくのに数秒を要した。
花丘さんと一緒に昼ご飯を食べてから数日が経った。あれから僕たちは一緒に昼ご飯を食べるようになった。
嘘である。見栄を張ってしまった。ただの願望である。
実際にはあの時の一回きりだ。次の日からは僕と花丘さんは別々でご飯を食べている。いや、それが普通だ。
花丘さんからしたら僕に『キミ振』で登場する料理を見せたかっただけだ。その目的が果たせたなら僕を昼ご飯に誘う理由はない。
だから、僕としても特に悔いはない。好きな子の料理を食べられて嬉しかった。これ以上はもう望まない。
嘘である。格好つけてしまった。本当はもっと花丘さんの料理が食べてみたい。
おにぎり以外の料理を食べてみたい。花丘さんが作った主菜も副菜も汁物も食べてみたい。
次は僕から彼女を昼ご飯に誘ってみよう。僕が一方的に花丘さんの料理を食べるのは流石によろしくない。
ならば、僕も弁当を作ってきて、おかずを交換し合うのはどうだろうか。
そうと決めたら、今度、母さんや姉さんから料理を教わろう。今の僕の腕前ではとても花丘さんに食べてもらう料理は作れないから。
そんなことを考えていた日のことである。
下校時間になり、教室からまばらに生徒たちが出ていく。
「じゃあな、また明日」
「うん、また明日。部活頑張ってね」
サッカー部に行く直己を見送り、僕も家に帰る支度を始めた。今日は花丘さんと一緒に帰らない。
彼女は友達と遊びに行くらしい。僕としては破茶滅茶に寂しいが、花丘さんには僕以外にもたくさん友達がいる。僕とばかり一緒にいるわけにはいかない。
そんな一抹の寂しさを抱えたまま、教室を出ようとした時である。
「ちょっといい?」
声のした方を振り返ると、そこには一人の女子が立っていた。彼女、田上佳澄は花丘さんの友達で、よく一緒にいるのを見たことがある。
「田上さん、どうしたの?」
僕と田上さんはあまり話をしたことがない。だから、声をかけられる理由が分からなかった。
「この後時間ある?」
「特にないよ」
「それならついてきてもらっていい?」
そう有無を言わさず、僕に背中を向けて田上さんは歩き出した。僕はただ言われるままその背中についていく。何やら厄介なことになりそうな少しの不安を抱えながら。
彼女についていき、人気のない階段の踊り場に着いた。
「ここでいいか」
そう呟いて、田上さんは立ち止まる。
「えっと、どういう用事かな?」
僕が尋ねると、彼女はこちらを振り向いて、僕に向かって歩き出した。
そのままだと田上さんと正面衝突してしまうので、僕は後退りをした。けれど、彼女は止まらず、どんどん僕に近づていく。その度に僕も後ろに退がる。
僕は背中に硬い感触を感じた。僕の背後は壁になっていた。それはつまり、僕はもう後ろに下がれないということだ。
壁に阻まれ、動けないでいる僕に田上さんはなおも向かってくる。そして、僕の顔の両側に手を置いた。彼女と目が合った。
「あんたは莉香とどういう関係なの?」
何やら険しい表情をしている田上さんからそう問い詰められたのだ。
「莉香はね、男子の友達はいるけど、今まで一緒に帰るようなことはしなかった。一緒に昼ご飯を食べたこともなかったんだ」
田上さんは僕のことを見つめながらも、別の誰かを見ているみたいだった。きっと彼女の頭の中には花丘さんの姿が思い浮かんでいるのだろうか。
「けど、あんたは違う。莉香とそんなことをするのは樫山だけなんだ。一体あんたは莉香とどういう関係なの?」
田上さんから問い詰められて僕はようやく理解した。自分がとても目立つことをしていることに。
確かに田上さんの言う通り、花丘さんと特別仲が良い男子がいるなんて今まで聞いたことがない。
花丘さんはクラスのみんなと分け隔てなく接しているが、それはつまり、特定の男子と深い仲ではないことを表している。
けれど、今の僕はそうではない。先程田上さんが言った以外でも、僕の家にお邪魔したり、本屋に行ったりしている。
特定の男子と仲良くしている。普段の花丘さんからでは考えられないことだ。僕は改めて自分がしたことがクラスのみんなから注目を集めていることを理解した。
しかし、それでも腑に落ちないことがある。
「どうして、田上さんがそんなことを聞くのさ?」
僕と花丘さんは二人だけの話だ。そこに第三者が何を言おうと関係ない。
これが、もし、僕たちが危険を犯しているのなら話は別だが、僕と花丘さんはそんなことをしていない。
僕の言葉を聞いた田上さんは言葉を詰まらせた。この様子からすると、今、彼女が行っていることを花丘さんは知らない可能性が高い。
「あの子はね」
田上さんはポツリと話し始めた。それはまるで年離れた妹に対する言い方だった。
「誰にだって優しい。だから、莉香の周りには色々な奴らが集まってくる。それこそしつこくあの子に対して言い寄る奴とかね」
「そんな人たちがいるのか」
「まあ、中学生の頃ね。私が追い払ったからもう大丈夫なんだけど」
田上さんは遠くを見つめるかのような表情を浮かべた。あの太陽のような笑顔を浮かべる花丘さんにそんな過去があったなんて知らなかった。
「だから、僕もそういう奴らの可能性があるってこと?」
「そう。友達としてはあの子が悪いやつに騙されていないか心配なんだ」
「なるほどね」
田上さんの主張は理解できた。僕も、もし、花丘さんが悪いやつに騙されているのならば、全力で助けに行く。だから、田上さんの気持ちは分かる。
けど、今、その彼女に疑いを持たれているのが僕だ。なんとか誤解、というか、僕のことを悪いやつではないということを分かってくれないといけない。
「田上さんに信じてもらうにはどうしたらいい?」
だから、僕は彼女に問いかけた。僕は別に田上さんと喧嘩したくはない。
勝てる自信がないということもあるが、僕と田上さんの仲が悪くなったら間違いなく花丘さんが悲しむからだ。それは絶対に避けないといけない。
「莉香と二人でいる時、何を話しているの?」
田上さんはまっすぐに僕を見つめた。僕が何を言うかひたすらに待つようだ。
僕は少し深呼吸をした。一瞬本当のことを言ってしまってもいいだろうかという戸惑いが浮かんだが、僕も田上さんを見つめ返した。
「漫画の話だよ」
「漫画?」
「そう。『キミに振り回される私の気持ち』の話をしているんだ」
僕の答えを聞いて田上さんは目を丸くした。何やら彼女にとっては予想外の答えだったらしい。
「確か莉香の好きな漫画だ。……、えっ、それだけ?」
「そうだよ。僕と花丘さんは同士なんだ」
僕はここが好機だと思った。少しだけ余裕を崩した田上さんを説得するには今しかない。
「じゃあ、登下校したのも?」
「『キミ振』について話すためだよ」
「昼ご飯を一緒に食べていたのは」
「漫画に出てくる料理を花丘さんが再現したんだ。僕に食べて欲しいからって。信用できなかったら花丘さんに聞いてみて欲しい」
僕だけの証言じゃ田上さんは信用しきれないだろう。だから、花丘さんにも確認すればいい。きっと彼女は僕と同じように答えるだろう。
僕の答えを聞いた田上さんは考え込むような顔をした。
「……ちょっと待ってもらってもいい?」
僕にそう告げた。僕が頷くと、壁から両手を離した。ようやく僕は壁ドンから解放された。
田上さんはスマホを手に取って、誰かに電話をかけた。電話の相手は僕には分かりきっていた。
「もしもし、ごめん、ちょっと聞きたいことがあってさ。最近、樫山と仲がいいじゃん? あれって、あっ、うん、そう。そうなんだ。私? 今は学校でいるよ。うん、もうすぐそっちにいくから……。じゃあね」
通話を終えた田上さんはスマホをじっと見つめていた。そして、スマホから目を離し、僕の方を見た。ばつの悪そうな顔だった。
「えっと、変なことを言ってごめん」
そう言って、僕に向かって頭を下げた。誤解が解けてよかった。
「僕は気にしてないよ。田上さんだって花丘さんを心配してのことだったし」
僕も直己が変な女子と一緒にいたら心配になる。それと同じだ。何かこの例えだと、僕が変なやつみたいだな。
「本当に悪かったよ。あんたと莉香はただの友達なんだね」
今度は僕が気まずくなる番だった。確かに現時点での僕と花丘さんは同じ漫画が好きな友達だ。
けれど、僕は彼女に想いを寄せている。だから、これからもずっと友達だとは言い切れない。
「ちょっと待って。樫山、あんたはもしかして?」
そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。僕の表情に何かを察した田上さんは再び険しい顔を浮かべていた。
僕がこの場から逃れるならしらばっくれるべきなのだろう。適当に嘘をつけばやり過ごせるはずだ。
けど、自分の気持ちに嘘をつきたくなかった。だって、僕は。
「僕は花丘さんのことが好きだ。この気持ちは本物だよ」
僕は堂々と目の前にいる花丘さんの友達に向かって宣言した。先程彼女から聞いた花丘さんの昔のことも聞いた。その上で僕は口にしたのだ。
僕の宣言を聞いた田上さんはさらに表情を険しくしたが、少し深呼吸をした。そして、僕のことを見つめた。
「どうして莉香のことが好きなの?」
そう尋ねる田上さんの顔は落ち着いていた。先程の一件から何も聞かず決めつけてはいけないと反省したのかもしれない。
どうして花丘さんが好きなのか。そんなことは分かりきっている。
「僕は花丘さんに救われたから。彼女の笑顔から元気をもらったからだ」
あの日のことはすぐに思い出せる。花丘さんは忘れてしまったかもしれないが、あの時話をして、僕は花丘さんのことが好きになった。
「けどさ、莉香はあんたのことをただの友達だと思っているよ」
「それは分かっているよ」
言われなくても分かっている。少し前までは僕と花丘さんはただのクラスメイトで、今は同じ漫画が同士だ。それは変わらない。
「だから、僕は花丘さんのことをもっと知りたいんだ。彼女がどんな物が好きで、どういう時に楽しい気持ちになるか知りたい」
ここ最近で気づいたことがある。僕は花丘さんのことを何も知らない。彼女が少女漫画を読んでいることすら知らなかった。
だから、花丘さんのことをもっと知りたいと思った。
「花丘さんに僕のことを知って欲しい。僕がどういう物が好きで、どういう時に楽しくなるのか知って欲しい」
恐らく花丘さんだって僕のことを知らない。彼女からしたら僕はたくさんいる友達の内の一人だ。
「だから、僕は花丘さんともっと仲良くなりたいんだ」
花丘さんのことを知るのはとても楽しい。僕と同じようなところ、僕とは違うところ、そんな一面を発見するたびに彼女により惹かれている気がする。
僕は思いの丈をぶつけた。田上さんは腕を組んで僕の聞いてくれた。
「そういうことね」
彼女は組んでいた腕を崩した。そして、改めて僕のことを見た。その表情は教室の時よりもいくらか警戒の色が薄くなっていた。
「莉香に迷惑かけたら許さないから」
「そんなことは絶対にしないよ」
田上さんの忠告に僕は苦笑して答えた。本当にこの人は花丘さんのことを気にかけている。
こうして、僕は好きな子の友達から一応?許しを得た。