5 好きな子から昼ご飯に誘われました
授業の終わりを告げるチャイムが教室に鳴り響き、僕は目を開けた。黒板の方に目を向けると、先生が教室から出ていくところだった。
「よく寝ていたな」
僕の後ろの席に座っている直己が爽やかに笑っていた。僕の席は教室の後ろの方のため、先生に寝ているところは見られなかったようだ。けれど、それで一件落着とはならない。
「ごめん、直己。ノートを見せて欲しいんだけど」
「まあ、あれだけ寝ていたらそうなるか。寝息が聞こえたぐらいだからな」
彼は苦笑しながら、僕にノートを渡してくれた。友達に寝息を聞かれて少し恥ずかしい気持ちになる。それほど熟睡してしまったようだ。
今日は、あのとても幸せな、そして、とても長い電話をした夜から次の日である。正確に言うと、電話が終わったのは今日の未明だから、同じ日になる。
そのため、今の僕は半端ない眠気に苛まれている。ちょっと気を抜くとすぐさま眠りについてしまうほどだ。
花丘さんと電話をするのは僕が自分で決めたことだから、悔いはない。それでも眠いことは眠いけど。
「昨日は遅くまで漫画でも読んでいたか?」
直己は僕が漫画好きだと知っている。だから、その問いかけは彼にとっては当たり前だ。
しかし、昨日の夜は漫画を読んでいたわけではない。花丘さんと電話をしていたのだ。
「まあ、そんなところかな」
けれど、直己にそのことを正直に言うのは憚られた。話を聞いた彼がどういう反応をするか分からないし、誰かの耳に入って、僕と花丘さんとの仲を誤解されて彼女に迷惑がかかるのは避けたい。
今の僕たちは同じ漫画が好きな友達(花丘さん曰く同士)なのだ。それ以上でも、それ以下でも、それ以外でもない。
「やっぱりか。漫画を読むのもほどほどにしろよ」
「分かっているって」
そう言って、僕を揶揄う直己を横目に、鞄から財布を取り出した。今日は昼ご飯を買うため購買に行かないといけない。そう思い、席を立とうとした時である。
「ねえ、樫山君」
声のした方を振り向くと、花丘さんが僕の席のそばで立っていた。彼女の手にはお弁当箱が入るぐらいの手提げ袋が握られていた。
「花丘さん、どうしたの?」
彼女が昼休みにこうして僕に話しかけてくるのは珍しい。いつもは帰る時にどちらともなく声をかけている。だから、昼休みに花丘さんと話をするのは滅多にない。
「お弁当を作ってきたんだ。一緒に食べない?」
「え?」
まさかの好きな子から昼ご飯に誘われた。あまりの衝撃に眠気は彼方へと消え失せた。
花丘さんに連れられ、僕たちは学校の中庭にあるベンチに座って、弁当箱を広げていた。弁当箱は楕円の形をしていて、材質はプラスチックだ。
花丘さんの手作り弁当とは男子から羨ましがられること間違いないものだ。教室を出ていく僕を見送った直己も「やるな」といった顔で僕を見ていた。
確かに好きな子と一緒に昼ご飯を食べるのはとても幸せなことである。花丘さんが弁当箱を取り出すのを待っている時は幸福な気分に包まれていた。
「はい、樫山君」
花丘さんは弁当箱の蓋を開いて僕に見せてくれた。そこには大きめのおにぎりが六個入っていた。おにぎりだけで、おかずは見当たらなかった。
その時、僕は弁当箱の中身を見て確信した。これは『キミ振』関係だと。
「これって、もしかして四巻の?」
「流石だね、樫山君。当たりだよ」
僕の言葉を聞いて、花丘さんは出来が良い生徒を優しく見つめる先生のような表情を浮かべた。
「このお弁当は『キミ振』で翔君が美春ちゃんに振る舞ったお弁当だよ」
花丘さんは楽しそうな笑顔を僕に向けた。やはり、『キミ振』関連のものだった。それでも、好きな子と一緒に昼ご飯を食べられるのは幸せなことに違いない。
『キミ振』の第四巻にある話だ。テスト勉強を見てもらったお礼に翔が美春に弁当を渡し、2人で一緒に昼ご飯を食べることとなった。
弁当をもらった美春は早速食べようと開けたところ、おにぎりが入っていた。ちょうど今、花丘さんが僕に差し出した弁当箱みたいに。
「ということは、つまり、このおにぎりにも漫画の『アレ』が入っているってこと?」
「うん、そうだよ。頑張って作ったんだ」
得意気にする花丘さんを見て確信した。弁当箱に並べられているのはただのおにぎりではない。翔考案のオニギリンルーレットなのである。
オニギリンルーレットとは、簡単に言うと、様々な具材が入ったおにぎりの中から、どれを食べるのか選んでもらうゲームだ。翔考案のものである。
漫画では、翔が美春に仕掛けた。美春は恐る恐るおにぎりを選んでいた。
奇行が常である翔が作ったおにぎりだから、おにぎりの具の中身を彼女は警戒していた。気持ちはとても分かる。
「樫山君はどれを食べる?」
いつもの明るい笑みを浮かべた花丘さんは僕に問いかける。好きな子の手料理を食べられるという幸せなシチュエーションのはずが、ある種緊迫感を伴っていた。
手料理といっても、『キミ振』に出てくる料理を再現したもので、彼女がそれを忠実に再現したのなら、油断は禁物である。いや、それでも手料理はとても嬉しい!
「私のおすすめはこの左端のかな」
花丘さんが指で指し示したおにぎりを目で追う。彼女はとても楽しげだ。心なしかサイドテールもはしゃいでいるように見える。そんな姿を見てしまえば、おすすめを選ぶしかない。
「じゃあ、それをもらおうかな」
「はい、どうぞ」
僕は花丘さんおすすめのおにぎりを弁当箱から取った。おにぎりはずっしりと重く、茶碗一杯ぐらいはありそうだった。見た目は白い三角形のおにぎりだから、何が入っているか分からなかった。
「いただきます」
「召し上がれ」
僕はおにぎりを口いっぱいに頬張った。お米の味が口の中に広がった。と同時にバリバリとお米ではありえない硬い食感を感じた。
それは甘辛い味付けだった。さらに、また別の硬い食感を感じた。こちらは塩味だ。甘辛い味付けと塩味の硬い食感。記憶を頼りに僕は答えを導き出した。
「柿◯ー?」
「そうだよ。当たりだね」
花丘さんは輝くような笑顔を僕に向けた。僕が食べたのは某果物の種(を模したおかき)とピーナッツの組み合わせで有名なお菓子だった。
「なんかこう、意外と悪くないね」
きちんと物を飲み込んで一言僕は感想を述べた。柿◯ーの風味がお米に良いアクセントとなっているし、お米とは違った食感も楽しめる。
「そうだよね! 私も味見したけど、美味しいよね」
花丘さんが勢いつけて僕に近づいてきた。距離が縮まり、僕の心臓がうるさくなってきた。
「美春はこれを食べていたね」
漫画でも美春が最初に引き当てたのがこの柿◯ー入りのおにぎりだった。そういえば、彼女の感想も「意外と美味しい」だった。
「おにぎりの中にお菓子を入れるなんて翔君も面白いよね」
「翔だからなあ。でも、本当に美味しいよ」
自分ではとてもやってみようとは思わない組み合わせで新鮮だ。それに、花丘さんが作ったものと考えるとより美味しさを感じる。
「次はどれを食べる?」
最初のおにぎりを食べ終えた僕に花丘さんは再度問いかけた。おにぎりは残り五個。さて、何を食べようか。
「樫山君の好きなのを選んでね」
どうやら、二個目は僕が選んでいいらしい。おにぎりは見た目がどれも同じだから、外見ではどんな味か分かりにくい。
「じゃあ、この右端のおにぎりを食べるよ」
「うん、分かったよ」
僕は花丘さんに宣言して、おにぎりを手に取った。そのまま勢いよくかぶりつく。
その瞬間、僕の口の中で甘みが広がった。おにぎりで甘いもの!?と一瞬驚いたが、その甘みにどこか覚えがあった。僕がかじりついたおにぎりの断面を見ると、藤紫色の物体が顔を出していた。
「あんこ?」
「おおー、スイーツ系を引いたんだ。良かったね」
花丘さんの声色は楽しそうだった。だから、このおにぎりは当たりなんだろう。そうに違いない。
けれど、あんことおにぎりの相性は悪くない。というか、個人的には美味しく感じる。
お米とあんこの組み合わせで、まるでおはぎのように感じられ、僕の好みに合っている。
「ここで甘いものがくるとは思わなかったけど、美味しかったな」
「美春ちゃんも美味しいっていってたもんね」
『キミ振』でもあんこを引き当てた美春はおにぎりとあんこは良く合うと感想を言っていた。
「デザートを当てたからもう終わりね。って、思ったんだけど、まだ食べる?」
「食べるよ。食べます!」
僕は勢いをつけてそう返事をしたところ、花丘さんも嬉しそうな表情を浮かべた。見栄を張って良かった。
「けど、次が最後になりそうかな」
元々、僕は食が細い方だ。昼ご飯はおにぎり二個でも十分なのが常である。だから、大きめのおにぎり二個は僕としては余裕で満腹なレベルだ。けれど、せっかくの花丘さんの手料理だから限界まで食べたい。
僕は弁当を眺めて次に食べるおにぎりを吟味した。
「そういえば、言い忘れていたけどね。実はこの中に私が考えたおにぎりもあるんだよ」
突如花丘さんから爆弾発言が投下された。花丘さん考案のおにぎりだと。
今まで僕が食べたおにぎりは、作ったのは彼女だが、考えたのは翔である。翔の料理を食べたといってもいいだろう。
しかし、花丘さん考案のおにぎりならば話は別だ。そのおにぎりは間違いなく彼女の手作りだからだ。
つまり、花丘さんが僕のため(語弊)に考えて作った料理なのである。それは何としてでも食べたい。
僕は慎重に弁当のおにぎりを見回した。確率は四分の一だ。まるで真贋を見分ける鑑定士になった気分だ。
僕が弁当を眺めていると、不意にふふっと目の前から笑い声が聞こえた。顔を上げると、微笑ましそうな顔の花丘さんと目が合った。
「どうしたの?」
「ただおにぎりを選ぶだけなのに、樫山君は随分と真剣だなと思ってね」
僕にとっては当然のことだけど、彼女からすると不思議なのだろう。そんな風に笑う花丘さんもとても可愛い。
「左から二番目のおにぎりにしようかな」
正直なところ根拠もなにもない当てずっぽうである。花丘さんにヒントを聞いてみようと考えたが、それはやめておいた。やはり、自分で選ぶのがいいと思ったからだ。まあ、選んだのはただの勘なんだけど。
「二番目だね。はい、どうぞ」
僕が取る前に、花丘さんが弁当箱からおにぎりを取り出し、手渡ししてくれた。これは何かの確定演出なんだろうか。
「ありがとう。いただきます」
おにぎりを受け取り、そのまま口に運ぶ。神様、仏様、ご先祖様、今度のテスト勉強は頑張りますので、どうか。そう心の底から祈りを捧げた。
おにぎりをかぶりついた途端、口の中でトロトロしたものを感じた。どう考えてもお米ではない別のものだ。
それは肉や野菜の旨み、そして柔らかな甘さを感じられた。僕の頭に浮かんだのはカレーに似たあの白い料理である。
「ホワイトシチューだ」
僕はポツリと呟くと、花丘さんは目を輝かせた。
「私が考えたやつだよ」
僕は大当たりを引き当てたみたいだ。次のテスト勉強はかつてないほど頑張ろうと決意した。
「味はどうだった?」
花丘さん考案のおにぎりを食べ終えた僕に彼女は問いかけた。花丘さんの表情は彼女にしては珍しく笑顔が抑え目で、僕のことをじっと見つめている。
「とても美味しかったよ。シチューってご飯に合うんだね」
ご飯にかけるのはカレーというのが僕の勝手なイメージだが、シチューもまたご飯にハマっている。
「そうだよ。私の家だとたまにやっているんだけど、友達からは『ご飯にシチューをかけるなんて信じられない』なんて言われたからさ。樫山君のお口に合って良かったよ」
花丘さんは安心したような笑みを浮かべた。ありがとう、僕のお口。君のお陰で彼女を笑顔にすることができた。
「ご馳走様。どれも美味しかったよ」
思い返してみると変わり種の具材ばかりだったが、美味しかったのは間違いない。好きな子の料理を食べられて僕は幸せ者だ。
「お粗末様。あっ、ちょっと待って」
「は、花丘さん!?」
突如花丘さんは僕に向かって手を伸ばしてきた。僕の心臓は一瞬鼓動を止めた。
「動かないでね」
何をするつもりなの!?そう声を大にして叫びたかったが、必死の思いで気持ちを抑えた。
僕は思わず目をつぶった。口元の辺りで柔らかな感触を感じた。
「もういいよ」
そう言われて、僕は目を開ける。すると輝くような笑顔の花丘さんがいた。
「天使だ……」
「え? 何か言った?」
「ごめん、何でもないよ。それで急にどうしたの?」
花丘さんは僕に向かって人差し指だけを立てた手を向けた。何かのサインだろうか。
「樫山君のお口にお米がついていたんだ」
よく見ると、彼女の人差し指の先に米粒が1粒見えた。花丘さんが取ってくれたらしい。
「ありがとうございます」
「何で丁寧語なの?」
不思議そうな顔をした花丘さんは自分の人差し指を見つめると、それを口の中に入れた。僕はその光景をただじっと見つめていた。僕の口元についていたお米を彼女が食べた。
「食べてくれてありがとうね。残りは私が食べるよ」
花丘さんはそう言ったが、僕はあまり内容が頭に入ってこなかった。