4 好きな子と通話しました
『それでね、最新巻のところがね』
僕のスマホから好きな子の声が聞こえる。とても幸せなことだ。このままずっと聴いていたい。
『ねえ、樫山君は最新巻だとどの話が好き?』
花丘さんの問いかけに僕は必死に頭を働かせた。そうしないと漫画の内容が思い出せないからだ。
いや、僕の記憶力が悪いわけではない。これでも漫画に関しての記憶力は良い方だ。
では、何故、今の僕がこんなにポンコツなのか理由がある。
「……翔が美春に好きだと言ったシーンかな。あの引きはずるいよ」
『だよね! 私もそう思ってた。ここで続くんだって驚いたよ』
花丘さんの楽しそうな声が僕の部屋に響く。その声を聞くと、普段の僕なら元気が出てくるのだが、今の僕はそうではない。
僕は通話中になっているスマホの画面左上を見る。そこには時刻が表示されている。
只今の時刻は一時十五分。ちなみに言うと、午前一時だ。もう一度言おう。『午前』一時だ。
今、僕は自分に襲いかかる眠気に抗いながら好きな子と電話している。
花丘さんと最新巻を買ったその日の夜、約束通り彼女と電話した。その時点で午後十一時を回っていたと思う。好きな子と電話するなんて今までの僕からして考えられないことだ。
一緒にショッピングモールへ出かけただけじゃなく、こうして、電話で話をする。今日はなんて最高の一日だと心が弾んだ。
しかし、最高の一日は未だ終わりが見えない。というか、既に日付が変わっているため、終わってはいる。けれど、僕の中ではまだ同じ日なのである。
『最新巻もいいけど、前の話を読み返すのもいいよね。前の話だったら、私は』
花丘さんのテンションは全く変わりがない。猛烈な眠気と戦っている僕とは対照的である。
かれこれ二時間以上も電話で話をしているのに彼女は微塵も疲れを見せない。花丘さんは何で動いているのだろうか。
「花丘さん」
正直、もう話は終わりにしようと何度言いかけた。僕はいつも日付が変わる前に寝ているから夜更かしをするのはあまり得意ではない。だから、日付が変わったあたりで、彼女に通話を終わろうと言いかけた。
『どうしたの?』
「えっと、……、僕は三巻が好きかも」
けれど、できなかった。スマホのスピーカーから聞こえる花丘さんの楽しそうな声を聞くだけで話を止めようなどという無粋な提案は却下したくなる。
そんなことをしたら、花丘さんは残念がるだろう。僕も好きな子の寂しそうな声は聞きたくない。
ならば、僕が決死の覚悟で眠気と戦うしかない。これは男の意地である。
『樫山君は三巻なんだね。私も好きだよ』
それに彼女の声を聞くと戦う力が湧いてくる。今花丘さんが言った『好き』とは僕のことだろうか。なんだかそんな気がしてきた。
『三巻のどの話が好き?』
「いつも明るい笑顔でいるところかな」
「え?」
「ごめん、間違えた」
思わず花丘さんの好きなところを言ってしまった。眠気のせいで僕の頭はだいぶ働いていないみたいだ。
「美春が翔を家に誘って、テスト勉強をする話かな」
僕は頭をフル回転させて答えを導き出した。僕が言っているのは『キミ振』の第三巻に収録されている話のことだ。
テストを鉛筆占いで乗り切ろうとする翔を心配した美春が彼を家に誘ったのである。
美春の家に来た翔だったが、漫画を読んだり、台所を借りてカレーを作ったり、ゲームをしたり、掃除をしたり等自由奔放に振舞っていた。
そんな彼になんとか勉強させようとする美春と意地でも勉強しようとしない翔の攻防がとても面白かった。
『あー、あの話ね。面白かったよね。最終的には翔君が美春ちゃんの家にお泊まりしたのは衝撃だったよ』
話の終盤で翔が帰ろうとしたところ、台風が来たため帰れなくなり、美春の家に泊まるところで次回に続いたのである。美春の両親も仕事が忙しく帰ってこれないため、美春と翔が二人きりで過ごすというまさかの展開だった。
次の話では、美春が内心パニックになりながら、なんとか無事に一夜を乗り越えた。起きた美春がリビングに行くと、翔が作っていたご飯や味噌汁、卵焼きが残されていた。翔は自分の家に帰宅していたのだった。美春が「私、朝ご飯は洋食派なんだけど!?」というツッコミ?で次巻に続くというわけである。
『でも、ああいうのは憧れちゃうよね』
「え? そうなの?」
花丘さんの言葉に僕は聞き返してしまう。彼女はどうやら朝起きたらご飯ができているのがいいみたいだ。
花丘の意外な趣味が明らかになった。僕も翔のように料理を覚えた方がいいだろうか。
『誰かと一緒にテスト勉強をするって、私はやったことがないから』
しかし、僕の懸念とは全く違ったことを花丘さんは言った。と同時に彼女の言った内容を聞いて、気になった点があった。
「友達とテスト勉強はしないの?」
花丘さんはクラスの内外問わず友達がたくさんいる。だから、彼女は友達と勉強しているものだと思っていた。
『勉強する時に誰かといると、ずっと喋っちゃって全然勉強が進まないんだ。だから、私は勉強する時は一人なの』
「ああ、それは分かるよ」
僕も以前、直己と一緒に受験勉強をしようとした時がある。彼を家に招いて、僕の部屋で勉強を始めた。ところが気がつくと、僕らは部屋にある漫画を読み漁っていた。
おやつを持ってきてくれた姉さんが部屋に来なければ、僕と直己は勉強もせずにずっと漫画を読んでいたことだろう。その後、姉さんから漫画を没収されたけれど。
『樫山君も勉強する時は一人?』
「うん、そうだよ」
受験勉強の時の反省を生かして高校に入学してからは、一人で勉強している。なんだかんだ一人でやると集中できる。
『どこで勉強しているの?』
「図書館の自習室とかかな。自分の部屋だと漫画が置いてあるから集中できないんだよね」
姉さんが見張っていない限り、僕は自分の部屋だと勉強ができないタイプだ。本棚にある漫画のタイトルが目に入ってしまうとどうしても意識がそちらに向いてしまう。
『この前お邪魔したけど、樫山君の部屋には漫画がたくさんあるもんね。あれだけあったら私もつい読んじゃいそう』
「そうだよね。花丘さんなら分かってくれると思ったよ」
この後も花丘さんとの話は続いていった。『キミ振』以外の漫画の話、勉強や友達の話をたくさんした。僕たちは眠りにつかず、ずっと話をしていた。
『今、何時かな?』
その瞬間は急に訪れた。通話をして初めて花丘さんは時間を気にしたのである。
『えっ、もうこんな時間なの!? ごめん、樫山君。気づかなくて』
彼女の声がスマホから響く。申し訳なさそうな声色だった。
僕はそんなことはないよと言いたかった。けれど、言えなかった。既に僕は半分夢の中である。とうとう頭が働かず、ぼーっとした状態が続いている。
『もしかして寝てるのかな?』
僕の返事がないことを不思議に思った花丘さんはそう結論に辿り着いていた。僕は口を開いて言葉を絞り出したが、あーとかうーとか碌なものが出てこなかった。
『寝言でも呟いているのかな。本当にごめんね。今日はたくさん話せて楽しかったよ』
彼女の声が僕の耳に届く。その意味を咀嚼するには僕の脳が働いていない。
『おやすみ。また明日ね』
彼女の優しい声が部屋に響いた。その時、僕は最後の力を振り絞った。
「おやすみ。花丘さん。僕も楽しかった」
自分でもどうかと思うほどか細い声だった。花丘さんに届いたか分からない。
スマホから通話終了を告げる音が発せられた。
その音が聞こえた瞬間、僕は意識を手放した。