悲劇、反撃、逆転劇!〜手遅れなんて起こさせない
半年以上ぶりに訪ねた彼の屋敷で、顔なじみの使用人たちは、少しよそよそしくはなっていたものの、あいかわらず丁寧に応対してくれた。
通された女性客向けの客間は、印象が変わっていた。内勤にセンスのいい職人が入ったのだろうか。カーテンとクッションとクロスが、これまでの重厚で厳めし過ぎる暗色から、温かな落ち着ける色味に変わっている。ひだ折は丁寧で、縁飾りの柄や刺繍は繊細で華やかだが派手すぎない。生けてある花も含めていい感じだ。香りがきつすぎないのもいい。
うちの若い親族用の居間の雰囲気に近いが、こっちのほうが自分の好みなので、今度、私室のインテリアで真似してみようなどと考えていると、我が元婚約者殿が来た。
型通りの礼と簡潔な挨拶を交わして、私達はお互いに相手を見つめた。
「こうして会うのは久しぶりだね」
「もう婚約者でもないというのに、図々しく押しかけて申し訳ございません」
「かまわない。座ってくれ」
彼は、少しやつれたようだった。
どれほど詰め込み勉強で切羽詰まっても、泣くほど弱音を吐いても、どこか明るく澄んでいた瞳が、痛々しく憂いに陰っている。それほど心の傷が深かったのだろう。
私は用意していた定型のお見舞いと気休めの言葉を言えないまま、静かに彼の向かいの客用の長椅子に座った。
なんとなく黙ったままの二人の間に出されたティーカップからは、温かい湯気が立ち上っていて、良い香りがした。……ほのかなハーブの香り。うちでたまに母と飲むお茶と同じ香りだ。
私はなんだか少し気分が上向いた。
私は顔を上げて、黙ってじっとこちらを見ていた彼に、詫びの言葉を切り出した。
「申し訳ありません。こんなことになるとは……」
「そうだね」
「あれだけ豪語したのに、貴方の望みを叶えることができませんでした」
「いいよ。貴女が謝ることではない」
「もし、貴方が望むなら、彼女を取り戻すか、貴方があちらの国に行けるように手配を……」
「いいんだ。貴女はよくやってくれた」
私は視線を落として、膝の上で組んだ手を握りしめた。
彼は立ち上がると、テーブルを回り込んで、私の隣に座り、私の手に自分の手を重ねた。
「ありがとう」
私はギュッと目を瞑って、3つ数えてから、隣でこちらを覗き込んでいる彼をジロリと睨み返した。
「上出来です……が、どういう了見ですか?」
「うぇっ?」
「私が教えた口説き落とし構文を、こんなときに私に適用してくるというのはなんなんですか」
「い、いや……なんだか、貴女がつらそうだと思ったから……」
「えっ?」
私は思いも寄らない言葉を聞いて、きょとんとした。
「私の様子がつらそうだとか、どうだとか、これまでお気になさったこと、ないですよね?なんでまた突然?」
悪いものでも食べたか、ショックで寝込んで熱でも出たのかと心配すると、彼は大きなため息をついた。
「すまない。私が悪かった。どうか勘弁してくれ」
「あ、はい。特に謝罪されるようなことはされていないので、お気になさらず。あえて言うならば、この距離は現状の私達の間柄では大変不適切なので、どうか向かいのお席に」
彼は、深く傷ついた様子でガクリとうなだれた。
「大丈夫ですか?そういえば最近、本当にご無沙汰していて、愚痴も不安も聞いて差し上げておりませんでしたね。そんなに不調になるぐらいお辛かったのなら、お話ぐらいは聞きますよ。どうかお顔を上げてくださいまし」
重ねられたままだった手を握り返して励ますと、彼は心底つらそうに「どうしたらいいんだ」とぼやいた。
「ただ素直に本音を打ち明けてくださればいいですよ。気取る必要はありません。これまでだって、ずっと情けない泣き言を並べてきたじゃないですか。逃げたくなるほど辛いことは、全部、吐き出しちゃってください」
彼は、どこかがひどく痛むのをこらえているような顔をして、苦笑した。
「……逃げるのをやめたいんだ」
「いいことです」
「ちゃんと向き合いたい」
私は微笑んだ。
真面目で努力家で、伸びしろが大きいって素晴らしい。ちょっと会わない間にこんなに立派なことを自分から言うようになってくれるとは。
「お手伝いしますよ」
「結論と正論と解決策を提示するのか?」
「いいえ。一緒に考えましょう」
彼は、恨めしそうに私をじっと見てから、「私の話を聴いて欲しい」と告げた。
「笑えないかもしれないけれど、オチはちゃんとある」
「そんなこと、お気になさらなくても、貴方のお話なら、私、いつでもちゃんと全部聴きますよ」
「……ありがとう」
彼は静かに、これまでのことを語り始めた。
最高学年になり、卒業後を見据える必要ができて、このまま学年首位を取り続けて、父の補佐に入れるのか、学業や家業の重圧に押しつぶされそうな気分だったこと。
そんなとき、周りの男友達が可愛い可愛いと噂する男爵令嬢が、自分に気のある素振りをしてきて、舞い上がってしまったこと。
彼女から「そんなこと、全部忘れて、楽しく生きればいいんです」と言われて、解放された気分になったこと。
でも、私に教えられたとおり、彼女をよく見ていたら、彼女が自分の為を思ってそう言ってくれたわけではなさそうだということが、だんだんわかってきたこと。
他の男友達や周囲の女性達をつぶさに観察するようになって、色々と気付いたことが多かったこと。
「貴女と私の関係は、普通の婚約者同士の関係とはちょっと違ったらしいというのにも、その時気づいた」
たしかに、私は平均的なご令嬢方のように女らしくないので、至らぬ点は多々あったのだと思う。
「それで、アーベル殿下やイアソンが、自分の婚約者と一緒にいるときの様子を見て、自分はどうだったかなと思ったんだ」
不甲斐なくて気が利かなくて我儘で情けなかったと反省した、と彼は告解した。
「私はウリューエルほど清廉でもないくせに、オルソーやエイダスほど女性の扱いに長けているわけでもなかった」
「彼らは極端な例ですから」
「あまりにも貴女に対して子供っぽい無神経な振る舞いをしていたと思う」
「子供の時からの付き合いですもの」
私も淑女らしからぬ振る舞いが多かった自覚はあるので、お互い様だ。
「いいんですよ。私とのことをそんなに気に病まなくても。私は貴方が幸せになってくだされば、それで満足なんです」
私はなんとなく重ねたままだった相手の手の甲を撫でた。彼は泣きそうな眼差しで、私の手を取り直して指を絡めた。
「それは、愛情だろうか?」
「え?」
「私と貴女の関係が普通ではなかったらしいと気づいてから、私は貴女が他の男性にどのように接しているかよく見てみたんだ」
んんん?それはいつだろうか?
学院では最近できるだけ会わないようにしていたし、一緒にいたことはほぼなかったはずだが?
「私との婚約を解消した後も、貴女の態度は変わらなくて、どの男性ともよそよそしく距離をおいていた」
まぁ、普通にしていただけというか、基本的に恋愛が下手というか、可愛らしく男に媚びを売るのが苦手というか……そもそも関わりたいと思う相手がいなかっただけというのが正しい。
どう答えたものかと当惑している私の手を彼はぎゅっと握った。
「思ったんだが……貴女は私のことをかなり愛してくれているのではないだろうか?」
「ぷわっ!?」
「私のうぬぼれの思い込みだったら、滑稽だと笑ってもらって構わないんだが、諸々の検証を行うと、どうにもそういう結論になるんだ」
彼は、困ったような、それでもどこか澄んだ瞳で、私の目を覗き込んだ。
「私の思考パターンは、かなり貴女の影響を受けているんだが、真実の愛は永遠に一人に捧げるもので、たとえその相手と婚姻を結べなくても、相手の幸せのために、自分にできることをするのみ……という、この一般的でない発想は、実は貴女の恋愛観の刷り込みではないだろうか」
「んぎゅ?」
「思えば、幼い頃、ともに読んだ童話や、聞かせてもらった昔語りも、そういうものが多かった気がする」
そんなことは……やばい、あるかもしれない。え?私、意外に頭お花畑?
「そのう……違っていたら否定してもらっていいのだが、貴女は世間一般で女らしくて可愛らしいとされる女性像に対して、多少コンプレックスがあって、自分はその範疇に入らないと思いこんでいるのではないだろうか。そして、異性の気を引くために男に甘えたりする方法は知識では理解しているが、テクニックとして分析ができすぎているせいで、それに類似した行動を自分の愛情表現として使うと、後ろめたく感じるのではないか?」
……そういえば、こいつ、十分に知識を詰め込んでやると、解像度の高い分析と検証能力を発揮するんだった。
まさか学業のノウハウをこんな方向に適用してくるとは。流石、優秀な男って仕込みがいがあるって喜びたいけど、白目むきそうな気分だ。
「待って。論点がずれているわ。私の気持ちは、貴方の悩みや人生に関係ないでしょう」
「関係ある」
「だから逃げないで」と彼は囁いた。
「八方美人で、オルソーやエイダスと享楽的に楽しんでいるドートルード嬢を観ていて、自分の考える愛とは一般的でなく、あまり理解してはもらえないものだとわかったんだ」
あー、それはそうでしょうね。
「それで、私は自分を見つめ直したんだ。他人を見つめて、相手がなにを好み、何を望んでいるのか理解するのと同じ方法で」
おおー。応用ができている。
えらいなぁ……。
「その結果、わかったことがある。私は貴女から逃げていたんだ」
あちゃー。
これはあれだ。お前が一方的に入れ込んで粘着して構い倒すのに、もううんざりだから、二度と干渉しないでくれという縁切り宣言だ。もう一人前だから、いつまでも関係者ヅラして、お節介にベタベタすんな、と言い渡されるんだ。
つらいな~。
なんとなく、いつまでも一緒にいる道はあると思っていたんだけど、直接、お断りされるとダメだ。
そこまで考えて、私はさっき彼に言われたアレコレが、すとんと腑に落ちた。
ホントだ。私、この人が好きだ。
「泣かないで」
「泣いてないわ」
「はい。ハンカチ」
「ありがとう。洗って返すわ」
いや、記念にもらっておこうかな。
「好きだ。結婚して」
「わかったわ。ところでこのハンカチ…………え?」
彼は私の額に自分の額を押し付けて、言い聞かせるようにもう一度ゆっくり繰り返した。
「君が好きだ。もう逃げない」
相手の顔が近すぎてよく見えない。視界がぼやける。困った。息ができない。こんなに近いと吐息が。ああ。
「君と結婚したい。協力して」
「やらなきゃいけないことがいっぱいあるわ」
「一緒に解決しよう。君とならできる」
頭がクラクラする。自分がどう答えたかわからない。
私はぼやけてちっとも見えない目を閉じた。
両頬をつたった涙を、私の頬に添えられた彼の両手の親指が拭った。ごめんなさい。ハンカチ私が握りしめたままだわ。
「ヴィ……」
「……ラウ」
すぐに何もかも気にならなくなった。
§§§
「さしあたって、親にどう話すかなんだけど。今更、もう一度婚約したいって言い出すなら、それなりにプランを立てないと」
「ああ。それなら、うちの親にはもう相談した」
「えっ」
「前回の取り決め通り、君のお兄さんが宰相補佐に入るのはそのまま。賠償金も全額支払うことでいい」
「ちょっと、それってバランスが……」
「うちの父曰く、君がうちに嫁に来てくれるなら、それで十分に天秤が釣り合うってさ」
どうも今回の諸々の案件での暗躍?を知られていたらしい。流石に友人との内々の会話は知られていないだろうが、エイダス殿の件は公国側を動かすために関係者にあれこれ書簡を出したりしていたから、外交筋からバレたのだろう。あるいは男爵令嬢誘拐事件のときのドタバタか……うう、それは恥ずかしい。
「君と会えない日々でよく思い知ったんだが、私は君がいないとやっていけない」
「そんなことないわ。むしろ私と離れていた間に貴方、一周りも二周りも成長したと思う」
「ありがとう。でも、君の助けがあるなら、君と同じ思いで、互いの幸せのために生きられるのなら、私は一人のときの何倍も力が出せると思うんだ」
そんなことを正面から真っ直ぐ言われて、私はどうしていいかわからなくてモジモジした。
でもそうね。とてもよくわかった。こうして直接会って真剣に思いを伝えることって本当に大事。今、私、貴方がどれほど私を思ってくれているか、貴方の目で、表情で、声で、そして手のぬくもりで、貴方の全てで感じる。そして、私から貴方への想いも。
それは、肖像画を見ながら自分の思い込みを反芻するのとは全然違う。
返事をしない私に、貴方の目が不安そうに揺れた。ふふ、そうね。私からもちゃんと伝えないと。
なにか言いかけて開いた彼の唇が声を作る前に、私は彼をぐっと引き寄せて、有無を言わさずに私のありったけの気持ちを押し付けた。彼の顔がみるみる赤くなる。私はついニンマリと微笑んでしまった。
「わかりました。ご協力しましょう。私達二人でなら、できることはたくさんあります」
だって、生涯って結構長いもの。
一生、手放すつもりなし。




