イアソン殿は可哀想
モヤモヤの正体がはっきりわからないまま、シエナは思い切ってオクタヴィアに少しだけ相談してみた。
「そうか。目も合わせてもらえないのはつらいわね」
オクタヴィアはシエナを気遣わしげに見つめた。
「でも、シエナは男の方のことは、まだちょっと苦手なのでしょう?」
「ええ……それでも私ももう子供ではないわけですし、イアソン様でしたら……」
オクタヴィアは内心で、むしろあのでっかい岩石男は一番怖い部類なのではないかと、首を傾げたが、そういうのは当人の心次第なので、シエナにとってはそういうものなのだろうと納得した。
「距離をとっているのは、シエナへの気遣いかもしれないから、一度、お気遣いなくって、伝えてみたらどうかしら」
シエナはオクタヴィアの提案に、不安そうに視線を彷徨わせた。
「そう言っておきながら、いざとなったら怯えてしまうのではないかって……それはとても失礼で、あの方を傷つけてしまうでしょう?」
「そうね……」
オクタヴィアはしばらく考えていたが、「そうだ」と言って、俯いてしまっていたシエナの顔を覗き込んでニッコリ笑った。
「今のシエナが、どれくらいああいうタイプの男性に耐性があるか、一度確かめに行ってみない?」
「ああいうタイプ?」
何を提案されているのかよくわからないまま、シエナは曖昧に頷いた。
みなぎる大胸筋、溢れる上腕二頭筋。むさい、ゴツい、汗臭いの三拍子揃った厳つい男どもがずらりと整列したさまは山脈のようだった。
「これでも汗臭いのはいつもよりマシなのよね?」
「ハイ!お嬢様。今朝、全員強制的にシャワー室にぶち込みました」
爽やかな笑顔でそう答えた部隊長っぽい騎士は、今回の引率者であるオクタヴィアの義姉から「私のことはお嬢様じゃなくて奥様って呼んでちょうだいといつも言っているでしょう」とお小言をもらっていた。
学院の講義がない午後に、シエナが連れてこられたのは、第三騎士団が訓練中の演習場だった。第三騎士団は王家直属のエリート選抜部隊の第一や、王都周辺に領地のある高位貴族及びその派閥の下位貴族の出身者で構成される第二と違って、王都に縁故のない者が集められた騎士団である。一番所属人数は多いが、外回りで各地に遠征中の部隊が多く、王都に滞在している人数は少ないため宿舎や設備は小規模だ。騎士の質は玉石混交で、口さがない者から“寄せ集め部隊”だの“その他騎士団”だのと揶揄されている有様である。
オクタヴィアの兄の妻は辺境伯の娘なので、第三騎士団のうち、昔、辺境伯領で任に就いていた部隊の者と面識があるそうだ。
オクタヴィアが一体どういう説明をしたのかは不明だが、彼女の義姉は快く、オクタヴィアとシエナを第三騎士団の訓練の見学に連れてきてくれた。
騎士達は揃って上機嫌で彼女らを出迎え、なんともお行儀よく振舞ってくれた。オクタヴィアの義姉は、シエナと同じくらいか少し背が低い可愛らしい女性なのだが、大柄な騎士達に囲まれても少しも臆せず、気取らず、楽しげに言葉を交わしていた。シエナはなんとなく騎士達が、飼い主に尻尾をブンブン振る大型犬に見えた。
「私達はあちらで見学させていただくから、皆様はいつも通り訓練をなさってくださいな」
「え?今日は立ちあ……あー、義妹さんのお友達がいらっしゃるんでしたね!」
「ええ。ですから見学だけさせていただくわ……いつも通り」
「あ、ハイ。ソウデスネ」
「良かった。今日はいい日だ」
「お友達ちゃん、いい子だ」
「かわいい」
「いつも一緒に来てほしい」
「本物のお淑やかなご令嬢、素晴らしい」
シエナは大きな騎士達に一斉に視線を向けられて口々に褒めそやされ(?)て、戸惑った。
「わ、赤くなった。照れてる」
「すごい。淑女って本当に実在したんだ」
「かわいい」
「お嬢様抜きでも来てほしい」
「あなた達……」
「全員、散開! 二人一組で基礎訓練開始せよ」
突然、大声を上げた部隊長の号令に従って、シエナを囲んでいた男達は蜘蛛の子を散らすように、広い演習場に散らばって訓練を始めた。
「失礼いたしました。どうぞ、こちらへ」
目尻に笑い皺のできる部隊長は、やたらに爽やかな笑顔で「さぁさぁ!」と女性陣を簡易的な屋根とベンチのある場所に案内した。
「上品な育ちのご令嬢に勧めるには、粗末すぎる席で申し訳ない」
彼は白い大ぶりのハンカチを木のベンチに敷いて、シエナに微笑んだ。
「いえ……あの……」
シエナはオクタヴィアと彼女の義姉の顔をチラリとうかがった。二人とも騎士と同じくらい爽やかな笑顔だったが、なぜか騎士の方の笑顔が固まった。
「お姉様、どうぞ」
「いいのいいの、気にしないで。私はちょぉっと彼の上官とお話することがあったのを思い出したから、営舎まで行ってくるわ」
オクタヴィアの義姉は、騎士の肘をガシッと掴んで可愛らしく微笑んだ。騎士の目元が一瞬ひくついて見えたのは、シエナの気のせいかもしれない。でも、頑丈そうな猛者っぽい騎士が、既婚夫人とはいえ小柄な可愛らしい女性に引き立てられていくさまは、そこはかとなく、怒られて耳が垂れた犬を思わせた。
「ごめんね、シエナ。びっくりしたでしょう。みんな気のいい人たちなのだけれどちょっと無謀でお調子者なところがあるのよ」
以前から時々ここには来たことがあるというオクタヴィアは、シエナの手を取って座るように勧めた。見ると、いつの間にかベンチの上には厚手の布が敷かれ、クッションまで用意されている。戸惑いながら座ると、オクタヴィアの従者が彼女たちの脇に小さな折りたたみ式のテーブルを用意し始めた。どうやらクッションなどもこの従者が用意したらしい。
「どう? シエナ。怖くなかった?」
ここの連中は、イアソン・ボガード様と比べてもかなり男臭くて暑苦しい部類だと思うけれど、とオクタヴィアは演習場の男達を見ながら苦笑した。
シエナは、真剣に訓練に取り組んでいる男達をじっと眺めた。
確かに貴公子的なスマートさからは程遠い、むくつけき野郎ばかりだが、不思議と不快感はない。
昔、シエナの胸や腰にいかがわしい視線を向けて、よくわからないがおそらく品のない言葉で彼女を冷やかしたり、ちょっかいを掛けてきたりしたクズ男どものような気持ち悪さはない。先ほども突然わあわあ言われて驚きはしたが、恐怖は感じなかった。
「ここの方たちのような男の方は大丈夫みたいです。不快には感じませんでしたわ」
「そうなの?」
「皆さん、真摯に訓練に励んでいらして、素晴らしいと思います」
「それはあいつ等に直接言うと、調子に乗りすぎるから、シエナは言っちゃだめよ」
「そうなのですか」
「ハーゲン、第三騎士団に“真摯に訓練に励む姿に感銘を受けました”と感謝の言葉のメッセージを添えて差し入れを。有事を未然に防ごうとするその気概と、危険にもあえて立ち向かおうとする勇気も讃えておいて」
「かしこまりました」
従者は小さなテーブルに、お茶と焼き菓子を用意すると、一礼して静かに下がった。
「あら。これ美味しいわ」
軽い歯ざわりの焼き菓子を一口食べて、オクタヴィアはシエナに味の感想を尋ねようとした。おとなしくて、新奇なものにあまり手を出さないシエナも、これならば好みそうに思われた。
しかし、意外なことに彼女は演習場の騎士たちをまだ見つめていた。騎士達は大きな声で叫びながら、基礎訓練に励んでいる。正直、暑苦しいだけであまり面白みのない光景だ。
「シエナは、身体が大きかったり、声が野太かったりするのは平気なのね」
「そうですね。そういう“男らしさ”は、むしろ安心できます」
「安心?」
「イアソン様といると、何があってもこの方が守ってくださるって思えますもの」
「ああ……そう」
「大きなゴツゴツした手や、袖が窮屈そうな程筋肉が盛り上がった太い腕って、力強くて頼りがいがありそうだと思いませんか」
「んんん?」
オクタヴィアは口に含んでいたお茶を、なんとか吹かずに飲み下した。
「男の方って、あのように力強く大胆に身体を動かすことがおできになるのですね」
そうつぶやくシエナの目は騎士達を追ったままで、どことなくうっとりとしている。
「(あれ? この子ってこういう子だったっけ?)」
オクタヴィアは男嫌いだったはずの友人の意外な一面に目を白黒させた。
「シエナは、ボガード様が鍛錬なさる様子を見に行ったことはないの?」
「はい……」
シエナは、そういうことをしたことは今まで一度もないと答えた。お邪魔をしてはいけないとも思うし、そもそも女の自分が、通常は男性しか立ち入らない訓練場や、騎士団の敷地に入ること自体を、ハナから思いつかなかったという。
「イアソン様も訓練中に女性から声援を受けるのは気が散るから嫌だと仰っていましたし」
「そんなこと言ってたの?いつも学院では下級生の女の子にきゃぁきゃぁ黄色い声援をもらってたから、喜んでいるんだと思ってたわ」
「イアソン様はそういう方ではないです!」
「う、うん。そうだね。ごめん、シエナ」
「……ですから私、できるだけあの方のお邪魔にならないようにしておりますの」
「うーん」
オクタヴィアは、思わず眉根を寄せて難しい顔になった。
イアソンの心の内はわからないが、どうもこの二人は互いに気を使いすぎて距離を開けすぎている気がした。シエナがもともと男性恐怖症気味だったのが原因だろうが、様子を見る限り、今のシエナは過去の嫌な記憶をすっかり克服している。これまでは最適だった二人の距離が変わらないといけなくなっているように思われた。彼女が怯える子供ではなくなって、女性としての想いが生まれているなら、二人の関係は先に進むべきだ。
オクタヴィアは、友人のために自分ができることを考え始めた。
「騎士の方が日々の鍛錬で行う対人訓練は、学院での行事で見る模擬戦とはぜんぜん違うのですね」
「まぁ、学院のは学生のお遊戯だから」
「イアソン様は際立ってお強いのだと思っておりましたけれど、本職の騎士は皆様これほど鍛えてらっしゃるものなのですか」
「第三騎士団の中でも辺境帰りは実戦経験がある分、実践的だし動きがいいわよね……式典の行進なんかは苦手らしいけれど」
辺境伯領出身者は荒くれ者が多くて、規律を守らせるのは大変なのだと義姉から聞いたことがあると、オクタヴィアはシエナに語った。
「第一騎士団はどうなのでしょう。式典では皆様一糸乱れぬ見事なお振る舞いだったように思いますが」
イアソンはまだ学院に通う身だが、将来は第一騎士団に所属することが内定しており、すでに定期的に第一の訓練に参加してしごかれているらしい。
「第一は第三よりもずっと規律が厳しくてちゃんとしたところだから、訓練も行き届いているし、騎士も礼儀正しい良い方が多いと思うわよ」
一度、第一も見学に行くのはどうかと、二人は検討してみたが、第一につてはないし、規律がしっかりしているところに、婚約者が押しかけるのは、浮ついた印象がついて、イアソンの迷惑になるだろうという結論になった。
「おや、あれはベイトルード家の馬車か?」
イアソン・ボガードは、第三騎士団の演習場脇の馬車止めで、見慣れた紋章の付いた馬車を見かけて足を止めた。
「婦人用だな。……シエナか? なぜ?」
すぐ脇にはライゴールの紋章の付いた馬車もある。ライゴール家といえば彼の婚約者がいつも一緒にいる令嬢がそこの娘だ。ウェゲナー公爵家の娘との縁でよく一緒に出かけているらしいので、取り合わせに不思議はないが、貴族令嬢がこんなところになんの用だろう。
彼自身は第一騎士団から第三騎士団へのさほど重要ではない伝令で、よくあるお使いの雑用の途中だ。急ぎの用ではないが、かと言って、今、私事で時間を割くのははばかられる。
見れば、ライゴールの馬車から、従者が何やら大きなバスケットを下ろし、隣のベイトルード家の馬車の御者に一声掛けてから、その荷物を持って第三騎士団の本営の方に歩き始めた。
イアソンは従者を追って足を早めた。
呼び止めて、自分の身元を明かして、事情を問うてみたところ、思った通りその従者はライゴール家の令嬢付きの使用人だった。主人の指示で第三騎士団に軽い差し入れを渡しに行くところだという。
「差し入れ?」
「簡単な軽食と甘味を少量です。大げさなものでも、高価なものでもありません。本日、訓練の見学をさせていただいたのでその返礼の意味です。形ばかりで他意はありません」
大ぶりの籠の中には、確かに焼菓子や薄切りのパンのようなものが入っているだけだった。
「お一ついかがですか?」
「いや、そういうつもりはない」
イアソンが断ると、従者は「ではボガード様のところには、新しく別のものをご用意してから改めてお伺いします」と頭を下げた。
「確かにこちらは、ベイトルード家のお嬢様からのお心遣いなので、私の一存でお分けするのはよろしくないですね。申し訳ありませんでした」
「ちょっと待て」
微妙に聞き捨てならない返事にイアソンは立ち去りかけた従者を捕まえた。
「その差し入れは、シエナからのものなのか?」
「厳密に言えば、我が主の指示で用意したものですが、ベイトルード家のお嬢様から見学をさせていただいた騎士殿への称賛と激励のメッセージをお預かりしております」
従者は第三騎士団長宛の薄い封書を取り出して、すぐにまた懐にしまった。
何だそれは!
イアソンは憮然とした。
彼の婚約者はこれまで、彼の訓練など見に来たことなどない。もちろん、称賛と激励のメッセージを添えた差し入れなど、もらったことがない。
自分の知らないところで、自分の婚約者が他の騎士にそんなことをしていたのかと思ったら、イアソンは猛烈に不愉快な気持ちになった。
「わかった。もういい。行け」と手を振ると、従者は何事もなかったかのように営舎の方に向かった。
イアソンは重い足取りで、本営に行き、命じられた用を済ませた。
任務には個人の感傷の入る余地がないので問題なくこなせたが、それが終わるとどうしても先ほどの一件を思い出してしまう。自然に、普段から愛想のない表情がさらに険しくなってしまった。
イアソンの婚約者であるシエナ・ベイトルードは、たいそう可憐で美しい令嬢だ。奥ゆかしく清楚な女性なので、ガサツな自分では迂闊に近づくとうっかり傷つけてしまったり、粗暴だと嫌がられたりしそうな気がして、イアソンはいつも細心の注意を払って接していた。
遠回しに教えられたところによれば、彼女は自分と婚約する前に、無礼な男に不愉快な目に合わされて、男性全般に不信感を持っているらしかった。親に言い含められたところによれば、イアソンが彼女の婚約者に選ばれた理由が、奥手で朴念仁で女をいやらしい目で見なさそうだからであるらしい。自分は聖人でも木石でも女嫌いでもない普通の男だと主張したかったが、身分から言えば破格の縁談だから迂闊なことは絶対にするな、と釘を刺された。それもあって、イアソンは彼女をまともに見ることすらはばかられた。
なぜなら、シエナ・ベイトルードはとても……魅力的だったのだ。子鹿を思わせる大きくて少し潤んだ目、ふっくらした唇、ほっそりした首から続く美しい肩のラインは白鳥のよう。そして、清楚な印象を裏切る肉感的な胸元。アーベル殿下のサロンで知り合ったオルソーと言う優男が、彼女のことをそう評した時は「俺の婚約者をいかがわしい目で見るな」と怒鳴りつけたが、実際、彼女といると、身長差も手伝って、つい目がうなじや胸元に行ってしまう。すぐに目を逸らして、極力そういうことが起きないように気を配っているが、正直つらい。彼女は近づくと良い香りがするし、声もしっとりと落ち着いていて優しいし、一緒に話をしていると、それだけでだんだん彼女の方に吸い寄せられていきそうになって、己を律するのに毎回物凄く苦労する。
そんな葛藤を抱えて、それでも彼女を大切にしたいと、なんとかこれまで頑張ってきたのに、当の彼女の態度は、初対面のときこちらの姿を見て小さく悲鳴を上げた状態からほとんど進展がなく、ずっと余所余所しいまま。
「(挙げ句、第三騎士団の騎士に差し入れだと?)」
猛烈に腹がたった。
イアソンは、そのイライラの根源に気づいていない




