イアソン殿は無愛想
シエナ・ベイトルードは比較的早熟な子供であった。彼女は大人しく聞き分けが良い子として、慎ましく育ったが、問題は彼女の身体の方もいささか早熟だったということだ。
十代の早い時期に、女らしい体つきになってきた彼女は、そのことで幾度か不愉快な目に遭った。結果として彼女は、色ごとや、それを連想させるチャラチャラした色男に強い反発を覚えるようになった。
そうは言っても王妃候補の公爵令嬢の遊び相手にも選ばれるような身分の貴族令嬢だ。結婚は避けられない。それでもシエナの両親は最大限の配慮を払って、彼女の婚約者を選んでくれた。それが……。
「ほら、イアソン・ボガード様よ」
「相変わらず怖いお顔」
「剣技の実習で教官が怯えたって噂を聞いたけれど本当かしら」
学院の女生徒のクスクス笑いなど全く耳に入れずに、真っ直ぐ前を向いて背筋を伸ばし大股で歩く、まるっきり騎士の手本帳から出てきたような男、イアソンだった。
第一騎士団長の長子であるイアソンは、親譲りの恵まれた資質に加えて、幼少期からの英才教育的な鍛錬により、学院の生徒の中では飛び抜けた技術と力と体格を誇る優秀な男だった。学院の運動能力系の実習や行事では負け知らず。休日には父親が率いる騎士団で揉まれて、さらに日々強くなっているという猛者で、性格は謹厳実直な堅物。背が高く肩幅も厚みも騎士並みで、顔は精悍だが無愛想すぎて、全体としては巌のよう。
要するに、チャラチャラした色男の対局にいる存在だった。
年齢的には遅めの申し入れではあったものの、先方も特に意中の相手がいるわけでもなく、単にまだ結婚など考えていなかったという武人の家らしい返答で、順調に話は進んだ。イアソンは無愛想だが礼儀はわきまえた男で、婚約に関する一通りの手続きや時節の挨拶は几帳面に行い、これは良い方と婚約できたものだと、シエナの両親は喜んだ。
シエナも、初対面のときこそ厳つい巨漢に驚いて悲鳴を上げてしまったものの、その後は、きちんと距離をおいて節度ある態度で接してくれる相手に、感謝していた。
最近までは。
「最近何かあったの?」
「何も無いわ」
ベアトリスの屋敷でのお茶会の帰り、馬車が車回しに用意されるのを待つ間のちょっとした時間に、オクタヴィアに婚約者との仲を尋ねられて、シエナは内心でどきりとした。
「そう?ならいいけれど……悩みがあったらいつでも相談してね」
涼やかな眼差しで、そう言って手を取ってくれる幼馴染は、そんじょそこらの男よりも男前な性格の令嬢だ。いっとき、男性全般が怖かったシエナにとって、彼女の存在は心の支えだった。あれから何年もたって十代も半ばを過ぎたので、もう昔のようなことはないが、オクタヴィアがシエナにとって大切な友人であることに変わりはない。
「ありがとう。本当になにもないの」
とはいえ、いくら親友でも相談できないことはある。シエナは控えめに微笑んで、迎えの馬車に乗った。
「なにもない……って顔じゃなかったわね」
思案げにシエナを見送ったオクタヴィアは、自分を迎えに来た馬車の脇で、扉を開けてステップを用意している従者が、ハーゲンであることに気がついた。
「あなた、なんで馬車付き従者をやっているの?」
「代理です」と彼はボソリと答えた。
オクタヴィアは説明の続きを一拍待った。
返事はない。
「ひょっとして仕事押し付けられやすい?」
「そうでもないです」
無口な従者はそれ以上話そうとしなかった。オクタヴィアは諦めて用意されたステップを上がって馬車に乗り込んだ。ステップを仕舞ったハーゲンは、後部の狭い従者席に大きな身体を縮めて収まった。
オクタヴィアは、しばらく黙って馬車に揺られていたが、ちらりと後ろを見て、間仕切りに付いた小窓をノックした。
「ちょうどいいわ。お願いがあるの」
従者は彼女に頼まれて、また、ちょっとした用事を引き受けた。
シエナ・ベイトルードは、公爵令嬢のベアトリスの友人として派閥内の貴族家から選抜された令嬢の一人だった。王太子の婚約者で、王妃候補であるベアトリスには、そういう友人がたくさん用意されたが、従姉妹のオクタヴィアと同じくらい近しい関係にまでなれたのは、おとなしくて優しいシエナだけだった。華やかで勝ち気なベアトリスや活発なオクタヴィアと比べると、彼女はいたって控えめな普通の令嬢に見えたが、だからといって目立つ二人と一緒にいるシエナを妬んで悪くいうものは、学院にはほぼいなかった。彼女は人当たりがよく、ベアトリスとオクタヴィアという高位貴族に声をかけづらい一般女生徒にとっては、良い取次ぎ役でもあったからだ。
結果として、シエナはオクタヴィア達の耳には入りづらい下世話な噂話を聞いてしまうことが度々あった。
今回のエリス・ドートルドの一件も、おためごかしに悪意ある噂話を“御注進”してくる者が幾人かいたが、シエナはその度に自分のところでやんわりと止めて、それらがオクタヴィア達に届かないようにしていた。幸い、噂話ほどのひどい事態は実際には起こっていないようで、オクタヴィアのところも特に波風は立っていないようだし、いっときは険悪になってたベアトリスと殿下の仲も、最近は持ち直してきたようだった。
「それはいいことなのだけれど……」
シエナは寝室で一人ため息をついた。
寝台に横になって、暗がりで頭上のシンプルキャノピーのドレープをぼんやりと見上げていると、日中は忘れているモヤモヤが湧き上がってくる。
イアソン様は、私のことがお嫌いなのだろうか。
彫りの深い横顔が思い浮かぶ。
シエナの記憶にあるイアソンはいつも横顔で、隣から見上げた姿だ。こちらを見て微笑みかけてもらった覚えがない。
「(私はあの方の笑顔を知らないわ)」
客間の丸いティーテーブルを挟んでお茶をいただくときも、彼はシエナの正面には座らない。少し斜めにずれた視線はシエナの方を見ようとしない。
挨拶のときなどは正面で向かい合うが、そういう時は二人の間がとても広く空いていて、しかも彼はほとんど目を合わせようとせずに、硬い表情ですぐにスッと顔を逸らせてしまう。
彼が怒っているわけではないのはわかるが、なぜかと問うのは恐くて、シエナはいつも目を伏せてしまうのだ。
その彼が、エリス・ドートルドには微笑みかけたという。
真偽の程は定かではないが、いつも男同士でしか行動していない彼がエリスらしい女生徒と一緒にいるところを遠目に見たことはある。
二人の距離は近かった。
互いの腕が触れ合いそうなほど近くを歩いていたエリスは、なにか楽しげに話しかけながらイアソンの正面に周り、なんと彼の分厚い胸を小さな拳でポカポカ叩いていた。彼は嫌がりもせず、なにか一言二言返して、彼女の頭を撫でていた。
「(あんなこと……されたことない)」
シエナは自分が彼の胸に手を触れているところを想像した。いつも彼女の目の高さにある頑丈そうで分厚い胸元はたやすく瞼に浮かんだが、その手触りは全く想像できなかった。そして彼の大きな手が自分に触れるところも。
シエナは寝返りをうって枕に顔を埋めた。
モヤモヤした思いはつのるばかりだった。
シエナは、そのモヤモヤの名前を知らない




