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ニクハテ  作者: イミティ
序章:歪ノ国のアリス
9/12

エピローグ


 「……朝か」


 寝起き特有の掠れた声で呟く。微睡みは一瞬であり、すぐに意識は普段と同じレベルにまで覚醒する。

 背もたれ代わりに使っていた木には、小さなニクハテが芽生えていた。噛まれたところで大した負傷にもならないくらいの、赤子のような大きさだが、あと数時間もすれば通常のニクハテと同じ大きさになるであろう。


 街から少し離れているこの小屋は、雑木林の中にある。今までは通ることに何の問題もなかったが、この数日間で随分と赤色が増した。

 ここから出る間に、何度頭上から攻撃を受けることになるのか見当もつかないほどだ。


 それでも移動に支障はない。トランクを片手に持ち上げ、私は歩き出す。




 気がつけば、アリスとの生活が終わり、早一週間ほどが経過していた。


 その間変わったことと言えば、ニクハテ達への餌やりをしなくなったことだろうか。

 元々ニクハテ達への餌やりは、小屋をこれ以上侵食されないように現状を維持するのが目的だった。それも基本的には研究のためであり、ある種実験のようなことをしていたのだ。


 だが、アリスが来たことで環境や条件が変わり、そして再び居なくなったことでまた変わってしまった。ニクハテの研究をするには、あまりにもイレギュラーが重なってしまっている。

 これで何かしらの結果が出ても、同じような条件を作り出すのは難しいだろう。だからこそ、本来であればアリスが小屋にやってきた時点で、掃除してしまっても良かったのだ。彼女が遠慮したから、そうしなかっただけで。


 当然餌やりをしなければ、ニクハテ達は食事の代わりに小屋への寄生を広げる。最低限保たれていた小屋の中は、この一週間で既に足の踏み場もないほどにニクハテの巣窟となってしまっていた。

 こうも巨大化すると、抑制も効かなくなってくる。寄生範囲を広げ、攻撃性を増した今となっては私のことも攻撃してくるだろう───それでも躾け直すことが不可能という訳では無いと思うが、以前とは桁違いの労力なのは間違いない。


 実際これでは私も住める環境では無いため、ここは大人しく離れることにした。ニクハテ達を駆除して改めて住み直すことも考えたが、これ程侵食された小屋のニクハテを全て駆除した場合、その素材の大半が肉に置き変わっているため、ほぼ野宿と変わらないほどに野晒になってしまうだろう。


 それに、元々先に住んでいたのはこのニクハテ達だ。他に住む場所を見つけることが困難という訳でもないため、無益な殺生を避けた形である。


 荷物を整え、ニクハテ達はその場に置いて、私は小屋を後にした。



 唯一、アルフィーを除いて。



 この個体だけは、寄生の範囲をほとんど広げておらず、融合もしていなかった。わずかに広がってはいるものの、それは最低限のようにも思える。少なくとも、他の個体と比べれば明らかに寄生の範囲が少なすぎるし、融合せず個を保っているのも不思議だ。

 やはりこの個体だけは、小屋の中のニクハテと比べても頭一つ抜けて例外が多い。そしてその原因がアリスにある可能性が高いのも、想像は着いた。


 そういう理由があって、私は自身のトランクにアルフィーを寄生させ、連れていくことにした。

 この個体は攻撃性が非常に低い。元々その傾向はあったが、アリスとの生活を経て、自身からはまるで攻撃しない状態にまでなっている。連れて行っても攻撃される心配は無いし、たとえ攻撃された所で避けることが出来る。むしろ、ニクハテを意図的にこの状態にすることが出来るのなら、人が生きるのにとって非常に重要な情報となる。


 現状、最も貴重かつ有用なサンプルでもある。幾らイレギュラーが重なった結果とはいえ、この成果を無かったことにするのは流石に愚かだろう。


 無論、それでも情報は全く足りていないが。


 「さて、今度はどこに行こうか」


 目的地の定まっていない旅は、初めてではない。この小屋にもそうしてフラフラしていたところ、偶然辿り着いたぐらいだ。

 またここと同じような環境を探してもいいし、誰かと交流をしてもいい。出来るならニクハテの研究が並行できる場所が望ましいか。自称何でも屋としては、人が近くにいる方が良いかもしれない。


 あての無い旅自体がそもそも嫌いではない。この世界を散策する機会もそれほど無いし、やはりブラブラと歩いてみるのも丁度いいだろう。


 トランクに寄生したアルフィーは、この一週間で瞳を発現していた。目玉はカタツムリで言うところの、大触角という目を支える柄のような部位から伸びており、それを器用に動かして物珍しそうにギョロギョロと周囲を見回す。

 外の景色が新鮮なのか、それとも単なる警戒なのか。ニクハテの生態は、まだまだ分からないことだらけだ。何故ある程度のニクハテが目を発現させるのか。視力はあるのか。そういったことも決定的な情報は無い。


 私がその瞳の前で手を振れば、鬱陶しそうにも見える様子で目を細める。

 攻撃はされない。これはそれを確認するちょっとしたテストでもある。

 

 「あぁ、最後に寄っていくか」


 ふと、私はアルフィーの様子を観察していて、呟く。どうせなので、アリスのように墓参りをしておこうと思ったのだ。


 雑木林の中で方向転換する。直後、一秒前に私が居た場所を肉口が貫いた。

 樹上に寄生したニクハテの攻撃。その位置は、地面から十メートル以上離れている。


 攻撃によって地面が抉れ、土と石が舞った。アルフィーが驚きに身を竦ませ、トランクの上で体を縮こまらせるのが見える。

 その時には既にマチェットを抜き放ち、伸ばされた肉を断ち切っていたが、それだけでは倒せず、攻撃を止めさせるにも至らない。


 慌てることなく、先程の攻撃の衝撃で僅かに宙に浮いた石を強く蹴り上げる。


 地面から垂直に近い角度で蹴り挙げられた石は、樹上に寄生したニクハテへと正確に飛来し、そして深く肉塊の中にめり込んだ。


 肉が抉れ、血飛沫の雨が降り注ぐ。とはいえ、あの程度では流石に死なないだろう。蹴り上げた石は勢いこそ強かったが、大きさはそこまでではない。

 ダメージは与えられても、殺すには少し足りない。


 それでも、ニクハテに再度の攻撃を躊躇わせることが出来る程度には意味がある。不意打ちをしたにも関わらず口を落とされ、届かないはずの距離を攻撃されれば、下手に関わろうとはしてこない。

 

 そうして雑木林を抜け足を運んだ先は、ハーグリー邸。以前はニクハテの巣窟だったそこも、今はかなり綺麗になり、塀の内側にはほとんどニクハテが存在していなかった。

 とはいえ元々がかなり寄生されていた分、邸宅の至る所に穴が開き、既に廃屋同然にボロボロだ。


 そんなハーグリー邸の庭には、十字架を模した墓が二つ。片方には未だ動かぬ人型のニクハテが居着いており、もう片方には拳銃が置かれていた。

 アリスの父親の形見が、今やアリスの形見になっている。それぐらいしか、彼女の持ち物はなかったのだ。


 旅に出る以上、もうここは維持できない。明日、明後日には、以前のようなニクハテの巣窟となっていることだろう。

 とはいえ、そもそもここに二人の親子が居るとは思えない。これは単なる象徴に過ぎないため、必要以上に維持をする必要も無いだろうか。


 同時に、言葉を残すならこの場所しかないのも確かである。


 足を止め、歪なニクハテの前に立つ。以前と変わらず、異様な頭だけを地面から突き出したような状態のそれは、歯をガチガチと鳴らしてくるが、それ以上の行動はしてこない。


 このニクハテになにかした覚えはない。小屋のニクハテのように躾をしたことも、生物が怯えるような殺気を放ったことも。

 だが、アリスの父親に、死体に寄生しているということは、建物などの無生物に寄生した普通のニクハテとは異なる種類であるのも事実。


 生物の死体に寄生したニクハテの研究は、皆無と言っていいほど進んでいない。アルフィーのようなイレギュラーとはまた違うのだ。

 単なる気まぐれなのか、はたまた何かの条件が必要なのか。少なくともこの街では、死体に寄生したニクハテはこれしか知らない。その程度には発見例も少ない。


 もしこれが、何の関係もなく偶然見つけたニクハテで、街を出歩き攻撃的な習性を示していたら、私は迷うことなく排除していただろう。

 そうやって動き出し周囲の人間を脅かすのであれば流石に看過できないが、その様子は無く、この辺りには人もほぼほぼ居ないと思われる。


 遺しておいても、周りに被害は及ばないはずだ。


 「アリスは自分の意志で死を選び、貴方の元へと帰った。依頼もこれで終わりだ。どうか安らかに」


 名も知らぬ父親には、最低限の礼儀を尽くす。一時は支払った父親としての尊厳も、アリスが帰ったのなら彼の元へ戻ったと考えていいかもしれない。

 私が依頼を受けた理由。父親としての責務を放棄してでも、娘の幸せを願うという行為。それは同時に父親らしい行いだったのかもしれない。


 そんな彼の意思が、依頼を受けるに足りたという話だ。


 そして、少し小さな十字架の前で屈む。


 「さようなら、アリス。私との暮らしを楽しんでくれていたなら良かったが……そんな赤の他人よりも、君にはもっと相応しい、帰る場所がある。父親と楽しく暮らせることを祈っているよ」


 感情の起伏が乏しいと自覚はしているが、やはり寂しさを少し覚えてしまうのは、それだけ私もアリスとの暮らしを楽しく感じていたのだろう。確かにその生活が終わってしまったことを残念に思うし、会話が無くなったことで口元が寂しく感じる。


 ただ、何も悲しいことだけとは限らない。アリスがこの歪な世界に長く囚われなかったことは、きっとアリスの父親にとっては安心できることなのではないか。誰も彼もがただ漠然と他者に『生きていて欲しい』と願う訳ではなく、『早く楽になって欲しい』と願うこともあるようだ。

 そしてどんな過程があれ、アリスが最後まで自身の意志に従って動き、己の手で結末を選んだことは、彼女の覚悟を讃えるべきだと考える。


 死んだことを嘆くのは、少なくともアリスに対してはしなくて良い。誰に強要されるわけでもなく、自ら死を選んだ彼女の行為を悲しみで穢してしまうのは、アリスが間違った決断をしたのだと言っているようなものだ。それは悪だと考える。


 それに、アリス達は多くのものを遺してくれた。私もまた少し視野が広くなったように感じるし、アルフィーも彼女による産物だ。ただ漠然と生きていただけではそうはならない。

 彼女は生きている間も多くのことを自ら考え、自身の行動を決定したからこそ、今がある。

 その最後がこの結末であるのならば、よく頑張ったと褒めてやるのが一番ではないか。


 少し名残惜しいが、帰る場所を失った今は私もあまり長居はできない。立ち上がり、ハーグリー邸を後にする。


 去り際、挙動不審げにあちこちに目を向けていたアルフィーが、少しの間視線を一点に固定していたのは、そこに生えるニクハテを見てのことか。それとも別の何かを見ていたのか。

 

 私には、知る由もない───。



序章:歪ノ国のアリス 完


次章は4/12(金)の20時頃投稿します。

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