第二話
「───よく、こんなところに住んでいられるな」
そう言った彼の横顔は、理解に苦しんでいるようだった。木々に囲まれ、肉に包まれた小屋を視界に入れて、草臥れた帽子の下で憎悪混じりの視線をそれらに向ける。
久方ぶりの客人に肉壁が鳴動し、客を迎えるかのように目玉がギョロギョロと忙しなく動く。実際のところ、その目で客人の姿が見えているのかは知らない。
ただ、繋がる肉には客人が来たという報せがどうやってか届いているらしいことは、ざわめき出すそれらで理解出来る。
「それでいて無傷なのが、より信じられない。一体どう生活したらコイツらと共生なんて出来るんだ」
「共生、か。そう見えるのかもしれないが、実際はそんなものではないよ」
私が言うと、尚更彼は理解できないようだった。もっとも、理解して貰えるとは思っていない。
普通であれば、一夜で体など無くなるだろう。事実他のところではそうに違いない。
だが現に、今こうして人間二人がコレらの前に立っていても、攻撃を受けることは無い。
無論それは、私という要因が最も大きいのは確かだ。だが例え彼一人でも、威嚇以上の行為はされなかったのでは無いか。
「安心してくれ。客人を迎える場所は綺麗にしてある。ただ、入る時は窓を入口としてもらうことになるが」
「当たり前だ。コイツらが巣食った廊下なんて通りたくもない」
そう言って私が示した窓から中へと入る男。私は普段通り通常の入口から入り、応接室として利用している場所まで来る。
肉に囲まれた廊下を通っても、絡まれたりすることはない。
もしそうされたら、少しこの小屋の肉塊が消えるだけだ。
「さて、それで話というのは? 何か依頼があるみたいだが……随分と嫌な顔をしているな」
「……こんな場所を見て後悔はしているが、まぁ仕方ない……お前に頼むのが、きっと何よりも最善なのだろうから」
そう言うと彼は、絞り出すようにして私に依頼をする。
「……私の、娘に関してのことだ」
対面に座った私は、大きく頷きを返した。
◆◇◆
客人を通すために使っている窓があるため、まずはアリスをそこから小屋内へと入れる。
それでも非常に嫌がっていたが、外で待たれてもどうしようもないため無理矢理押し込んだ。
「君が思っているより、ここは安全だ。最初は信じて貰えないかもしれないが」
応接室として使っている部屋は、この小屋内において唯一綺麗な場所と言っていい。逆に言えば、一歩部屋の外に出れば、そこは全て肉の住処。
「……なんで、こんなとこに住んでるの?」
「私より先にニクハテが居たからだな」
「……にくはて?」
アリスは私が用いた名称に首を傾げた。
「この肉の塊のことだ。研究者の間ではその名称が使われていたから、私も倣ってそう呼んでいる」
肉塊の成れの果て。もしくは、肉体の成れの果て。だから肉果。
いや、由来がそんな所だったのかは知らないし、正式名称は別にあった。だが私も研究者たちも、こちらの方が使いやすかったのだ。
「私がこの小屋に来た時には、既にニクハテが住んでいた。駆除しても良かったが、後から来てそうするのは些か虫が良すぎると思って、そのままにしていたんだ」
最初は小さな芽吹きであった。小屋の数カ所にいる程度。だから気にしていなかったが、段々と侵食していき、今に至るほどの大きさになった。
小屋の壁に寄生するモノや、窓に寄生するモノ、小屋内の調度品に寄生しているモノなど、複数体で構成されている。その数は軽く二十を下らないだろう。
私が"種"を持ち込んだのか、風で運ばれてきたのか、それとも繁殖したのか。兎にも角にも、狩りをするならばともかく、先住者を追い出すという理由で駆除はしないだけの話。
「とはいえ、愛着など湧いていないけれど。もし不都合があるようだったら、躊躇いなく殺すと思う」
そう言うと、アリスは顔を顰めた。それは、いくら化け物とはいえ、仮にも同じ家、同じ場所に住む相手をそう簡単に殺せるのかという、驚きと恐怖が入り交じった表情だった。
もっとも、純粋に生物の死を想像し、嫌悪感を抱いたというのもあるだろうが。どちらにせよ、私にとってニクハテとは、その程度の存在でしかない。
何が何でも殺さなきゃいけない訳ではなく、かと言って共生したい訳でもない。邪魔をするなら殺すし、そうじゃないなら放置する。
都合が良ければ研究に利用し、悪ければ排除するような、その程度の存在。
有象無象や石ころに向けるものと、そう大差のない認識。
応接室のソファに座ったアリスは、私の話を聞いて外を眺める。正確には窓から僅かに覗く、小屋の壁となったニクハテの肉を。
外の壁は、既に無事な部分などない。こんな家には野盗も入り込んでくるはずもなく、安全という言葉も間違いではない。
「慣れるまではこの部屋で寝るといい。体は、暫くは濡れたタオルで拭くしかないな」
「……ルカは?」
「私には私の部屋がある。アリスはきたがらないと思うよ」
言うまでもなく、この部屋以外はニクハテの領域だ。慣れない者が移動するには、難易度が少し高い。
「さて、私は食事の準備をしておこう。その間、ゆっくりここで休んで大丈夫だ」
多くを口にしないアリスは、私の言葉に控えめに頷いて、また呆然と外を眺めた。
色々なことが起きて、理解が追いついていないのか。それとも何か考えているのか。こんな場所に放り込まれて絶望しているのかもしれない。
この部屋でできることなどそう多くはない。何れは小屋内に慣れて欲しいが、一朝一夕にはいかないだろうな。
それに、ニクハテに慣れることが良い変化と言えるのか、それすら私には分からない。だが子供は環境への適応が早い。
アリスの心境次第では、私の予想以上に早い順応を見せるだろう。だがそれすらこの世界の理解には程遠い。
それを乗り越えることが出来るのか否か、そもそもそこに至るまでこの世界に居続けられるのか……それこそ、アリス次第というものだろう。
次話は3/12の20時に投稿されます。