第一話
父親の亡骸をどうするか、私はアリスに聞いた。
アリスは、『燃やして』と一言だけ言った。
亡骸に巣食ったソレを見て、放置していてはまた寄生されてしまうと思ったのかもしれない。
だが人体を燃やすほどの火力を用意するのは危険だ。何せ肉塊にとって炎や煙は目印に過ぎない。下手に火を使えば攻撃性を誘発する可能性がある。
そのため、私は埋葬を代案として出した。
埋めるならば平原など周囲に何も無い場所が良いが、この辺りには無い。次点で雑木林や森など人工物から離れた場所だが、アリスが自分の家に埋めたがった為、私はそれを了承した。
彼女がそれで良いのならば、構わない。例えその亡骸からソレが芽吹き形を成そうと、私が口を出すところではないだろう。
そのため、私とアリスは、彼女の家であるハーグリー邸にまで足を運んでいた。
かなりの豪邸で、庭には埋めるのに十分なスペースもあった。少なくとも支障はない。
「私は彼を埋めていよう。君は、もし何か持っていきたいものがあるなら荷物をまとめてくるといい」
「……うん」
どうせ家まで来たのならばと言えば、アリスはまた小さく頷いて家の中へと入っていった。
見たところ敷地内には既に芽吹き始めているが、何度か駆除した形跡がある。彼女の父親が行ったものだろう。完璧では無いものの、対処法としては十分な域であった事が窺える。
私は別に彼の友人でもなんでもないが、実質的にたった一人で、しかも自身の娘を抱えた状態で今まで生存してきたその知恵と技術を喪ったことは惜しく感じる。
恐らく、この世界においては非常に優秀な部類の人間であったろうに。
もちろん、それはあくまで私の損益の観点に基づいた話。
庭に置かれていたスコップを拝借し、黙々と穴を掘り進める。人を埋めるとなるとそれなりに時間がかかるが、幸い体力には自信がある。
短時間で穴を掘り、彼の亡骸からソレの破片を引き剥がして埋め終わると、アリスは私の横でそれを見届けていた。
首のない父親の亡骸が埋められるのを見て、何を思ったのか。それを聞くことは無い。
「荷物はまとめ終わったかい?」
「……」
アリスは持ち物という持ち物をほとんど持っていなかった。思い出の品や食料などを持ってくるかと思ったが、少なくとも見える限り持ってきたものは一つだけだ。
するとアリスは、父親を埋めた場所を見ながらポツリと。
「……お墓。お父さんの」
「お墓? あぁ、何か墓標が欲しいということか」
ここに父親を埋めたという目印が欲しいらしい。言葉の少ないアリスから読み取るが、なにか代わりになるものはあるだろうか。
私が考えていると、アリスは腕に抱えたものを差し出してくる。
「それは?」
「……帽子」
それは草臥れた帽子であった。そういえば以前会った時、彼がこんな帽子を被っていた気がする。使い込まれているのを見るに、愛用していたのだろう。
今日に限って被るのを忘れていったのか、それとも敢えて遺していったのか。どうやら家にあったらしい。
「それは形見だろう。自分で持っていてもいいと思うが」
「……お父さんのだから、いい。それにこれ……」
アリスは先程の拳銃を見せてくる。生前、彼が使っていたものだ。
それを代わりに持っていくから、この帽子は置いていくということか。
「そういうことなら、私から何か言うことは無い。貸してごらん」
何を形見として持っていくのかも、何を墓標とするのかも、アリスの自由だ。
ただそれ単体だとこの場に留めることは難しい。私は敷地内にある木から太めの枝を二本折り、それを帽子と一緒に紐で縛って即席の十字架を作り上げ、地面に立てる。
こうすれば傍から見た時、この帽子の持ち主の墓であることは十分に理解出来るはずだ。
厄介な目印にもなってしまうことは、口にはしない。
隣でアリスが目を閉じて、祈る。
「ここはウチからは少し遠い。暫く来れないと思うから、何かやり残したことがあるならやっていくといい」
「……もういい」
私の言葉を否定するように、アリスは首を振る。
「ここに居ても、仕方ないから……」
未練がない訳では無い。
むしろ、未練をこれ以上増やさないために、それに苦しまないためなのだろう。父親の墓を作った以上、既にやることなどないと。
「そうか。なら、日が沈まないうちに行こう。さっきも言ったようにウチまでは少し遠いからね」
「……ルカ」
そこで初めて、アリスは私の名前を呼んだ。私の袖を掴むようにして、僅かに顔を上げる。
「どうした?」
「……やっぱり、なんでもない」
何かを言いかけたのは分かったが、アリスは結局そう言って誤魔化した。まぁ、本人が言わなくていいと考えたのなら別にいい。
今はどちらかと言えば、日が暮れる前に帰ることを優先した方が良い。
「できるだけ安全な道を通るが、子供には少し厳しいかもしれない。それでも着いてこれるな?」
少し脅すような私の問いかけに、アリスは頷きを返してきた。特に躊躇ったり、怖がったりするような様子は見えない。
まぁ、この世界の状況は今に始まったことでは無い。アリスにとっても、怖がるという次元を既に超えていてもおかしくは無いか。
「じゃあ行こうか。私から離れないで、アリス」
「……うん」
名残惜しそうに少し振り返ったアリスは、だがすぐに歩き出す。アリスの心境を察することは容易だが、私から慰めの言葉をかけることは無い。
幼い子供が、父の遺言で生きる決意をしたのだ。そこに他者からの言葉など要らないだろう。その意志の表明が、この家との別れなのだ。
そうして、アリスは歪んだ世界へと歩き始める。
私は彼女の手を引き、行き先を示す。
家から一歩出れば、そこはもう肉の巣窟。ありとあらゆる物に寄生した肉塊が生え広がる、歪な環境。
アリスは、この世界の歩き方をまだ知らないだろう。これから知っていく段階なのだ。
何れは彼女も、この環境を正面から見つめる日がくる。今は心が治りきっていないから、それを受け取ることは出来ないが……心が治った時、彼女がこの環境に改めて耐えることが出来るのか、私には分からない。
道路に広がった肉塊の上を、危険性がないことを判別しながら歩いていく。足裏には湿った肉を踏んだ感触が伝わり、水を含んだ音が靴音として響く。
アリスは私の袖に掴まって、その不安定な足場の上で転ばないようにバランスをとっていた。
「……気持ち悪い」
「そう言うな。これでもまだ可愛い方だろう」
ぼそりと呟いたアリスに、私は苦笑気味に返す。ただ肉が広がっているだけなら、絨毯のようなものでしかない。それが肉か毛織物かの違いだ。
それに、場所を見極めれば動くことも少ない。だからアリスが居ても、それほど気を張らずに済む。
「そうだ。ひとつ言っておくことがある」
「……?」
肉の道路を進み続ける中で、そう言えばと思い出した。
「君がこれから行く場所───私の住む小屋だが、もしかしたら最初は住みにくいかもしれない。慣れるまでに時間がかかるかもね」
「……どんな場所?」
「それは多分、口で説明するより見てもらった方が早い。ただ君の父親の反応を見る限り、多少覚悟はしておいた方が良いな。彼は一度、私の住む場所を訪れているから」
その時アリスの父親は、『こんな場所によく住んでいられるな』と、異常者を見るような目をこちらに向けていた。私自身、その反応が一般的だとよく分かっている。
恐らく今の状態のアリスでも、多少拒絶反応が出るだろう。私が彼女の立場ならばそうする。
やがてそれなりの距離を歩いた後。アリスを伴いながらのため、少し日が傾き始めてしまったが、ようやく目的地近くまで来ることが出来た。
そこは、街の郊外にある雑木林。私の住む小屋はこの中にある。
そして見えてきた小屋らしきものを見て、アリスの足が止まった。
「……なに、あれ」
「何と言われても、アレが私の住んでいる場所だ」
「……あんなものが?」
袖を引くアリスの手が強くなる。この先に行きたくないと訴えているのだろうが、私は逆にアリスの手を引くように前へと進む。
見えてきたのは、赤い小屋。しかしそれは、小屋に使われている木材が赤い、という訳では決してなかった。
そもそも小屋とは言うが、その形は歪。元の形は想像できるが、それからはかなり掛け離れた造形をしていた。
奇妙に膨らんだ屋根。不釣り合いな程に突起した壁。
「だって、アレ……」
アリスの言わんとすることは理解している。だが、私にとっては見慣れた光景のため、足を止める理由がない。
小屋の壁面についた瞼が開き、"目玉"と視線が合う。
「ひっ……」
「そうか、目がついた個体を見るのはもしかして初めてか」
壁面───いや、肉壁に生じたその瞳は、珍しい客人となるアリスをギョロギョロと凝視する。
それを受け取ったのか、小屋を包む肉塊が僅かに鳴動した。
アリスが完全に固まったのを見て、私は仕方なく足を止める。
「見ての通り、コレが私の住む場所だ。そして、今日から君が住む場所でもある」
今、アリスはきっと内心で後悔しているのだろう。安易に私に着いてきたこと。私に保護してもらったことを。
だが今更引き返すことは出来ない。意地が悪いことは分かってはいるが、実質的にアリスに拒否権はない。
「ようこそアリス」
アリスが踵を返して逃げ出そうとするのも、仕方がないことであった。
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