プロローグ
ファンタジーの息抜きに、ポストアポカリプス×主人公最強を書きました。
ステータスやレベルといったなろう要素は一切ありません。
父親が死んだのは、本当に突然の事だった。
父親は、電柱に頭から食いちぎられていた。恐らくは頭上からの攻撃に気が付かなかったのだろう。父親はこの過酷な世界で何度も外に出かけてはどうにか帰ってきていたので、注意が散漫だったとは思えない。
ただそう、そこはいつも通っていた場所だった。安全を確保した帰り道。だからこそ少しの油断があった可能性は否定できなかったし、そもそも電柱がお辞儀をするように頭を下げ噛み付いてくるなど、普通は考えつかない。
だがそんな事実はどうでもいい。アリスにとって重要なのは、唯一の家族を失ってしまったこと。
帰りが遅いから恐る恐る外に出て確認してみれば、父親が物言わぬ死体になっていた。
いや、物言わぬ、という訳では無い。既に父親の死体にはソレが巣食っており、赤いブヨブヨとした肉の塊を広げ、父親の無くなった頭の部分には、口の付いた丸い肉の塊が代わりに収まっていた。
首から下には肉の根が生え繋がり、父親の死体は時折ピクリと痙攣する。
アリスに気がついたソレはガチガチ、ギシギシと激しく歯軋りをしており、近づけば噛まれてしまいそうだ。
そのせいで、父親の死体をどうにかすることも出来ない。アリスには、ここに放置することしか出来ない。
「……お父さん」
アリスの口から、呆然とした言葉がポツリとこぼれる。彼女は泣くでも、喚くでもなく、ただボソリとそう呟いただけだった。
理解が追いついていないのではない。幼い彼女の心では、そもそもこの環境に耐えることが出来なかったのだ。
父親が死ぬ前から、心など壊れていた。至る所がそれ───肉の塊に包まれた、この世界。外に出ることはなくても、何も対策を施さなければ家にすら肉塊は現れ芽吹いてしまう。
その対処をしていたのが父親であり、その父親が居なくなった。
もうアリス一人で家に閉じこもったところで、そう長くは生きられない。何れあの家も肉が芽吹き包まれることだろう。
そこまで明確な思考をした訳ではなくとも、アリスは直感でそう悟った。父が死んだことで、自身も死んでしまうことを理解した。
ふと、アリスの視界には父が護身用に持っていた拳銃が映る。それは無造作に転がっており、手を伸ばせば届きそうだ。
拳銃を拾い、虚ろにそれを見る。
これならば、苦しまずに死ねるだろうか。少なくともここで肉の塊に食われるよりは、楽に死ねるだろう。
それならば……それならば、自分で自分を殺した方が、幾分かマシだと言うのならば。
アリスは自身のこめかみに、銃口を押し当てる。自殺への恐怖など、既に壊れた心の子供には存在していなかった。
トリガーに指をかける。少し力を入れるが、アリスの思っている以上に引き金は重いのか動く気配はない。
ならばと、アリスは精一杯の力を指に込めようとして───。
「───君」
声を、かけられた。
落ち着いた、男の人の声。
長らく聞いていない、父以外の声が。
「ぁ……」
「その銃にはセーフティがかかっている。だから力を込めても、撃つことは出来ないよ」
驚いて、声が詰まって。
ゆっくりと声の方を振り向く。やはり幻聴などではなく、そこにはロングコートを着込んだ長身の男がしっかりと立っていた。
アリスの方へと近づいてきた男は、そのまま彼女の銃を見る。
「あぁ、セーフティというのはこのレバーのことだよ。これをこうやって下ろせば、いつでも撃てる」
そう言ってトリガーの横に付いていたレバーをカチッと弄ると、手馴れた動作で少女の手から拳銃を滑らせ、父親に巣食っていた肉の塊を撃ち抜いた。
パンッ!! と乾いた音が響き、肉の塊が弾け飛ぶ。
呆気なく、血を撒き散らして潰れた。
「えっ……」
驚く間もなく、アリスの手の中には再び銃が戻された。
そのまま先程の再現のように、男はアリスのこめかみへと銃口を押し当てさせる。
「もうセーフティは解除したから、次は今みたいにしっかりと発砲される。だから後は、引き金を引くだけだ。君のような子供でも問題なくできる」
男が、あとはどうぞと言うばかりに一歩引く。まるでアリスが撃つのを待つように、死ぬのを急かすように、腕を組み、制止するでもなくじっと。
事実先程まではそうするつもりだった。だから男は、その行動を読み取った上で、本当に善意で行動していたのかもしれない。
アリスが死のうとしているのを分かって、でもそのままでは死ぬ事が出来ないから───死ぬ事が、出来るようにした。
けれど……。
「死にたい訳じゃ無いのかい?」
アリスが言葉に、行動に詰まったのを見て、男はこちらの言葉を引き出すように語りかける。
「これから、どうしたい?」
「……分から、無い」
「分からない、ね。さっきまではどうするか決めていたようだけど」
「……さっきは、本当に死のうと思ってた、けど……でも……」
死のうと思ったのは本当だった。こんな世界はもう嫌だと、父親が居なくなってはもう無理だと、自分一人で生きることなど不可能だと。
そこに選択肢など、なかった。
でも……。
「……し、死ぬのが、怖いって、思ったから……」
それでも、実際に死を、死の瞬間を目の当たりにして、そこに恐怖した。
こんな世界は嫌だと、そう思っても、実感した死に体が震えた。
あんな風に死ぬのかと考えて、喉の奥から言葉にもならない音が漏れた。
「死ぬなら……せめて、綺麗なのがいいから」
「死に方の違いか。確かに、そういう考えもある」
痛みの中で死ぬのではなく、苦しみの中で死ぬのではなく。
それこそ、寝ている間に気づいたら死んでいるような、そんな綺麗な死に方がいい。痛みも苦しみも最後に感じることなく、せめて綺麗に死にたい。
生きたいのでは、無い。
死にたくないのだ。
「私にはそういう考えは無いが、その思考を理解することは出来るよ」
男はそんなアリスを見て、少し同情するような声音をした。
「アリス。私は君の父親から伝言を……いや、遺言を貰っている。もし自身の身に何かが起きた時、君に伝えて欲しいと」
「お父さん、が?」
「そうだ。だがもしかしたらこれは、君の希望の糧となるかもしれないし、今後君を縛る呪いになってしまうかもしれない。だから、この言葉を聞くかどうかは、君に任せよう」
男は屈み、自身の胸ほどの高さもないアリスと視線を合わせた。
その瞳に一瞬喉をつまらせ、俯く。幼いアリスに、男の言っていることは半ば理解が出来なかった。
しかし、聞かないという選択肢がないことも、何となくわかった。
「……聞かせて。お父さんの、最期の言葉を」
男が僅かにアリスの背後に視線をやると、少しして口を開いた。父親の最期の言葉を、アリスに伝えるために。
───愛してるよ、アリス。
───だからどうか『生きてくれ』
「ぁっ……ぉとう、さん……っ……」
例え壊れた心でも、父親の言葉を受け止める機能は残っていたようだ。
その場で崩れるアリスを見て私は、少しだけ申し訳ない気持ちになった。それはアリスに対してのものでは無い。
私はアリスが、もしあの場で本当に引き金に手をかけていても、止めるつもりはなかった。そこで命を散らすならそれで構わないと本気で思っていたのだ。
きっとそれは、アリスの父親が私に遺した意志とは少し異なる行いだっただろう。
だが、それはどうか目を瞑って欲しい。
アリスは、貴方の言葉を受け止めたようだから。
世界に絶望し、死を受け入れる、なんて決断をしなかったから。
それで、良いだろう?
「アリス、君が望むならウチに来るといい。危険な場所だが、同時に安全でもある。君の父親は私にそこまで頼んでいたからね」
遺言とは別に、アリスの父親は、自身の死後アリスを見守って欲しいと私を頼ってきていた。
もっとも、あの小屋を一度見たことがある彼はあまり私に任せたくなどなかったようだが。苦肉の策というやつだろう。
かなり渋々と、仕方なさそうに、嫌々ながら頼んできたことはよく覚えている。私という人間を畏怖し、嫌悪し、それでも頼ってきた。
そのことは、今は口にしないでおこう。
アリスは私と自身の父親の亡骸を見比べた後、僅かな後にコクリと頷いた。
「……うん」
「そうか。なら自己紹介をしよう。私はルカ。人の悩み事や問題事を解決する……そうだね、何でも屋のようなものだ」
「……アリス。アリス・ハーグリー」
「知っているよ、アリス。これからよろしく」
私が手を差し出すと、アリスは躊躇いながらも、握ってくれた。
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