僕はあなたに惚れたんです、と
自分が物心ついた時には、既に世界は終わっていた。
世界にはゾンビと言える肉塊の出来損ないみたいな人型が溢れていて、アレに殺されると皆それの仲間になってしまう。
少し前までは人口が溢れそうなくらいだったそうだが、自分が知る限り、人口なんてものは当時の一割にも満たない数にしかなった事がない。
そのくらい、人類はカツカツに追い詰められていた。
……まあ、それが自分にとって通常だけど。
それに案外、人間という生き物はしぶとかった。
日差しを嫌うゾンビたちは、昼間なら出てこない。雨とか曇りとかはともかくとして、日差しがあるなら出てこない。
建物内はその限りじゃないけれど、昼間は寝ているのか、雨が降っていても昼間の時間帯なら騒がない限り静かなものだ。
「そろそろ食料が尽きそうね」
腕を組んでそう呟くのは、室長だった。
白衣が似合う室長は、長い睫毛を伏せて思案気にその身を揺らしている。
「食料、ですか」
「ええ。まだ余裕はあるけど、材料が必要だわ」
現在において、食料というのは穀物だとか獣肉だとかではない。
単純に言うと、有機物を機械に入れ、分解させ、人間が食用可能な形に再構築し、形状と味を最低限整えた食料に変換させたものが食料である。
ゾンビが溢れる前の時代に比べて食事らしい食事とは言えないのかもしれないが、食べられるだけありがたい。
形状が一定だし味も一定なので、それこそドッグフードだとかシリアルだとかに近いのではないだろうか。それらの存在も、自分は書類上でしか知らないが。
……探索先で見る事はあっても、既に使い物にならない姿になり果ててるからなあ。
それでも有機物ではあるので、探索先から回収して自分達の食料にする。そういうものだ。
「では探索に出た方が良さそうですね。武器や電気の方は」
「武器の方はまだ在庫があるけど、電気の方はもう少し余裕が欲しいわ」
「了解しました。では、無機物の方も回収出来るだけ回収しておきます」
「ええ、お願いね、助手」
お願いという形だが、これは室長からの命令でもある。
なので自分は白衣を羽織ったまま、近くに居たバイトに声を掛けた。
「バイト、今時間あるか? 室長からの命令で有機物と無機物を採取しに探索へ出るぞ」
「あ、は、はい」
バイトはおどおどとした様子で頷く。
バイト、というのはかつてあった制度で、正式雇用ではない人間の事を言うんだとか。
この施設では生きている人間を保護していて、室長はその代表。自分はその助手として働いていて、他にも数人の職員が働いている。要するに責任者側。
大してバイトは、保護された側の人間だ。
保護された側であり、本格的に常に仕事に邁進するわけではないが、何か役に立ちたいと思い、協力姿勢にある者。
それらを総じて、バイトと呼ぶ。
……自分だけで行くわけにもいかない世界だ。
単独で行動するのは死を覚悟しなければならない。単独でなくとも、危険は多い。
それに人手はあった方が良いので、夜間の探索時は大人数が確定しているが、昼間のちょっとした探索程度なら二人一組というのがスタンダード。
……このバイトは少しおどおどしてるのが引っ掛かるが、実力は充分だからな。
警戒心が強いから異常にすぐ気付けるし、生き残りたいという欲も強いので戦闘時もなりふり構わないところが役に立つ。
金髪を軽く結わえたバイトを連れて、施設から外へと出た。
・
外は日差しが強く、室内にずっと居た身には少しばかりくらりとくる。
「ど、どこへ行きましょうか、助手さん」
「そうだな……まあ、近場で良いだろ。有機物優先だが無機物も欲しいからな」
「あ、えと、武器と電気、どっち用で?」
「電気」
食料と同じく、武器や電気は無機物から構築される。
探索班は専用の入れ物を持たされるので、そこにそれぞれ有機物なり無機物なりを入れるのだ。
入れるとその瞬間に内部で分解され、保存される。保存容量がいっぱいになれば、入れ物の外側に走っているラインの色が変化するので、その色が変化すれば帰還可能の合図となる。
というか容量がいっぱいになった時点でそれ以上を入れられないので、帰還するしかない。
あくまで入れ物内の容量がいっぱいなのであり、施設に戻って機械に接続しない限り、施設内にその容量分の有機物や無機物を提供する事は出来ないのだから。
……きちんと持ち帰って補給させるところまでが探索班だからな。
そう思いつつ、道端の草を有機物の入れ物に、めくれあがっている道路の残骸を無機物の入れ物に放り込んでいく。
「……ほ、本当に外って、広いですよね」
「そうだな」
「室長、全然外に出てないけど、大丈夫なんでしょうか。そ、その、体調とか」
「根を詰めすぎているところは心配だが、自分にはどうにも出来ない。進言は却下された」
そう言うと同時、バイトの方からひやりとした気配がした。
「……そうですか。進言、出来たんですね。良いなあ」
その声はどこか冷たくて、なのにねっとりとした重さがあった。
「進言したところで聞く耳は持たれなかったが」
「それでも、進言が出来ただけで羨ましいです。室長とそれだけ近いって事じゃないですか。良いなあ……」
良いなあ、とバイトはまたも小さく呟く。
「僕も職員だったら……助手さんだったら、それを言える立場になれたんでしょうか。保護された時はたくさんお話出来たのに、今では全然……」
「カウンセリングや聞き取りも職員の仕事だったことと、あの時は保護人数が多くて人手が足りなかっただけだ。そんなに室長と会話したいのなら、この探索が終わった後にすれば良い」
「……報告は助手さんの仕事じゃないですか。バイトからも外の様子を聞き取りするとはいえ、それも助手さんが聞き取って報告するだけですし」
「それはそうだが、今回自分が補給を優先し、その間にバイトに報告を頼んだというていにすれば報告は可能だろう。効率を優先する形にした、と言えば室長は納得する」
あの人は仕事第一の人だから。
元々はそうじゃなかったらしいが、同じく職員側だったご家族がゾンビに殺されてしまったらしく、それ以来死人が限りなく少なくて済むようにと盲目的なまでに仕事へと齧りついている。
自分がここの施設で働き始める前の出来事なので、それ以前から居る職員やバイトから聞いた話でしかないが。
「…………助手さんから手助けされないと、室長さんと会話が出来ないなんて……」
「必要だと判断し、効率的だと判断されれば室長からバイトに話しかける事もある。昔からの付き合いがあるバイトには意見を聞く為に自分から赴くこともある人だ。今後次第で幾らでも会話は出来るんじゃないのか」
転がっている車を何度も蹴り、その残骸が入れ物に入るサイズになったのを見計らって入れつつ言った。
言ってからバイトを見て、思わずビクリと肩を揺らしてしまう。
「…………」
バイトは、感情の読めない目を見開いてこちらをひたすらに凝視していた。
「……どうした?」
「いえ、ただ、意外だったので」
「何が」
「助手さんは、僕と室長さんを隔てる壁だと思ってました。……助手さん、室長さんに凄く気に入られてて、個人的な相談もよくされてるから」
「バイトと室長がどんな関係かは知らないが、」
「僕らはいつか結ばれる関係です。保護された直後しか会話した事が無いとしても、僕を地獄から救い上げて心配してくれた、僕のことをじっと見つめてくれたあの人こそが僕の運命の人なんです」
「……そうか」
流石に少し引いたが、こんな環境下で生きている人間は皆どこかがイカレていたりするので深堀りはやめておいた。
下手に刺激を与えるよりも、実害が出ない限りは程々に受け入れて流すくらいが合理的と言えるだろう。
「まあ、なんだ。自分はただ真面目に働いているだけだが、業務を分担出来るならそれに越したことはないから、頼めそうな業務はバイトに頼むことにしよう」
「良いんですか?」
「研究室付近をうろちょろされるよりは良い」
このバイトはやたらと部屋から出たタイミングで会うなとは思っていたが、要するに室長を追いかけ、陰からじっと見つめていたらしい。
それならいっそ働いてもらった方が邪魔にならずに済むというものだ。
別に邪魔という程でも無かったが何で毎回そこに居るんだと謎だったし、人手が増える分にはありがたい。
「……僕が室長に想いを寄せてても、止めないんですね」
「止める理由が無い」
「一目惚れでここまで想いを寄せるのは、止める理由になるそうです。だから止められました。何度も」
ギリ、と歯ぎしりの音がする。
「……ぐちゃぐちゃ言って来て否定ばっかりしてきやがってあいつら……自分から外に出て役に立つ気も無い癖に口先ばっかり…………」
おそらく同じく保護されている人間との会話だと思うが、今のところ何かしらの喧嘩沙汰にはなっていないので大丈夫だろう。
しかし、爪の先を噛みながら目に殺意を滲ませている姿は、何か背筋がひやりとするものがある。
具体的には本能的な危険信号。
「要望があるのなら、同室と合わないから他の部屋に移動、という事も出来るが」
「え」
見開かれた目がこちらを向く。
「保護された時期によって部屋は割り振られる。部屋の数が有限というのもあって中々部屋移動申請は受理されないが、貢献しているバイトに関しては、今後の心身の健康管理も兼ねて受理されやすい。精神的に良くないという理由があれば充分だろう」
普段のバイトは控えめかつ口数も少ない、おどおどした態度が強いので、尚の事受理されやすいことだろう。
おどおどしているにしては過激な思考をしているようだが、控えめな性格だからこその情緒不安定か何かだと思われる。
それに理由はどうあれ頻度高くバイトとして働いていることを思えば、受理を断る理由も無い。
「空き部屋があるなら個室を与えられる事もあるが、今は人数が多いから無理だろうな」
「…………室長と同じ部屋、というのは」
「室長は施設代表ということで機密情報の管理もしている。実際に機密情報を保管しているのは別室だろうが、却下されると思うぞ」
「……なら、保護されている人間の数が何らかの理由で減ったら」
「故意に減らすのは却下だ。必要なら自分の部屋に来い。室長に呼び出される事が多いから部屋は近いし、自分も寝る以外で部屋に居る事は少ない」
またもや見開いた目を向けられた。
「室長さんに呼び出される姿を僕に見せつけるためですか?」
「人手が必要な際に連れて行ける有用な人材を手元に確保しておけるのは自分にとっても利点だから。以上だ。正直に言うと自分の活動を見て、真似て、自分と同じだけの事が出来る人材になってくれれば緊急時の呼び出しが分散されるんじゃないかという思惑もある」
「…………なんで」
なんで、とバイトは呟く。
「なんで、僕の室長への気持ち、とめないんですか。あれだけ室長と一緒に居て、あれだけ仕事一筋な室長から頼りにされてる癖に」
「自分は仕事で精いっぱいで、室長を尊敬する気持ちはあるが、そういう意図で慕ってはいない。要するに室長を最優先することが出来ない。それなら支えられる手を増やし、室長の調子を逐一確認して気遣える人間が居た方が室長の為にもなる」
「…………助手さんが何を考えてるのか、僕にはわからない。僕だったら、絶対誰にも割って入られたくないような関係なのに」
「情報伝達の問題を考えると割って入られるのは困るが、代表である室長が倒れないよう、両側から支えられるようにしたいだけだ」
そう伝えると、バイトは酷く不可解という顔で首を傾げた。
・
目覚ましの音でふと目が覚めた。
「……懐かしい夢だったな」
目覚ましを止めてカーテンを開ければ、日差しの下で人々が活動している姿が見えた。
焼きあがったパンを口にしながらテレビをつければ、世界の終わりなんて知らないだろう人々が楽しそうに会話をしている。
……あれは夢、じゃないんだろうな。
世界が崩壊した前世での死因は、覚えていない。
気付いたら過去か未来かもわからないこの世界で生きていた。
『あなたを愛しています』
覚えている限りの、最期の方の記憶。
そこで自分は、あのバイトに告白された。
室長への一途過ぎる想いを抱いているバイトが何をトチ狂った事を、と言えば、バイトは相変わらず不安定な様子で笑っていた。
『僕は室長さんのことを、まだ愛しています。僕は一途ですから。それはまったく揺らがない。……でも、そんな僕を邪険にせず、支えて、見守って、協力までしてくれた助手さんの事も、好きになったんです』
『一途じゃなかったのか』
『一途ですよ。一途に二人を愛してます。室長さんの事は、まるで女神のように尊い存在だと思ってます。そして助手さんの事は、心温まる……そうですね、あなたが淹れてくれたココアみたいな存在だと思ってますよ』
『反応に困る』
『それだけ身近で、居てくれると嬉しい、心が落ち着く存在だって事です』
バイトは笑ってない目で笑っていた。
『助手さん、僕と二人で、愛を築き上げましょう。そうして愛し合う二人で室長さんを支えて、室長さんと愛し合うんです。室長さんが助手さんを見る目は羨ましくて恨めしくて、助手さんを殺したくなってしまう。助手さんが室長さんを見る度に苛立って忌まわしくて室長さんを刺したくなってしまう。でも、僕ら三人で愛し合えば、そんな気持ちも無くなります』
『……室長に気に入られている気はしていたが……』
まさかそこまでの殺意と好意を向けられているとは思わなかった。
正直に言って殺意を向けられやすい立場だからこそバイトを気遣う事でこちらに殺意を向けないようにと色々考えて動いていたのだが、その結果好意を持たれてよくわからない泥沼になるとは思わなかったのだ。
『お前は、そんな意味不明な三角関係で良いのか』
『ええ、どちらも愛していますから。そこに僕が居るなら良いんです。僕ら二人で室長さんを独占して、僕と室長さんで助手さんを独占出来るなら、そんな嬉しいこともないでしょう?』
自分は正直、仕事に夢中だったので特にどちらにもそういった思いは抱いていない。
それを告げたところまでなら記憶もあるのだが、それ以降の記憶が無いのが実に不穏だ。
痛みやらは無かったので殴られたとか刺されたとかではないと思うが、一体何があって死亡したのやら。
……まあ、単純にその直後ゾンビが乗り込んできたとかかもしれないからな。
バイトが直接的な原因ではない可能性もある。
そう思いつつ準備をし終えて、家を出た。戸締りを確認し、出勤時間や電車の時間を考えれば駅前の店でお昼用の食事を買う時間もあるだろうと判断。
当然のように外に出て、人とすれ違いながら歩けるという事実。
その喜びを噛み締めながら歩いていると、背後から声がした。
「……ユタカ、さん?」
前世も今世も変わらない、自分の名前。
聞き覚えがあるものの、顔見知りにこんな声が居ただろうかと思いつつ振り向けば、そこにはかつてのように目を見開いた、金髪を軽く結わえた男が居た。
「は、ははは、はは……やっぱり居た、居たんだ。探してみるものだなあ……探してすぐに見つかるなんて、これは運命ですよ、ユタカさん。……ああ、いえ、助手さん、って言った方が良いですかね?」
ふらふらとおぼつかない足取りで、男は目の前までやって来た。
「でも折角再会出来て、これからもずっとずぅっとずぅーっと一緒に居るんですから、やっぱりお名前のユタカさん呼びの方が良いですよね。あ、お名前ですけど、調べました。今世じゃなくて前世の方で。でも反応したって事は記憶があるって事ですよね。もしかして僕と同じで前世と同じお名前だったりしました? まあ記憶があっても無くても良いんです。これからずっと一緒なのは変わらないんですから」
今世では間違いなく初対面だろうに、怒涛の勢いで喋る男。
指先を突き合わせてもじもじさせながら、上目遣いのようにこちらを見つめる姿は、一般的には可愛らしいと言われるものだろう。
実際顔つきも童顔なので愛らしい方なのだと思うが、元よりその辺りの感覚が鈍い自分では効果が薄い。
そもそも愛らしかろうが何だろうが、初対面でこの会話をしてくる男はアウト一択でレッドカード。
「……バイト」
「やっぱり覚えてるんですね⁉」
花が咲くような笑みを向けられたが、覚えているとは言い難い。
「……正直、あまり記憶はない。死因についても記憶が無いから、バイトの記憶にある自分とは一致しない可能性が高い。記憶は殆ど無いものと思え」
「…………ああ、そうなんですね」
男、もといバイトはうっそりと笑った。
笑っていない目でありながら、口角が持ち上がるのを耐えられないというような、寒気がするような笑みだった。
「それより、室長はどうした。自分よりも室長を優先して探した方が良いんじゃないのか」
「もう見つけました」
「……?」
それにしては、バイトの様子がおかしい。
室長の話題を出す時はぶつぶつと心ここにあらずな様子か、あるいは恍惚とした何かに浸っているような様子だったはずなのに、今のバイトは嫌いなタイプの人間と接触した後のような、そんな辟易した様子。
今にも舌打ちをしそうな不愉快を顔に出しているのは、一体どういうことなのか。
「……室長とは結局接触はしませんでした。記憶があるか無いかは知りません。でも、あんなのは室長じゃない」
「どういうことだ」
「笑ってたんです」
バイトは自身の歯を噛み砕かんばかりに歯を食い縛った。
強く強く握られたその拳からは血がぽたりと一滴垂れて、爪が皮膚を破る程に力が込められているらしい。
「今が最高に幸せだって顔で、心底嬉しそうに、楽しそうに、この世の春だとばかりに笑ってたんです。年相応に年頃な女性って感じでした」
「……良いことじゃないのか」
自分には仕事しかないのだと、自分自身を削りに削って仕事をしていた前世の室長よりは、とても健康的だと思うのだが。
「全然良くない!」
噛みつくように髪を振り乱し、バイトが叫ぶ。
「僕が好きになった室長は、仕事に夢中で、仕事一筋で、仕事じゃないなら他に一切の視線を向けようともしないあの人だ! 仕事しか見ていない、滅多に微笑むこともしない、削られて削られて研ぎ澄まされ切ったあの人が好きだったのに!」
なのに、
「なのにあんな、緩み切った楽しそうな笑みを浮かべてるなんて」
ううう、と両手で顔を覆ったバイトはうめき声を上げ、手のひらの隙間からぼたぼたと液体を垂らした。
涙か鼻水かは知らないが、室長を盲目的に崇めて惚れ込んでいたバイトだからこそ、自分の中での最高の姿では無くなった室長に対し、一気に気持ちが醒めでもしたらしい。
「……でも」
バイトは袖で顔を拭い、こちらを見た。
その顔にはうっそりとした、底冷えするような笑みが浮かんでいる。
「でも、あなたは変わって無かった。僕の恋した、僕が好きになった人のままだった。まあ、当然ですよね。僕は室長さんに対して、あの時一目惚れをしてたんです。冷たいあの人に惚れたから、冷たくなくなったあの人には興味がない」
でも、
「でも、あなたは違う。最初は邪魔で仕方がなくって、室長さんの役に立つから殺さなかっただけで、本当は何度も殺そうと思うほど嫌いだった」
「そうだったのか……」
何度か危険を察知していた覚えはあったが、どうやら正解だったらしい。
「なのにあなたは僕に優しかった。僕の気持ちを否定しなかった。気遣ってくれた。協力だってしてくれた」
「効率なんかを考えた結果だったんだが」
「それでも、僕はあなたに恋をしたんです。強烈な印象による一目惚れとは違う、寄り添うような、浸透するような恋を」
……あー、これは、なんというか、まずいんじゃないだろうか。
向けられる目の色がおかしい。背筋を悪寒が這い回っている。足が強張る。なのに今すぐ逃げないともう逃げられなくなるぞと虫の知らせが大音量で叫んでいる。
「だめですよ」
「いっ」
ギチ、という音がする程に手首を強く掴まれた。
手を掴まれただけならともかく、手を引き抜きにくい手首を掴まれたのは痛い。そして逃げられないよう、痣になるんじゃないかという勢いで掴まれた手首も痛い。最悪だ。
「逃げちゃだめです。僕が愛するのは、あなた一人になったんですから。逃げようったって、逃がしませんよ」
手首をへし折るか、あるいは脱臼でもさせるつもりなのかという勢いで掴まれている。
流石にあの世界で探索に出て、場合によっては戦闘もこなしてみせるだけのポテンシャルを持っていた男だ、と脳裏のどこかで感心した。
「前回はせっかく薬でぼんやりさせてたのに、ちょっと目を離した隙に死んじゃうんだから。だから、今回はそんなことさせません。絶対にさせません。僕がしっかりと全部、おはようからおやすみまで、そしておやすみした後も、ずっとずぅーっと見ていてあげますね」
待て、今何か、自分の記憶にすらない死因が聞こえたような。
「ユタカさん」
バイトは一歩、こちらに踏み出す。
「僕は、とっても一途なんです。とっても、とぉっても」
身を引くことは許されず、お互いの鼻が擦れ合いそうなほどに距離を縮められた。
「たとえ死んだって、逃がしませんよ」
背中に腕が伸ばされ、抱きしめられる。
「愛してます、ユタカさん」
とろりと甘ったるく、どろりと重たい声で囁かれる。
背中に回された腕は意外と優しい力で抱きしめていたが、本能的な恐怖により、自分は意識を失った。




