「春は必ず訪れえるのだから」
「カッチ、雪が積もってる~電動車いすの威力が発揮できる季節がきました~」と少し早めに起きた次女が、雪が積もっているのがうれしくてたまらなく、拍手をしながらベランダの窓と玄関前の廊下の窓を行ったり来たりしながら雪景色を眺めつつ学校の準備をしている、その物音を聞きつつ布団の中で「降り始めに積もる訳がないと思いつつ布団のなかから寒くてなかなか出られない。
いつもなら、「学校に遅れるよ」と起こすと「いいから起きるから人の事よりちゃんと自分の事やりなさいよ、玄関出るまで私の3倍時間がかかるんだから」と言い返してくる長女もこの日は、私より起きるのが早く起きちょっぴり早めに二人は新雪に喜びながら外へ飛び出して学校へ向かった。
私もあまり積もっていなさそうだが、過ごし急ぎ気味で、仕事に行く準備をした後コーヒで一息ついてから、下の二人の子供達が真剣に見ている「おかあさんといっしょ」のBGMと同時に玄関のドアを開けた。
「冬は子供の5倍ぐらい時間がかかるな~」と一人つぶやきつつ、電動車いすに座り手の緊張をほぐしながら手袋をしてようやく出発となる。
団地のエレベーターを降りてドアを開けると「なんじゃこりゃ!」一晩で20~30センチの雪が積もっているのではないか。
今は12月初旬で、深雪と格闘する心構えもなくて勇気が出ない私に、「早く行け!労働者!埋まったら埋まった時で大声出して助けを求めれば何とかなるのだから」と同じ団地の方に言われて意を決し、雪の中へ進んでいった。
案の定、歩道は人が歩いて出来た道しかなく通る事ができなく、仕方がなく車道の端を走っていると、毎朝あいさつを交わしてくれるマンションの管理人さんが「今、パチンコ屋の駐車場で除雪をしているからそっちから行きな」と声をかけてくれ「ありがとうございま~す。」と返事を返して言われるがままに行く、除雪車に乗っていた兄さんが私に気づき「ちょっと待ってろ!道を作ってやるから」と広い道まで一気に雪をかいてくれて行くことが出来た。やっと改札に続くエレベーター前の交差点にたどり着く。
交差点を渡りはじめると「あら、どこまで行くのかしら」「一人で大丈夫なのかしら」「誰か付き添いの方はいないのかしら」とご年配の方達が、車いすの後ろにつかまって来て「電動車いす兼歩行器」のような状態でエレベーターに乗り込み、エレベーターから降りると「お体をおだいじに元気で!」と足早に改札を通り抜けていった。
地下鉄で通勤を始めた当初は「よし、地下鉄の中で本を読もう!」と心に決めたがあっけなく睡眠時間に変わり、時には「お客さん、起きてください。宮の沢まで行っちゃいますよ」と年に何度かやらかしてしまう事もあるが、何もなかったように地下鉄から降り、この時だけは「車いすユーザーで良かたぁ~」と心の底から思いながら職場へと向かう事もある。
雪のない時期は、地下鉄の乗り降りの時にお手伝いを駅員さんにお願いをする以外は、よほどの事がない限りは通りかけの人に手助けを借りないが、冬場はそうもいかない、雪に埋まって動けなくなったり、滑って登れなかったりする時があり、そのような時は、通りかけの人にお願いをしたり、ヒッチハイクの様に車を止めてお願いをするしかすではない。
手当たり次第にお願いをしていると「頑張ってね」など温かい声をかけてくれる人もいるが「無視をする」「こんな吹雪の中誰か付いてくれる、いないのか?」「冬は家の中にいればいいんだよ」など、ガラスのようなもろい心をえぐるような言動がかえってくる時もあるけれど。温かい家族を思いながらがんばるのだ。
厳しい冬が終わると暖かな春が訪れるのだから。