魔物使いの少年と獣たちの夜
真っ暗闇のなかでただ感じるのは、ふくふくの温かさとたまにつついてくる硬いクチバシ。
ぎゅーい、だの、ふすん、だのという寝言をたくさん聞きながら僕は心地よい夜を過ごす。
そして気持ちのいい夜は、森を染めてゆく朝日と共に終わりを告げた。ふと離れてゆくぬくもりは、彼らもまた朝を待ち望んでいたのだろうと分かる。
目を開くとみっしりとした短毛に覆われる鳥がいて、僕よりもずっと大きかった。まわりの子たちも短い尻尾をぷんぷんと揺すり、いらなくなった古い羽毛を弾き飛ばす。
「おはよう、泊めてくれてありがとう」
きゅーい、とひとつ鳴いてから、彼らは巣から飛び降りる。なんとなく「じゃーな!」と言われた感じだ。
しかし立ったまま樹上から落ちていく光景はどうにも心臓に悪い。巣の縁に手をかけて覗き込むと、のしのし彼らが歩いて行く後ろ姿だけが見える。
「はあ、元気そうだ。たくましいな、トットたちは」
羽毛まみれの鞄を近くに寄せながら、僕はそんなことを言う。まだ寝グセのついたまま周囲を眺めると、春を迎えたばかりの新緑の森が広がった。
トットというのは総称で、この森に住む者たちを現している。人を襲うことから魔物として分類されるが、それは領域を荒らす者に対してであり、実は人を喰わずともこの森だけで生きていける者たちだ。
そしてなぜ巣にもぐりこんでも僕が怒られないかというと……。
手繰り寄せた背負いカバンは、封を開けると小さな引き出しがずらりと並ぶ。そのうちのひとつに指をかけ、スッと引くとヒノキの香りがわずかに漂う。
そのなかに撒き散らされた羽毛をひとつかみ、葉をはらってから収納する。
代わりに取り出したのは香木で、巣の中央に置いておく。寝床を借りたお礼というわけではないが、暗くなって戻ったときにお土産が置かれていたとしたら、きっと嬉しく思うだろう。
あの鳥は実は匂いに敏感で、いい香りがするものに目が無い。夜になればまたみっしりと集合して、きっといい香りを楽しみながら眠りにつけることだろう。
先ほどいただいた羽毛には匂いがしっかりと染みついているので、もしもまた寝床に困ったら訪れてみるとしよう。
空腹だったり機嫌が悪くなければ「別にいいよ」と場所を空けてくれるに違いない。
と、その荷のなかにある手紙を僕は取り出す。
かさりと鳴らして広げてみると、綺麗な文字が広がる。そこには僕に任せたい仕事について書かれており、ふむと頷いてからトットたちに習って起きることにする。
春を迎えたばかりとあって、陽が出ている時間はそう長くはない。
焦る旅ではないけれど、ぬくぬくとした思いをさせてくれた鳥たちはもういない。ならば僕もまた歩き出すとしよう。
空腹という点では、僕もトットも同じなのだ。
パシンと水面で跳ねた魚は、丸々と太っていて美味しそうだ。
木の根っこにすわりながら寒い空気に耐え続けた甲斐もある。木のしなりを使って糸が切れてしまわないように注意する、などという苦心を乗り越えると美味しい朝食を手に入れることができた。
火に焼かれて油を滴らせる魚は、この森でも有名だ。藻しか食べないので臭みどころか香ばしさしかなく、ワタまで美味しくいただけるのだとか。
しかしワタを食べるのはちょっと怖い。
無邪気な旅人をあざ笑うための嘘かもしれない。
だけど一度くらいは試しておかないと、たぶん3日くらいは気になり続けることだろう。
しゅうしゅうと焼けた魚に、そーっと口を近づけて、目をつぶったまま思い切って噛みつく。
もしゃあ、という歯ごたえとともに香草と似た風味があふれ出し「ふむ!」と僕は唸る。
なかなかの味だぞ、これは。濃いめの味わいのなかで素朴な風味が鼻を抜けてゆく。
臭みは少なく香りは強い。
なるほど、見慣れぬ旅人相手に自慢をしてくるわけだ、などと思いながらもうひとくち。うーん、癖になりそうだ。素晴らしい。
沸かした水が冷めて、革製の水筒に入れたころにふと気づく。遠くで獣たちが鳴いていることに。
「なんだろう、あれは。人が争っているのか?」
頼まれている仕事はあるが、街まで辿り着く日数にはまだ余裕がある。
火に土をかけて消すと、荷物を背負ってからすぐに歩き始めた。
ギャイ、ギャイ、と相も変わらず殺気走った獣たちの鳴く声を聞きながら。
森の片隅で、剣や槍といった武器を振り回す一団がいた。
辺りに散るのは魔物たちの亡骸で、それでもしつこく侵入者たちを追い払おうと距離を詰め、そして樹上からはギャッギャッとやかましく鳴く。
「しつけえな、この森の魔物はよお!」
魔物たちと同じくらい大きな声で、巨漢の男はそうわめく。
商隊の護衛をしているのか大きな荷馬車を背にしており、他の隊員たちが怯える商人の背中を押していた。
「クソ、なんでこんなに集まるんだ! おい、変なモンを荷に積んでいないだろうな!」
彼らの後方、樹上からそっと葉を払って眺めてみると、荷馬車に積まれているものに見覚えがあった。植物から抽出したもので、夢を見るような心地よいひとときを味わえる品だ。
獣たちはあの匂いを激しく誘う。なぜなら魔女が生んだものであり、獣を狂わせる作用があるからだ。
「豊穣の宴……禁制の品だ」
そうつぶやく僕は、ここを離れるべきか悩む。
もしもあの品を魔物たちが口にしたら魔女の血が作用して、しばらく立ち寄れぬほど一帯が荒れる。
「急げ急げ、さっさとこの森を抜ける!」
しかし、ばさりと切り捨てられた魔物の向こうに僕の目は吸い寄せられてゆく。
のそりと巨体を揺らして睨みつけてくるのは四足獣であり、機嫌の悪さを示すようにうなり声を響かせる。
銀色に光る目玉と、血のように赤い毛並みを揺らめかせて、じっくりと抜け目なく彼らの油断を待っていた。
「グリンデズまでいるのか!」
じっとりと嫌な汗を流しつつも僕は決断する。
樹上から飛び降りるや、すぐさま彼らの後方から追い抜いてゆく。
「なんだぁお前、どっから来た!」
「話はあとです。獣たちを散らしますので、あなたたちは急いで荷運びを!」
ギュアア!と一切に鳴かれるとすごく怖い。
たくさんの開かれた口が待っていて、これだけの数だときっと数秒でズタボロにされてハラワタまで食われる。
ぽん、と手の上で鳴らしたのは特製の品だ。
ぽん、ぽん、と鳴らすたびに白い粉が辺りに舞い、一瞬だけ魔物たちは目を丸くする。きょとんとした彼らは、ブシッ!とくしゃみをする。ブシッ、ブシッ!と尚も続き、脱兎のごとく背を向けて走る者と、両手で鼻をこする者などがいる。
「っ! 急げ、荷を運び出せっ!」
「おおっ!!」
せいや、せいや、と声をかけあい荷車の車輪が岩の隙間から持ち上げられる。
こちらもまた脱兎のごとく逃げてゆき……しばし僕は真っ赤な四足獣と見つめ合う。
距離が近くて息づかいまで聞こえてくる。
ふう、ふう、という音がすぐ耳元で響いている気がするし、血の味を知っている獣だとも思う。
グル、と唸られはしたが、襲いかかられはしなかった。巨体に似合わぬ無音の足運びで、僕を睨みつけたまま姿を消してゆく。
どっどっと鳴る心臓をこらえて、ほうと僕は大きく息を吐いた。なんておっかない魔物だ。
そこから半日ほどかけたころ、河原のそばの洞穴に明かりが灯る。
ここならば川と風のおかげで匂いが途絶えるし、魔物たちにはそう気づかれまい。
ずっと大昔から利用されている天然の宿泊施設であり、男たちは火を焚いて、それぞれ酒を飲んでいた。
「坊主、さっきは助かった! あいつらを追い払ったのは何だったんだ。魔物たちがすぐに散ったぞ」
「ええ、魔物除けになる匂い袋です。あれを使うとしばらく匂いが染みついて、魔物たちから嫌われてしまうのが難点ですが」
はあ?と不思議そうな顔をして、巨漢の男は隣から注がれた酒をグイと飲む。
「魔物に嫌われても一向に構わんだろう?」
「ええ、はあ、まあそうですね」
苦笑いをする僕に、また不思議そうな顔をされてしまった。さほど困りはしないが、少なくとも昨夜のように巣にもぐりこんで眠ることは許されないだろう。
干した肉を火であぶり、あちちと言いながらかじりつく。
周囲を眺めると男たちは思い思いの時間を過ごしていた。日中の危機を乗り越えたこともあり、きっと安心したのだろう。残りの酒と肉をすべて消費するような食いっぷりだ。
その様子をちらりと眺めながら僕は口を開いた。
「大きな赤い獣がいました。あれはいつから追って来ているのですか?」
「あいつか。しつこい奴だ。3日くらい前にな、森に入ってすぐに現れた。仲間と取り囲んで戦ったが……おーい、テツ! こっち来い!」
やってきたのは細身ながらも日に焼けた肌をした男で、脇につけたままの剣もまた細い。
「こいつがとどめを刺した。横からドスッとな」
「へへっ! ちょうど隙を見せましたんでね」
得意げにそう笑い、油っぽい髪を掻いた。
ははは、と酒盛りをして愉快そうな男たちの笑い声が洞穴に響く。それを耳にしながら僕は彼らの話を聞いた。
それによると3日前に赤い獣が現れて、苦心の末にどうにか倒したらしい。しかし仲間がいたのか、より大きな奴が後を追ってきており困っていたところだと言う。
やっぱりそうかと胸中で思いながら僕は口を開いた。
「あれは群生型の魔物グリンデズと言い、一体が死ぬと他の兄弟に力が移ります。抱えた恨みと共に」
へえ、と酒を片手に巨漢の男は声を漏らす。聞いたこともない不可思議な話だとその目は語っている。
「仲間を殺した者を追う習性があり、こうしている今もどこかで見ているかもしれません。次の満月がくるときまで続くと言われておりますが……あの通り、まだ月は細い。逃げきれはしないでしょう」
グイと杯を傾けながら、またうさん臭そうな目で見つめてくる。隣の男もまた同様の表情だ。
「で、黙って食われろってか? そんな魔物、聞いたことも無いぞ。どこで聞きかじった情報だ、それ」
「古い文献、オゾの書に載っています。どうにかする方法もそこに書かれていました」
言ってみろ、と顎をクイとされて示される。
隊長の様子に気づいたのか周囲の者たちも酒盛りをやめており、いつの間にか僕の声に耳を傾けていた。
「恨みを晴らさせることです。詫びをして美味しい食事を与えること。仲間だと思われれば、もう襲われることはないでしょう」
隣の男と視線を交わすことしばし。
巨漢の男は大きな声で笑いながら「なんだそれは」と言う。
「いちいち魔物に謝っていられるか! 魔物は勝手に襲ってくるし、そいつらを俺たちは問答無用でブッ倒すもんだ。さてはお前、物の怪のたぐいか?」
まさかと態度で示してみたものの、この小柄な身体で森を旅してきたのはうさんくさく見えたかもしれない。
だれも知らない知識を披露して、だれも知らない香で魔物を追い払った。
先ほど恐ろしい目にあったためか、それとも良い気分に水を差されたためか。
やがて彼らから背を押されて、僕は洞穴を後にすることになった。
「今度ふざけたことを言ったらただじゃ済まねえぞ!」
川のそばには冷たい風が吹きすさぶ。
春を迎えたばかりでも、背後からヤジを飛ばされながらでは少々こたえた。僕はまだ子供であり、昨夜のように巣にもぐりこむことも許されない。いらぬ知識を披露して、また匂い袋を使ってしまったのだから。
ごしりと手をこすり合わせて、冴え冴えとした月の照らすなか、僕は静かに川べりを歩きだした。
春が来たとはいえ、まだ山の斜面には雪が残っている。いずれは陽気に溶かされるとしても、まだ半月はきっとこのままだ。
パキッと踏んだ枝が音を立て、近くの枝に掴まりながら僕は進む。
あれから依頼主に話を聞くことができた。文に書かれたいたのは近隣を荒らす魔物について話したいことがある、という内容だった。
「まさかグリンデズについての依頼だったとは。ああ、このあいだ彼らと一緒にいれば良かった」
ゼーゼーと荒い息をしながらそう愚痴を漏らす。
仕方ないと思うのは誰も名を知らぬほど珍しい魔物であり、また「一体が死ぬと他の兄弟に力が移る」という特性もこの時期だけのものなのだ。
春を迎えると子供たちは外に飛び出ていく。
そのとき外敵に襲われて命を落とす者は数多い。それを救うため母は子に特別な力を与える。残された者たちがたくましく生きていけるように。
「そして彼らは殺めてしまった。きっと追いすがる二体目、三体目を」
しゃがみこんだ先に、横たわる大きな獣がいた。血のように真っ赤な毛並みをしており、僕でさえ美しいと思うほど鮮やかだ。
きっと致命傷は槍だろう。
胴を半ばまで貫いて、そのまま駆け続けたものだから内臓を傷つけてしまった。怒り荒れ狂うまま力を振るい、そして人間を殺すことで恨みをひとつずつ晴らしていく。そんな戦いの末路を見る気分だった。
暴風が駆け抜けるように男たちの遺体が転がっており、岩に叩きつけられた者、木の枝にブラ下がる者と痛ましい。
それらをひとつずつ眺めながら歩き続ける。
ここでは血の色が鮮やかすぎる。心が荒れていくのを感じながら雪道を進む。
と、僕はその足を止める。
大木に寄りかかるようにして座る大柄の男、そして彼を押しつぶして絶命する赤毛の獣がいたからだ。
たたっと小走りに駆け寄って、男の額に手をかける。この手よりもずっと冷たい体温で、やつれた顔がわずかに動く。
「おまえ……」
「いま魔物をどかします。水を飲めますか?」
いや、いい、と首を横に振られた。
恐らくもう飲めるような状態ではないだろう。
「こいつは、なんだったんだ。剣で刺しても死なない。街にいるあいだも隠れて待っていた。一人ずつ俺たちを喰って、最後に笑ったんだ。にたりと真っ赤な口で」
うつろな声でそう呟き、ゆっくりとこちらに目を向けてくる。血と泥にまみれた顔で、彼もまたわずかに笑ってみせた。
「お前もきっと狙われている。へっ、せいぜい用心しろ」
がくんと首が垂れた。
警告だったのか、それとも彼らを見捨てたことへの仕返しだったか。分からないが彼の表情を思い返すに後者な気がした。
男の言う通りだろう。
あの日、僕もまた匂いを嗅がれている。
もしもあの真っ赤な毛並みをした四足獣に生き残りがいたのだとしたら、彼らの力と恨みを譲り受けているに違いない。
彼らの遺体を一体ずつ引き、春らしい暖かな陽射しを受ける斜面に埋めた。
沈みゆく夕陽を眺めていたときのことだ。
焚火で温めた湯をコップに入れて、詰んだ香草を混ぜていたときに鳴き声が聞こえた。
やぶを分ける音をガサゴソと響かせて、現れたのは犬のように小さな魔物だった。
ピュイ、ミュイ、と鳴いてくるその子に「おいで」と声をかけた。
「ごめんね、君を一人にさせてしまって。ここまで来るのは大変だったろう。さあ、こっちにおいで」
古書にしか載っていない魔物だ。どんなものが好物かも分からない。悩みつつ火であぶった腸詰肉を差し出して見ると、すんすん匂いを嗅いだ後に、あんぐと大きく口をあけた。
はぐ、はぐ、と食べて銀色の瞳を向けてくる。まるで「もっと無いの?」と言っているようで、僕の口は勝手に笑った。
「あるよ、もちろん。そうか、君の名はアズリンデか。いい名だ。さぞ気に入っているだろう」
ごしりとつい頭を撫でてしまう。
野生の相手にするものではなかったか、と思ったのだが燻製肉を頬張ることに夢中でアズリンデは気にもしていなさそうだった。
おかしいな、食事の最中は気難しいはずなのに。さては家族に甘やかされてきたんだな。小さくて可愛いらしいし。
「アズリンデ、僕と一緒に来るかい?」
そう話しかけた。
君が生きていくのにこの世界は厳しすぎる。魔物でありながら人のように考えて、笑う種族がいるなど誰も思うまい。
しかしうさん臭そうな目を向けられて、僕はそっと笑う。
うん、好きに生きるといい。
好きに感じて好きに食べて、素敵な人を見つけて子を産むといい。
いつかまた出会ったときは、それまでにどんなことがあったのか教えてくれると嬉しいな。
だけど別れは今夜でなくとも構わない。
もう月が出ているし、暗くて冷たい夜が始まってしまった。洗ったばかりの毛布を敷くから、互いの体温で暖をとりながら眠りにつこうか。
パチパチとはぜる薪の音を聞きながら、鞄を枕にして身を横たわらせる。
おなかいっぱいになったアズリンデが丸まって、背中を預けてくると暖かくてぐっすりと眠れる夜になってくれた。