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もう一つの『図書館』⑤

 冗談交じりとはいえ、おそらくこの呼び出しが良いものではないことも清治は分かった居たつもりだったし、先刻までそのような話を先輩としていた――だが、

「……もっとも現時点で疑わしいのは君だ。何か言いたいことがあれば聞いておくが?」

 呼び出された部屋の中で顔色一つ変えず、そういう台詞を言ってのける人間が清治を迎えてくれようとはおよそ考えていなかったことであった。

 

 扉が閉まる音と同時に清治にとっての長い時間が始まった。昔ならば保護者観覧席になる教室の後方に先客がいた。彼らが清治を呼びつけた当人だろう。どう挨拶をしようかと清治が口を開く前に、

「楠だな」

 彼らは(名さえ分からないので彼らとする)、名乗りもせず、開口一番にそう尋ねた。警察なのにそんなことでいいのだろうかと、清治はそんな感想を抱いたが、

「はい。手短にお願いします。早く、帰りたいので」

「善処しよう。はじめようか」


  結局そのまま流してしまった。

 彼らは二人組だった。比較的若々しく見えるが、業務に疲れた者特有の枯れた笑みを浮かべた男と、おそらく上司に当たるであろう巌のような男。今時珍しく黒のスーツをきちりと着こなしており、中年にさしかかったと思しき年齢の割にその下に見え隠れする肉体はどちらも引き締まっていた。実用向きの身体だ。おそらく相当に鍛練を積んでいるにちがいない。鍛え上げられた体は己を律することにも、人を害することにも使うことができる。彼らがその気になれば、清治を引き摺っていくなどわけもないことだろう。檻の中で捕食者と対面しているような気分だった。

 

 彼らはその身体を急遽学校側が用意したであろう椅子に押し込んで座っている。客人なので上等なものをとでも思ったのかもしれない。椅子は学生が使用を許されているものよりはるかに上等な代物だった。しかし残念なのは上等と思い込んでいるのが学校側だけだということだ。減点1、清治は彼らの学校側に対する評価を代弁するならこうだろう。清治が見ても客に座らせるようなものではない。それでも彼らは椅子に対する不満をあらわにすることもなく、質問を続けた。彼らが清治に求めたのは昨日何をしていたか、ということだった。

 

 清治はほぼありのままを待っていた彼らにほぼ話して聞かせた。ほぼというのは、事件に関係の無いところで自分が不利になりそうな部分をはしょったからである。聞かれてもいないのに備品の無断持ち出しなどを口に出すつもりはない。

 ()()は、そう彼らは清治を疑ってすらいない――そんな表情をずっと浮かべながら、目の奥では清治がこぼしたどんなものも逃すまいというように気味の悪い視線を投げかけている。

「君の世代、いや、もっと大人の世代だとしても一も二にもデータベースをとるというのに今時珍しいな。何かきっかけが?」

 

 清治に少し興味を持ったらしい若く見える方の男がそう訊ねた。一方巌のような男は本当に岩になったかのように口を閉ざしたままだ。いわゆる飴と鞭のように、データベースを使える警察にも古臭い戦法が残っているのかもしれない。

「最初はもちろんそうです。今は違いますが」控えめに清治は答えた。

「理由を聞いても? これは別に答えなくてもかまわないよ」


 若く見える男は親しげに微笑んだ。目だけは笑っていない。清治は気を緩めまいと負けじとその瞳を見つめ返した。

「かまいませんよ。俺はデータベースに上手く入れないんです。ちょっとした事故の後遺症でして」

 清治はデータベースを使えない理由を聞く者には素直に理由を答えるようにしていた。間違いなく自分が変質を余儀なくされたものであり、忘れることもごまかすこともできないからだ。時が痛みを和らげてくれるまではあまりに遠く、痛いものは痛い。質問の主は表面上すまなそうに顔を俯かせた。


「そうか。それはすまないことを聞いた。この仕事をしていると後天的にデータベースにアクセスできなくなった者の話はよく聞くよ。辛いことだろう。ちょっと脱線してしまったようだ」

「脱線しすぎだ。何を悠長にやってる」巌のような男が叱責を飛ばした。

「すみません。もう一度聞くけど、君の主張としては、だ。やっていないし、たまたま前日にその場にいただけで事件とは全く関係が無い。そうだね?」

「はい」清治は数十回目の「はい」を彼らに返した。


「だそうです。やはり外部犯なのでは」

 若く見える男が巌のような男に体を向けて、意見を言うと、巌のような男は一笑に付した。氷塊のような冷たい笑いを男は一瞬で閉じる。

「お前は優しすぎる。こうなるのではないかと思っていたが、任せた俺が馬鹿だった」

 立ち上がった男はそのまま清治に歩み寄った。額に冷たいものが当たる。これは――。清治は身を固くした。


「それはやりすぎです! こんな子供相手に何を――」

「黙ってみていろ。こいつはこうでもしないと吐かない」

 動揺する部下を意に介さず、男はより一層清治の額に鋼鉄をめり込ませた。

「最初からこうしておけばよかった。楠、お前()()()()()()な」

「いきなり何の話ですか」


 清治は自らの方に乗り出した男の目を冷たく見返した。鋭く深く反応する頭と対照的に、腿の上で握られた拳の構成要素が震える。それまで和やかとはいかないまでも穏やかだった空気が一変する。もはや任意の事情聴取ではあり得なかった。

「お前に聞いてるんだ。旧本のことに決まっているだろう」

「ごく一般的な図書館の立派な使用法だと思いますが、何か問題でも?」


 男は舌打ちした。何がこの男の中に眠るマグマを呼び起こしてしまったのか。男の内から噴出する怒りはなお赤黒く巌を染め上げていく。先ほどまでの沈厳な石灰岩のごとき面持ちは影も形もない。ぼんやりとまずいことになったなという想いが浮かぶ。

このとき、清治は遠坂から聞いた話を完全に失念していた。今少し冷静であれたなら挑発には乗らなかったかもしれないと思い返すのは後のことだ。

「……あるから聞いている。どこにある?」押し殺した声が清治をほんの一メートルの距離から放たれた。伸ばされた腕はより近い。


「黙秘します。図書館利用者の正当な権利ですから」

こと、旧本に関してのみ清治は何者にも譲る気は無い。データベースが我が物顔で実権を握るこの現代で旧本を読む権利まで失ったら、一体何を明日への糧として生きていけば良いのか。清治は自信の途方に暮れる姿を垣間見た気がした。この男達に旧本を渡すのは簡単なことだが、それだけはどうしても嫌だった。なんとしてもこのまま持ち帰らなくては。そんな清治の無意識がちらりと足下の鞄に向けさせた。至近にいる男がそれを見逃すはずはなかった。

「そこか」「何するんです!」


 男は椅子のそばに置いていた清治の鞄をひったくった。もう一人が立ち上がったが巌のような男は一にらみで黙らせる。代わりに清治は男の手から解放される。あまりの異質さに清治は黙然と立っていることしかできなかった。

 連れの若く見える男の抗議の声も聞かず、男の腕が乱暴にファスナーをこじ開け、中身をひっくり返す。勉強道具――清治しか持っていないだろう紙のノート、ペン、かり出した旧本のいくつか、私物の旧本。数点のそれらが乱雑に男の手で床にぶちまけられ、四方へと跳ねた。警察組織なら、いや大人なら持ちうるべき品性も自重の欠片も無く、両手で荒らされる。さしあたって化粧を必要としない清治の、男の割に多い所持品の見聞は数分も要さない。やがて男の顔が法悦に歪み、一冊の旧本を拾い上げる。

 やけに装丁の綺麗な、あの本だ。


「これだこれだ、やはりお前が持っていたか! 余計な手間をとらせやがって」

 旧本の発見と同時に消極的に巌のような男を窘めていた男でさえ、狂喜を隠そうしない。

「これで何も問題ありませんね」

「ああ、文句を言われないで済む」

 男達は清治の存在を忘れているようだった。見向きもせず、二人して清治の(清治の物ではない)手から奪った旧本に注視している。

 この数分に渡る空白は清治にとって良い方向に思考を促す活性剤となった。清治は、ふと疑問に気づいた。


――何故、彼らは本など欲しがるのだろう、と。

 今まで教師すら見向きもしなかったものを今更になって、欲しがる意図が全く見えない。この疑問はさらなる疑問を生んだ――彼らについてである。

 果たして清治の知る警察という組織は被疑者でもないものをこうまで荒っぽく詰問するだろうか、と。

 そういえば、彼らは一言でも警察だなどと名乗っただろうか。


 清治は遅まきながら、色々話したことを後悔した。それ自体何の得にもならないことをようやく悟ったのである。

 比較的良心的に見えた若々しい男でさえも、病的な熱狂を隠そうともしない。奇声こそ上げないが、それだけだ。頬を上気させ、子供のようにはしゃぎまわる男たち。何か聞き取れない言葉をつぶやきながら、目はどこかあらぬ方を向いていた。


 目の前にいる清治のことを忘れたかのように形のなさない舞を踊る。清治はそんな行動をする人物をデータベースの中で見たことがあった――薬物中毒者、あるいは悪徳な新興宗教の教徒。目の前の黒服の男達はまさにそれと重なる。見ているだけでおぞけが走る光景である。

 たかが旧本(周囲の客観的な視点で清治の意見ではない)一つに、これだけ狂喜できる人間が正常であるとは思えない。


 この男たちは狂っている。

 ちょうど雲間から薄く刺していた陽光が隠れて、部屋の中は闇に吞まれる格好になった。もともと陰鬱で閉鎖的な雰囲気が強い部屋なだけに不気味さが一層際立つ。

「……」


 清治は一目散に駆けだしたいのをこらえて、ひたすら黙って気配を消していた。脈拍が全力で走りきったときのように鼓動が早くなっていく。気づけば無意識のうちにそのリズムに合わせて足の指に力をかけては緩めることを繰り返していた。じんわりと手汗が握った裾を濡らす。呼吸音を殺すのが難しい。


 旧本を一冊供出させるためだけに武器まで持ち出してくる連中だ。理性的な対話も不可能だと知れている。この部屋に居座るだけ事態が悪くなっていくこと請け合いだ。

 一刻も早くここから逃げなくてはならない。逃げるか死ぬか《ランオアダイ》。理性に問うまでもなく身体は前者を選択しろと清治に、したる汗で、呼吸で、心音で迫っている。


 だが――清治の、人類の遠く受け継がれてきた野生が奏でるアラートは文化生活の中で必要な部分をそぎ落とされた鈍重な理性によってかき消された。

 アラートは生物が己が身を守るために身につけたものだ。火を本能的に恐れるのも、飛んできた物に対しまぶたを閉じるのもそうだ。無論瞼を閉じる程度ならば克服されることもあるだろう。むしろ閉じてしまった方が危ないこともあるのだから。しかし、自らに死地に飛び込む者に用意されている言葉は二つしか無い。


 英雄か――あるいは愚か者。

 どちらにせよ、そのような行動を選択する人間は総じて狂人と呼ばれるにふさわしい。もっとも当人は、他人から見れば自らもその範疇に含まれるという自覚を持ち合わせていなかった。


 清治にとって、この異常な状況下でここまで粘る理由は、まだあの本を読み切っていないから――その一言に尽きる。また、ただ言われるがままに旧本を清治の元から持って行かれるのがつまらないという反抗心の奔出でもあった。でなければこのサバトを誰が好き好んで見ようか。


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