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もう一つの『図書館』③

 翌日の学校への道中は嫌に騒がしかった。雪が降っているのは相変わらずでも、雪が持つ消音効果も意味をなしていない。一応は首を巡らせてみるものの、騒がしい学生がいるばかりである。

 

それにかまいもせず、突っ切るように清治は歩いている。寝る間を惜しんで件の本をたぐったおかげで、清治はささくれだった精神状態にあった。これから席について一眠りもしたいところなのに、ことごとくが清治を阻む。

 

 ようするにいつもの光景であった。

 外靴のまま校舎の玄関をくぐり、清治は人知れず眉根を寄せた。人混みはもとより不得手だ。頭痛が最高潮に達したときに、周囲とは質の違う音を耳が拾った。校庭の方だ。そこで少し悩む。

 

 今、清治の足はあと数歩の内に自らのクラスの扉へと到達する位置にあった。教室へと入ってしまえば校庭は見えない。一瞬、そのまま自分の席へと着いて、耳栓をして突っ伏して夜まで寝たい誘惑に駆られ、ドアの前で立ち止まった――睡眠は清治にとっての二番目の幸福だ――が、ドアの前で何度か足踏みをして結局清治は校庭が見える廊下の角へ歩いて行った。

 

 音の発信源を探れば、見慣れない大人達が忙しげに組織だって動いているのが見えた。教師陣が騒がしいのはそちらの対応をしているからだろうと結論づけた。だが、妙だ。あれは――。

 ちらりと見えた制服は学び舎にふさわしくない警察の物に見えた。


「火事? どこでだ? どこも燃えたように見えないが」

「何だ、知らないのか楠。その辺の奴に聞いてみろ、その話をしたくてうずうずしてんぞ。あれはもう病気だな」

 級友の遠坂はもううんざりだというように、ぶっきらぼうに言い放った。やや乱暴な言動に対してひどく地味な外見を持つ彼は周りの喧騒に混じらず鋭い目つきでじっと外を眺めている。清治と同じであまり騒ぐタイプではない。

 

 教室の中に入ってもそれは続いていて、授業など到底行える状態でないのははっきりしていた。普段ならば授業までの空き時間を潰すのに各々が友人としゃべっていたり、自らの端末で()()()()()()にアクセスする人がいたりと様々だが、今はほとんどがおしゃべりあるいはローカルチャットで騒がしさを助長している。こうもうるさくては、眠れるものも眠れない。

 気だるさと身体の憂鬱さと一種の躁状態の精神状況に引っ張られ、清治は遠坂に話を振った。

「騒がしいのは苦手だ。その中に混ざるのはもっと苦手だ。遠坂に聞くのが手っ取り早いと思ってな。当然ここでおとなしくしてるくらいだ、いろいろと知っているんだろう? 教えてくれ、何があったんだ」

 

 遠坂に聞いた理由はいくつかあるが、彼が()()()()()()()()。清治はこの友人のことを少しは理解しているつもりだった。この男は自分と同じで騒がしいのも嫌いだし、面倒なのも嫌いだが、自らの欲求に対しては正直で、手を抜くことをしない。席に座っているところを見ると、あらたか自分の欲求であるところの―知識欲あるいは好奇心を満足させたのだろう。

 

 彼はいかにも面倒くさげに口を開いた。

「何でも、図書館らしいぜ。つっても、普段使っているアレじゃない。アレだったらここら一帯のデータベースにも影響が出ただろうさ。俺も初めて知ったんだがこの学校にもう一つ図書館があったんだと。知ってたか? いや、知るわけないか。またお前夜更かししてたな。何してんのかまで興味ないがほどほどにしとけよ」

「ほっとけ。どこまで燃えた? 全焼か? それにしては消火活動している様子も見えないが。大したことはなかったんだろう?」

 心臓がはねる。様子を見に行きたい衝動を抑える。そんな清治の様子に気づかず級友は続ける。

「ああ、それがな……。その図書館ていうのはどうも建前で、実態は旧本の倉庫状態だったらしいんだが、妙なことに()()()()()()()燃えてねえんだ。警報が鳴って警備ロボが駆けつけたときには自然消火してたそうだ。立地も外れだし、見えんところにあるから、って休校にしなかったんだと――ところが、どこから聞きつけたのかマスコミも来るし、警察の調査も入る。ここ最近イベントらしいイベント無かったからなあ。まあ人に被害が出てないから話題にしやすいんだろうよ。ローカルデータベースはその話題で持ちきりだ。ちょうどお前が興味なさそうな部分だし、普段フィルタリングしてたら知らなくて当然だ」


「……まあな。ニュースって言うならこの雪だってそうだろう。慣れたといってしまえばそうだが、おかしいぞこれも。なんで初夏に雪まみれになって学校に来なくちゃならないんだ。今騒いでいる奴らだって物珍しがって雪合戦してたくらいだろ。その程度で騒ぐのか」ほっとした気持ちで清治は気づかれないように細く息を吐いた。幸いにして喧噪に呑まれて存在ごと消し去っていった。

 口ではそう言ったが、この町の冬に対しては一種の苦手意識があることを清治は自覚していた。それにどうも、煩わしさが先に来る。人の目がないなら耳を塞ぎたいぐらいだ。


「飽きたんだろうさ。見慣れちまえばただ雪が降っているだけだ。オレも飽きたよ、季節はおかしいとしても、いちいち雪にありがたみとか覚えるピュアな奴はいねえ……一部を除いて」「……一部、な」

 一瞬二人とも遠い目を浮かべる。それぞれの脳裏に浮かんでいる人物が同一であることを清治は疑いさえしなかった。そういう意味では目の前の人物は共通する思想を持つ人物だ。共通の敵さえあれば人は手を取り合えるのかもしれない。たとえ肌の色が違っても、言葉が違っても、血を、涙を流したとしても分かり合えたように。

 

 会話が途切れた。

「もう春どころか夏が来るっつうのに。とっとと無くなってほしいもんだ」

「同感だ。季節外れに何かあるのは桜だけでいい。あれなら幸せな気分になれるだけ損はしない」

「損はしねえ、か。楠らしいな」彼は苦笑を隠そうともしないでそう言った。

 少しの沈黙を挟んで、そういえば、と清治は疑問を口にする。この際だ、聞いてしまうことにする。

「そういや見慣れないというか、なんか不思議な連中がいたな。あれ、警察だろう。火事ってだけで来るか?」


 忙しげに動く大人達に混じった見慣れない、組織だった行動をする人間。野次馬ではない。自ずと限られてくる。

 清治は違和感を感じていた。普段なら流してしまったかもしれないそれは、次第に清治の胸の内で肥大し、捉えどころの無い不安に変わっていった。


「事件かもしれないんだから、警察ぐらい別に普通だろ……と言いてえところだが、今回に限っては違う。知りてえか?」もったいぶって彼が尋ねた。人の足下をとことん見るつもりらしい。興が乗ってきたのだろう。

「……ほかにも何か知っていそうな感じだな」清治の勘は良く当たる。多くの場合、それは嫌な方向に。今朝見た光景の違和感についてやはりと口の中だけで言った。

「まあ、な。一応、これは趣味みてえなもんだから。どうだ?」

「そりゃ知りたいが、対価は何だ。金ならあんまり無いし、お前の思うように動く気は無いぞ。ああ、昼飯におかずの一つくらいは譲れなくもない」

 

 目の前の級友はどうも外から状況をかき回して楽しんでいる節がある。それが分かっていて掌で踊る気は清治にはなかった。それは役をもらった主役(キャスト)がやればいいことで、清治は単なる鑑賞客でいたいのだ。

「それでいいさ。何が起こったか分かれば俺に何ではいらねえ。それは探偵とか、古い物語の主人公がすることだ。今時いちいちそんなこと気にしてられっかよ。俺は水面に石を投げるのが楽しいんだ。数投げりゃ、どれか一個ぐらいはでけえ波紋を揺らすんだから。でも今回は違う。いいか、絶対にこの話を聞いて余計なことを考えんなよ、絶対だ。自分からは首を突っ込むな」

「なんだそれ。どっちなんだ」彼らしからぬ発言に思わず苦笑して、清治はすぐにそれをひっこめた。

 普段はにやりと商売人じみた笑みを浮かべる遠坂が真剣な目をしている。思いもかけないことに返事をしかねていると、


「――面白い話してるね。混ぜてよ」

 そう言って入り込んできたのは活発そうな少女だった。下ろせば肩まで届こうかという髪を邪魔にならないように後ろにまとめている。「動きにくいけど、なんかもったいないからあんまり切らない」とは本人の談だ。

 年頃の少女らしく髪には並々ならぬ関心があるようで、目立ちたいからとの理由でその長髪を派手目のブラウンに染めている。清治はさほど自分自身の見目に関心がある方ではないので生まれ持った黒髪そのままだが、この少女に限らず頭髪になんらかの改造を施しているものは多く居た。学校もその行為を止めるどころか推奨してすらいる。均一になりがちな個々人を特徴付けるものとして表面から入らせようとしているのだろうと、清治は思っている。おそらく聡い者でなくても気づいている。

 

 データベースは英知を授ける一方で個人という意識を完膚なきまで消し去る可能性があると言うことを。

 いつかこの問題が、面に現れるとききっとそのときには手遅れかもしれない。

 少女は両人の返事も待たず空いていた席に腰掛けると、小柄な身体を乗り出すようにして、ごく自然に会話に混ざろうとする。珍しい光景ではないが故にクラスの喧噪に変わった様子はない。仲がいいクラスだと思う。清治もそんなクラスを居心地がいいと感じてはいるが、それとこれとは別だ。

 窓を開け放ってやれば少しは静かになるだろうか。文字通り頭も冷えるだろう。自らも被害を被ると言う事実を意識的に頭から弾きつつ意地の悪い案を本気で検討する清治をよそに少女はスペースを空ける少年に絡んでいた。絡まれている側はというと、迷惑そうに身をよじらせて逃げている。

「一ノ瀬、珍しいな。琴永はどうした?」清治が水を向けると、一ノ瀬はあっけらかんとして答えた。


「あのねえ、あたしがサエといつも一緒にいるわけ――あるけど、同じ話のループに飽きたに決まってるじゃない、所詮学生が手に入れられる情報なんて限られてくるんだから。遠坂、そんな話どこから仕入れてくるの? 気味悪い」

「一言余計だっつーの」

 遠坂は辟易とした様子で天井を仰いだ。どうも遠坂自身は彼女のことが苦手なようであった。一方一ノ瀬はというと何かに付け、遠坂を構うのだ。他人が見ても一方的な好意の表れであることは明らかだった。本人に自覚があるかどうかは別として。 

 表面上色気の一つも無い関係なだけにそれが恋情なのか、はたまた家族じみた感情なのかまでは分からない。

 迷惑そうにしかめっ面を崩さない遠坂をよそに、そんなことより、と一ノ瀬は、「他に何を知っているの? 犯人とか知ってたりしない?」


「遠坂がそれを知っていたとしてただで教えると思うか? 他の誰でもない遠坂だぞ」清治は幾分か気分を良くしていった。

「それもそうか、楠君はよく遠坂のこと分かってるね。良く一緒にいるって訳でもないのに」

「ああ、こいつにはよくいじめられているからな」「ちょっ、楠てめえ!」

 ああと納得して一ノ瀬は一定の理解を得たようだった。血色のいい顔の眼が細められる。「駄目だよ遠坂、友達は大事にしないと。ついでにあたしも大事にしないと」

「はぁ? なんだそりゃ。百歩譲って楠はともかく、なんでお前を――分かった、分かったから離れろ」

 にじり寄ってきた一ノ瀬に根負けしたのか、遠坂が白旗を揚げる。渋々といった様子で一ノ瀬が離れると、遠坂が一瞬名残惜しそうな顔をしたのを清治は見た。存外正直な男だ。だからこそ好ましいと思う。


「犯人は知らん。興味も無い」

「なんだつまんないの」一瞬にして一ノ瀬のテンションがしぼんだ。彼女の表情はころころ変わって面白い。

「じゃあ何を言いかけてたんだ。気味悪いぞ。楽になってしまえばいいのに、馬鹿じゃないのか」

「うるせえ、お前に言われたかねえ。聞く気あんだったら少し黙れ。一ノ瀬お前もだ」

「はいはい黙って聞いてあげますよーっと。どうせ話したいのに素直じゃないよね」

 遠坂はじろりと一ノ瀬の方を見て、それからあきらめたように肩を落として告げた。

「……あれは火事なんかじゃない、爆破だ。根拠は二つある。一つは警察の出方。ありゃ地元の警察じゃない、バッジを見れば分かる。もうひとつは」彼はここで囁くように言った。「本棚が粉々に消し飛んでいること。早い話がそういうことだ」

「……それホントなの?」一ノ瀬が清治の心境を代弁した。爆破? この学校で、しかも早苗堂の中で。何のために? 清治の頭の中を疑問が渦巻いた。

「ここで嘘を言っても面白れえだろうが、今回はマジだ。信じるかどうかはまかせる。できるなら係わるな」

「何で俺からそんなところに首を突っ込まなきゃいけないんだ。そんな暇があったら本でも読むぞ」清治は嘘を言った。


「そんなことならあたしだって首を突っ込まないって、友達にもそれとなく係わるなって言っておく」

 一ノ瀬が同調するように言っても、遠坂のこちらを見る目は疑惑に満ちたままだった。俺は全部知っているんだぞとでも言いたげだ。

「じゃあ何で話したんだよ。言ってる事無茶苦茶だぞ。押すなって言っているのに背中を押そうってか」

 ややあって必要があるからだ、と級友は言った。「楠お前は絶対巻き込まれる。逃げられんなら逃げろ。でもな古来、冒険ものっていうのは巻き込まれるもんだ。そうだろ?」

遠坂が顎で清治の机の方をしゃくった。清治が自分の机に目を落とすと、そこにあったのはほかでもない清治自身が持ってきた『ホビットの冒険』の旧本だった。

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