Page.3 テレビの人がやってきた 前編
2049年9月1日。
中学1年生の2学期になった初秋。
真琴の容姿は一言で言うなら『成長が止まった小学校低~中学年の女の子』のままだった。
身長140cm、痩せて華奢にも見えるが、それでも女性らしさを少し感じさせる柔らかな体つきが垣間見える。
生まれてから殆ど日光を浴びたことが無い肌は、まるで真珠のような上品さのある美しい色白の肌で、とても病人とは思えないほど綺麗だった。
髪は健康的で光沢のある清楚で綺麗な黒のロングヘアーの髪を、左右両方の後頭部の一部の髪を髪どめで括った、いわゆるツーサイドアップだ。
この髪型は小学校の頃に島に来てくれた留美先生が教えてくれたもので、真琴のお気に入りの髪型だ。
しかし、そんな真琴を取材したいと、ある日突然、全国ネットの大手TV局『テレビ大江戸』が、御堂家に取材を申し込んできたのだった……。
──『病気で中学校に通学できない離島の子どもがいる現状を、是非取材させて欲しい』、と。
真琴の母親の文子は、真琴の身体の負担を考慮して、対面取材は30分のみという条件を出し、局側もその条件を了承する事によって、真琴の取材が実現した。
30分というのは、病弱な真琴の体力を考慮したためだ。
御堂家にはかつて、リビングに液晶テレビがあったが、例の暴風雨によって家電が全て故障してしまったため、真琴本人は、生まれてこの方、テレビ放送というものを見たことがなく、真琴にとってテレビといえば、『ファミコム』のゲーム画面の事を意味した。
「お母さん、『テレビの人』って何? テレビから人が出てくるの?」
「そうねー テレビに入ったり出たりできる人のことよ」
「えええー!? じ、じゃあやっぱり、デコボコなの!?」
「デコボコ?」
真琴はドット絵のゲームキャラのことを想像して、頭の中が次々と「?」マークで埋め尽くされ始めた。
一方、文子は取材交渉の時に会った二人のディレクターの雰囲気が、どこかデコボココンビに思えたので、
「そうねーデコボコなんじゃないかしら?」
と、とぼけるように答える。
「ここから、出てくるんだ……」
「さすがに出てこないわよ。ウチは本土から遠くて電波が届かないから」
「そっかー」
なるほど、この島に電波が届いたら、デコボコになってテレビの中に入れるということらしい。
要するに、この現実がデュナミスならば、テレビの中はエネルゲイアなのだ。
「ねね、お母さん、アリストテレスって凄くない?」
「そうよー、今頃気が付いたの?」
何が凄いのか全然わからない文子は、とりあえずそう答えた。
そもそも文子は、今の会話からどうしてアリストテレスの名前が出てきたのかさえ理解不能なのだ。
「う、うん……」
「真琴もまだまだねぇー」
……とまぁこんな感じで、母親の文子は、幼い頃から何かと鋭いツッコミをしてくる真琴に対して、いつも上手く答えられずに適当にはぐらかす癖がついていた。
そんなわけで取材の件を真琴に話した文子は、本来ならば『テレビの取材がくるわよ』と説明すべきところを、『テレビの人が取材に来るわよ』と、いつもの癖で言い換えて真琴に言ってしまったのだった……。
余談だが、かつては雪神島でもテレビは映っていたし、低速とはいえネット環境もあるにはあった。
しかし例の法律『限界集落集約法』に関連して、雪神島へ接続される海底ケーブルは遮断され、離島はすべて衛星による無線接続に切り替えられたのだが、今の雪神島には、衛星を利用した無線接続機器は1つも無い。
「島の外からお客様が来るなんて、留美先生以来ね……。あっ、あの人達に調味料の取り寄せをお願いすれば良かったわ!」
そう呟きながら夕飯の献立を考える文子であったが、結局のところ、真琴を取り巻く生活環境は今もなお酷い状況なのは、文子も十分に理解している。
沖縄よりも遠く離れた孤島という地理的状況と、閉ざされた交通・物流・通信。
煩わしい都会の社会生活について、何一つ話したがらなかった留美先生。
冗談混じりに、ある事ない事やたら誇張して話したがる元気すぎる島の老人達。
説明下手で話を逸らし、とにかく簡単に誤魔化そうとする文子自身の悪癖。
そしてそれを、なんでもすぐに信じ込んでしまう真琴自身。
元々、真琴は長くは生きられない。
だから、この島で最後に死ぬのは自分なのだと、この前まで思っていた文子だが、楽しそうな真琴の姿を見るうちに、真琴さえ幸せであれば、自分のことはどうでもいいと思うようになっていた。
◇ ◇ ◇
9月20日。「TV大江戸」の取材日当日。
早朝。空が白み始める頃、テレビ局の取材班一行がチャーターした船は長い航海を経て、ようやく雪神島へと到着した。
埠頭に降りた取材スタッフの1人の中年男が、1番に船から降りると、早速ハンドカメラで港の様子を撮影し始める。
カメラの液晶には、穏やかな海が朝日に照らされてキラキラと輝いているのが写っていた。
肌を撫でる潮風も最高に気持がいい。
たまにはこういう場所で釣りでもしながら田舎暮らしを満喫するのも悪くは無いか、と中年男は思った。
「これまた凄いとこに来ましたね」
続いて、端整な顔立ちの若い男性が船から降りると、開口一番、そう呟いた。
「まぁこれまでも限界集落をいくつか取材してきたが、何処もこんなもんさ」
その若い男の言葉に、ハンドカメラを片手に撮影する中年男がベテランっぽく答えた。
それにしても、まさに絶好の撮影日和だというのに、カメラが映す水平線の先には、他に島らしきものは1つも見当たらない。
ここは、東京から南に一直線の太平洋のど真ん中。
照りつく日差しが、この雪神島が屈指の孤島であると知らしめるかのようだ。
そしてまた、太平洋のど真ん中の島の名前にはとても似つかわしくない「雪」の文字が付いていることが、より一層、この島の不気味さを際立たせていた……。
「僕、ニュースで『暴風で陸の孤島となって~』なんてフレーズを読んだことがありましたけど、ここって正真正銘の孤島じゃないですか。一体こんなところで島民はどういう生活してるんでしょうね?」
「分からん。……だが相羽、そうやって疑問に思った事は全てメモしておけよ! お前が感じた疑問は視聴者が知りたかった事と同じだと思え。俺達はそれらの疑問を徹底的に究明してお茶の間に届ける……。それが俺たちオールドメディアの使命だ。いいな?」
「はい、山崎さん!」
若手のイケメンアナウンサーの相羽翔太はしっかりと返事をすると、ズボンのポケットから小さな手帳を取り出して、今まさに感じる疑問を1つ1つメモし始めた。
「それにしても山田ディレクターは何で来なかったんでしょうね? 苦労して今回の取材交渉を取りつけたって言ってたのに」
「あぁー、そう言えば山田さん、なんか『もう二度とあんな恐ろしい所には行くもんか! お前たちが行けっ!』ってブルブル怯えてたなぁ……」
「へぇー。幽霊でも見たんでしょうかね? 雪神島だから雪女とか」
「知らんよ、ま、あの人は昔からあんな感じだしな。俺からすりゃ、なんでこの業界にいるのかすら疑問だ」
二人が現場の様子を確認している間、他のスタッフ達が埠頭で船から手際よく機材を降ろしていく。
山崎はハンドカメラで港の方を映すと、もう何年も使われていないと思われるボロボロになった漁船が2~3隻ほど停泊している様子が映った。
それにしても早朝の港だというのに、自分たち以外に人の気配が全くない……。
「まるで廃墟だな……。島の平均年齢何歳だったか忘れちまったが、もうみんな老衰でくたばっちまったんじゃねぇのか?」
「さすがにそれは……」
ディレクターの山崎の言葉に、相羽は苦笑する。
だが、山崎の言った通り、ここは廃墟同然のように朽ち果てていて、気味が悪い。
そんな不気味な雰囲気の港で積み荷を降ろし終えて取材準備が整うと、スタッフ一行は地図を頼りに御堂家を目指す。
………
……
…
「なんて道だ……。いや、これは道なのか!?」
山崎がハンドカメラを回しながら先頭を歩いていると、御堂家に続く1本道の道路に差し掛かった。
だが、そこに現れたのは、酷道と呼ぶに相応しい酷い有様だった。
長年放置された道は荒れに荒れ、道路の至る所から青々と伸びた背丈の高い草が、取材スタッフの行く手を遮っている。
その青々と伸びきった草を掻き分けながら進むと、道路の8~9割が土砂崩れでごっそりと崩落している危険な道に出くわした。
道は1歩足を踏み外せば崖下へ真っ逆さまに転落しそうなとても危険な状態となっており、残った2割の道に足を踏み入れると今にも崩れてしまいそうだった。
「なるほどな、契約を取り付けた山田ディレクターと小宮が辞退した理由はこれが原因か。よし、お前らは船に戻ってろ! 俺一人で行く」
「やったー!」「ほっ」「俺、い、命綱の確認してきますので……」
あまりの酷さに、さすがの山崎もスタッフの安全を最優先にする判断を下すと、スタッフからは安堵の声が漏れる。中には一目散に退散するスタッフもいた。
しかし、そんな中で
「山崎さん、僕なら大丈夫です。山田さんが行けたんですから。僕も行けます!」
と、相羽は山崎に名乗り出る。
「そうか、流石だな。中々見所があるぞ。さすがは人気アナウンサーだ。顔だけの男じゃないな」
「と、当然です」
他のスタッフが撤収すると、山崎と相羽の2人だけで、削れた酷道に足を踏み入れる。
ふと斜面を見上げると、今度は今にも転がり落ちそうなヤバそうな大岩が山の斜面で限界ギリギリ踏みとどまっているのが見えた。
慎重に崩落したエリアを抜けると、再び割れたアスファルトとむき出しになった土の混じる雑草地帯。
ベタついた葉の感触と、飛び回る羽虫が煩わしい。
急いでこの場から離れようにも、足元の雑草が足に絡みつき、道に降り積った枯葉は水気を多分に含んでいて、油断するとツルリと滑ってしまいそうになる。
悲鳴をあげると、あのデンジャラスな大岩が転がり落ちてきそうで生きた心地がしない。
2人はどちらが言い出す事もなく、互いに無言のまま、草の生い茂った道を進むのであった。
………
……
…
きちんと道路が整備されていれば徒歩20分ぐらいで着く距離を、山崎と相羽は2時間かけて、ようやく山あいにある真琴の家へと辿り着いた。
山あいにあると聞いていた真琴の家は、周囲を大きな木々がまるでスタジアムの屋根のようにぐるりと覆っていて、まるで森の中にいるようだった。
ただ1か所、木製の柵に囲まれた庭らしき場所だけは、天井にぽっかりと穴があいたように日差しが差し込んでいて、木漏れ日が差し込む切り株には、伝説の剣が刺さっていそうな神々しい雰囲気すら感じられた。
「すごい……ところですね」
「はぁ、はぁ……。ああ、見るからに昭和だな……。はぁ、はぁ……。相羽悪い、俺も歳だ、少し休ませてくれ。その間にお前は家の人に挨拶と、撮影の許可を撮りに行ってくれ。話はついているハズだ」
「分かりました」
アナウンサーの相羽翔太は、「すいませーん」と御堂家の玄関の前で声をかけると、しばらくして真琴の母の文子が出てきた。
山崎はその様子を、息を切らせながら玄関から少し離れた石に腰かけて見つめていた……。
………
……
…
しばらくすると、文子との話が纏まった相羽が、ゆっくりと山崎のもとに戻ってきた。
「OKです山崎さん。早速取材を始めましょう!」
「よし、打ち合わせ通り出だしから撮るぞ。場所はここでいい。相羽、準備はいいか?」
「ちょっと待ってください!」
汗一つ掻いていない相羽は、かばんから手鏡と櫛を取り出して身なりを整える。
「大丈夫です。行けます!」
「よし、冒頭からだ 3・2……」
山崎が1と0のカウントは口に出さず手でカウントすると、相羽が原稿通りに話し始めた。
こうして、限界集落の孤島に住むとある少女の取材が始まったのであった……。