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Epilogue




いつもと変わらない世界に暖かな朝陽の光が降り注いでいる。空はどこまでも青く澄み渡り、遠くからは小鳥の囀りさえ聞こえてきた。


まるで胎児が母親に抱かれているかのような、絶対的な安心感と暖かさに久しぶりの幸福感を感じていた。誰かの囁く声がどこか遠くに聞こえる。その声は次第に近くなってきた。菖蒲は気だるそうにうっすら目を開けると、目の前に青白く輝く光の珠が見えたような気がした。まだ覚醒しきれていない頭で状況を理解しようとゆっくり辺りを見回す。朦朧とした視界から次第に霧が晴れて辺りの様子が露になる。白い天井に白い壁。小さな窓は開け放たれて外から気持ちのいい風が流れ込んでいた。


「あれ…私…?」


菖蒲には自分の身に何が起こったのかよく判らなかった。何か悪い夢を見ていた気がするが、それがなんだったのかさえわからない。呆然と焦点の合わない目で辺りを見つめていると、聞き覚えのある声が、自分の名前を呼ぶのが今度ははっきりと聞こえてきた。はっとして辺りを見回すと、さっきの青白い光が目の前に浮かんでいる。その光はみるみるうちに大きく膨れ上がったかと思うと、次の瞬間人の形に変形した。


「光、くん…?」


目の前で少し照れくさそうに微笑むその笑顔は紛れもない玖澄光のものだった。光の体はまるで天使かなにかのように青白い光に覆われている。


翼があれば天使みたいなのに…。翼…あの時の翼は大きくて…。


頭に浮かんできた言葉に菖蒲ははっとした。冷たく暗い闇の中で見た翼。白くて大きな翼を持った誰かが自分を助けてくれた。あまりの眩しさにその顔をよく見ることはできなかったけれど、気配だけははっきりと覚えている。


あれは…もしかして…?


言葉に出して聞く代わりに、光に触れようと伸ばしたその手は光の体を素通りして空を掴んだ。


「泣かないで」


そう言われて菖蒲は、初めて自分が泣いていることに気がついた。その途端、菖蒲の瞳からまるで涙腺が壊れてしまったかのように、涙が幾筋もとめどなく零れ落ちる。


「君が無事でよかった」


光はそう言って、また優しく微笑む。何か言いたいのに、何を言っていいのかわからない。言葉をみつけようと焦れば焦るほど、頭の中が真っ白になって、かわりに視界ばかりが歪んでいった。


「最期に君に会っておきたかったんだ」


その言葉に、また菖蒲の視界が歪んでいく。菖蒲は全てを理解した。嫉妬にかられ夢魔を取り込んでしまった自分を助けてくれたのが誰なのか。そうしてその代償に自分は何を失ったのかを。


謝らなければ。今度こそ、謝らなければ。こんな自分のために辛い目にあって、それでも全てを投げ出して自分を救ってくれた人に。


そう思うのに、菖蒲の口はまるで舌を切られたかのように言うことを聞いてはくれなかった。


どうして。早く謝らなければ。謝っても、もうどうにもならないかもしれないけれど。口を利く資格さえ自分には持ち合わせていないかもしれないけれど、それでも、私は…!


焦れば焦るほど、涙だけが溢れては頬を伝って流れ落ちていく。そんな菖蒲に光はふっと優しい笑みを浮かべた。


「信じてくれて、ありがとう。君は僕の代わりに生きて、幸福に…」


光の言葉に菖蒲は驚いた。恨み言ならともかく、そんな風に言ってもらえるとは思ってもみなかったからだ。じっと見つめる菖蒲の前で、光の姿が次第に朧げに霞んで、消えていく。


「光くん!」


やっとの思いで叫んだと同時、小さくなった青白い光はふっと蝋燭の火を吹き消すかのように消えてしまった。しばらく呆然と今まで光がいた場所を見つめていると、床に小さく何か光るものがあるのに気がついた。菖蒲はそれを大事そうに拾い上げるとそのままそこに泣き崩れた。



***



あれから半年、菖蒲の勤める病院にめずらしくつくもが尋ねてきた。つくもは以前、菖蒲が頼んだカミンについての詳しい資料を持ってきてくれたのだった。


「これって…」


「うん。まぁ今更持ってきても意味ないかなっても思ったんだけどさ。レルムもかなり手伝ってくれて、あたしの知らないこともいっぱいわかったんだ。そうしたら誰かと話したくなっちゃって」


そう言ってつくもは照れたように頬を掻いた。菖蒲が収容されていた病室で目を覚ましたのは世界に光が戻ってからしばらくたってのことだった。つくもたちは毎日交替で見舞いに来ていたらしい。光が命を賭けて救った菖蒲まで失いたくないと残った四人は必死だったそうだ。


最初のうち菖蒲はつくもたちに会うのを嫌がっていた。自分のせいで光や他の者に迷惑をかけたのだ。どんな顔をすればいいのかわからなかった。けれど一生懸命に自分の心を開こうとしてくれるつくもたちに菖蒲の心は少しずつ救われていった。


「どうして、ここまでしてくれるの?」


退院の日、菖蒲はつくもに聞いたことがあった。本来なら、あの異空間で自分は倒されるべきだったのだ。いくら光が救ったとはいえ、つくも達にしてみれば自分は憎い敵のはずである。菖蒲の問いかけにつくもはしばらく何か迷うようなしぐさをして、それから穏やかな声で似てたからだと言った。


「昔のあたしにあんた、似てたから…。だから、気持ちがわかるんだ」


菖蒲が仕事に復帰してしばらくした頃、真津子が旅に出たことを聞かされた。事情はどうあれ、叔父を自らの手で葬ってしまった真津子は自ら警察に出頭していた。ところが時を同じくして海を隔てた外国で真司の死が確認されたとの連絡が入っていた。旅行先で突然倒れ、つい最近まで昏睡状態だったのだという。偶然その場に居合わせた女性が病院に運び、国際警察が身元の確認をしている間もずっと付き添っていてくれていたがつい先日、男は結局一度も目を覚ますことなく眠るように亡くなったという。その遺体のDNAから真司の身元が確認されたため、真津子の話は真剣に取り上げられることもなく釈放されたらしい。


「それで、旅に?」


「うん。なんだかその、付き添っていてくれた女性っていうのが真津子の亡くなったお母さんにそっくりらしいんだって」


リオンと同じにセフュロスは、生と死の境にいた真司の魂を利用していたのだろうか。倒れる直前に目にした女性が千津慧にそっくりだったというのも何か偶然ではないような気がしたが、菖蒲は何も言わなかった。


「さて、んじゃ、そろそろ失礼するわ」


つくもは二人が座っていたベンチから元気よく立ち上がるとうーんと大きく伸びをした。それからくるっと菖蒲のほうに向き直ったつくもは何か言いかけて口をつぐんだ。いつも誰彼構わず言いたい放題言っているつくもがめずらしいこともあるものだとしばらく様子を伺っていると、やっと聞こえるぐらいの声で、あのさ、と切り出してきた。


「ん?」


「あの…以前言ってた、例の石。まだ、持ってる?」


申し訳なさそうに言うつくもに菖蒲は柔らかく笑いかけながらうなずくとポケットから小さな巾着を取り出してつくものほうに差し出した。受け取った巾着を傾けると小さな黒い石がつくもの掌で転がった。そっと指先で取り上げて太陽の光にかざしてみると、真黒な石がどういうわけか七色に輝いた。


「ちっこくなっちゃって…」


「え?」


聞き返す菖蒲につくもはなんでもないとだけ答えると、石をそっともとの巾着に戻し菖蒲に返した。


「そうそう、これ、真津子から預かってきたんだ」


そう言って白い封筒を菖蒲に渡すとつくもはあわただしく帰っていった。つくもを見送ったあと、手紙の封を切ってみる。最近書かれたにしては茶色く変色した数枚の紙の間に一枚の写真を見つけた菖蒲の瞳から一筋の涙が流れ落ちた。



***



「ぎゃあ〜〜!!寝坊したぁ!」


新しく引っ越したアパートで早朝から菖蒲は騒々しい声をあげた。枕元にあったはずの目覚まし時計は夜中に寝ぼけた菖蒲にひっくり返されて、中の電池を外にばらまいた状態でころがっていた。急いで身支度を整えると鞄をひっつかみ、玄関に走る。靴に片足を突っ込んだところで菖蒲はあっと小さな声をあげた。何かを忘れたのだろうか、持っていたものを放り出して部屋の奥へと駆け戻った菖蒲は窓際の机の上に探し物を見つけてほっと胸を撫で下ろした。菖蒲が探していたのはあの石の入った巾着だった。大事そうに上着のポケットに入れると、そばに置いてあった真新しい写真立てに目を向ける。


「それじゃ、行ってくるね!」


中の被写体に向かってそう元気に挨拶すると、今度こそ菖蒲は大慌てで出かけて行った。




誰もいなくなったアパートはしんと静まり返っている。窓から差し込んだ春の光が写真立ての中で笑っている紺碧の髪をした青年を照らしていた。閉め忘れた窓の隙間から爽やかな風が流れ込んできて、机上に置かれたままになっていた紙片が床にはらりと落ちる。薄茶色に変色したその紙には大きく角ばった手書きの文字が並んでいた。


『…最後に、カミンのクローンである彼の名前は、私がつけたものだ。「玖」というのはその昔、紅劉国で人々がお守りとして持っていた黒く光る宝珠のことだ。当時、黒というのは何者にも染まらぬ絶対的な正義、または確かな心を表す色だと信じられていたらしい。玖の石が、澄み渡るような神々しい光を放ったそのとき、人々の希望が叶うという。私たち人類の希望として、この世に生を受けた彼に、この名前はぴったりだと思ったのだ。


光君が奇跡を、そして希望をこの世界にもたらす瞬間を私は見ることが出来ないだろう。けれど、きっと彼が私たちみんなの希望になってくれると、私はそう信じている。真津子、お前も、そしてお前の仲間も、どうか彼を信じてやってほしい。ヒトは誰かを信じ、信じられることで、誰かの生きる光にそして人々の希望へとなれるのだから(He will be a Guiding Star of our existence)…。


最後に、私はいつもお前を見守っているよ。どこにいても、どんな姿でも、お前のことを愛している。心から――流 眞』


Fin.


長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。よろしければ感想や評価などいただけるとうれしいです☆また、次週からこの話の一つ前にあたるストーリーを掲載していく予定ですので、また引き続きよろしくお願いいたします。

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