第二十四章:光と闇(3)
あと少し、もう少しだ。
おびただしい数の黒い陰の圧迫に耐えながら、光はカミンに、そして自分自身に言い聞かせる。もう一分も無駄にしている時間はない。光は行く手を阻もうとする無数の悪鬼には目もくれず、ただただ上を目指して飛んでいった。
次第に大きな黒い球体のオーラが目の前に広がった。その中心へ向かって右手を伸ばす。最初は何も触れることはできなかったが、球体の圧力に耐えながらその奥へ奥へと手を伸ばしていく。すると、何かが光の指先に触れた。次の瞬間、その何かをぐっと握りしめると自分の体を球体の中へ引き寄せる。
「勇希!」
光の手がしっかりと勇希の腕を掴んでいた。球体の中は、外にもまして強い風が吹き荒れ、轟音で耳の鼓膜がどうにかなってしまいそうだった。光は大きな声で勇希の名前を呼びながら、その華奢な体を引き寄せる。
「ひ、かるくん?」
まだ焦点の合わないセピア色の瞳がほんの少しだけ反応した。
「そう、僕だよ。勇希、しっかりして…うわあっ!」
安心してその体を抱き寄せようとした光の体は突然勇希の中から膨れ上がった黒い気に弾き飛ばされた。
「勇希?!」
「勇希、いや、我が僕ナユルよ、全てを破壊するのだ」
静かに威厳をたたえた男の声がどこからともなくこだまする。
「誰だ?勇希を操っているのは?」
勇希のはるか向こうに、一筋の光が現れたかと思うと、その姿を人間の形へと変えていく。白い絹を大きな肢体に纏っている。流れるような白髪の下にまるで全てのものを射抜くような鋭い光を湛えた灰色の瞳が光を見下ろしていた。
「あなたは…」
「久しぶりだな、カミン。いや、玖澄光」
思わず身震いせずにはいられないような、地の底まで響き渡るような低い声は地上にいたルシファーたちの耳にも届いていた。
「セフュロス…!」
光は腰にぶら下げた鞘からさっとエクスカリバーを引き抜くと、自分よりもずっと大きな老神に向けて身構えた。
「やはりお前か…我が計を邪魔するのは…」
セフュロスはそんな光を憎憎しげに見下ろした。
「久しぶり…とはどういうことだ?」
「忘れるはずもなかろう。お前はかつて私の計画―全てを浄化するという計画を邪魔した張本人なのだから」
「浄化…だと?」
セフュロスの言葉に敬介が眉を顰めた。
「そうだ。愚かな人間よ。我に意を背くものたちが集ったこの世界。それを浄化し、健全なものへと変えるという我の崇高な計画をお前が!堕天使によって闇から生み出された光の御子が尽く邪魔をしてくれたお陰でこんなにも時間がかかってしまったのだ」
「なっ、あんたの意に添わないからあたしたちみんなを消すっていう考えのどこが崇高な計画よ!それじゃ、ただのいじめっこと何にも変わらないじゃないのさ!」
セフュロスの物言いに腹を立てたつくもが剣の切っ先をはるか上空にいるセフュロスに向けながらわめきたてた。万能の神には空間など、何の意味も持たないので、つくもの罵声はセフュロスにもしっかりと届いていた。
「やれやれ。一体何をそんなに怒っているのか、理解に苦しむな」
セフュロスはつくものほうに目をやると、片方の眉を軽く上げ困ったように首を傾げた。威圧的で高慢に思えるその態度につくもは益々ヒートアップして何かを叫んでいるようだったが、老神はどこ吹く風といった様子でまた光にその視線を戻した。
「あなたのやろうとしていることは浄化ではない。破壊だ。自分の思うように物事が運ばなければ泣いてわめく子供のすることと何も違わない。そんな勝手な行動が、いくら大神とはいえ許されると思っているのですか?」
老神の威圧的な眼光の前にも光は物怖じすることなく、いつもよりさらに穏やかな声音で問いかける。そんな光に老神は半ばいらついた様子で答えた。
「ここにあるモノ全ては我が造ったもの。ならば我が自分のモノをどうしようと勝手であろう」
「なん、だと?」
セフュロスの言葉にさすがの光も怒りがこみ上げてくるのを抑えることはできなかった。藍色の瞳がきっとセフュロスの灰色のそれを睨みつけるがその態度を待っていたといわんばかりにセフュロスは唇の端を歪ませて薄く笑うと続けた。
「お前たち、人間はこの世界に悪しかもたらさない。それを我は全て排除するのみ」
「本当にそれが、あなたの言う正しい道だと、そんなことが許されると思っているのか?」
「もちろんだ。そのために我はナユルを造り、この地に降臨させたのだからな」
そう言うと、セフュロスは傍らにいる勇希を愛おしそうに見つめた。勇希の周りに漂う黒い陰は一向に留まることなく、更に大きく膨らんでいる。
「やめろ!勇希!やめるんだ!」
「お前がどんなに足掻いても同じこと。ナユルにお前の声は、もう、届きはしない」
セフュロスは高笑いをする。自分に敵わないと知りながら、抗い、悶え苦しむ愚かな人間たちの様を嘲笑うかのように。
前にも増して強い風がその行く手を塞ぐ何もかもを吹き飛ばしていく。すさまじい轟音の中、光は必死に羽ばたき勇希の名前を叫んだ。