第二十四章:光と闇(1)
外には真っ暗な世界が広がっていた。勇希の生み出した様々な悪鬼がそこかしこを飛び回っている。空は真っ黒な陰が両手を一杯に広げ、全ての光を飲み込んでいる。通りには襲ってきた狂気に逃げ惑う人々で溢れていた。
「まるで、地獄だな」
敬介は既に恐れることも忘れて唖然とその様を見つめていた。
「こういう時に普段平和な国は弱いのよ」
真津子が眉根に深い皺を寄せながら言った。勇希たちが住むこの国は今まで比較的争いごととは無縁な平和な国だった。武器の存在が問題を生むとの考えを元に一般人による武器の所持や携帯は厳しく取りしまわれ、警察官でも国から特別の許可を受けたものしか持てない決まりになっている。もちろん製造や輸入、販売をすることも禁止されており、違反したものは極刑が用意されていた。
隣国には武器を大量に所有しているところもたくさんあったがこの国からもたらされる優れた機器に恩恵を受けることが多く、また小さな島国であったので他国が攻め入るメリットもない。だからこの国は今まで外からの脅威にさらされることもなく、それゆえに特別な防衛システムというものもない。もちろん、自然災害のためのシェルターなど準備されてはいるものの、その収容数といえば国民の三分の一も入れないようなお粗末なものだった。だから当然、今回のような人知を超えた災害への対策など持っているはずもないし、シェルターに入ることのできなかったほとんどの国民はただうろたえるしかないのだった。
「まあ、シェルターがあってもあまり状況は変わらないでしょう。霊たちを物理的なもので避けることはできませんから」
真津子を気遣うようにルシファーがそっと答えた。
「あれ、本当に勇希なのよね?」
つくもが上空を見上げる。その視線の先数百メートル彼方に留まる黒い影からは邪悪な臭気が一時も絶えることなく湧き出している。その光景につくもの頬を冷たい汗が流れていった。
「問題は、どうやって勇希に近づくか、だ」
勇希の闇に反応した数え切れないほどの悪鬼がそこかしこを飛び交っている。一匹ずつの力はたいしたことのないものが多くても、これほどの数を一度に相手にするとなるとさすがの五人でも荷が思い。そして更に問題なのは、勇希が彼方上空にいるということだった。人並み外れたカミンの跳躍力を持ってしても、勇希のいる場所までは到底たどりつけない。真津子のテレポートも同じだった。
「私の能力を貸しましょう」
ルシファーの以外な言葉に皆顔を見合わせる。
「能力って、なにかあるのか?」
敬介の問いにルシファーは黙ってうなずくと、目を閉じて、なにやら呪文のようなものを詠唱し始めた。それとともに、ルシファーの体が緑色の光に包まれる。次第にその光は大きくなるとそこにいる全員を飲み込んだ。暖かな光が消えたのと同時になんだか背中に違和感を覚えたつくもがふと横にいた敬介を見た途端、とんでもない速さでその場から飛び退いた。
「うわっ!敬介、あんた何よその背中のものは…?」
「ああん?」
つくもに言われて敬介は首をひねる。すると肩越しに黒くててかてかとした、まるでこうもりの羽のようなものが見えた。
「それなら、空中でも戦えるでしょう?」
ルシファーが疲れたような声でのんびりと言った。
「そりゃ、まあ、そうだけど…」
敬介が不服そうな顔をする。
「なんで、俺たちだけ、こうもりで、あいつには立派な翼が生えてんだよ!」
敬介は、一人だけ翼の生えた『あいつ』を指差して、口をとがらせた。
「え?」
光は敬介の場違いな糾弾に目を丸くする。敬介が言うとおり確かに、光の背には大きく立派な黒い翼が生えていた。
「そりゃ、あんたがギャグキャラだからじゃないの?」
「きっとそうに違いないのにゃ」
「んだとー!じゃあ、お前たちも自分がギャグキャラだって認めるんだな?」
まるで他人事のように呑気にケラケラと笑っているつくもとレルムに敬介は意地悪そうな笑みを浮かべて言った。
「なんであたしが…あっ…!」
敬介に言われるまで気付かなかったのか、二人は自分たちの背中にも敬介同様、こうもりの羽根がついていることに気付いて絶句した。
「ちょっと、ルシファー、これどういうことよ!こ〜んなかわいい乙女を捕まえてこんなダサい羽つけるなんて、一体あんたなに考えてんの?」
つくもはキーキー黄色い声で叫びながらルシファーに殴りかかる。
「そうにゃ。この二人はともかく世界最強の魔術師レルム様にこんな陳腐な羽根をつけるとは、お灸どころじゃすまないのにゃ」
その横でマインドスターを手にそう静かに宣言するレルムのオッドアイには危険なほどの殺気が漲っていた。
「ちょっと、つくも、レルムもやめなさい!」
あわてて真津子が止めに入る。
「離せ〜。いっぺん殺しちゃる〜!!」
まだ暴れるつくもを真津子がなんとかルシファーから引き剥がそうとした直後、レルムの攻撃魔法が爆発して三人を丸焦げにした。光もあわてて止めようとしたのだが間に合わなかったらしい。レルムが出した術が小技だったのと光が途中で遮ったことで直撃を免れたことが幸いして怪我をするまでには至らなかったが一緒に巻き込まれた真津子は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「やれやれ。しょうがないじゃありませんか。みなさんに私の翼を貸し与えようにも、私は一人しかいないんですから」
顔を煤で汚したルシファーが言い訳がましく答えた。
「貸し与えるって?」
「ええ。光くんの背に生えているのはもともと私の翼なんです。天界から落とされた時に黒くなってしまったね。彼が一番遠くまで、勇希さんのもとまでたどりつかなければいけない。だから、彼には私の翼を使ってもらうことにしたんです」
「それって…」
「みなさんは、途中まで彼をエスコートしてくださればいい。私の呪文でみなさん全員に飛力を与えるとなると、体裁はこの際気にしてはいられないでしょう。それに、こうもりの羽は結構役に立ちますよ」
そう言ってルシファーはにっこりと笑った。
「ま、まあ光のためなら仕方ないか」
「あれ?でも真津子は?真津子にはなんにも生えてないよ?」
頭をがしがしと掻きながらしぶしぶ納得する敬介の横でつくもがただ一人、様子の変わらない真津子を見てそう尋ねた。
「ああ…彼女には私と一緒に地上に残ってもらいます。私があなたたちの翼に気を送っている間、彼女に結界を張ってもらわなければなりませんから」
「あ、そういうこと」
「さあ、そろそろ行ったほうがいい。これ以上勇希の暴走が続けば本当に地上に棲むものたちの精神に異常をきたしてしまいますよ」
「オッケー。んじゃレルムの後についてくるにゃん!」
ようやく話しが纏まったのを見届けるとレルムがぴょんと飛び上がった。体に見合った小さな黒い羽がぱたぱたとかわいらしい音をたてる。敬介が左、つくもが光の右に並ぶ。
「よっしゃ、んじゃ行きますか」
敬介がそう言って飛び立とうとした時だ。光たちの頭上数メートルのところまで浮上していたレルムがそのままの高さを維持したままくるっとこちらを見下ろした。
「ん?どうした?」
「見るなよ」
何か起こったのかと心配して見上げると少し紅潮した頬を膨らませたレルムがじっとこちらを睨んでボソッと呟いた。
「は?」
レルムの言葉の意味がわからず間の抜けた声がもれる。何のことを言っているのかしばらく首をかしげていると、ひらひらしたスカートを両手で押さえたレルムがさらに殺気の籠もったオッドアイで睨み返してきた。それを見て敬介は合点がいったようにぽんと両手を打つ。
「な〜んだ、そんなことかよ。大丈夫、誰も見てねえって。なあ?」
「え?あ、ああ」
「ホントにゃん?」
肘で脇を小突きながら同意を求めてくる敬介に光はあわててうなずいたが、レルムはさらに疑いの籠もった目でにらみ返している。
「ホント、ホント。だ〜れもお子様のいちごパンツなんて…げほっ!」
「うにゃ〜!!!敬介、死なす〜〜〜!!!」
うっかり口を滑らせた敬介の顔面にレルムの蹴りが入る。結局四人が上空に飛び立ったのはそれから三十分も経ってからのことだった。