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第二十三章:深き闇(1)

「パンドラの箱という神話を知っていますか?」


以前、勇希たちが隠れ家に使っていた流診療所のリビングで深い疲労に益々やせ細った顔のルシファーが思い口を開いた。小さな暖炉には赤々と暖かい炎が揺れている。けれど、薄い壁の向こうにはアメーバ状のどろどろしたものに侵された深く暗い闇がひしめきあっていた。


「パンドラの箱…。そういえば、父の残した手紙にも触れられていたような…。光君がその希望だとかなんとか」


さっきまで、ルシファーと共に外の状況を確認に行っていた真津子が慎重に口を開いた。外界の状況は敬介たちの前から勇希が消えた時よりもさらに闇が深くなり、街中に悪鬼の魂が徘徊していたという。どうしてこんなことになってしまったのか。勇希がその原因だというルシファーはとうとう四人に全てを話すことに合意したのだった。


「地球という、星に古くから言い伝えられている神話だにゃん」


「地球?」


驚いて聞き返すつくもにレルムはこくりと頷くと皆によくわかるように、かいつまんで話を聞かせた。地球という、何百光年と離れた場所にある青い星。今レルムたちがいるこの星にヒトの種族が移住してくるより遥か昔に栄えていたこと。そしてその星に伝わる神からの贈り物のことを。


「へぇ。レルムって物知りなんだ」


「そりゃ、だてに年はくっちゃいねぇっ…ぐほっ!」


つくもの言葉に反応した敬介の後頭部にレルムの蹴りが炸裂。敬介は顔から床につっこんで倒れた。


「あはは…。なんか、あたしの役目、レルムに取られちゃったみたい」


「ちょっと寂しいとか?」


隣で頬を掻きながらつっぷしたままの敬介を見下ろすつくもに真津子がからかうような声をかけた。


「なっ。バカなこと言わないでよ。誰がそんな!」


「つくも、安心していいにゃ。光やカミンならともかく、レルムがこ〜んなあんぽんたんな男を取ったりするわけないにゃ」


ぱっと顔を赤らめるつくもにレルムがひらひらと手を振って答えると、絨毯で擦れて赤くなった顔の敬介がむくっと起き上がった。


「あんだと?俺だってこんなお子様ランチ体形に興味ないわい」


「にゃんだって〜〜〜!!!」


敬介とレルムはぱっと椅子からたちあがると互いに睨みあう。


「案外、お似合いかもしれません」


「誰がじゃ(にゃん)!!」


そんな様子を黙って傍観していたルシファーがぼそっと言うと、二人同時に同じ言葉を叫んでルシファーを睨みつけた。ルシファーはやれやれといった様子で首を振った後、わざとらしく咳払いをすると真顔で四人の顔を見回した。


「今の話、パンドラの箱の神話は、全てが本当だと思いますか?」


ルシファーの真剣な問いに敬介とレルムが互いに一番遠い席に座り直したのを確認すると、皆じっと聞かれたことへの答えを探りはじめる。


「そりゃ、神話ってのは御伽(おとぎ)(ばなし)の一種だから、それ自体がまったくの作り話ってこともありえるしな」


しばらくして、敬介が椅子の背に顎を乗せながらそう答えた。


「でもなんでそんなこと…。まさか、勇希がパンドラだとでも言うんじゃ」


「いいえ、勇希はパンドラよりも更に厄介で恐ろしいもの。彼女は『深き闇』なのです」


その部屋にいた皆の額から冷汗が吹き出した。ルシファーの言う『深き闇』が何なのか、誰も理解していたわけではない。理解するどころか、聞いたことすらないものだ。それなのに、何故かその言葉を聞いただけで恐ろしさに全身の毛穴が開くのを感じていた。


「真司も確か、そんなことを言っていたな…いったい、その『深き闇』ってのは何なんだ?」


辺りの空気が急にその濃度を増したかのように体に重くのしかかる。敬介が緊張でからからになった喉の奥からなんとか声を搾り出すと問いかけた。


「『深き闇』とは異形の神のことです。あらゆる場所や次元に存在し、たくさんの異名を持つ邪神。その神を知るのは容易ではありません。なにしろ、私ですらその全てを知り得ているわけではないのですから」


「つまり、分りやすく説明するにはパンドラの神話を例とするのが一番だ、ということか」


「その通り。パンドラはあらゆる災厄を閉じ込めた箱を持たされ、世界に降臨した。彼女はその箱さえとってしまえば普通の女性。ですが勇希…いや、ナユルは違う。『深き闇』という破壊神である彼女は災厄の根源。いわゆる箱自身なのです」


「そんな…」


ルシファーの言葉にその場にいた者は皆絶句した。確かにカミンたちは諸悪の根源だと信じられていたダコスたちを撃退した。それなのに紅劉国は跡形も残さず崩壊した。そして今、勇希は突然暴走を始め、世界は破滅の危機にさらされている。この状況下でルシファーが嘘をついているとも思えない。ならば、真実なのだろうか。


「でも、パンドラの箱には希望が残ってたんでしょ?それって悪いものじゃないじゃん?」


「それについては希望という説と、予見という最悪のものが残っていたという説があってはっきりはしないのですよ」


つくもの率直な問いにルシファーはいつもの間延びした声で答えた。


「でも、例え予見にしても、最悪とは言えないんじゃないのか?先のことが見えるんだろ?」


「そうね、先を見ることによって怠惰になる人と、それを変えようと努力する人…人によっては全く別物になるものよね」


「まあ、パンドラの箱に残っていたものが予見か希望かは別として、ナユルの場合には確実に希望が存在しました」


「ええ?それって…まさか、カミン?」


ルシファーの言葉にしばし考え込んでいたつくもがぱちんと指を鳴らすと大きな声で叫んだ。


「ええ…。よくわかりましたね。ま、正確に言えば、カミンの前衛となりますが」


「前衛?」


「ええ。彼は国王とその皇女を刺客から救った時、自分が本来封じなければならない存在…つまりナユルに恋をしてしまいました。愛する人を封印するなど、耐えられなかったのでしょう。実際、ナユルは暴走さえしなければ害のない普通の少女でしたから、暴走のないよう彼女を側で守ればいいと考えた彼は、ナユルを封印する力…自分の一部を涙石の中に封じ込めてしまいました」


「涙石?」


「光が最近していたピアスがあったでしょう?青い涙の形をした石ですよ。光は菖蒲さんを助けるためにその石を砕いてしまった。君達も見たあの光の洪水は、その力が開放されたことによって発せられたものなのです」


「!!」


「あいつ、なんでそんなもの…。つか、どうしてあんたはそんなことを知ってんだ?」


敬介がその真意を探ろうとでもいうのか、ルシファーの糸のように細い目をじっと凝視したまま硬い声で尋ねた。


「私ですか?私はセフュロスの双子の弟でしたから」


「弟って…!そうか、どこかで見たことがあると思えばそういうことだったのにゃ!」


レルムは突然、興奮した声でそう叫ぶとその小さな手をぽんと打った。セフュロスというのは一部の人間には有名な大神のことである。今まで当たり前のように光たちと行動していたレルムだったが、この世界で合流する前の状況を全て理解していたわけではなかったのだ。ただ、この世界に来て初めてルシファーを見た時、どこかで会ったような気がしてそれがなんなのか気になっていたのだ。


「なるほど。そういうことだったのにゃ。それはそれは…」


やっと謎が解けたことにレルムは一人満足してこくこくとうなずきながらなにやらぶつぶつ言っている。


「お〜い、レルム?…ダメだ、こりゃ。完全にトランスしてるぞ」


「ほっときましょう。それより、続きを」


真津子が続きを促すと、それに気付いたレルムがむくれて少し頬を膨らませたが、そんな状況ではないことを理解したのかおとなしくまたルシファーのほうへ向き直った。


「天界の掟で兄は王へと君臨し、私はその補佐官として働いていました。けれど、そのうち私は兄のやり方に疑問を持ちました。自分の意に介さないものは全て排除してしまうという、そのやり方が私には理解できなかった」


敬介の眼差しから一時もその目を逸らすことなく、ルシファーはいつもに増して穏やかな声で淡々と話を続けた。


「私は俗に言う堕天使です。ある日、とうとう兄に反旗を翻し、私は一人、人間界に降りました。けれど兄は私が人間界で幸せになることを許せなかったのでしょう。兄は私にとってたった一つの大切な人までをも奪っていった。人間の肩を持つつもりはありませんでした。だけど、兄が…セフュロスがしたことだけは、ルナを殺したことだけは決して許せない」


ルシファーの緑の瞳にほんの一瞬だけ赤く燃え滾る憎悪の炎が見えたような気がしたが、その炎は次の瞬間には跡形もなく消えうせ、ただ悲しみの色だけが広がった。


一般的に堕天使は悪というレッテルを貼られているが、それはセフュロスを絶対の存在としてあがめる者たちの間で造られた、セフュロスにとって都合のいい考えにすぎない。誤解されたまま、「悪しき者」とされたルシファーのつらさは当事者でない他のものには絶対にわからないものだった。


「人というのは愚かです。悪い行為も平気でするし、邪な考えも持つ。ですがそれは、その創造主であるセフュロス自信の過ちであったと言えなくもありません。それでもセフュロスは己を悔い改めることなく、それどころか、災厄をもって自分の立場を脅かすヒトの世界を崩壊させることを考えた」


「そんな…」


「愚かなものです。『聖戦』と呼べばなんでも許されると言う思想が芽生えたのもその頃でした。どんな世界でもいろんな人や神、思想が共存する限り、争いが完全になくなることはないでしょう。その愚かな行為の後に争いの愚かさを学べるのであれば、時には戦も必要なのかもしれない。けれど、ひとたびそれが『聖戦』と呼ばれれば、罪の意識も戦いの愚かさも何もないものになってしまいます。己に楯突く者を排除することは絶対的な善であり、それが当然となる。それがセフュロスの唱える狂った思想だったのです」


どんなことにも二面性がある。誰の言い分も、少なからずどちらかに偏っているものだ。見た目に騙されるな。物事の真実をしっかり見極めるがよい。光の体がクローン技術で造られたものだと知ったとき、灑蔵(さいぞう)はそう言った。そして今、黒幕だと思っていたルシファーの言葉により、不可解だった部分が、まるで欠けていたパズルのピースをはめ込まれ、鮮明な絵を築きあげていく。四人の視線を受けたまま、ルシファーの話はさらに続いた。


「当時、紅劉国国王は密かに天界を支配しようと企んでいました。それを阻止するため、世界を根絶やしにしてしまおうと考えたセフュロスは光から生まれた破壊神、ナユルを創造しました。ナユルがこの世界で暴走し、全てを混沌の闇に帰そうというのがその狙いでした」


「そのことを偶然知った私はなんとしてでもセフュロスの計画を阻んでやろうと決意しました。紅劉国や、国王、その他の人間がどうなろうと私の知ったことではありません。けれど、ここは、この星はルナが生きていた場所。彼が愛していた場所でした。その星をセフュロスの勝手にさせるわけにはいかない。そこで私もある者を創造し、使者としてこの世界に送りました」


「ある者って…」


「ええ。それがカミン。闇から出でし光の子。完全なる善の力を持ったカミンでした」

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