第二十一章:それぞれの想い(7)
「滄凛の杖…だと?」
驚く真司に真津子はにやりと唇の端を上げて微笑んだ。
「そうよ。私の得意技は何も防御結界や瞬間移動だけじゃない…」
はっと大きく目を見開く真司の背にオリハルコンの短刀が突き刺さった。
「そう。念動力…。それが私の最大の攻撃呪文…」
真司の体がぐらりと大きく揺れる。ダガーはただの葉巻へと戻り真津子の足元へと落ちた。
「こんなことをして…後悔…するぞ…」
真司の言葉に真津子の瞳がかっと見開かれる。オリハルコンを引き抜いた真津子の手が、そのまま真司の喉を切り裂いた。見開かれた真司の目から、赤い血が流れ、その体はまるで糸の切れたマリオネットのようにその場に力なくくず折れた。辺りが見る間に血の海へと染まっていく。
「人間だから…ヒトだからこそ、許せないことがあるのよ…」
倒れている真司を見下ろす真津子の目から冷たい涙が一筋、ゆっくりと流れ血の海へと帰っていった。
「真津子…」
つくもが声をかけようとした時、足元がぐらりと大きく揺れた。その揺れはだんだんと酷くなり、上からもぱらぱらと埃や石のかけらが落ちてくる。
「なんだ?地震か…?」
傍らのレルムを庇うようにしながら敬介が呟いた。しばらくして、揺れが収まると、今の地震で異空間に亀裂が生じたのか上から眩しい陽の光が差し込んできた。目を細めて見上げるつくもたちの前に大きな翼人の影が現れる。緑のつやのない長い髪がつる草のように揺れた。
「ルシファー!」
今までどこに行っていたのか、上空からルシファーが疲れたような表情で見下ろしている。
「てめえ、どこ行ってやがった!遅いじゃねぇか!」
「結界が…」
「え?」
「結界だ。お前達が今いる異空間。その冥界に私は入れない。今の地震で少しだけ結界にヒビが入ったようだが、私ができるのはお前たちと話すことだけだ」
「ちっ。役に立たないやつだぜ」
翼を広げたままこちらを見下ろすルシファーに敬介は唇をとがらせるが、ルシファーは一向に気にする様子もない。
「それよりもお前達、急ぐんだ。光が…」
「なんだ、何かあったのか!?」
つくもがはっとしてルシファーを見上げる。だが、ルシファーはその質問に答える気はないらしい。ただ、奥にいる光のところへ急げとだけ伝えると眩しい光の中に消えていった。
***
燃え盛る炎の中、勇希のトンファーが火花を散らした。光が思った通り、ヒプノスの力は強大で、二人がかりで攻撃してもびくともする様子がない。暗い闇をまとった素手で勇希が繰り出すトンファーを受け止め、あっと言う間に弾き飛ばす。
「ライトアロー!」
勇希の体が離れた瞬間に光の矢が放たれるがヒプノスの左手から放たれる影に飲み込まれてしまった。
「ちぃっ!」
軽く舌打した光はすぐにエクスカリバーで切りかかる。同時に動いた勇希を弾き飛ばそうとした腕にエクスカリバーが食い込んだ。
この世のものとは思えない耳をつんざくような獣の悲鳴がヒプノスの口から発せられる。それと同時に膨らんだヒプノスの黒い気がまだ遠くに退いていなかった勇希を吹き飛ばした。
「あうっ!」
ものすごい勢いで闇の壁にたたきつけられた勇希の体はそのまま地面へところがった。
「勇希!」
光は急ぎ駆け寄るとぐったりとした勇希を抱き上げた。衝撃で口の中を切ったのか薄く開いた唇の端から赤い鮮血があごへと流れ落ちる。一時的に気を失っているようだが、命に別状はなさそうだ。だがほっとしている暇はない。背後では腕に傷を受けたヒプノスが栓を抜かれたシャンパンのようにその憎悪と怒りを膨らませ続けていた。どんどん膨張する気が光の体に重くのしかかる。このままでは二人ともヒプノスの巨大な気に押しつぶされてしまう。
そんなことはさせるものか。俺は二人を助けると誓ったんだ。例え刺し違えてでも二人の命は俺が護ってみせる。
そう自分自身に誓った途端、光の体を青白い光が取り巻いた。そのとたん、光にのしかかっていた重圧がゆっくりと消えていく。ヒプノスを見ると、今まで爛々と怒りに燃えていた瞳が曇り、怯えたような表情を浮かべていた。
「はあああっ!」
一抹の勝機を見出した光はエクスカリバーを手に一目散で駆け出した。光の思惑に気付いたヒプノスが慌てて結界を張り巡らせる。が、光のほうが一瞬、ほんの一瞬だけ早かった。気付くと光の剣が深々とヒプノスの心臓を貫いている。背中に突き出した剣先から真っ赤な血が滴り落ちた。
一瞬の沈黙。世界から音という音が消え失せる。無音の世界にとくん、とくんと静かに響く心臓の音は一体誰のものなのか―。そんなことを考えていると囁くような声が聞こえてきた。誰だ?よく聞こえないよ、なんだって?
ありがとう―。
はっと我に返った瞬間、激しい轟音とあの得体の知れない叫び声が戻ってくる。さっきまで菖蒲を取り巻いていた闇が竜巻のように荒れ狂う風の中、逃げるヒプノスの姿が目に入った。
「逃がすか!シャイニングセイバー!」
光の叫び声とともに、青い光が空から舞い降りる。空中で七本の光の帯に別れたそれは闇に消えようとするヒプノスの体を捕らえた。ふりほどこうと必死にもがくたび、光の帯はヒプノスの体に巻きついていく。こちらをきっと睨みつけるヒプノスに光の瞳がかっと見開かれる。
「逝け!」
短く叫んだその瞬間、ヒプノスの体が爆ぜた。あれだけ勇希と二人、苦戦させられたヒプノスは光の口から出たたった一言で跡形もなく消えうせていた。
ヒプノスが消えたと当時に辺りに広がっていた炎もゆっくりとその勢いを失っていく。ほっと胸を撫で下ろした光の腕に菖蒲が力なくくず折れた。
「光くん!」
どうやら気がついたらしい勇希が二人の側に駆け寄ってくる。涙をいっぱいに湛えたセピア色の瞳には色を失った菖蒲の顔が映っていた。光は注意深くエクスカリバーを抜き取ると、菖蒲の体を地面にゆっくりと横たえる。傷口からどんどん鮮血が流れ落ちては辺りを赤く染めていく。傍らに跪いた光が両掌を菖蒲の上へかざす。蘇生魔法―。どうか助かって…。魔法の使えない勇希にはただ祈ることしかできない。そのもどかしさに爪の色が変わるほどきつく拳を握り締めた。
どれぐらいそうしていただろうか。光は休みなく蘇生魔法を掛け続けていた。だが、掌から溢れ出した淡い光に映し出された菖蒲の顔は勇希の祈りも光の努力も空しくどんどん色をなくしていくばかりである。
「お医者さんを…早く、病院へ…」
そう口に出してはみたものの、この異世界からどうやって脱出していいのかわからない。どうやら結界が張られているようで、それが破られない限りここから出る術はなかった。入り口のところで別れた敬介たちもまだ追ってはきてくれない。まさかあの四人が倒されたとは思えないが、もしかするとまだ苦戦を強いられているのかもしれない。本当なら早く駆けつけてやりたいが菖蒲を放っておくわけにもいかない。だがそろそろ蘇生魔法をかけはじめてから十分は経過している。時間が経てば経つほど菖蒲を助けるのは困難になってくる。
どうすれば…どうすればいい?
心に焦りが入り混じり始めた時、光の耳元であの涙石が自ら光を放ち始めた。誰か別の心が介入してくるのを感じる。それと同時にある記憶が光の心に流れ込んだ。