第二十一章:それぞれの想い(5)
同じ頃、真津子たちは真司の操る煙龍とリオンに苦戦を強いられていた。煙龍を消すにはその術者を倒すしかないのだが、レルムや敬介の技を真司に届かせることができないのだ。真司の周りには強固な防御壁が幾重にも張り巡らしてあり、その結界を強固にしているのが煙龍というわけで互いに持ちつ持たれつのコンビネーションを組んでいる。さらにやっかいなのは煙龍自体がかなりの強モノで口を開けば炎と塩酸が吹き出し、それを上手く避けたところに鋭い爪や太い尻尾が襲い掛かる。大勢で煙龍の攻撃目標を分散させればなんとかなるのだろうが、肝心の真津子とつくもはリオン相手にこちらの援護どころではない。なんとか互角に渡り合ってはいるものの、四人とも既に疲れが見え始めている。このままでは勝負は時間の問題だ。なんとか、なんとかしなければ…。レルムが活路を見出そうと考えを巡らせていた時、煙龍の尻尾に傍にいた敬介が吹き飛ばされた。
「敬介!」
「うへぇ…今のは効いた〜」
軽口を叩きながら起き上がろうとした敬介はその場にがっくりと膝をついた。見れば膝下辺りのズボンが赤黒く染まっている。
「ちょっと、その怪我!」
「たいしたことじゃねぇ。あいつの爪がかすっただけさ。これくらいなんとも…」
そう言ってまた立ち上がろうとするが、どうしても怪我をしたほうの足に力が入らない。無理に立ち上がろうとしてバランスを崩した敬介は思わずレルムの肩にしがみついた。
「ほら、無理しちゃダメにゃん!たぶん煙龍の爪に毒があったのにゃ」
そう言われて以前、光がやはり煙龍に襲われて満に手当てを受けたことを思い出す。あの時も、光はやはりこんな風に動くことができなくなっていた。よりにもよってこんな時に同じ罠にハマるなんて。なんとか、なんとかしなければ。まだこんなところで殺られるわけにはいかないのに。けれどもどう気合を入れようと、毒が回り始めた体は一向に言うことを聞いてはくれそうもない。敬介がくやしさに舌打ちした時、つくもの背中が目の前に飛び込んできた。
「うわわわっ!」
反射的につくもを抱きとめた敬介はレルムと共に三人仲良く吹き飛ばされる。一瞬遅れてつくもの大剣が敬介の頬すれすれで地面に突き刺さった。
「つくも!お前なぁ…」
「あたた…」
二人を下敷きに伸びていたつくもが腰をさすりながら立ち上がる。
「あたた…じゃねぇ!」
側で目を回しているレルムを横目で見ながらよれよれになった敬介がつくもをしかりつけた。
「ははっ。ごめん、ごめん。レルム、大丈夫?」
地面から身の丈ほどもある大剣を片手で軽々抜き取ると、照れたようにレルムに声をかける。
「うにゃ。あっ…頭がぐらぐらする〜」
つくもの助けを借りてまだ揺れている頭を押さえながら立ち上がると、視線の先に一瞬だけ薄い膜のようなものが見えた。
「これは?!…真津子!」
異変に気付いたレルムが大声をあげる。その声にリオンから距離を取ろうとして、初めて真津子は自分の体が動かないことに気がついた。
「シャドートリックか」
つくもが苦々しげに呟いた。
シャドートリック。
対象物の動きを封じ込める黒魔術。光を弱点とする比較的下級の魔法だが、暗い冥界で強制解除を使えない真津子には厄介な呪文に違いなかった。
「なんの!俺が援護する!」
「待て!敬介!」
急ぎ電球を作り出そうとする敬介につくもの厳しい声が飛んだ。
「なんでだよ!俺のパワーボールの光なら…」
「無駄だ。周りを良く見ろ」
不服の声をあげる敬介につくもは冷静な声で答える。
「周り?」
「結界…にゃ。それもこれは、光属魔法からの光以外は通さない…。あいつ、レルムたちが妨害できないように結界を張ったのにゃ。そうして身動きの取れない真津子一人を標的に…」
「なんだって!」
あらためて周りを注視してみると、三人の周りに薄い透明の膜のようなものが見える。どうやら敬介たちはこの中に閉じ込められてしまったようだった。
「卑怯だぞ!堂々と勝負しろ!」
敬介が目に見えない結界を叩きながら叫ぶ。歯噛みする三人に真司は一瞥だけくれると、口元に挑発するような不敵な笑みを浮かべた。それはまるで狂気の淵にいるようなぞっとする笑みで、レルムは思わず敬介にしがみついた。
「光を先に行かせたことがあだになるとはな…」
つくもがくやしさに歯噛みする。今の光なら、簡単な光属性の攻撃魔法なら使えるようになっていた。だから勇希と二人だけでも菖蒲を助けることはできると踏んで先に行かせたのだ。まさか、自分たちがこんなところで手も足も出ないとは思っても見なかったからだ。
「今ごろ気付くとは、お前達も本当に愚かだな」
そんなつくもの考えを読んだように、真司が薄い唇を開いてそう呟いた。
「何?」
「俺は光がいなくなる機会を待っていたのだよ。彼がここにいては、多少の結界など破られてしまうからね」
「ま…まさか!」
真司の言わんとすることに気付いたつくもの額に汗が伝って流れ落ちる。
「そうさ。どうして俺がわざわざ菖蒲の居場所を教えたと思う?急がなければヒプノスに喰い殺されると知れば、君達を置いてでも、光は先に進まざるを得ない。彼さえここにいなければ、誰が残ろうと同じこと。光以外に光属性の魔法を使える者はいないのだからね」
何もかも、真司の用意したシナリオにつくも達はまんまと乗せられていたのだ。
「なぜだ!なぜそこまでして身内の真津子を殺そうとする?」
「なぜ、だと?そんなことは知れている。俺は千津慧の仇をとる…それだけ…そのためだけに今まで生きてきたのだから」
「!!」
真津子は真司の言葉に息を呑んだ。薄々感づいてはいたのだが、叔父の動機が本当にあの事だとは。事情のわからない敬介たちは一瞬言葉を詰まらせた後、説明を求めて真津子へと視線を投げかけた。
「千津慧?仇って…」
「私の母よ。私を産んですぐに亡くなった…」
「それがどうして仇になるんだ?」
「なるともさ。真津子さえ生まれなければ、今も元気にいたはずなんだから」
真司は敬介の問いに苦々しげに答える。その瞳にはくっきりと深い憎しみが刻まれていた。
「そんなの、逆恨みでしかないにゃん!」
そうレルムが叫ぶが真司の耳に届くはずもない。真司は固く唇を結んだまま、ゆっくりと右手を上げると掌を開いて真津子に向けた。
「マインドクラッシャー」
「!!」
冷ややかな声と同時に黒い影が真司の掌から噴出す。その影は一目散に真津子目掛けて襲い掛かった。
「ま、真津子―!!!」
レルムたちの叫び声があたりに木霊する。来る衝撃にきつく目を閉じた真津子の耳に鼓膜をつんざくような爆発音が届いた。だが、いくら待っても感じるはずの痛みや衝撃が何もない。不信に思いながら恐る恐る目を開けてみた真津子は、目前に立ちふさがる何者かの影を見た。
一体何が起こったのかよく理解できない。誰かが助けてくれたというのか?でも一体誰が?混乱する真津子の視界に蜻蛉を思わせる透けた翠色の羽が飛び込んでくる。その羽は二枚ともぼろぼろで、そのうちの一枚は今にも持ち主の背から千切れそうにぶらぶらと揺れていた。
熱で焼き切れたのだろうか、括られていたヒモが切れ、縛めを解かれた長い銀髪が傷ついた背中を覆い隠すようにはらはらと解けていく。その様をまるで何かに魅入られたかのようにじっと見つめていると、傷ついた羽の持ち主がゆっくりとこちらを振り向いた。
「マ…ホーニ…」
消え入るような声に自分の名前を呼ばれてはっとする。煤で汚れた肌に唇の端から赤い雫が流れ落ちた。
「リ、リオン!?」
真津子の無事にふっと頬を緩めたかと思うと、リオンの体はぐらりと大きく揺れてその場にくず折れた。ふいに動きを封じられていたはずの体から一切の呪縛が消える。真津子は慌ててリオンの元に走りよった。
「ごめん…。あいつに、光に言われたのにな…。君に二度と同じ思いをさせちゃいけないって…。ボクは最低だね。また、君を泣かせることになってしまった…。すまない…ごめんね」
真津子に抱きかかえられたリオンはその傷だらけの手を伸ばす。けれど、力を失った掌は真津子の滑らかな頬を感じることなく、重力の法則に従って落ちていく。ゆっくりと、リオンの肢体が薄緑色に輝き始める。輝きを増した身体は先端から光の粒に拡散し、跡形もなく消えてしまった。
「リオン…リオンーーー!!!!」




